第六話 デビュタントボール
綺羅星のごとく、という表現は現実にありえたのだ。
この日、アルソナ王国各地から集められた貴族令嬢たちのためのデビュタントボール、宮廷舞踏会は、史上稀に見る規模で開催された。複数の王宮のホールを使って、盛大に華やかに——それは国の威信をかけた一大行事として、開かれたのだ。
吹き抜けにはいくつものシャンデリアが宙に掲げられ、無数の灯りを反射する。磨き抜かれた窓や壁の金装飾は眩く輝き、百を超える令嬢たちの白いドレスを星々のように映えさせる。
純白のシンプルなシルエットのドレスに、金銀の糸を織り交ぜたレース、中には極小のダイヤモンドを散りばめた令嬢さえいる中、私は首元から手先まで肌を晒さないものを選んだ。足元は厚めのタイツでよく、ドレスのスカート部分も薄手ながら透け感はない。
それよりも、私の隣で付添人を楽しむ第一王女メリザンドのほうがよっぽど人目を引くので、私が余計なことをする必要はない。彼女の隣にいることがすでに得難いステータスなのだから、ただ粛々と、貴族令嬢らしく振る舞えばいいだけだ。
給仕からアップルサイダーのグラスを受け取りながら、私はどこを見ても貴族令嬢たちがおしゃべりをしている光景を、物珍しく眺めていた。
「我が国には、こんなに令嬢がいたのですね」
王宮にいると、同年代の貴族令嬢とはあまり会う機会がなかった。王妃の側仕えである以上、一日の休みもなく、ときにメイドに混じって働くこともある。
それに、アルソナ王国は急成長を遂げている。イヴェルタリーのような古い家だけでなく、新興の貴族、あるいは外国からやってきた貴族、商人や将軍を兼ねる貴族——と、紋章院でしか全容を把握できていないくらいの数がいる。
当然、第一王女メリザンドはそのことを知っていた。
「そうよ。ここはまだ少ないほう、海を隔てた領土にいる貴族たちはそう簡単に来れないから、もっといるでしょうね」
「海の向こうに……それは、考えたこともありませんでしたわ」
本土であるアルソナ王国、それから東西に広がる海の向こうにも島や大陸はあり、異国が繁栄している。最前線でもあるそこにも貴族はいて、令嬢たちは異国の舞踏会で戦っていたのだ。
ぼうっと海の向こうに思いを馳せていた私は、異国から取り入れられたワルツの音楽が宮廷楽団の弦楽器から弾き出されたことで我に返った。
第一王女メリザンドから背中を押され、「相手はもういるのでしょう?」という問いに私は頷き返す。
純白のドレスと対照的に、壁際で黒の燕尾服をまとった青年たちが貴族令嬢たちの誘いを受けてホールの中心へ足を運ぶ。大抵が貴族の跡取りで、すでに婚約した相手とワルツを踊ることになっている。
ならば、私もそこに選択の余地はない。
私は他の令嬢同様壁際へ向かい、一人の青年へ声をかけた。
「アルバート」
「はい!?」
私の婚約者、五年ぶりの再会を果たしたセダル公爵家嫡男アルバートは、私よりもずっと背が高くなっていた。周囲の青年たちよりも大人びて、燕尾服の着こなしひとつ取っても洒脱さを感じさせる。
だが、そこは私にとって重要ではない。
まさか声をかけられると思っていなかったわけではないだろうが、アルバートの周囲に先約の令嬢の姿はなく、壁の花よろしく友人たちで固まって過ごすつもりだったのかもしれない。
であれば好都合、互いにまだ続く婚約の体裁を保つ必要があった。
「ダンスの相手をしなさい。そちらには相手はいないでしょう?」
「それは……分かったよ、まったく」
アルバートの諦めは早かった。私の手を取り、ホールの空いている場所へ先導する。
軽やかな、そして伝統的なワルツが始まると、私の右手をしっかりと握って、アルバートは巧みに、流れるように体を動かしはじめた。
