第15話:『芽吹く影の刃』
第15話:『芽吹く影の刃』
ぎちぎちと、骨が軋む音がした。
頭上から押し込められる光線斧の質量と熱線が、ヒルデの肩を押し潰し、肉を灼いていく。
血に濡れた大剣の腹は、ヴァルターの巨力に耐えかねて歪み、悲鳴を上げていた。
「ハッ……どこまでも愚かな女だ」
ヴァルターは鉄兜の奥で冷たくせせら笑い、柄にさらに体重を乗せた。
「命を捨ててまで、悪魔の残滓を守るか。機構を捨て、騎士の矜持すらドブに捨てて得たものが、その惨めな最期か!」
「……守るだと?」
ヒルデの口端から、鮮血がボタボタと石畳へ滴り落ちる。
ひび割れた甲冑の隙間から肉が裂け、激痛が脳裏を焼き焦がすが、彼女の双眸は死んでいなかった。冷たく、研ぎ澄まされた鋼の光を宿したまま、ヴァルターを睨みつける。
「言ったはずだ。……こいつの命は、誰にも渡さないと」
「ならば、その意地ごと叩き潰すまで!」
ヴァルターが斧を引き抜き、間髪入れずに横薙ぎの閃光を放つ。
-ガァァァンッ!!
ヒルデは一歩も退かず、大剣でその激震を受け止めた。
衝撃波が石橋を削り、破片が弾け飛ぶ。左腕の骨が砕ける感覚。視界が真っ赤に染まる。それでも彼女は、エレボスの前に立ち続け、その体を一瞬たりとも踏み越えさせなかった。
盾となり、肉を削ぎ落とされながら立ちふさがる、傷だらけの背中。
「……あ……」
石畳の上で倒れ伏すエレボスの視界に、その背中が焼き付いていた。
胸の奥を刺し穿つ拒絶反応。肉体が内側から解けていくような激痛。
『ヘメラの器』として作られ、いつか崩壊し、消え去るはずだった存在。
恐怖と痛みに身を捩りながら、エレボスは必死に手を伸ばそうとした。だが、指先一つ動かない。
(なぜだ……)
なぜ、この女はここまでボロボロになりながら立ち続けるのか。
なぜ、自分のような呪われた存在のために血を流すのか。
(死ぬぞ……このままじゃ、お前が……!)
『消えろ』と、脳裏でヘメラの残滓が囁く。不完全な器は淘汰され、無に帰せと。
だが、エレボスの胸の底から、痛みを凌駕する熱い衝動が突き上がってきた。
嫌だ。
消えたくない。
スープの温かさも、新調された服の心地よさも、この愚直で不器用な騎士と共に歩む旅の先も -まだ何一つ捨てたくはない。
「……死なせ、るか……ッ!!」
エレボスは血を吐き出しながら、牙を剥いて叫んだ。
激痛を、生への狂おしい執着で強引にねじ伏せる。
拒絶反応によって暴走しかけていた漆黒の影が、エレボスの意志によって一瞬で統制を取り戻した。
それは他者を拒絶するための影ではない。
目の前で背中を見せる、たった一人の相棒を活かすための力。
「ヒルデ!!」
エレボスが地を這いながら右手を突き出す。
次の瞬間、エレボスの体から解き放たれた漆黒の影が、嵐となってヒルデの全身へとへばりついた。
「なに……!?」
ヴァルターが息を呑む。
影はヒルデの砕けた甲冑の隙間を埋め、傷口を塞ぎ、その全身を禍々しくも美しい漆黒の漆で覆っていく。
ひび割れ、刃こぼれしていたヒルデの大剣は、黒い影の膜を纏うことで、あらゆる光を吸収する凶悪な漆黒の巨刃へと変貌を遂げた。
-影の共闘。
「……これは」
ヒルデは自らの両手を見つめた。
全身を包み込む影は、重みを感じさせないどころか、絶望的な激痛を和らげ、全身に溢れんばかりの力を脈打たせている。
背後に立つエレボスの呼吸と、自分の鼓動が完全に同調しているのを感じた。
「……応えてくれたな、エレボス」
ヒルデは短く呟き、黒き大剣を静かに上段へと構え直した。
「戯言...! 影を纏った程度で、機構の『鉄槌』が砕けると思うなァッ!!」
ヴァルターが咆哮し、全魔力を注ぎ込んだ光線斧を振り下ろす。空間そのものを焼き切るような、苛烈な真紅の閃光。
だが、ヒルデの踏み込みは、先ほどまでの比ではなかった。
影の補強を受けた脚力が石橋を爆砕し、一瞬でヴァルターの間合いへと侵入する。
「――切断する」
一閃。
漆黒の大剣が描いた軌跡は、ヴァルターの光線斧と真っ向から激突した。
ガ……ンッ!!
一瞬の静寂。
次の瞬間、ヴァルターの絶対の誇りであった黒鉄の重装甲、そして表面に刻まれた防護術式が、影の刃によって紙のように切り裂かれた。
「な……防護陣が……切り裂かれ……!?」
ヴァルターの驚愕の声を置き去りにし、漆黒の刃は光線斧の柄を断ち割り、そのまま彼の胸甲を深く深くと斜めに切り裂いた。
ドカァァァンッ!!
爆炎のような暗黒の衝撃波が吹き荒れ、ヴァルターの巨躯は断層の崖壁へと激しく叩きつけられた。
崩れ落ちる大量の瓦礫。
その煙の中、背中の光線斧を半ばから叩き折られたヴァルターが、吐血しながら膝をついた。
「バ……カな……。この私が……泥虫どもに……」
ヴァルターの巨躯が、耐えきれなくなった石盤ごと、絶壁の暗闇(谷底)へと崩れ落ちていく。
しんと静まり返る断層の石橋。
ヒルデの全身を覆っていた黒い影が静かに揺らぎ、元の大剣と傷だらけの姿へと戻っていった。
ヒルデは呼吸を整え、ゆっくりと振り返る。
そこには、息を荒らげながらも、しっかりと己の足で立ち上がろうとしているエレボスの姿があった。
(第16話へ続く)




