翔が来た訳
ホテルのチェックアウトの時に料金がどうなるのか気になった。
ツインを一人で泊まる予約で、ふたりで泊まった場合。
「もともと、ふたり分で予約してたから、問題ない」
「ふたり? え? 翔、誰かと約束、一緒に来てた?」
すると、ツンっと、軽く指先で額を突かれた。
彼を見上げると、瞳を薄くして睨んでいる。
「誰か? 母さんが来れるはずだった? とかじゃねーの」
あの、イライラを含んだ怒った低い声で言う。
「だって、お母さんは来れないって、言ってたから」
「大事な話をするために来たんだよ。朝陽以外の他の約束なんてするわけないだろ」
その通りだ、私が悪い。
どこかで、私の知らないうちに、翔にも想っている人がいるかもって気になってるから、口から、思わず出てしまったんだ。
秘めた恋、引きずってるな。
「ごめん」
「はじめから、朝陽を泊めるつもりだったんだ」
そして、睨んだ表情のまま、私から顔をそらした。
「母さんの話で朝陽が悲しむのわかってて、ほうっておくわけないだろ。朝陽が、他の奴に慰めてもらうとかなんて、御免だね。だから、昨日、帰したくなかった、絶対」
はっと、思い出す。
あのとき、泣きながら部屋を飛び出して、私は、どこに行こうとしたのだろう。
家族がいなくなっちゃうなんて言われて、誰が、どう慰められるの。
亜紀? かなさん? ううん、きっと、ひとりで部屋で泣くしかない。
「ちょっと前から、ふたりで私に彼氏がいるか探ってたよね」
「母さんが、朝陽に彼氏でも出来てたら、少しは拠りどころになるかも。なんて、バカなこと言うからさ。気になって」
バカなことでは、ないと思うけど。
でも、そうだ。家族の代わりになる人、そう思える人がいない。
そういう拠りどころが、ないんだ、私。
「そうね。そういう人いたら、翔が、わざわざ伝えに来て、慰めなくてもよかったのにね」
すうっと、大きく息を飲み込むような音が聞えた。
「万が一、いても、来たよ。ちゃんと直接、伝えに。大切、だから」
彼は、ゆっくりと息を吐きだしながら、ささやくような小さな声で話す。
「ありがとう。ただ、万が一って、なんだかなぁ。彼氏の存在ナシみたいなの」
「実際、いないんだろ。もう少し、待てよ。そういうの」
私は、人差し指を立てて、横に振る。
「ううん、ふたりがこれ以上、心配しないように、私も好きな人を見つけたほうがいいのかも。これ以上、お母さんに心配させないように、早く」
すると、翔の肩がひょいっと上がって、瞳を見開いて、驚いた表情でこちらを見た。
「なんで、そうなるんだよ」
「あのね、お母さんに恋人出来て、翔にもそういう人がいずれ出来るとか、もしかして、いるかもって思うと、置いてきぼり感を感じちゃう。だから、私もそういう存在がいれば」
「俺は、彼女、なんてないから! 置いてきぼりなんて思わなくていい!」
「え? でも」
私の立てたままの指先を彼が握り、諫めるように、下にさげた。
そのまま、私を瞳を細めて、少し顎を上げて見下して、イライラを含んだあの低い声に変えて言った。
「見つけようとしなくても、待ってればいいんだよ。朝陽は」
「待ってるだけじゃ、さ。見つからない」
ふんっと鼻を鳴らして、
「そんな理由で焦って相手探してさ、慣れないことして、失敗すんじゃねーの?」
う、と言葉に詰まり、言い返せなくて、うつむく。
すると、翔がふっと笑うような息を出して、いつもの声に戻って、
「待つこと、今は」
そして、私の頭にふんわりと手をのせて、いい子いい子するように撫でた。
なんとなく、急いていた気持ちが落ち着いて、うなずく。
「……だね。はい」
今は、まだ。
翔を怒らせないよう、言う通り、思い通りに返事をしたけど、まだって、どれくらいなんだろうか。
いまさら、もう聞けないよ。




