⑦
「気持ち悪くない」
「……お兄、さん……」
「俺、結構好きだよ。この赤みがかった白い髪。リーシャに凄く似合ってる」
思えば、この子が俺と風呂に入りたがったのは、俺が躊躇なくその髪に触れ、洗ってくれるかどうかを知りたかったのではないだろうか。何度も俺を風呂に誘い、俺が本当に気持ち悪く思わないかを確かめようとしていたのかもしれない。そうしてそれを経たからこそ、リーシャはあれほどまでに俺に心を開いてくれた。初対面とは思えないほどの気安さで、俺を信頼し、懐いてくれた。
「えへへ、だ、駄目ですよ。わたし……まだ、話すこと、あるんです……っ! お兄さんに、覚えておいてもらわないと……いけないんですっ。リーシャ・ランゲルって女の子のこと、どんなことでも……忘れないでいて欲しいんです……っ!」
瞳に涙を滲ませ、嗚咽交じりにリーシャはそう告げる。全てが終われば別れてしまうからこそ、せめて多くのことを知って欲しいとそう言ってくれる。だからこそ、俺は耳を傾ける。何でも聞く。この女の子のことを忘れないように。全てが終わって別れても、絶対に忘れないように。
「ぐす……っ。それでわたし、悪魔の子だって言われた後、お父さんとお母さんに……捨てられたんです」
「………………っ」
歯をギリギリと強く噛み、激情に耐える。この子の過去は、歩んできた物語は、あまりに痛ましすぎる。友を失い、親にまで裏切られ、そうして今、命を狙われている。どこまで理不尽に責め立てれば気が済むんだ。
「その後……行く当てもなく彷徨って、助けてくれるって言う人がいて、その人に付いて行ったら、いつの間にか日本に来ちゃってました。そこで訓練施設に入れられて、その後は、お兄さんに話した通りです。訓練施設を襲った人がいて、その中でわたしだけが逃げられる状況で……その人に渡された魔術の光を頼って、お兄さんのところへ行ったんです」
「魔術の、光?」
俺は聞き返す。その話は、リーシャから聞いていなかった。思えば、俺は彼女がどうやって俺のところにまで来たのか、まだ聞いていない。何の地図も持ち合わせていなかったはずの彼女が、どうやってフォルセティへ来られたのか。
その理由は、リーシャが訓練を受けていた施設を襲った奴と関係がある?
俺はリーシャの肩を掴み、揺する。もしかしたら、と言う思いがあるのだ。十数分以上前に椿からかかってきた電話。そこで聞いた、恋が襲われたと言う事実。そして、椿から聞いたある名前。
「リーシャ、そいつの名前は知らないか? 特徴とか、その、何でもいいから教えてくれ」
もし、もしそいつがこの状況を作り出したとしたなら、その目的は何だ。何を狙って俺とリーシャを引き合わせた。椿は言っていた。気をつけてください、と。それを思い出し、俺は不安を覚える。今回、俺たちの計画は、そもそもが不確定要素の存在を想定していない。それを踏まえるには時間が絶望的に足りていなかったのだ。俺たちの敵がルプスであると踏まえて行動し、その結果として最良の結末へと至る魂胆なのである。
だが、もしそいつが関わっていたらどうする。事態を引っ掻き回したら? ――最悪だ。
「リーシャ? 頼む。何でも良いんだ、教えてくれ」
「あ、あの、わたし……。顔とか、全然見てなくて。ただ、その……」
「その、何だ?」
何か思い当たる節があるのだろうか、ぶるっとあからさまに身を震わせ、リーシャは椿と同じ言葉を口にした。
「その、鬼みたいな人だなって、思いました……。こ、こんなことしか言えなくて、ごめんなさい」
鬼――。
俺は、リーシャの肩から手を離し、首を横に振って答える。これで確定した。椿もリーシャも言っているのだ。鬼だ、と。その鬼がリーシャを救い、今度は恋を襲った。そのどちらも理由は分からない。だが、考えられることがあるとすれば、恋の存在がその鬼にとっては障害となる可能性があったからではないだろうか。学生としては破格の力を持つクラティアである恋。その介入を恐れ、先に排除した。
やはり分からない。その鬼――九鬼神功の目的は何だ。椿から名前とその素性を聞いただけだが、こんなことをしている意味がまるで見当もつかない。それが分からなければ、今後の展開に関わるというのに。しかし、無情にも雄輝の言葉がタイムリミットを伝えてくる。
「零余、着いたよ」
まず真っ先に目に飛び込んできたのは、巨大な観覧車とそれに追随するほどの大きさ誇るジェットコースターだ。その二つの巨大建造物が大々的にその場所を飾り、転じて目線を左にやれば、巨大なお城を思わせる建物が見える。それだけではない、種々様々、遊園地の定番から乗り方も分からないような見たこともない施設が並び、そうして下ろした視線の先には、大きな入場ゲートと天上寺テーマパークの文字。少し名前で損をしているような気がしないでもない。何せ略してテンパーである。これはテーマパークとしてどうなのだろうか。
その入場ゲートの真ん前で車を止め、俺たち四人は外に出ると、それぞれがその停まってしまったテーマパークを見つめ、思い思いの感想を漏らした。
「でかい」
「なんか、人がいないとちょっと不気味ね」
「お兄さんと遊びたかったなぁ」
「ふむ、今日一日で得られるはずだった収益をどう補おうか」
