⑨
セリアが連れて来られたのは、山中の中にある奇妙な施設だった。そこで何の説明も無く衣服を剥がされ、男たちに徹底的な暴力に曝された。わけも分からず、ただセリアがひたすらに許しを請うた時、彼らの一人がセリアに歩み出て、こう言ったのだ。
使える人間になりなさい、と。
セリアがわけも分からず頷くと、男は今度は優しげに笑い、セリアの頭を一撫でした。それ以降、男たちが暴力を振るうことは無かった。そうして次の日から、彼女は過酷な訓練に身を投じることとなった。一つ一つが幼い少女には辛く、何度も何度も地面に倒れ、胃の中のものをぶちまけた。だが、それを許してくれる者は誰もいない。少しでも休憩時間外に休みを取れば、馬上鞭のような物で叩かれ、立ち上がることを強制される。それでも立ち上がれないと判断した場合はその限りではなかったが、そうした手抜きを複数回行えば、セリアはどうなるかを知ってしまった。
消えるのだ。知らぬ間に、忽然と、彼女と同じように訓練を受けていた者の内、何度も何度も立ち上がれなくなった者は、次の日から姿を消した。彼らが共同で入れられていた居住スペースにも姿は見当たらず、二度と見かけることは無くなった。それを知り、セリアは必死になってその訓練に食らいついた。スラムで生き抜いてきた経験ゆえか、彼女は泣き喚くだけでは何も手に入れられないことを知っている。それに父親から暴力を受けていたためか、殴られることにもある程度の耐性はあった。
だが、日を追うごとに誰かが消え、誰かが増えていくと言うサイクルは、単純にセリアの精神を疲弊させた。次は自分の番ではないか、とそう思うたびに身が竦み、より一層厳しい訓練に励んでいく。それでも彼女に才能は無かったためか、体術も魔術も人並み以下の力しか持たず、唯一、魔力の探知能力だけは評価された。
そんな生活の中で次第に生気を失い、瞳の色が輝きを失っていったある日、彼女はその少年を見た。
最初、何事かと思ったものだ。大なり小なりこの施設に来た時点で絶望感を漂わせている少年少女たちの中で唯一、彼だけはキラキラと星屑のような瞳を持ち、その貧困者特有の痩せこけた身体の薄汚い見た目とは違って、清廉な雰囲気を醸し出していた。やがて彼は、その場の誰もがしようとしなかったコミュニケーションを図り始めた。だが、上手くいくはずが無い。生まれも育ちもバラバラで、使う言語だって統一されていないのだ。言葉が通じなければ意思は伝わらない。ゆえに誰も少年の意図を汲めず、理解することも出来なかった。
セリア、ただ一人を除いて。
彼女の生まれた国の規模を考えれば、その施設にリアムとセリア以外、その言語を使う者がいなかったことは驚くべきことだったのかもしれない。ただ、セリアは、今はそのことに心の底から感謝している。そのおかげでセリアは、リアムにとって最も近しい存在となり得たのだから。
リアムがセリアに話しかけてきた時の言葉は、今でも覚えている。彼は確か、彼女にこんな風に声をかけてきたのだ。
「やあ。僕はリアム。小さな妖精さん、君の名前は何て言うんだい?」
今思えば、子供ながらにキザったらしい台詞である。だが、今のリアムとそう変わらないと言う風にも感じてしまう。
そうしてリアムとの邂逅を重ねていくうち、次第にセリアはリアムに惹かれ、その瞳に輝きを取り戻していった。セリアだけではない。彼の周りには多くの子供たちが集まり、あの厳しい訓練施設の中でも明るく笑って過ごすことが出来た。リアムが率先して立ち、皆を纏め、時として施設の怖い人たちから皆を守ったことで、彼女たちは希望を持つことが出来た。
あれから数年経ち、施設を卒業した時、最もリアムの側にいた五人が同じ隊に配属されたことは、あるいは必然だったのかもしれない。リアムと言う狼を支える四本の脚。将であり帥でもあるリアムを支え、サポートするのが彼女たちの役目だ。今でこそアレッタとクロードを欠くという事態にはあるものの、その事実は変わらない。仮にヴァンとセリアの三人であっても、全てはリアムのため、彼の描く希望の道行きを共に歩むために行動する。
(だから……リアム、私のことは放っておいて)
そう決意し、パソコンを抱えて荷物を纏めると、セリアは車外に身を出した。リアムの作戦では、セリアは車内に待機し、リアムの帰還を待つ予定となっている。だが、それでは駄目だ。折角、リーシャが彼女たちの目と鼻の先にまで迫っているのだ。それを自分を守るという理由でふいにしたくない。
(自分の身くらい、自分で守れる)
その思いで外に出たところで、彼女は見た。
こちらに向かって歩いてくる一人の少年。フォルセティの学生服を身につけた、日本人特有の黒い髪と黒い瞳を持つ、黄色人種の黄色いと称される肌を持った、その瞳に強い意志を宿す何者か。その距離はすでに二十メートルを割っており、知らぬ間にこれほどの接近を許したのは、セリアの失敗だったと言っていいだろう。
彼の名前を、セリアは知っていた。リーシャが逃げ込んだ部屋の住居者の兄妹の一人。確か名前は、柊零余とか言ったはずだ。その妹に比べてフォルセティが誇るコロッセオでの試合経験が歪であり、一度としてシュトラーフェを見せていない未知の存在。それが今、彼女の前に立っている。
(やっぱり、リアムの言ったとおり)