腰に添えられた左手は付かず離れず、私はかろうじて覚えているステップを続けるだけでよく、足を踏めば蹴ってやろうと思っていた私の予想は外れ、感心する。
「あら、リードが上手いのね」
「お前が下手くそなだけだ。ちゃんとステップの練習をしろ」
「ごめんあそばせ。王妃様の側仕えは忙しいの」
「……いつまでやるつもりなんだ?」
「さあ。お役御免になるまで、かしら」
そんなこと、どうだってよかった。
私の代わりが見つかるならそれでもよく、見つからないならば私は王宮に独自の立ち位置を得ることになる。イヴェルタリーとしてはどちらでもいい、その都合のいい関係を維持することが私に求められていることだからだ。
ただ、アルバートがそれを聞いてきたということは、そちらにも都合があるということだ。
「アルバート」
「何だ」
「久々に会って、見直したわ。あなた、ダンスは上手いのね」
「それはどうも」
踊りながら、私はアルバートの耳元へ語りかける。
「私との婚約は、白い結婚にしたいの?」
「それはお前の願望だろう。俺は、何も言っていないぞ。言質を取るつもりか?」
「では、私と結婚したくないということでいいの?」
「そうは言っていない! お前は本当にわがままな女だな!」
アルバートはムキになって、小声で反発する。
もうワルツは終盤だ。私はアルバートにリードを任せっきりだからいいとして、器用なものだ。あの生意気を口にした挙句情けなくクローゼットに閉じこもっていた少年からは、目を見張る進歩と言えるだろう。
ワルツの終曲と同時に、互いに離れて一礼をする。
私はさっさと背を見せようとするアルバートへ、こう言っておいた。
「次の舞踏会でも呼ぶわ。予定を空けておいて」
「……おおせのままに、女王様」
嫌味ったらしい大仰な言い口ではあったものの、アルバートは断らなかった。
私たちは、互いに背を向け、群衆の中へ入っていく。
デビュタントの最初のワルツをこなした令嬢たちへ、ホール全体から喝采が巻き起こっていた。
第一王女メリザンドのもとへ戻った私は、感涙と興奮の中にいる彼女に抱きしめられた。
「すごい、素敵だったわ、トリッシュ! あの放蕩息子のアルバートがマシな男に見えたもの!」
「それはよかった。でも、アルバートのリードがよかったのは事実ですわ」
「あんなのでも取り柄くらいあるのね」
「ええ、本当に」
放蕩息子、それがアルバートの現状の評価だ。
寄宿学校に入って、友人たちと放蕩生活を続けていたアルバートは、昨年実家に呼び戻された。何でも、外交官をしている母方の祖父の仕事を手伝うことになったらしく、その仕事の性質上、今のところ国内でアルバートの評価が上がるような噂は聞こえてきていない。
ただ、少しは前よりマシになっている。それが私の、現在のアルバートに対する評価だ。
テーブルに置かれた果物を摘んでいると、遠くから、言い争う若い男女の声が聞こえた。
「何よ、足を踏んでおいて!」
「君とは上手くやれそうにないな!」
それは舞踏会の雑音でしかなく、もうすでに、次の曲は始まっている。
私は眉をひそめ、苦言を呈した。
「騒がしいこと。注意する大人はいないのかしら」
すると、第一王女メリザンドは乾いた笑みを浮かべた。
「ああいうのは放っておきなさい。感情的になって、この場を何と心得るかも分からない程度の子女だもの。すぐに摘み出されるわ」
「あれらも貴族の一員なのですか?」
「ええ、しつけは難しいということね。勘違いして増長するのは、我が家のドニーだけではないのよ」
舞踏会に慣れた彼女の言うことは正しく、あっという間に言い争う声は遠くへと消えていった。
何事もなかったかのように、踊りは続く。
まるで王都社交界を動かしつづける歯車のように、死ぬまで貴族たちは踊りつづけるのだ。
なんかこう反応とかあると嬉しいなって




