④
「ヴァン、車を停めて」
「はぁ? なに言ってんだ、リアム。こっからが追跡劇の始まりだろうが」
ふざけた物言いをするヴァンに対し、リアムは珍しくも真剣な様子で返す。
「駄目だ。この車は目立ち過ぎた。警察が出てくる前に車を変えるよ」
その真っ当な意見にヴァンは押し黙り、代わりに意見したのはセリアだった。目の前のパソコンに映る点がどんどん離れていくのを見ながら、焦ったように言う。
「でも、このままだと逃げられるよ!」
「構わない」
しかし、リアムはきっぱりとそう言い切った。そのまま、二人に何も告げず、一人で車を降りる準備を始めてしまう。それが主に冷蔵庫の中身の荷造りだったことは、今は二人にはどうでも良かった。セリアは、何の説明もせずに指示だけを出すリアムに詰め寄り、納得させろ言わんばかりに表情を厳しくする。
「リアム、説明して!」
「セ、セリア、顔が怖いよ?」
「良いから!」
リアムの指示に従い、ヴァンは車を人気の無い路地にまで移動させ、そこで車を停める。それを横目で確認しつつ、リアムはどうしたものかと迷い、諦めたように言った。
「彼らは逃げてないよ」
手にした大量の缶コーヒーをバッグに詰め、その一つをヴァンに放り投げながら、リアムは何でもないことのように言う。その言葉に二人が一様に目を丸くするのもお構いなしにそのバッグを肩に担いで、彼は車を降りた。慌てて二人が荷物を纏め、一切の痕跡を消した上でバンを放置しつつ、それを追いかける。
リアムは、後から追いかけてくる二人よりも先に一台の車を見つけ、それに近づいた。バンと同規模の大きさを持つワゴン車だ。十分に中で寛ぐことも可能だろう。そのドアに手で触れ、魔術による開錠を施すと、自身は何も言わずに後部座席に座って横になる。それを追いかけて二人がそれぞれ運転席、助手席に座ったのを確認し、リアムは説明を再開する。それを聞きながら、ヴァンは魔術によってエンジンを入れ、車を動かし始めた。
「ねぇ、セリア。彼らの動き、一度は止まったりしたかな?」
「え? そう言えば、私たちから距離が離れて二回ぐらいかな。止まったけど」
「そのどれか、信号以外で止まったことは?」
「ある……ね、一回だけ。でも、対象の進行速度は変わってないよ。車を降りた形跡は無いと思う」
「ああ、だろうね。うん、ならやっぱりそうだ。彼らは逃げてない」
何か得心が行ったように頷き、リアムは笑う。その意味するところが分からず、二人は置いてけぼりを食らうばかりだ。このリアムの頭脳が並と外れていることは二人とも理解していたが、こいつは天才だからで納得するつもりもなく、その考えを問い質すことに決めた。
「リアム、いいから説明して」
さすがにセリアも我慢できず、後部座席に身を乗り出してリアムに迫る。その当の本人と言えば、気楽な調子で身を横たえるばかりだ。
「そうだねぇ。じゃあ、まず彼らの目的は何でしょう?」
唐突にクイズのようにそう言うリアムに眉を潜めつつ、セリアはその問題にもならない質問に素早く答えを返す。
「対象――リーシャ・ランゲルを逃亡させることじゃないの?」
その当たり前過ぎる問いに対する答えに、しかしリアムは右手を斜めにして顔の前に出す。それは、まるでXの一本の線を取り除いたものを表しているかのようだ。
「半分せーかい。でも、半分ぺけ」
「はぁ? あのね、リアム。リーシャは逃げる。私たちはそれを追いかける。それが今の図式だよ?」
「うん、確かにそう。でもさ、例えばセリアが逆の立場なら……ううん、違うね。セリアがリーシャを逃がす立場で、なおかつセリアの力を知っていたら、どうする?」
その言葉は、ある意味でリーシャたちがセリアの力を知っていることを告げたようなものだった。
途端にセリアは顔色を変える。自分の力が知られているとなれば、また話は違ってくるからだ。しかし、一方でこうも思う。追われている以上、何らかの方法で探知されていることを警戒するのは当然ではないか、と。彼らが何故、セリアの力を知っていると言う話になったのだろう。
そのことをリアムに問いたいセリアではあったが、わざわざそれを聞き出すのは時間の無駄だと考え、止めておいた。リアムがそうだと言うのなら、まず間違いなくそうなのだ。それだけを念頭に置けばいい。その上で、リアムの謎かけの答えを探す。
「そうだね……私なら、国を越えて逃げるかな」
セリアの考えは、単純に彼女の力の範囲を越えればいいと言う発想に基づくものだった。それを察し、リアムはすぐに反論する。
「どうやって? リーシャみたいな国籍も無ければ、パスポートも無い人間をどうやって国外に逃がすの? 密航でもするとか? でも、そんな方法をただの学生の彼らが知ってるかな?」
「うっ……わ、分かった、国外逃亡はなし! でも、それぐらいじゃないと私の力からは逃れられないし……」
そんな中、今まで話を聞いていたヴァンが適当な調子で言う。
「国外逃亡も間違いじゃないだろ」
「そうだね」
その言葉に、リアムはあっさりと頷いた。そのコロコロと意見を変えるリアムにセリアは眉を吊り上げ、からかわれたのかと頬を膨らませる。むぅ、と少しだけ怒った風に表情を変える彼女を微笑ましく思いながら、リアムは続けて言った。
「その方法は、もしかしたら何か思いついているのかもしれないね。けど、それは大前提として必要なものがあるとは思わないかな?」
