第三話 王妃の側仕えには
十二歳になった私は、父の命令で王宮へ出仕することになった。
「トリッシュ、王妃の側仕えに出なさい。宮廷の作法を学んでくるように」
「承知しましたわ、お父様」
側仕えとはいってもメイドや使用人ではなく、王妃の下で貴人の仕事の補佐をしていくと同時に、各家から出された行儀見習いは王宮内の情報収集や連絡役として独自の立ち位置を持っていた。
良家の子女ならば宮廷作法を修めるのは当然の義務だし、そこで見聞きしたことを家族に伝えるのも何らおかしなことではない。
ただし、王妃というこの国の女性の最高位にあるお方の側仕えは、王位を狙える公爵家やそこいらの貴族の娘に声がかかることは決してない。
単純に、信用の問題だからだ。
ならば、セダル公爵家と婚約しているイヴェルタリー伯爵家の娘、となると非常に都合がいい立場となる。
そういうわけで、私はすぐに荷物をまとめ、家族に別れを告げてアルソナ王国王都ロスにある王宮へ入った。
旧時代の赤土レンガや石で築かれた城壁を抜け、建物が隙間なく並ぶ賑やかな目抜き通りをまっすぐに突き進めば、白亜の石灰岩で覆われた宮殿が姿を現す。かつての城塞の名残であるいくつもの大小の尖塔は、従者のように宮殿を囲んでいる。
とまあ、馬車から見た王都と宮殿は、広大な領地で育った私にとっては退屈そうにしか見えなかった。
どうせあのアルバートみたいな大人や子どもがあちこちにいるんだろうな、と想像して、王都中にアルバートがいることになってしまいそうになった。
ああ神よ、私を見捨てたら父が黙っていないのでやめたほうがよろしいかと。
だが、そんな想像とはまったく異なり、白亜の宮殿には美しく淑やかな王妃と王女たち、それに気品あるメイド長とその部下たちが統治する場所だった。
ひとまず、私は渡された所定のエプロンドレスを着て、王妃たちの私室でお目通りついでのお披露目会が開かれた。
エプロンドレスは子どもっぽいのであまり好きではないが、決まりなら仕方ない。
それに、私の姿を見た王妃も王女たちも、目を輝かせて嬉しそうにしていたから満更でもなかった。
「まあまあ、可愛らしい! エプロンのフリルがまるで妖精さんのよう! あらあら〜」
四十を過ぎてなお若々しい、金の長い巻き髪が自慢のマルタ王妃。その両側にいる、私より少し年上の第一王女メリザンドと第二王女アミス。
両王女ともマルタ王妃の巻き髪を受け継いでおり、王女の称号にふさわしい容姿と見惚れるような洗練された一挙手一投足に、私はこの国の王宮へ来たのだという実感を得た。
王女たちも年相応に中身は砕けたもので、おそらく妹ができたと思われているようだった。
「お菓子はいる? 美味しいのよ、これ」
「ちょっと、私が先よ。お茶にしましょう、トリッシュ」
王女たちはテーブルに置かれた、真っ白な粉砂糖を使ったまるいお菓子を私へ勧めてくる。高価な砂糖菓子は富の象徴であり、血税の行き着く先の一つだ。
だから、眉をひそめるのを我慢して、私はそれを無駄にすまいと、王女たちへこう言った。
「ちょうどいいですわ。どうかお茶会の作法を教えてくださいな」
お辞儀とともに膝を軽く曲げ、エプロンドレスの両裾をつまんで膝折礼を示してみせると、予想外のことが起きた。
王女たちは私に抱きつき、頬ずりまでしてきた。訳も分からず耳元できゃあきゃあと叫ばれたが、曰く、こういうことらしい。
「か〜わ〜い〜い〜!」
私とて貴族令嬢だ。蝶よ花よと育てられたことがないわけではない。
ただ三人の兄がいて、イヴェルタリー家という武門の気風もあって、こんなふうに直截的に愛されることはなかったから、どうしていいか分からなかった。
お人形のように固まって、すっかり王女たちのおもちゃになっていたところ、新たな来訪者がやってきた。
豊かな茶色の髭の男性と、その背後にくっついている茶髪の少年だ。
特別威圧感があるだとか、雰囲気があるとか、そういうことはない。しかし、王妃の私室に入れる男性はごく限られていることから、男性と少年の身分にある程度察しはつく。
