第30話:『黒衣の処刑人』
第30話:『黒衣の処刑人』
地下水道の旧ラインを抜け出た先は、大聖堂の前庭へと続く静寂な回廊だった。
白銀の列柱がどこまでも整然と立ち並ぶその広大な空間の中央で、冷徹な気配が二人を待ち構えていた。
「――やはり現れましたか、不完全なゴミども」
無機質な響き。全身を隙間なく覆う漆黒の拘束衣に、無感情な鉄の仮面。
峡谷の崩落の底でクラリスを見捨て、エレボスを容赦なく強奪していった回収部隊『黒衣』の隊長だった。その背後には、同じく黒漆の刺突剣を構えた複数の部下たちが影のように控えている。
「処刑を免れ、あまつさえ聖域へ足を踏み入れるとはな。クラリス……かつての最高位聖女も、今やただの動く廃棄物か」
鉄の仮面の奥からの蔑視に、かつてのクラリスなら激昂し、己の不甲斐なさに震えていただろう。だが、今の彼女は違った。
「廃棄物……ええ、そうですわね」
クラリスは泥のついた外套を脱ぎ捨て、刃こぼれした細身の聖剣を静かに構えた。
「ですが、機構の描く空虚な世界に浸るより、泥を這い、痛みを知る『人間』として立つことの方が……どれほど価値があるか、今の私は知っています」
「戯言を。失敗作に生きる価値などない」
隊長の手が動いた。一瞬。
シュバッ -!!
音すら置き去りにする刺突の嵐。高速の刃筋が空気を切り裂き、直接クラリスの喉元へと肉薄する。
「させるかッ!」
ガギィィィンッ!
ヒルデの重厚な大剣が割り込み、強烈な弾き返しで刺突の軌道を強引に逸らした。火花が白銀の石畳を散らす。
「ヒルデ!」
「ふざけた人形ごときに、わたしたちの生き様が破れるか!」
ヒルデが大剣を横一文字に振るい、後続の黒衣たちの間合いを強引に削り取る。重装騎士の圧迫感溢れる一撃が前線を引きつけ、敵の陣形を大きく揺さぶる。
隊長は体勢を立て直し、すぐさまヒルデの死角へ回り込もうと地面を蹴った。神速の踏み込み。だが、その足元へ――
バチィィィッ!
繊細に張り巡らされた聖導の糸が、隊長の足を鋭く絡め取った。
「なっ……!?」
「見くびらないでいただきたいですわ!」
クラリスだ。かつてのように大威力の神聖術で押し潰すのではない。自らの小さな魔力を極限まで節約し、敵の動きの起点だけをピンポイントで阻害する -泥と修羅場を潜り抜けたからこそ得た、泥臭いまでの技巧的連携。
「くっ……離せ!」
「今だ、ヒルデ!」
「叩き伏せるッ!!」
隙が生じた隊長めがけて、跳躍したヒルデの全身全霊の唐竹割りが振り下ろされる。
ドガァァァァンッ!!
重厚な鋼が隊長の刺突剣を真っ二つに叩き折り、そのまま鉄の仮面を打ち砕いて石畳へと激しく叩きつけた。
衝撃波で白銀の列柱に亀裂が走り、隊長は血を吐きながら崩れ落ちる。部下たちもヒルデの威圧とクラリスの正確な拘束魔術の前に無力化され、次々と倒れ伏した。
「ば……馬鹿な……失敗作のゴミどもが……なぜ……」
砕けた仮面の隙間から吐き捨てられる怨嗟。クラリスはその前に歩み寄り、冷ややかな、しかし確かな温もりのある瞳で見下ろした。
「私はもう廃棄物ではありません。泥を幾度も這い、傷つき、温もりを知る――ただの『人間』です」
そう言い放つと、クラリスは一度も振り返ることなく、大聖堂の地下深くへと続く大扉を見据えた。
「行きましょう、ヒルデ。エレボスの元へ!」
(第31話へ続く)




