第10話:断罪の光と、拒絶の叫び
第10話:断罪の光と、拒絶の叫び
「ぐ、ああッ……!」
襲いかかる光の針を、ヒルデは身を挺して大剣の腹で受け止めた。
鋭い衝撃が腕を痺れさせ、弾け飛んだ光の残滓が彼女の頬を浅く切り裂く。
「逃げるぞ、エレボス……っ!」
ヒルデは立ちこめる光の煙の中、ベッドからエレボスを素早く抱き上げると、躊躇うことなく二階の窓から夜の暗がりへと躍り出た。
街中で戦えば、無関係の住民が巻き込まれる。さらにクラリスの展開する光術式は狭い室内で真価を発揮する。足場を開けた郊外へ移すしか勝機はない。
「無駄な悪あがきを。……追いますよ」
背後から追撃の気配が迫る。
ヒルデは荒い息を吐きながら、夜気になびく街を駆け抜け、月光が降り注ぐ郊外の広大な花畑へと躍り出た。昼間は色鮮やかだった花々は、今は蒼白い月光に濡れ、静まり返っている。
だが、追手は一足早く二人の頭上に姿を現していた。
クラリス率いる聖導機構の精鋭部隊が、まるで夜空から降臨する天使のように花畑を取り囲む。
「ここまでです、女騎士。……その不浄な残骸を差し出しなさい」
クラリスの指先が掲げられると、十数名の執行人たちが一斉に光の宝珠を宙に浮かべた。
夜の花畑が一瞬にして昼間のように眩い光で満たされる。それは温かな恵みではなく、逃げ場を塞ぎ、理を焼き尽くすための苛烈な「断罪の光」だった。
「誰が……渡すか……ッ!」
ヒルデはエレボスを草むらへと静かに横たえると、立ちふさがるように大剣を構えた。
激しい移動の負荷で、彼女の肩や足の傷口からは再び赤黒い血が滲み、深紺の服を濡らしていく。体力を削られ、満身創痍。それでも、その両脚は地を深く捉え、一歩も退く気配を見せない。
「何故そこまで執着するのです? それは命などではない。あのお方の言葉を、秩序を、形どるためのただの器。心などという不確定なノイズは、あのお方には最も不要なものなのです」
クラリスが冷徹に裁きの手を振るう。
――閃光。
「くっ……おおあぁぁッ!」
頭上から降り注ぐ光の槍の雨。
ヒルデは咆哮を上げ、大剣を激しく旋回させた。鉄の刃が光を弾き、衝撃波が足元の花々を散らす。しかし、防ぎきれなかった光の刃が幾筋も彼女の肉体を穿ち、甲冑を砕き、肉を削ぎ落としていく。
「ヒルデ……! やめろ……もういい、逃げろ人間……ッ!」
草むらの中で意識を取り戻したエレボスが、血を吐くような叫びを上げた。
高熱で霞む視界の中で、自分を守るために傷ついていく女騎士の背中が見える。血と汗に塗れ、膝を折りそうになりながらも、決して自分とクラリスの間に立ち続けるその背中が。
「だまれ……エレボス……!」
ヒルデは血を吐き出しながら、大剣を泥に突き立てて踏みとどまった。
「こいつは……スペアなどではない! ヘメラの影などでもない! 熱いスープに泣きそうになり……焼き芋を分け合い……私の不器用さを笑う……ただ一つの、愛おしい命だッ!」
「……愚かしい。不必要な感情に毒された哀れな騎士よ」
クラリスは心底呆れたように溜息をつくと、静かに手をエレボスへと向けた。
「ならば、器の側から『雑味』を消去しましょう」
クラリスの双眸が黄金色に輝き、冷酷な術式が起動する。
それは肉体を傷つける光ではなく、エレボスの精神の深層へと直接介入する「概念の初期化(精神干渉)」だった。
「思い出しなさい、あのお方の理を。無機質なる絶対の統制を。痛みも, 甘さも, 温もりも……人間などという脆い存在との絆など、すべては不純な幻影。捨て去りなさい。冷たい理の底へ戻るのです……」
「あ……がっ……!??!」
エレボスの脳裏に、氷のように冷たい光の波がなだれ込んだ。
『私は……理……』
『心など……要らぬ……』
『思考を止めろ……感情を消せ……』
クラリスの洗脳の呪縛が、エレボスの幼い記憶を白く塗り潰そうと襲いかかる。
大悪魔としての過去が膨れ上がり、人間としての不完全な感情を飲み込もうとする闇の中――突如として、どこか懐かしい、冷徹で透き通った声が脳裏に深く響き渡った。
『――聞こえるか、大悪魔』
それはかつて自分を封印し、この幼い器へと閉じ込めた元凶――魔王ヘメラ自らの冷酷な残像だった。
『最強と謳われたお前の魂を、最も脆弱で不完全な「人間の幼体」へ押し込んだ。破壊しか知らぬお前が、くだらぬ感情と脆弱な肉体に苛まれ、どう壊れていくか……実に興味深い実験だ。……もしその器の崩壊に抗い、実験の先が見たいならば、西の果て――『崩落の峡谷』のどこかに眠る私の研究所を探し出してみせよ。破棄するための術も、器を固定する術もそこに隠してある』
ヘメラにとってはただの「冷酷な実験と観察」。クラリスが盲信していた「無機質なスペア」という妄執とも異なる、魔王としての歪んだ好奇心。
『せいぜい不格好に抗ってみせるがいい……』
ヘメラの冷ややかな嘲笑が消え去ると同時に、クラリスの呪縛の隙間から、鮮烈に蘇る場面があった。
熱すぎるスープに舌を焼き、涙目になった自分に、必死で息を吹きかけてくれた不器用な指先。
冷たい雨の夜、風車小屋で分け合った焼き芋の、お腹の底まで染み渡るような温かな甘さ。
泥道で背中に伝わってきた、武骨で、けれど世界で一番頼もしかったあの温もり。
「……消してたまるか……ッ!」
エレボスの胸の奥で、小さく、けれど激しい不滅の火花が爆ぜた。
ヘメラの意図が身勝手な実験であろうと関係ない。エレボスはその歪んだ実験の理すらも踏み散らし、自らの意志で覚醒する。
「何を……!? 抵抗など……!」
クラリスの顔から余裕が消え去る。
エレボスは激痛に顔を歪めながら、両手で頭を抱え込み、血の混じった唾を吐き捨てて地を蹴った。
「黙れ……黙れ黙れ黙れぇぇぇッ!!」
オッドアイの瞳に、激しい怒りと「生」の執念が宿る。
「冷たい理だと!? 実験体だと!? 戯言を抜かすな……!!」
エレボスは叫んだ。クラリスの呪縛を、自らの「意志」で打ち砕きながら。
「私はヘメラの影でもなければ、お前たちの玩具でもない! 私は……熱いスープを食い! 不器用な服に腹を立て! あのバカな人間と泥を這いずる……『私』だッ!!」
エレボスの足元から、これまでとは一線を画す「黒い影」が、爆発的な勢いで溢れ出した。
(第11話へ続く)