「これはこれは、華やかなところに出くわしてしまった。お邪魔かな?」
「あら、あなた。トリッシュ、王にお目通りするのは初めてでしょう。こちらがヴァルタル王、その後ろにいるのが私の息子でドンナー、ドニーと呼んでちょうだい」
世俗離れした王妃にあっさりと紹介されてしまったが、すでに周囲のメイドたちは一歩下がり、深々と頭を垂れていた。
現王と嫡男たる第一王子の登場に、私も王女たちから解放されて、改めて膝折礼を披露する。
「お初にお目にかかりますわ、国王陛下、ならびに王子殿下。私、イヴェルタリー家よりまいりました、トリッシュ=リューシー・ユーグリタと申します。マルタ王妃殿下のお側仕えとして、以後よろしくお願いいたします」
わずかな緊張とともに、王への最初の挨拶を淀みなく終える。
すると、王は別のところで感心していた。
「イヴェルタリー……まさか、こんな可憐な娘があのイヴェルタリーから生まれるものなのか……」
予想していなかったわけではないが、我が家の勇名はいささか轟きすぎていたようだ。
呆れた王妃が王をたしなめる。
「あなた、失礼でしてよ」
「いや、前にな、婚約者のアルバートが手ひどくやられたと笑い話に」
すかさず、私は皮肉を込めて、その笑い話の『真相』を語る。
「ああ、あれはおイタがありましたから、妻としてしつけを。伴侶の義務ですもの」
「あ〜……これはもう、まさしく『狂瀾の統一王』古イヴェルタリーの末裔だな」
再度、王妃が「あなた?」と王へ圧をかけていた。この場は、淑女への失言には厳しい。
今のアルソナ王国が建国されるよりもずっと昔、同じ範囲の土地の中で長い戦乱の時代があったころ、それを統一したのが我が家の始祖であることも間違いなかった。その偉業は無数の歴史家や詩人たちに語り継がれ、もう一千年以上も経つ。
つまり、古の統一王の子孫が現王の家臣である、ということ自体、現王の権威や威光を強化する。私が王妃の側仕えに呼ばれたのは、それもあってのことだ。
しかし、ご先祖様がどうであれ、イヴェルタリーはイヴェルタリーであり、私は私だ。
王の背後から出てきた第一王子ドンナーことドニー王子が、王にわざわざ促されて私の前にやってくる。
どうにも連れてこられて不満そうな顔をしているドニー王子へ、私から話しかけることにした。
「ドニー王子、ご機嫌麗しゅう」
「な、何だよ。小さいくせに、生意気だぞ」
「左様ですか」
ドニー王子より、少しばかり、私のほうが背丈が低い。
だが、それは無条件に見下していいことにはならない。家臣に対してならなおのこと、正当な理由なくして侮辱することは許されない。
私は慣れた足払いでドニー王子を引き倒し、床に尻もちをつかせた。
すっかり見下ろして、仁王立ちする私の影の下に入ったドニー王子へ諫言する。
「ドニー王子。小さき者となられましたが、生意気をおっしゃいますか?」
今のドニー王子と同じ表情は、前にも見たことがあった。
あのときのアルバートそっくりだ。
そして、あのときと違い、誰一人としてドニー王子へ手を貸さない。王も王妃も、王女たちやメイドたちでさえ、己で立ち上がれとばかりだ。
当然と言えば当然で、王族に間違いは許されない。ましてや、将来の王となるべき人物が無礼や間違いを犯し、注意諫言されたにもかかわらず不満を示すような真似は、厳に慎むべきと皆分かっている。
でなければ、国が滅ぶ。
味方と思っていた家族に見放されたドニー王子は、立ち上がるや否や脱兎のごとく逃げ出していった。
「あらまあ、頼もしいわぁ」
「……間違いない、イヴェルタリーの子だ。末恐ろしい」
「凄んでも可愛い〜!」
「かっこいいわ〜!」
「トリッシュ、こっちを向いて〜!」
私は真顔のまま、王女たちへ一つお辞儀をする。王と王妃へも、謝罪を込めて丁重に頭を下げた。
さて、私は知っている。情けない男は、情けなくクローゼットに閉じこもるか、あるいは——情けなく復讐を企図するものだ、と。