セリアは、リアムの指示を思い出す。もし、敵が自身に迫った場合は、すぐに無線で知らせるように、と言われていたのだ。セリアはその言葉を反芻し、しかし無線に連絡を入れるようなことはしなかった。無線を切り、胸に抱えていたパソコンを車内に戻す。彼女の力によって作動し続けているタペータムは、今もリアルタイムでリアムに対象の位置情報を送り続けている。これさえあれば、一々セリアが指示を出さずともリアムはリーシャを追うことが出来る。
それら一連の動作の間、零余が何かを仕掛けてくることは無かった。ただ、徐々にセリアとの距離を縮め、それが交戦可能ギリギリのラインに入った時点で足を止める。放たれた言葉は、確認を問う一言だった。
「あんたがセリアか?」
その問いかけに、セリアの返答は攻撃によって示された。
「タペータムッ!!」
全力でその名を叫び、一瞬にして魔力を集めて頭上に大量の羽ペン――彼女のシュトラーフェを顕現する。それらはただのペンより少し鋭い程度の力しか持たないが、無数に降り注げば相応の力を発揮する危険な凶器だ。それを手繰り、セリアは一気に解き放つ。
突如として現れたその羽ペンの群れに対し、零余の反応は素早かった。いや、素早いと言う段階にない。まるで予期していたかのように右に走ってその羽ペンを躱し、手元に彼のハイリヒトゥム、“識者の叡智”を顕現する。同時にそのページを捲って目の前に現れたシュトラーフェの内容を紐解きながら、雄輝の言っていたセリアの力と参照し、相違点が無いかを確認する。
(羽ペンの形を取るシュトラーフェ、タペータム。その力は、対象の魔力を追跡する。そのために地図のようなものが必要となり、その精度がそのままタペータムの精度になる)
考えながら、零余は羽ペンの猛攻を回避していく。確かにかなりの数を誇るタペータムではあるが、その速度は人間の動体視力でも捉えられるものであり、避けることはそう難しくは無い。そのためにセリアは、不意打ちのような真似をして見せたのだが、事前情報を得ている零余にはあまり意味を為さなかった。
(雄輝の言うとおり、攻撃方法は数でのごり押し。術者本人から十メートル以上の距離を飛ばせるのは厄介だが……これなら俺でも何とか渡り合える。……落ち着け、ビビッてる場合じゃない。リーシャのために戦うんだろ、俺? この子を倒さなきゃ、あの子に未来は無いんだ)
内心に湧き上がる不安を押し殺し、零余は冷静に迫る羽ペンを見切り、距離を取り過ぎないように注意しながら避け続ける。そうしながら零余が思ったことは、目の前にいるセリアが予想以上に若い、と言うことだった。年の頃は、十六、七くらいだろう。見た目は強気そうな印象を受けるが、必死になってタペータムを手繰るその姿は、強気と言うよりは健気と言うイメージが湧く。同時にタペータムの操り方、その愚直さからは、彼女の生来持つ真っ直ぐな気性のようなものが見て取れた。
(タペータム……これは、決して力の無いシュトラーフェじゃない。あれだけの数の羽ペンがあるんだ。いつまでも身体能力を強化できない今の俺が避け続けられるようなものじゃない)
それでも、零余は相手の思惑を的確に見極め、避けることが出来ている。それはひとえに、セリアと言う少女が戦いにおいて相手を嵌め、陥れることに注力していないからだ。もちろん、セリア自身はいくつかの手を試してはいる。羽ペンを二方向に分かれて挟撃したり、羽ペン個々の速度を変えて隙を突いたりもしているのだ。だが、それでは足りない。零余の“識者の叡智”は、それらの動きを看破する。その上で零余を騙す戦闘者の手管が必要となるのだが、それらを得意としているようには見えない。
(なんか、調子が狂うな……)
迫る羽ペンを本を盾にして受け流しながら、零余は目の前の少女に思いを馳せる。零世の抱いていたルプス、そのセリアとは、リーシャを追い詰める狡猾な女、と言う印象だった。憎い、と少なからず思っていた部分もある。だが、目の前の少女は、そんなイメージとはまるで違う。見た目も、その必死な様子も何もかも、敵と呼んで憎悪を抱くことは難しいことのように思われた。
だが、そんなことも言っていられない。零余は自身の思考を頭を振って打ち消し、この盤面に王手をかける。
「カティさんッ!!」
「…………ッ!?」
セリアの背後で莫大な魔力が溢れ出し、彼女が振り返ったそこには、いつの間にか一人の少女が現れていた。白銀に輝く剣を携え、赤々と燃える炎を纏った緋色の髪と瞳を持つ少女。その剣先が、迷うことなくセリアに向き、そこから迸った炎の一撃がセリアの背中を強く打ち付ける。
「か、は……ッ!」
その一撃で肺の中の息が全て漏れ出し、前後不覚に陥る中、セリアは気づく。目の前の少年は、全て囮だったのだ。セリアの注意を一点に引き付け、この奇襲を成功させるための策。セリア自身に大した戦闘能力は無いが、おそらくはある程度それを危険視した上での周到な作戦だったのだろう。それにセリアは、まんまと引っかかったわけだ。
そこでようやく、セリアは理解する。本を携えたこの少年こそ、リーシャを救い、あのリアムを手こずらせている張本人。リアムをルプスの帥とするのなら、彼こそがリーシャたちの帥だ。
「こ、……の……っ」
駄目だ。意識を失ってはいけない。そんなことになれば、タペータムの力まで消えてしまう。
その思いとは裏腹に、重たい一撃に身体は崩れ、視界の端で捉えた緋色の少女の追撃は避けられそうにも無い。
(ご、めん……リアム……役に立てなくて……!)
悲壮な思いで告げるセリアの心の内は、誰にも届かず、続いて響いた轟音によって掻き消された。




