第4話 残された馬たち
「あっ、田安様。実は濱野会長のご遺族の方がご相談があるそうなのです。ご足労ではございますけど、一度濱野のお宅に足をお運びいただく事はできますでしょうか?」
濱野さんが会長をしていた鷹羽産業に連絡をとったところ、恐らく秘書と思われる方からそのような案内をされてしまった。
先方が指定してきた時間きっかりに社屋の前に黒塗りの車が到着。後部座席に乗り込んで濱野さんの自宅へと向かった。
さすがに会社の会長ともなると、まさに『屋敷』と呼ぶに相応しい大きな家であった。そこに黒と白の鯨幕が張られている。
まずは家に上がらせてもらって線香を立てさせてもらった。
秘書からの報告だけでは、正直実感がわかなかったのだが、こうして亡骸を前にしてしまうと、本当に亡くなってしまったのだという事を嫌でも認識させられてしまう。
――濱野さんは私にとって馬主の師のような方だった。
元々は取引先の会社の会長という関係であった。歳は親と子ほど離れている。もちろん私が子の方。
ある時、濱野さんから競馬に興味は無いかと問われた。
興味が無いわけではない。大学生の時に友人に誘われて何度か府中に足を運んだ事もある。ただ、馬券はちっとも当たらなかった。自分にはギャンブルの才能は無いと思うと、その時は素直に伝えた。それでやんわりとお断りをしたつもりだったのだ。
だが、濱野さんは馬主はギャンブルでは無いと言い切った。我が子を世に送り出すようなもので、競馬というコンテンツを支える大事な支援者なんだと言って。
まずは北海道に馬を見に行こう。そこで旨い物を食べて、可愛い仔馬を見れば、この仔馬をターフに送り出してあげたいという気持ちが芽生えてくるはず。
そう言われ、半ば強引に北海道に連れて行かれ、濱野さんの所有する仔馬を見に行く事になった。
そこに可愛い目をした栗毛の当歳馬がいたのだ。
思えばあの時、あの馬と目が合った時点で、私はもうこの世界の魅力に落ちてしまっていたのだろう。帰る時にはその栗毛の仔馬のオーナーになってはどうかと提案を受け、気が付いた時には馬主になる方向で話が進んでしまっていた。
その後、馬主業について一から教わり、調教師の先生、騎手の方、色々な方を紹介していただいた。今思い出しても至れり尽くせりだったと思う。
あの時に目が合った仔馬には『アオイカペラ』と名付け、私の馬主人生の最初の一頭になってもらった。
だが、世の中はそう甘くは無い。最初は中々勝てずにやきもきしたものだった。それでも濱野さんは、あの馬は良い馬だから、簡単に諦めてはいけないと言い続けてくれた。諦めたらそこでその馬の一生は終わってしまうのだからと。
初勝利を挙げたのは三歳の、もう夏に差し掛かろうという六月。
ここまで新馬戦に負け、未勝利戦を四回走っていずれも掲示板に残れないという体たらくだった馬が、まるでこの暑さを待っていたとばかりに最後の直線で外を駆け上がる末脚を見せてくれた。
その後に知り合った児玉牧場の児玉場長に教えてもらったところによると、『アオイカペラ』の父『ディクタス』はかなり馬力型で芝が伸びる夏頃に能力を発揮しやすい馬だったらしい。当時は全く知識がなく調教師に全てお任せであった。調教師の先生に相談されても、よくわかならいから「良しなに」しか言えなかった。
もっと自分に知識があれば、調教師の先生と膝を突き合わせて相談ができるくらいの知識があれば、もっとあの馬は走ったかもしれない。その自責の念が私をさらなる競馬の沼に引きずり込んだ――
「相談事があると伺ったのですけど、どのようなお話だったでしょうか?」
濱野さんが安置された部屋の隣、弔問に来た方のお食事が用意された部屋で、喪服に身を包んだ濱野さんの奥様とお話をする事になった。
「主人は生前、自分に何かあったら田安さんを頼れと言っていたんですよ。そして、自分の分の馬も田安さんに引き取ってもらってくれって。どうでしょう。お願いできますか?」
「それは構いませんけど、奥様も馬主をされておいでですよね?」
「私は主人の言うがままに走らせていただけで、競馬には全然詳しくはありませんから。主人もそんな私に大切な馬たちを預けるには不安があったのでしょうね」
濱野さんは『タカノハ』という冠名で馬を走らせていたのだが、奥様も同じ冠名を使用している。生前、その事を濱野さんにたずねた事があ。その時には「自分に何かあった時に『タカノハ』の冠名を守ってもらいたいからと言っていた。
だが、それはどうやら嘘であったらしい。もしくは照れだったのか。
「主人は四十頭ほどの馬を走らせていたようですけど、申し訳ないのですけど、田安さんの名義に変更をかけていただけますか?」
「それは構いませんけど、もちろんそこには処分も入ってくると思います。もし思い入れのある馬がいるのでしたら、先に奥様が名義を変更されてはと思うのですけど」
「私にはそういうのはよくわかりませんので……」
何ともやるせない話であった。これが馬主が亡くなるという事なのだろう。もし仮に私も明日亡くなったとなったら、私の可愛い馬たちは、こうやってその価値もわからない妻によって処分されてしまうのだろう。
馬は収集した骨董品じゃない。生きた動物だというに。
話が終わり帰路に就こうとした私を、奥様が慌てて追いかけてきた。そんなに慌てて言わなければいけないような事が何かあったというのだろうか。
「大切な事を言い忘れておりました。来月、北海道の牧場に主人が『宝』と呼んでいた仔馬が来るそうなのです。申し訳ないのですけど、受領に行っていただけないでしょうか?」
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