ひとつの手記
パラパラと紙が捲れる音を聞き流しながら、結奈は目の前の本に夢中になる。
結奈にとって本はこの世界にある唯一の娯楽だ。
ゲーム機なんて物は存在しない。スマホなんてもってのほかだ。
勿論、本以外にもチェスや乗馬等の娯楽もあるが、残念ながら結奈はどれもやりこなせなかったため、本を読むという選択肢しかないのだ。
(…私、転生してからスマホなんて触らず本ばっか読んでるからな…少しだけ頭が良くなった気分…)
結奈はそんな事を考えながら本に栞を挟み、分厚い本を閉じる。
ふぅーと息をつき、椅子に寄りかかりながら両手を上に上げ、体を伸ばす。
「…あんまり長い時間見すぎちゃ目に悪いからね…」
結奈は再度息をつき、本を引き出しに戻す。
「…あれ?…何これ?」
引き出しの中にはメルーナの本が沢山入っているが、ひとつだけ、ポツンと小さなメモ帳が入ってあった。
今の結奈はメルーナとして生きているため、結奈はいつもメルーナの部屋で毎日を過ごしていたが、結奈はメルーナのプライバシーを考え、部屋中を漁るような真似はしなかった。そのため、結奈は未だにメルーナの部屋を詳しくは把握出来ていなかった。勿論、メモ帳の存在も今初めて気付いたのだ。
結奈はそのメモ帳を手に取り、よく観察すると、小さな綺麗な文字で日記と書いてあった。
「日記…もしかしなくても、絶対にメルーナさんのだよね…」
結奈は日記を引き出しにしまおうとした。
しかし、その手は止まる。
(……もしかしたら)
結奈は前に図書館で見たあの禁忌と書かれた本を思い出した。
どうして、メルーナと自分が入れ替わったのか、誰がメルーナに恨みを持っていたのか、この日記になら書かれているかもしれない。
そう思った瞬間、結奈の中で罪悪感よりも知りたいという気持ちが勝ってしまった。
「……ごめんなさい」
結奈は小さく謝り、日記を開く。
ページには、まだ幼い少女の日常が綴られていた。
皆に褒められたこと、ロセが焼いてくれたお菓子が美味しかったこと、ルイゼンから花を貰って嬉しかったこと。
どれも年相応のどこにでもある少女の日記だった。
(……そうだよね)
結奈はほっとした。
聖女と呼ばれる存在でも、こうして笑って、泣いて、喜ぶ普通の女の子だったのだと。
けれども、結奈の指がページを滑らせるたび、メルーナの様子が少しずつ変わっていった。
【○月○日
皆、私に期待してくれる。
嬉しい。
でも、少しだけ苦しい。】
【○月○日
今日は聖女としてのお勉強で失敗した。
でも誰も怒らなかった。
皆、優しかった。
一度でいいから私も怒られてみたい。】
【○月○日
夢を見た。
聖女の力がなくなる夢。
皆の目が怖かった。】
【○月○日
泣いてしまった。
でもロセが頭を撫でてくれた。
「お嬢様、大丈夫ですよ。雨はいつか必ず止みます。ですから、今は泣いてもよろしいのですよ」』
ロセは魔法使いみたい。
あの言葉だけで、少しだけ心が軽くなった。】
結奈は思わず口元を緩める。
(……ロセさんらしい)
誰かを救うための魔法は使えなくても、言葉ひとつで人の心を救える人。
まるで童話に出てくる魔法使いみたいだ、と結奈は思った。
しかし、その穏やかな日々も長くは続かなかったようだ。
【○月○日
聖女として生きるの疲れた。】
【○月○日
逃げたい、逃げられない。
顔も知らない母さん、父さん。
会ってみたいな。】
【○月○日
ロセに心配された。
でも笑えなかった。
ごめんなさい。】
「……メルーナさん」
結奈は顔を歪める。
(……そうだよね)
私は聖女として転生してたったの一年、それだけで苦しくなった。
だとしたら、生まれた時から聖女だったメルーナさんはどれだけ苦しかったんだろう。
どれだけ泣いたんだろう、どれだけ笑えなくなったんだろう。
結奈は震える指で最後のページをめくる。
【○月○日
これで、この日記を書くのも最後。
成功するかは分からない。
失敗したらその時は、その時。
私は今日、禁忌の魔術を使います。
誰とも関わらない人、誰にも期待されない人。
そんな人と魂を交換します。
私はもう、聖女ではいられない。
聖女は、私には合わなかった。
ごめんね、ロセ。
ロセは私のお母さんみたいな存在だったよ。
ごめんね、ルイゼン。
私は愛する貴方を置いて逃げた卑怯な人間。
こんな私を許して。愛してるよ、ルイゼン。
最後に実の親の顔ぐらいは見てみたかったな。会いたかったな。
これで最後、私の身体へ入る人が、どうか私よりも聖女が似合う人でありますように。】
「…………」
結奈は頭が真っ白になる。
違う、全部、違った。
結奈はずっと、誰かがメルーナを恨み、無理やり自身と魂を入れ替えたんだと思っていた。
でも違う、全部。
メルーナ自身が選んだことだった。
「……そんな」
震える声が漏れる。
結奈はこの世界へ来てから、重すぎる期待と、自分ではなく聖女へ向けられる愛情に何度も押し潰されそうになっていた。
だからこそ、それらを何年も背負い続けてきたメルーナを、心のどこかで特別な存在だと思っていた。
自分とは違う、誰よりも強くて、誰よりも優しくて、誰よりも完璧な聖女なのだと。
けれど、違った。
メルーナもただの少女だった。
泣いて、苦しんで、逃げたくて。
それでも最後まで誰にも本音を言えなかった、一人の女の子だった。
結奈は震える唇で呟く。
「それで、選ばれたのが……私」
誰にも見てもらえなかった女と、誰からも期待された女。
まるで鏡合わせみたいだった。
結奈は乾いた笑みを漏らす。
「……はは、これが……私が強欲だった罰なのかな」
愛されたかった、必要とされたかった。
そう願い続けた、そして、今目の前には望んでいたものが全部ある。
ルイゼンもロセもリリーナも。
皆、優しい、皆、笑ってくれる、皆、必要としてくれる。
だけど、その視線の先にいるのは結奈ではない。
だから苦しい、だから気持ち悪い。
結奈は最後のページを閉じる。
静かな部屋、時計の音だけが響く。
結奈は日記を胸へ抱いた。
「……違ったなぁ…」
メルーナは結奈が思ってたよりも完璧な聖女なんかじゃなかった。
結局は結奈も、皆と同じ、メルーナを聖女としてしか見ていなかった。
正反対だと思っていた二人、しかし、根っこは同じだった。
私を見てほしい。
その願いだけは、二人とも、誰にも言えなかった。
結奈はそっと日記を元の引き出しへ戻す。
いつしか、結奈の胸の奥にあった完璧な聖女という偶像だけは、静かに消えていった。
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