第八話 初デート4
貴族は大抵、昼前からようやく動き出す生き物だ。
私は昼に差し掛かって人出が増える前に、湖面の照り返しを避けて木陰の場所を取り、バスケットの中身を確認しておく。
一方、帆布の敷物一つ敷くにもアルバートは手間取り、風にもてあそばれていた。
一生懸命こなすことが評価されるのは子どもだけだ、とアルバートへ教えてやるべきか迷ったが、少し猶予を与えてやることにした。
幸いにもアルバートは石という便利な存在に気づき、敷物の四隅に重しを置くという人類史上大変有名かつ普遍的な発明に至ったので、よしとしよう。
帆布の敷物に座り込んで一息つこうとしているアルバートの口へ、ローストビーフとマスタード、水牛チーズを挟んだバゲットサンドを差し向けると、非常に怪訝な表情で私を一瞥したのち、観念したかのようにアルバートは頬張りはじめた。
ところが、予想よりも美味だったのだろう。アルバートはバゲットサンドにかぶりつき、あっという間に平らげた。
「何だこれ、美味いな。お前が作ったのか?」
「まさか。イヴェルタリー家の屋敷に新しく来たシェフのものよ。私の大好物ばかり上手だから、王宮から引き抜いたの」
その新人シェフこと私の知己でもあるトスティグは、若干十九歳ながらも王宮の料理長からメインキッチンの料理人にならないかという誘いを断り、我が家にやってきた将来有望な若者だ。
かねてよりトスティグはお菓子作りが得意で、中でも上品な甘みのフルーツコンポートを使った伝統的な、そして田舎風のプディングは絶品なのだ。
バスケットの底にある、しっかりとクッション材代わりのキルト生地で包まれたものを取り出すと、木製の蓋に木綿で隙間を塞いだ分厚い四角形のガラスの器が中から現れる。
そのガラスの器を開ければ——滑らかなプディングに、刻んだリンゴや梨のコンポートがふんだんに混ざり、その上にとろりとした濃い赤のベリーソースがかかっている——特製プディングケーキが待っていた。
先日、私はメインキッチンへの異動に悩むトスティグを王宮の厨房から引き抜く際、一つだけ条件をつけた。
「私が好きなときに、あなたの作ったプディングのお菓子を食べられるようにしてちょうだい。それさえ守ってくれるなら、どんな料理も素材も調理器具も調達するし、待遇も一生心配しなくていいわ。我が家に来てくれないかしら?」
すると、トスティグはこう答えたのだ。
「プディング? ははっ、それなら好きなだけ焼くよ。ところでトリッシュの家はどこにあるんだい? 確か猟師の家か何かじゃなかったっけ」
おそらく、お菓子をねだるための冗談か何か、と思われていたのだろう。メイドと思わせたまま誤解を解かなかったのは私の落ち度でもある、きちんと説明した。
「それなら、王都に屋敷を構えたわ。我が家はイヴェルタリー伯爵家よ」
「えっ、は、伯爵家!?」
「もう父にも伝えてあるの。それはそれは楽しみにしていて」
ポカン、と開いた口が塞がらないトスティグは、しばし呆然としていた。
やっと言葉が見つかったのか、出てきたのはこんな問いだった。
「……イヴェルタリーって……領地はどこらへんにある?」
「ここから東のほうよ。海には面していないけれど大きな川があって水運が盛んなの。王都より大陸に近い分、いろいろなものが手に入るわ。それに森林が多くて、狩猟に関しては他領より身近でしょうね」
すると、トスティグはにわかに私の話へ興味を持ちはじめた。
「へえ、楽しそうだな。もしよければなんだけど……その、領地のほうに故郷の家族を連れてきても?」
おずおずと切り出された提案は、私の想定内だ。
以前、本人との世間話の中で聞いたところによれば、王都から遠く西にあるトスティグの故郷は寒村で、たった十歳と少しで出稼ぎを強いられ、親戚筋の紹介を経て王宮の厨房で奉公することになった。
ところが、トスティグは料理の才能があったらしく、しかも真面目で忍耐強かった。料理長に目をかけられ、年数をかけつつも最下級の皿洗いから料理人にまで異例の昇進をしたとあってはすでにその実力は十分証明されている。