「大前提として必要なもの?」
セリアが問い返すと、これまたヴァンがセリアのパソコンを眺め見つつ、適当な調子で答える。
「俺たちを振り切ることだろ」
「うん、さすがヴァンだね。セリア、これでもう二ポイントもヴァンに遅れを取ってるよ? 頑張って」
「二ポイントって……もう、リアム。いい加減にしてよ。そんなポイントとかどうでもいいから」
ふざけた言い回しを取るリアムに呆れ果て、セリアは首を振りながら彼を注意する。だが、次の彼の一言でその表情を百八十度変えた。
「勝ったほうの言うことを僕が何でも聞いてあげるって言っても?」
「早く問題を出してリアム!」
恐ろしいほどの早口でそう告げ、セリアは問題を待つ。その様子にヴァンが忍び笑いを漏らし、リアムは呆気に取られたように目をパチクリとさせると、興が乗ってきたようにこのクイズ形式の説明を続けていく。
「じゃあ、次の質問。僕たちを振り切ることでどうして彼女たちは逃亡の手段を得られるのかな?」
その質問は、さすがのセリアも答えはすぐ分かるものだった。いわゆるサービス問題と考え、間髪入れずに答える。
「逃亡するための時間を稼げるからだよね?」
「うん、正解。セリア、一ポイント。そう、セリアの言うとおり。僕らを振り切ることが出来れば、少なくとも一日程度の時間を作り出せれば、彼女の国外逃亡は果たせるかもしれない。じゃあ、質問を続けるね。それは何故?」
「え?」
そう言われ、セリアは間の抜けた声を上げる。それは、質問がおかしくないだろうか。国外逃亡するために時間を稼ぐ必要があり、時間を稼げば逃亡できるようになる理由。これはおかしい。質問の内容が前問に戻っている。
その不可解な問いにその場の誰も答えず、代わりとばかりにリアムは答えた。
「単純だよ。セリアの力は、国内全域を覆うほどに広い。ゆえにセリアが付かず離れず付いてきたら、どうあっても逃亡は不可能だ。だから彼女たちは、セリアを振り切った上で時間を稼ぎ、その間にセリアの力が及ばないどこかへ逃げ出す必要があるんだ。分かるかな? 僕のさっきの質問は、こういうことを意図していたんだ。振り切った上で時間を稼げば、彼女たちが逃亡できるようになるのは何故、ってね。セリアの力も鑑みれば、少しは分かりやすくなっただろう?」
「えっと……つまり、私の力がある限り、逃亡のための手段を持っていたとしても一定以上の距離で追いつかれてしまえば逃げられないから、一先ず振り切って時間を稼ぎ、その間に私の力でも追いつけない距離に出る必要がある、ってこと?」
「その通り。そしてこれは、国外逃亡以前の問題さ。彼らは、そうやってセリアから距離を取って初めて、国外なりなんなりに逃亡できるわけだ。あ、ちなみにさっきの問題の正解者である僕は、百ポイントが進呈されまーす」
「なっ!? そ、そんなの聞いてない! っていうか、ただの意地悪問題だよ! 解釈の仕方も色々とあると思うけど!?」
「はっはっは、僕の百ポイントを上回るのを頑張って。それじゃ、次の質問行くね」
わざとらしく高笑いしながら、リアムはまたもセリアを困惑させる質問を放つ。
「それじゃ、彼らの目的は何でしょう?」
「だからリアム、そういうのはずるいよ! どうせまたいい加減なことを――」
「セリア、よく考えて」
不意にリアムが真剣な面持ちで言い、セリアは思わず押し黙った。その表情は、いつもセリアが困った時、悩んだ時にリアムが向けていたものだった。リアムは、決して簡単に答えをくれるような人間ではなかった。困難にぶつかるたびにセリアや他の仲間にヒントを与え、答えを導かせようとする。それはリアムなりの余興も兼ねてのことだろうが、同時に頭脳に秀でた彼が、その点で劣る彼女らに成長を促しているのだ。
しばし黙り込み、セリアは考える。リアムの質問は、一番最初にされたものと同じだ。だが、それを一回りしてまた投げかけてきた意味を思索する。何故、リアムがそんなことを問うのか。それは、今までの質問と照らし合わせれば、さして難しくもないものだった。彼女は迷った末、その自身にとってはあまり喜ばしくない答えを告げる。
「……私の力を、ううん、私を……殺すこと?」
「だいせーかい!! セリア、百ポイント! 総合百一ポイントで優勝!」
「大喜びして言うことじゃないよね!?」
リアムの様子に泣きそうになりながら叫ぶセリアに向け、彼は自然に手を伸ばし、その柔らかな頭を撫でる。そこに浮かぶのは、何より穏やかな微笑だ。瞳には希望の色が輝き、それが泥沼の中で見たあの時から変わっていないことに、セリアはまたも見惚れてしまった。
惚けたように自身を見つめるセリアに対し、リアムは優しく言う。
「セリアは優勝したよ。だからさ、その権利で僕に命令してくれないかな? 絶対に自分を守ってみせろ、って」
「あ……」
「ね?」
もはや、それが止めだった。セリアは、眼前にいる王子様にバクバクと心臓を高鳴らせ、頬が真っ赤に染まることも構わず、言われるがままに彼に願いを託す一言を告げる。
「わ、たしを……守って、リアムお兄ちゃん」
それを受け、リアムは何の不安も無いほどに力強く頷いた。
その二人の様子を横目で見ながら、ヴァンは茶化すことも無く、淡々と事実を述べる。
「もうすぐ、対象に接近する」
揃って二人が見据えた先には、ふらふらと見るも危なっかしく進むパトカーの姿があった。