上から俺、カティさん、リーシャ、雄輝の順である。
雄輝、ごめん。あと、今まで馬鹿とか言ってごめん。その、ごめん。
と内心で再三の謝罪を口にするも表に出す気にはなれず、俺は背後からこちらに迫っている白いワゴン車を確認すると、四人で一気に走り出した。すでにここに来る前に指示は出しており、そのためにどうすべきかも皆が理解している。そのための道具もまた、すでに渡してある。
俺たちは、二方向に別れて入場ゲートを潜り、一気に奥へ向かう。片方は俺とリーシャ、もう片方は雄輝とカティさんだ。そのまま四人並んで真っ直ぐこのテーマパークの中央にある案内図の掲げられた巨大な円筒形のオブジェに向かい、そこからさらに別れて走り出す。
そのまま走りながら、俺は携帯を取り出し、雄輝の携帯にコールをかける。しかし、電話に出てきたのは、平淡を行く少女の声だった。
「アル、ちゃんと位置に着いたか?」
『はい、マスター』
この場にいなかった少女は、事前に俺の言った通り、しっかりとこの場所に来てくれていた。そのことに安堵しながら、俺は予定通りにアルに命令する。
「アル、あれを作動してくれ」
『はい、マスター』
頼もしい相棒の声を聞きながら、俺は頭に叩き込んだこのテーマパークの地図を思い出す。この場所は、主に五つのエリアによって別れている。ちょうど俺たちの入った入場者ゲートを南として、西にウエストエリア、右にサウスエリア、そして北西、北、北東に三つのエリアがあり、それぞれがニューストエリア、ノースエリア、ニュウスエリアに別れている。このネーミングセンスに色々と気になるところもあるのだが、それは置いておこう。それよりも現状を再確認する。今、雄輝が向かっている場所が、アルのいるニューストエリア奥にある巨大な水の坂道をボートによって滑り下るウォータースライダーの巨大版のようなアトラクションの近辺だ。次にリーシャが向かっているのは、ニュウスエリアの奥にある入り組んだ迷路を思わせるアトラクションである。
そして俺とカティさんは、それぞれ途中で二人と別れることとなる。俺は途中でサウスエリアに移動し、カティさんはウエストエリアに移動することとなっている。
自分で立てた作戦を思い返しながら、何とはなしに周囲を見回してみる。今、俺たちが走っているのは、このテーマパークの中心部からわずかに外れたフードコートらしき場所だ。普段であれば盛況な売店で賑わっているだろうそこは、まるで廃れかけた商店街さながらに店を閉め、閑古鳥が鳴いている。それもそうだろう。この場所は、雄輝に事前に頼んで誰も近づけさせてはいないのだから。今、このテーマパークは完全に無人となっているのである。
木々で彩られ、草木の立ち並んだ自然の景観豊かなそこを全速力で駆け抜け、川を思わせる人工的な水の流れで彩られた水路の上にある橋を越える。そうして走っていると、リーシャが頻りに目を輝かせる。その姿に胸が痛み、この子を遊ばせてやりたかったな、と後悔の念が過ぎる。そんなことは無理だと分かっていても、一日ぐらいは遊ばせて上げたかった。いや、俺がこのテーマパークで伸び伸びと羽を伸ばすこの子の笑う顔を見たかっただけなのかもしれない。
だが、それは考えてもしようがないことだろう。叶わない妄想は頭を振って打ち消し、現実だけを見据える。そうでなければ、この子の命すら危ぶまれるのだ。
そうして走った先、俺たちが示し合わせたように足を止めたのは、ちょうどサウスエリアとニュウスエリアの境界だった。そこを通してエリアのテーマはがらりと変わり、自然豊かなサウスエリアから、どこか人工的な造りを思わせる一風変わった雰囲気のニュウスエリアが広がっている。
その境目に辿り着き、俺はその場を離れることが出来なかった。これからの行動は、リーシャに多大な危険を強いることになる。最大の難関と言っても良い。だが、それを乗り越えたとき、俺たちはきっと勝利を手に出来る。
互いに走り出すことも忘れ、しばし顔を俯かせてしまう。俺もリーシャも、不安なのは同じだ。だが、いつまでもこうしてはいられない。
「リーシャ!」
「は、はい!?」
唐突に大声を出した俺に驚き、リーシャは背筋をピンと伸ばす。その彼女に向け、俺は何を言えばいいかを考え、思い切ってそれを口にした。
「俺を、信じてくれ」
友を信じられないと言った少女に、俺はその言葉を投げかけた。その意図にリーシャが気づいたのかは分からない。あるいは、ただ安心させるだけの言葉だと思ったのかもしれない。それでも良い、と俺は思う。俺の意図したことに気づかないのであれば、それでも良い。その関係性もまた、確かにある。だが、俺はリーシャとそれを築きたかった。
恋と、雄輝と、カティさんと築いているそれを、リーシャとも築いておきたかった。
俺の言葉にリーシャは何かに気づいたように目を見開き、それから肩を震わせ、跳ねるように顔を上げた。
「はい、もちろんです。だって、だってお兄さんは――」
リーシャは、そこで目を細め、唇を柔らかく吊り上げ、少し身体を傾け、曇天の中から覗く小さな太陽の光のような、か細いながらも確かに在る眩い輝きを表情に乗せて笑ってみせた。
「――わたしの、お友達ですから!」




