第5話 遺産整理
濱野さんの『宝』?
奥様の話によると、その仔馬は濱野さんが生前、アメリカの牧場に牝馬を輸送して、種付けをさせて生まれ仔馬らしい。
一体どんな種牡馬を付けたというのだろう? 数年前にリーディングサイアーを取った『ジャイアンツコーズウェイ』とか? 最近活躍馬を多数輩出している『タピット』とか? 爆発的なスピードが高評価の『スパイツタウン』かもかも。
だが一昔前ならいざ知らず、近年は持込み馬や外国産馬は苦戦傾向にあると聞く。高額の種付けをして、高額の輸送費で輸送してきても、種付け料すら回収できなかったという話をよく耳にする。
調教師の先生の話では、外国産の馬ではパワーが強すぎて日本の芝では切れ負けしてしまうらしい。だから主戦場がダートになってしまいがちだという。
これは濱野さんには悪いが、あまり期待しないでおくのが良いかもしれないな。
◇◇◇
それから半月ほど、名義変更やら何やらで本業以外で忙しい日々が続いた。
その間にJRAから驚くべき発表がなされた。
それは現在登録の際に認めていない「河原毛」「佐目毛」「粕毛」「月毛」「駁毛」「薄墨毛」を登録できるようにするという内容であった。
実は日本馬事協会では毛色は上記六種を含んで十四種としていた。だが、JRAは既存の毛色との区別がつきにくいという理由から省いていたらしい。
例えば『シラユキヒメ』の産駒に『ブチコ』という馬がいるのだが、本来であれば「駁毛」であるはず。ところが登録は「白毛」となっている。これがこの変更によって「駁毛」に変更になったらしい。
今回変更となった大きな理由は、サラブレッド登録の際の遺伝子診断が常態化し、これらを正確に区別できるようになったからなのだとか。
これで亡き濱野さんの夢への扉が一つ開かれた事になる。
なんだか自分が大きな流れのようなものに流されているような変な感覚を覚えていた。
その衝撃の発表からしばらく経ったある日の事、濱野さんがお世話になっていた浦河町の浜風牧場から、仔馬が輸送されるので一度足を運んでほしいという連絡が入った。
浜風牧場は戦前から続く老舗中の老舗で、生産のみならず、育成、馴致、調教まで行ってくれる。
安平町にある巨大牧場グループの一強時代にあって、真っ向から勝負を挑んでいる数少ない牧場である。
羽田から飛行機に乗って帯広空港へ。妻は一人で観光するというので、ここからは一人でひたすら車を走らせて浦河町へ。
しかし、大きな牧場だ。
少し交通の便は悪いのだが、その分だけ広さを確保できている。おまけに、どの建物も立派。しかもよく手入れが行き届いている。広い放牧地では馬たちがのびのびと過ごしている。実に良い環境だ。
受付で来場を告げるとすぐに場長の五藤さんがやってきた。
「これはこれは、田安さん。遠いところ、よく起こしくださいました」
「相変わらず、手入れの行き届いた良い放牧場ですね。私からみても芝が美味しそうに感じますよ」
「この時期は本当に良い色をしていますよね。馬たちがあまりにも美味しそうに食べるので、どんなもんだろうと齧ってみた事がありますが……残念ながら私の味覚には合いませんでしたよ」
冗談を飛ばしながらも、五藤場長はまとめておいてくれた資料を取り出して、机の上にテキパキと置いて行った。
「あんなにお元気だった濱野会長が急死だなんてね。私も葬儀には行きましたが、正直今でもまだ信じられないですね」
「私もですよ。ですけど、こうして遺品となる馬たちの整理をしていると、嫌でもその事を実感させられてしまいますね。残酷な話です」
「同感です。こちらが濱野会長が所有する予定であった幼駒の一覧です。まずは目を通していただけますか?」
ご丁寧に一頭一頭カラーの写真付きで、五代血統表と近親情報が付属されている。二歳馬が十四頭、当歳馬が十二頭。
血統は様々ではあるのだが、流行である『ディープインパクト』の産駒は一頭もいない。そもそもサンデーサイレンス系の種牡馬の産駒自体が少ない。『キンシャサノキセキ』の産駒くらいだろうか。『ルーラーシップ』『ロードカナロア』といったキングカメハメハ系の種牡馬の産駒が多い印象。
「うちの牧場の生産だけでなく、安平町の方の牧場にも何頭かいたようで、それもそこに入れております」
「さすがに全てを私で買い取るというわけにはいかないので、半分は奥様に持っていただく事になるでしょうかね」
最後の一頭まで見たのだが、例の濱野さんの『宝』というのは、結局どの馬なのかわからなかった。
「それが国内生産と、海外で購入して輸送されて来た馬の全てになります。そして、もう一頭」
そこで言葉を区切って、五藤場長は封筒の中から茶封筒を取り出して机に置いた。
「まずは、先に話を聞いていただきたいのです。何年前でしたか。濱野会長は突然私にどうしても所有したい馬がいるとおっしゃったんです」
「月毛……ですか?」
「ご存知でしたか。なら話は早い。私も馬産をやる者として、オーナーが所有したいと言われたらできる限りでそれに応えて差し上げたいと考えるんです。ですが……そもそも購入そのものができなかったんです」
「それは、値段的な事ですか?」
五藤場長はそれに無言で首を横に振った。当時の事を思い出しているようで、かなり憤った表情で鼻から息を噴き出した。
「月毛の遺伝子というのは遺伝しにくいらしく、種付けをしたからと言って必ずしも月毛が産まれるというわけでは無いんです。いわゆるマニア向けに小頭数生産している上に排出率も悪い。だから純粋に買える馬がいなかったんです」
「なるほどね。全て買い手が付いていたという事ですか」
「というより、皆、月毛が産まれるのを順番待ちしているような状況だったんです。そこで何年か前に、うちの牧場から、濱野会長が所有していた牝馬を向こうに送って生産をしてもらったんです」
茶封筒を開けて中から『宝』の資料を取り出す。資料の中で真っ先に飛び込んで来たのは、少し黄味かかった白毛の馬の写真であった。
「これが……月毛……」
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