お昼下がりの男子会
藍野ボクシングジム会員による地御前栄代襲撃事件は各方面に衝撃を与えた。
特に当事者である地御前家では栄代が襲われたことに対するショックと無事であったことに安堵する空気に包まれていた。
父の宋代に連れられて無事帰宅した栄代を抱きしめ涙を流した母、愛乃。
県外に出ている2人の姉からは安否確認の LINE 通知が3桁を超えていた。
そして、事件の翌々日には朝一で薙沢県に帰省してきた姉2人。
海愛と菜沙は帰宅するや否や両サイドから栄代に抱きついて
「えーくん、怪我してない?怖くなかった?無事だったんだよね?」
「しろくんが怖い思いをしたと思うとお姉ちゃん悲しくてどうにかなりそうでした・・・」
2人の姉に挟まれて栄代は顔を赤くして困惑しているが心配をかけたという自覚もあり、大人しくされるがままに任せていた。
「海愛お姉ちゃん、菜沙お姉ちゃん、心配させてごめんなさい」
所変わって国教大附属ボクシング同好会の部室(美術教室)では練習を終えたメンバーたちが集合していた。
この日は午後からのスケジュールの都合で、午前9時から午後13時までロードワークや筋トレサーキット、ジムワーク、実戦などで汗を流し、ミーティングを経てシャワーを浴びてさっぱりした後、それぞれ持ち寄った昼食を広げて部室で遅めのランチと洒落込んでいた。
ちなみにこの日の練習にはなぜか薙沢県に来ていた高南工業高校の
梶川元貴(国体バンタム級王者)
羽嶋 奏(国体ピン級2位)
李 泰誠(国体ウェルター級王者)
伊南口徹(国体ミドル級2位)
そして高南学院高校の
護山蒼次郎(国体フェザー級王者)
が参加していた。
信徳国体の高南県チーム、山田信一を除いた5選手が集結しているのである。
そして彼らはちゃっかりと国教大附属ボクシング同好会メンバーのランチタイムに参加していた。
「それにしても急にどうして薙沢県に来られたんですか?」
銀山御幸がそう聞くと護山がドヤ顔で答える。
「そりゃもちろん観光!そして表敬訪問ってところ・・・」
「んなわけないでしょう?」
呆れ顔でそう言ったのは井口崇通。
「ここで一体どこの何を観光するって言うんです?そもそも護山さん、あなた薙沢県出身じゃないですか?」
「おっとこいつァ1本取られたね!」
相も変わらず調子のいい護山を横目に梶川がそのいかつい表情に笑みを浮かべ
「有り体に言えば『敵情視察』ってぇヤツやな。もちろんその対象は、あそこで妙に豪華なお弁当食べよるあいつ!」
そう言って地御前を見た。
豪華なお弁当、というかランチバスケットから覗いているのは、新鮮でみずみずしいレタスとカリカリに焼けたベーコン、そしてスライスチーズが挟まれたトーストサンド。
他にもスライスされたトマトやハムが挟まれたものもある。
そしてこれは地御前栄代の好物なのだろうか?
カリッと揚げた感じの目玉焼きが数枚。
チーズを乗せたミニハンバーグや串に刺したチョリソー。
さらに彩り野菜や細かくカットしたトマトにスライスハムなどをタルタルソースで和え込んだサラダが使い捨ての紙容器に分けて入れられている。
そして保温ジャーの中には、母特製の薬膳スープ。
それをあの小さな地御前が、それはもうニコニコと幸せそうな顔をして、次々とパクついているのである。
「地御前くん、本当によく食べるねえ。どこに入っているんだろう?」
おにぎり2個と梅干しだけで昼食を済ませたヘビー級巨漢の江波一成がつぶやいた。
見た目と食べている量にギャップがある2人である。
「てか、お前のこと話してるの!分かってる?」
客野太郎が呆れた顔でそう言い、梶川も頷く。
「国体でネタバレしたけど地御前に最強の刺客として、護山さんと俺が仕込み中やねん!」
「むぅ・・・」
困惑した表情になる地御前。
そもそも何で自分に刺客なんか送り込まれなければならないのか?
