第24話:『影の循環』
第24話:『影の循環』
「熟す……だと……?」
ヒルデは低く呟き、血と土煙に汚れた顔を上げた。
「あいつの痛みが……エレボスの苦しみが、お前たちの計算通りだって言うのか……!」
「ええ、そうですわ」
クラリスは事もなげにうなずき、洗練された動作で細身の聖剣を構え直す。
「ヘメラ様の真の核を受け入れるには、過酷な負荷によって不完全な器を限界まで研ぎ澄ます必要がありました。壊れかけた肉体が激痛に叫び、この祭壇の触媒と共鳴する――それによって初めて、あのお方は最高の状態で『完成』するのです」
クラリスが静かに地面を蹴る。白銀の光が残像を描き、エレボスへと一直線に迫る。
エレボスは地を這い、影痣から噴き出す黒煙に身を灼かれながら必死に歯を食いしばっていた。爪が剥がれ、皮膚を裂いて溢れる黒い魔力が、彼の意識を急速に塗り潰していく。
(くそっ...! このままじゃあいつの心が折れる前に、器そのものが粉々に弾け飛ぶ……!)
ヒルデは大剣を固く握りしめ、強引にふたりの間へと割り込んだ。
エレボスの肉体が崩壊に向かっているのは、体内で肥大化し続ける巨大な影魔力を、不完全なスペアの肉体が抱えきれなくなっているからだ。
ならば -その暴走する魔力を受け止める「外付けの器」があればどうなる。
(あたしの背中には、何がある……!?)
あの日の激闘からずっと、エレボスの魂の破片を宿し、共に修羅場を潜り抜けてきたあの重厚な鋼の塊。
「エレボス! 聞こえるか、エレボスッ!」
クラリスの容赦ない追撃を大剣の腹で受け止め、火花を撒き散らしながらヒルデは絶叫した。衝撃で装甲が悲鳴を上げ、足元の岩盤が砕け散るが、ヒルデは一歩も引かない。そのまま倒れ込むエレボスの元へ膝をつき、彼の荒い息を吐く胸元を強く抱き寄せた。
「ひぐっ……!? ヒル……デ……触るな……お前まで、影に呑まれる……!」
「呑まれてたまるか! 暴走するなら全部あたしに流し込め!」
ヒルデは右手で大剣を固く握り直し、柄頭を『黒金の祭壇』の敷石へ力任せに打ち立てた。
-その瞬間。
ゴォォォォン……!
頭上と足元の闇を切り裂くように、祭壇全体に刻まれた幾何学模様が漆黒と深青の光を放って躍動し始めた。苦悶するエレボスの存在に応えるように、古代の『抑止触媒』が激しく脈打ち、空間の魔力波長を一変させる。
「な……!? 祭壇の触媒が……共鳴している……!?」
クラリスの優雅な微笑みが凍りつく。
古の触媒が放つ強力な抑止波長が巨大なパイプ役となり、エレボスの体内から溢れ出していた暴走影魔力が、ヒルデの腕を通じて怒涛の勢いで流れ込み始めた。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
激痛。全身の神経に沸騰した鉛を流し込まれたような錯覚。ヒルデの視界が真っ赤に染まり、甲冑の内側で皮膚が裂ける感覚が走る。だが、ヒルデはエレボスを抱く手を、大剣を握る拳を絶対に緩めなかった。
「流せ...! あたしの肉体に……この大剣に叩き込め! お前の痛みも、影も……半分どころか全部あたしが背負ってやる!!」
触媒の波長に導かれ、影魔力はただの破壊のエネルギーから規則正しい魔力循環へと姿を変えていく。
エレボスの体表を覆っていた不気味な影痣がみるみるうちに薄れ、彼の体内で暴れ狂っていた圧力が引き破られていく。触媒の抑制力がエレボスの体内深く、そしてヒルデの握る大剣の鋼に直接刻み込まれていく。
ドス黒い影の粒子が大剣の刃に巻きつき、極圧の漆黒を纏った「魔刃」へと変貌を遂げる。
エレボスの荒い呼吸が劇的に収まり、その瞳にハッキリとした光が戻った。
「ヒルデ……身体が……熱い。影が……大剣を通って、巡ってる……!」
「言ったろ...! 誰が逃げるか、ここまで来いってな……!」
触媒の介入によって、エレボスの体内のスペア肉体と、ヒルデの大剣との間に不可逆の「抑制循環回路」が構築された。肉体の崩壊は一時的に完全に食い止められ、暴走していた魔力は「定着した影」となってヒルデの全身を包み込む。
ぬらりと光る影の鎧を纏い、立ち上がるヒルデの巨躯。その圧迫感は、先ほどまでの比ではなかった。
「あり得ませんわ……!」
クラリスが金切り声をあげる。その細身の聖剣が神速の踏み込みとともに放たれ、一瞬でヒルデの眉間へと真っ直ぐ突き刺さる -!
「不潔な人間ごときが……不完全なゴミごときが、ヘメラ様の魔術回路を組み換えるなど……あり得ませんわぁぁッ!」
視認すら不可能な、音速を超える刺突。
だが、影の共闘によって身体能力が跳ね上がったヒルデの眼には、その軌道がはっきりと見えていた。
「ハッ、喋りすぎだ聖女様!」
バチィィィィンッ!!
横一文字に振るわれた影纏う大剣が、クラリスの渾身の刺突を正面から完璧に叩き伏せた。
すさまじい衝撃波が祭壇の空間を削り取り、クラリスの細身の聖剣が激しくしなって跳ね上がる。姿勢を大きく崩したクラリスの目に、初めて明らかな戦慄が浮かんでいた。
(第25話へ続く)