第一、私の舌自らトスティグの料理の腕を知っているのだから、スカウトする好機があれば逃す手はない。
「もちろん。家族ごと移住なら、そのあたりの世話も請け負うわ」
「本当か!? よかった、ずっと気がかりだったんだよ! ここの給料だけじゃそこまでのことはできないし、後ろ盾もないしで俺ももう帰ろうかと思ってたんだよ」
「あら、それならちょうどよかったわね。運がいいわ、お互いに」
そういうわけで、私は宮廷料理人トスティグを引き抜き、我が家自慢の料理長と美味しい料理の数々を手に入れたのだった。
プディングケーキを味わえる経緯について、かいつまんでアルバートに話したところ、神妙な顔つきをしていた。
「とんでもないことをする女だな……しかし美味い」
私とアルバートは、揃ってガラスの器から木製スプーンでプディングケーキを掬い取って食べる。あまりお行儀はよくないものの、それを試みるだけの価値ある食べ物だから致し方ない。
「このベリーソースが絶妙で、季節ごとに違ったベリーを使っているそうよ」
「いいセンスだ。これならうちの屋敷にも欲しいな」
「あげないわよ」
「冗談だ、冗談だから睨むな。冗談だってば!」
アルバートの軽口は、発言後どうなるか想像力を働かせないところが悪癖と言える。
バスケットに詰め込まれたいくつものバゲットサンドとプディングケーキ、それに瓶入りのサイダーがすっかりなくなったころ、湖にはちらほらと人影が見えるようになっていた。
恋人同士の男女二人組もいれば、お茶会をする淑女たち、あるいは画家や散歩の老夫婦の姿も見える。
名残惜しいが、賑やかになってきた湖畔は落ち着いて話ができる場所ではない。私は後片付けをして立ち上がり、バスケットを腕にかける。
「今度、屋敷にいらっしゃい。もてなしてあげるわ」
ちょうどアルバートは帆布の敷物から腰を上げた直後で、「は?」と言いながら転びかけたが、どうにか体勢を戻した。
「ほら、敷物を畳んで。早くなさいな」
「……おおせのままに。まったく、可愛げのない誘い文句だ」
「それと、私と結婚するなら新しい屋敷を建ててちょうだい。今のセダル公爵家の屋敷は古臭いし場所が悪いわ。王都郊外北部の、空気がいいところを探しておいて」
「なんて女だ、宝石より高いものを要求するのか」
ぶつくさ言いながら、アルバートは地面に膝をつけて、不器用に帆布を折りたたんでいる。
そして、天啓を得たかのごとく何かに気付き、目を見開いて私を見上げた。
「……結婚? お前の口から、今、その単語が出たのか?」
二度は言わない。私は黙ってアルバートを見下ろし、見つめた。
その意味するところが分からないほど、アルバートも無粋な男ではないだろう。
何せ、自分がさっき口に出したプロポーズの言葉——「お前と結婚する以外あり得ない」に対しての、私からの返答だからだ。
敷物を抱えて立ち上がり、アルバートは真顔を繕った。
「分かった、屋敷が完成したら」
「いいえ、あなたではまともな設計もデザインもできないでしょうから、口出しさせてもらうわ。放っておくと、どうせあなたのお父上が差し出がましく懐古趣味を押し付けてくるだろうし、大陸のトレンドを知る著名な建築家を紹介するわ。他の意見なんて聞かなくていいから言うとおりにしなさい」
「言っても聞かないだろうが、お前の好みに仕上げたいだけじゃないのか」
「後悔はさせないわよ」
「……くそ、分かった分かった! その代わり、結婚指輪は金のシンプルなやつだぞ」
「何でもいいわ。好きになさい」
見上げると、アルバートは帆布の敷物を抱いたまま、片手で頭を掻き回していた。
私はひとまず敷物を取り上げてバスケットの上部に置き、それからバスケットをアルバートの胸へ押しつけた。
「さて、帰りはゆっくり戻りましょう。打ち合わせがてら、食後の運動にちょうどいいわ」
私は踵を返し、湖に背を向けて歩き出す。
ちょうど、追い風が吹きつける。アルバートの小さなため息も、逃さず流れてきた。
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