地御前からしたらそういう考えになる。
公式戦非公式戦合わせてもまだ2試合しかしておらず、しかも勝ち星がない。
そんな自分に全国でもトップレベルの選手たちががっちりスクラムを組んで刺客を送り込んでくるというのだから意味がわからない。
これは地御前の偽らざる本心である。
但しこれは地御前以外のみんな、特に梶川からしてみれば逆に
「これまでの全国大会や、この前の国体よりも地御前とやった時の方がよっぽどきつかった」
なのである。
この相互評価のズレとねじれ現象がそのまま梶川元貴と地御前栄代の関係性そのものであると言えるだろう。
梶川は地御前を
『サイコパス』
と言い、地御前は梶川を
『怪獣』
と呼ぶ。
そういうことである。
「そういえば敵情視察っていう割に肝心の山田さんが来てないじゃないですか?」
そう、客野が言う山田とはつまり高南県大咲南高校の山田信一、信徳国体ライトフライ級2位の強豪で、先ほどから言われている地御前への高南県からの刺客である。
護山が言う。
「そりゃ来るわけねえべよ。地御前に手の内見せるわけにはいかないもんね」
「あ〜〜〜ずっこい!!」
「勝負はすでに始まっているのだ。情報戦では俺たちが1本取ったな。なはは!」
軽薄に勝ち誇る護山に呆れつつ、李が口を開く。
「敵情視察は正確には護山と梶川だけでね、羽嶋と僕、伊南口は君たちの練習環境やカリキュラムに興味があったから連れてきてもらっただけなんだ」
「そうなんですね。どうでした?ちゃんとやれてましたか?」
銀山がそう尋ねると羽嶋が愉快そうな表情を浮かべて答える。
「想定外の連続でもう驚いた。練習量といい内容といい、一体どこの伝統校なんだよって話だね」
「言ってみれば新興勢力で、最初は西木先生も含めて井口以外素人だったんだろ?それがあの練習体系を構築しているっていうのがちょっとすごすぎるというか・・・・」
伊南口も感心した様子で言った。
そんなやり取りを聞きながら、宮内白塔がその超美形に微笑みを浮かべて幸せそうにランチバスケットの食事をパクつく地御前に話しかけた。
「すごく丁寧で美味しそうに作られてるけど地御前くんのお母さんが用意してくれたの?」
「お母さんといま帰省中のお姉ちゃんたちが毎朝作ってくれているんだよ」
「へえ?お前お姉さんいたの?」
興味津々な護山に江波が
「美人のお姉さんが2人いるんですけどねぇ・・・」
ここまで言って言いづらそうに言葉を切った時、
「とても優しくて素敵なお姉ちゃんたちです!」
食い気味に言う地御前の、あまりにいい笑顔に誰もがそれ以上の言及を避けていた。
「そうそう、敵情視察で地御前の相手になるかもしれない山田さんは連れてこなかったんですよね?」
不意に客野が誰にともなく言った。
「だったらなんで羽嶋さんと梶川さん、薙沢県に来てるんです?俺と羽嶋さん、当たる可能性ありますよね?梶川さんだってウチの宮内と・・・」
客野がここまで喋ったところで梶川が下を向いて何事かと思えば必死に笑いをこらえていた。
「どうしたんすか?」
「いやお前、キューバの美少女を彼女にしてからギャグのセンスが上がったな!」
「・・・その言い方は勘弁してください・・・」
「まぁ笑ってしまったのは俺と宮内の話でな。まあ頑張っとる宮内にはすまんがな、視察がどうのこうの言うことなく結果が見えとることは今度の試合で証明したるわい」
「なるほど。視察して研究する以前に実力差という壁があるわけですな?」
「そういうこっちゃ!」
スポーツの世界におけるシビアな現実を突きつけられる格好となった宮内。
しかもライバル校の相手のみならず身内であるはずの客野からまで。
さすがに宮内も落ち込んで・・・は無く
「地御前くん、お姉さんたちが作ってくれた美味しそうなランチ、ちょっと手をつけちゃおうかな?」
「シャーッ!!」
地御前を弄って遊んでいた。
そんな様子を見て少し呆れたようにため息をつきながら、客野は今度は羽嶋に向き直った。
「手のうちどうこうで言ったら羽嶋さんだって俺と当たる可能性がある以上・・・」
「そういう見方もあるよね」
羽嶋はそう言って続ける。
「まあ、俺と客野くんとの試合になってもあまり心配はしていない。これは客野くんを侮っているとかじゃなくて、俺と客野くんだったら、まともなボクシングの試合になるだろうからっって意味な」
言ってみれば羽嶋も客野も正統派スタイルの選手である。
こういった選手同士が対戦する場合には下手な先入観や下調べなど必要ないという意味だろう。
逆に地御前の様な異質な選手を相手とするならば、ちょっとした情報は欲しいところである。
そうでなければそれこそ羽嶋が言う
『まともなボクシング』
に、なる前に試合が終わってしまいかねない。
「そんな訳だから、お互いに気兼ねなく手の内を見せ合った方がいい試合が出来ると俺は思うな」
羽嶋なりな考えを聞いて客野は納得した様子で頷いていた。
一方では江波、井口、銀山が李、伊南口らと実戦練習の動画をチェック中。
江波は伊南口相手にマスボクシング3R。
井口は李と伊南口相手にライトスパーリング各2R。
銀山は井口と同じく、李と伊南口相手にライトスパーリング各2R。
みんなで色々とディスカッションしている中、特に伊南口は江波を絶賛していた。
「もう日連推薦もらって全日本出ちゃえば?大学生や社会人のヘビー級とかと手合わせたことあるけど、江波ちゃんのストレートは誰も避けれないよ」
「僕まだデビューしたばかりなんですけど?」
「でもこないだのキューバ戦で視察に来ていた日連の委員から海外遠征のメンバーに推薦されたもんな」
高評価に戸惑う江波に井口がそう言って、更に続ける。
「マジで頭いいですからね、江波。俺がアドバイスするとそれを自分のフィジカルや階級にしっかりアジャストしてものにしているんです。普通高校生じゃできないですよ」
そんな井口の様子を見て李が目を細めて笑う。
「UJの頃から君を知ってるが国教大附属の水が君にすごく馴染むんだろうね」
「UJ 時代の井口ですか?同好会設立から現在に至るまで色々と伝説は聞いてます」
銀山がそう言うと、井口のそっぽを向き李と伊南口は愉快げに笑う。
そして李が井口に語りかける。
「今いる場所を大切にしなよ」
そう言われた井口は微かに微笑んだ。
「あ、お姉ちゃん達からLINE の通知がいっぱい」
地御前の声。
『えーくん、帰ってくるの遅いけど、危ない目に遭っていませんか?』
『しろくん、知らない人に道を聞かれても絶対に返事したらダメです。すぐに逃げるんですよ』
このような感じの通知が次々と・・・・
地御前はすぐに2人の姉に返信していた。
『今日はみんなと一緒に帰宅しますので大丈夫です。今日もランチボックスとても美味しかったです。海愛お姉ちゃん、菜沙お姉ちゃん、お母さんもありがとう。ごちそうさまでした』




