第32話:『ふたつの影、ひとつの鋼』
第32話:『ふたつの影、ひとつの鋼』
「身の程を知れ、羽虫ども。神の降臨を阻むことなど、何人たりとも許されん」
大司教が冷たく両手を掲げた瞬間、空間そのものが軋みを上げた。
『ヘメラの真の核』から供給された無尽蔵の黒銀の神威が、極太の熱線となって放射される。石畳を蒸発させながら迫る絶対的な破壊の光。
「ぐぅぅぅぅッ……!」
ヒルデが大剣を盾として構え、正面からその光条を受け止めた。
すさまじい衝撃と熱量が重装甲冑を焼き焦がし、踏みしめた足元の石畳が爆発的に砕け散る。皮膚が焼け、筋肉が悲鳴を上げるが、ヒルデは一歩も退かなかった。
「重い……だがっ! ここで退くわけには、いかないんだよッ!」
ヒルデが血を吐きながらも大剣を押し込み、神威の光を強引に両脇へと逸らす。
「愚かな。その命、泥のごとく散るが良い」
大司教が指先を僅かに振るう。逸らされたはずの光波が空中で無数の光の槍へと分裂し、ヒルデの死角から全方位の豪雨となって降り注ごうとした。
だが、その凶弾がヒルデの肉体を貫く直前 -幾重もの繊細な光の盾が空間に展開され、槍を次々と弾き落とした。
「ヒルデを……舐めないでいただきたいですわ!」
クラリスだ。彼女はヒルデの背後から飛び出し、刃こぼれした細身の聖剣を振るって、自らの極小の魔力で大司教の術式をピンポイントで相殺していた。
かつて機構の最高位にあった彼女の眼には、大司教が紡ぐ神聖術の「編み目」がはっきりと見えていた。
「大司教……あなたの術式の起点は、右の魔力回路に偏る癖があります! 昔から、何も変わっていませんわね!」
「元・聖女風情が、私の術を読んだとでも言うか!」
「ええ、丸見えですわッ!」
大司教の顔に初めて苛立ちが走る。クラリスは降り注ぐ光の槍の軌道を紙一重で躱しながら、床に刻まれた巨大な『黒銀の制御陣』の上へと滑り込んだ。
「ここですわ! 制御陣の要となる第三、第五の魔力結節点……!」
クラリスが両手で聖剣を握りしめ、石畳の魔力回路の交差点へと渾身の力で突き立てる。
バチィィィンッ! と甲高い破裂音が鳴り響き、大聖堂の空間を支配していた重圧が一瞬、大きく揺らいだ。エレボスを空中に縛り付けていた極太の聖鎖の表面に、幾筋もの亀裂が走る。
「鎖の魔力供給が落ちた...! 今です、ヒルデッ!!」
「応ッ!!」
クラリスがこじ開けた一瞬の隙を、ヒルデは見逃さなかった。
焼け焦げた脚の筋肉を爆発させ、ヒルデは頭上のエレボスめがけて大跳躍する。大司教が慌てて防壁を展開しようとするが、遅い。
「わたしたちから……これ以上、奪わせるかァァァッ!!」
影の残滓を纏わせた大剣が、空気を切り裂いて一閃する。
重厚な鋼が極太の聖鎖に激突し、火花と魔力の暴風を撒き散らしながら、エレボスの頸椎と手足を繋ぎ止めていた呪縛を完全に叩き斬った。
「エレボス!」
宙を舞い落ちる細い身体を、ヒルデが強引に抱き寄せる。
着地と同時に、クラリスも駆け寄り、意識を失いかけている少年の顔を覗き込んだ。
「エレボス……目をお覚ましなさい! 私たちの声が聞こえませんの!?」
「あ……ふ……っ……クラ、リス……? ヒル、デ……?」
虚ろだった瞳に、泥と血にまみれた二人の顔が映る。
だがその直後、『ヘメラの真の核』が獲物を奪い返すべく、黒銀の粘り気のある触手を幾本も伸ばし、三人の足元へ絡みついてきた。
「ぐっ……また核へと引きずり込まれる……っ!」
ヒルデが足を踏ん張るが、圧倒的な引力が三人の体を削り取ろうとする。
「離しなさい……っ! この子を、あんな冷たい場所へ戻すものですか……!」
クラリスがエレボスのもう一方の手を強く握りしめ、自らの体重をかけて必死に引き留める。
ヒルデとクラリス。
二人の手が、エレボスの小さな手を両側から固く、ひたむきに握りしめていた。
「僕……は……」
引き裂かれそうな痛みの中、エレボスの胸の奥で、ヘメラの呪縛に押し潰されかけていた漆黒の影が激しく熱を帯びた。
それは神を降ろすための虚ろな器ではない。二人と泥の中で温かいスープを分け合い、共に生きると誓った「命の熱」だった。
「わたしは……もう、空っぽの器じゃない...! わたしは、人間として……みんなと生きていくんだぁぁぁぁッ!!」
エレボスの絶叫とともに、彼の体内から解き放たれた純粋な影の波長が爆発的に吹き荒れた。
まとわりついていた黒銀の触手が、漆黒の津波に飲み込まれて瞬時に消滅する。
その影は二人を傷つけはしなかった。
エレボスの手を通じて、溢れ出した漆黒の力がヒルデの大剣へ、そしてクラリスの細身の聖剣へと同時に流れ込んでいく。
ズズズズ……ッ!!
ヒルデの分厚い大剣が極圧の影を纏い、威圧的な黒金の双刃へと変貌する。
同時に、クラリスの折れかけた細身の聖剣にも、しなやかで鋭利な黒銀の影の刃が構築され、圧倒的な光輝と漆黒の旋風を巻き起こした。
「な……何だと……!? スペア肉体の魔力回路が、ふたつの器へ完全に連結したというのか……!?」
大司教が驚愕に顔を歪め、後ずさる。
双影のエンチャント。
かつて敵対し、すれ違い、奪い合っていた者たちが、ひとりの命を繋ぎ止めるために泥の中で結びついた完全な共闘の姿。
クラリスは影の刃を宿した聖剣を構え、凛とした瞳で前方を見据えた。
ヒルデは影の奔流を纏う大剣を肩に担ぎ直し、隣に立つクラリス、そして自らの背を預けるエレボスの温もりを感じながら、大司教へと力強く言い放つ。
「これで終わりにするぞ、大司教!」
(第33話へ続く)




