第五話 舞踏会前の息抜き
月日は巡り、十五歳になって初めての秋。
貴族令嬢として、社交界に仲間入りするための儀式——デビュタントへの出席を王妃直々に取り決められた私は、否応なく準備をすることになった。
このころ、王都ロスの拡張によって、ようやくイヴェルタリー伯爵家のタウンハウスが完成しつつあった。我が家も世代交代の時期が近づき、王宮内の役職を得る父は王都に滞在し、家督を継ぐ長兄は領地で政務を取り仕切るようになる。
それゆえに、夫人のいない父のため、私が王都の社交界に出る必要がある。そこに不満はない、あるのは社交ダンスの面倒なステップを覚えなくてはならないことだけだ。
第一、先んじて王妃が嬉しそうに王女たちへ私のデビュタントをすっかり伝えてしまったので、舞踏会のマナーやドレスの準備については一切の心配をせずに済むようになった。
「え? トリッシュが舞踏会に!? 付添人はだれ!?」
「私! 私が行くわ!」
「お目付役なのよ、姉様は役者不足だわ!」
「何よ、私のほうがトリッシュのことをずっとお世話してきたのだから!」
「あらあら、トリッシュがお世話する側なのにねえ」
第一王女メリザンド、第二王女アミスはかつての自分たちのデビュタント——王女である以上、それは華やかな宮廷舞踏会を開いてのことだった——よりも熱のこもった様子で、王家御用達の仕立て屋を呼んでのドレスの採寸にも同席するほどだ。
王都社交界で頼れる親戚がいない私にとっては、ありがたいことだ。王女を付添人にしてのデビュタントなど、他の貴族の誰もが目を剥いて、そして一目置くに違いない。
ただ、王女たちの舞踏会へかける熱量は凄まじく、私はときどき理由をつけて王宮内を散歩するようになった。使い走りでも、伝言役でも、何でも引き受けて、とにかく王妃や王女たちの前から姿を消しておく。
そうしなければ、デビュタント前にあの情熱にやられてしまいそうだ。
私が避難場所として選んだのは、王宮にある四つの調理場のうち、使用人や衛兵用の食事を作るホールキッチンそばの井戸の水汲み場付近だ。北風が吹き抜け、一本の樫の大木がちょうどいい木陰を作る。日当たりも悪くない。
そこで何度も座り込み、ぼうっと空を見上げていると、友人の一人くらいできるものだ。
「どうしたんだい、トリッシュ」
そう声をかけてきたのは、料理人助手の少年トスティグだ。私より少し年下くらいだが、エプロンの色は青い。つまり、ホールキッチンでもほぼ料理人と近い立ち位置にいるベテランだ。
帽子を取り、私の隣に腰を下ろすと、彼は手に持っていた皿を私へ寄越した。
フォークと肉たっぷりの一切れのパイ——上層がマッシュポテト、下層がグレービーソースをまとった薄切り肉——は、一見すると粗野な田舎料理なのに、立ち上るその香りはわずかな香辛料と臭みのない処理で食欲を煽る。
私は無言で、パイにフォークを入れる。柔らかい牛肉はホロホロと崩れ、丹念に滑らかになるまで潰されているマッシュポテトと一緒にどんどん腹へ入っていく。どうやらマッシュポテトにはクリームも少し入っているようで、まとまりもいい。
トスティグはいつも、座り込む私へ賄い料理の余ったところを持ってきてくれる。おそらく私のエプロンドレスを見て、お腹の空いた若いメイドがいる、と勘違いしたのだろうと思うが、さほど間違っていないので私も黙っていた。
パイを平らげ、私は皿とフォークを返した。
「何でもないわ。それよりトスティグ、このパイ美味しいわ。前よりずっと上手く作れるようになったのね」
「へへっ、そう言われると嬉しいね。ロースト肉の切れ端を集めて、どうにか故郷の味に近いコテージパイを作れたよ。賄いのレシピにいいかなって」
「料理が上手い殿方って素敵ね」
それは私の本心であり、私には到達不可能である技術を持つ人物への敬意の表れだ。
しかし、トスティグは間に受けず、笑っていた。
「ははっ、驚いた、そんなこと言われたの初めてだよ。料理長だって聞いたことない褒め言葉だろうさ」
「そう? 我が家では父も兄たちも、自分で狩りに出かけて、獲ってきた肉を切り分けるのよ」
「へえ、トリッシュの家は猟師なんだ」
「似たようなものよ。田舎だし、みんなやっているわ」
事実である。イヴェルタリーの領地では対処に困るほど野の獣がいて、間引くためにも年に数回、皆で大規模な狩猟を行う。領主も騎士団も狩人も総動員してのことだ。
同時に軍事訓練も兼ねているため、行軍や野営、地図の作成術などを磨く。父や兄たちは貴族だから、伯爵だからと甘やかされはしない。率先して働かなければ下の者たちに見限られるだけだ。
だから日頃から狩猟の技術を磨いているわけだが、さすがに連れて行ってもらえない私はよく狩りの成果に与かったものだ。血抜きが下手くそ、皮が残っている、などなど文句を付けたものである。
それはさておき、美味しい料理を食べさせてもらった以上、トスティグには対価となる何かを渡したくなった。
私は他人事のように、まだ開催場所しか公になっていない宮廷舞踏会について話す。
「今度、お城で舞踏会があるんだって。若い令嬢たちのデビュタントボールになるから、軽食やお菓子を出せばいいんじゃない? 砂糖菓子より、蜂蜜や果物がいいと思うわ」
「ああ、なるほど。次の舞踏会はシェリー酒はアップルサイダーになるって聞いたけど、それのことか。確かに、そんなに菓子はないかもな。あとで料理長に言ってみよう」
宮廷舞踏会ならば、トスティグも臨時でメインの厨房へ呼ばれるだろう。王都も広がり、とにかく人手が足りていない今、賄いからメイン、ペイストリーまでこなせるベテランの料理人は引く手数多だ。
それに、すでに次の宮廷舞踏会のメニューを聞く立場にあるトスティグは若手の有望株だ。私は頭の中で算盤を弾き、どうにかトスティグの料理をもっと食べられないか画策しているほどだ。
「トスティグはお菓子なら何が作れるの?」
「そうだな、クッキーやラズベリースコーン、プリンなんかもいけるぞ」
「プリン、食べたいわ」
「はは、今度はそれ作って待ってるよ。ほら、メイドの仕事に戻りな」
「はーい」
プリン、甜菜糖を使った田舎風のほろ甘いプディングのことならぜひ食べたい。
気晴らしを終えて、腰を上げた私はトスティグに手を振り、仕事に戻ることにした。
プリンという目標を得た私は、舞踏会前の膨大な手間のかかる準備に挑む心構えを整えられた。




