⑧
部屋を飛び出した俺とリーシャ、カティさんは、一直線に三階の廊下を駆け抜け、階段を使って二階へ降りると、そこから一気に身を投げ出した。もちろん、乱心したわけでも身投げしたわけでもない。この高さなら、クラティアであれば身体強化で十分に補えるのだ。それはもちろん、十分に訓練を受けたリーシャも当然である。
俺たちが飛び降りたのは、学生寮のエントランスを真正面に置いた場合のちょうど右側。草木の生えた花壇のようなそこに着地し、俺もカティさんも靴を履き忘れていたことを思い出し、顔を顰める。同時に上空から聞こえてきた悲鳴のような声に顔を上げれば、ちょうど遅れてリーシャが落ちてくるところだった。一番最後に飛んだようだが、その悲壮感漂う表情に迷った挙句、俺はその身体を受け止める。だが、ズシリとした重さに思わず悲鳴を上げそうになった。いや、リーシャが重いわけではなく、さすがにあの高さから落ちてきたのを受け止めるのはまずい。いくら身体強化を施していてもまずい。
そんな中、この場に降りた俺たちをザッと見回し、カティさんが俺に問いかける。
「アルちゃんは?」
「ここ」
言うと同時、アルが空間をゆらりと揺らして現れた。襲撃者が訪れた時点ですでにその身体を魔力へと変え、俺と一緒に移動していたのだ。アルの顕現にまで魔力を使ってしまえば、元々魔力量の少ない俺はほとんど零同然になってしまう。今のアルには、魔力体として存在せずに純粋な魔力としてあることは無理を強いるみたいだが、そうも言っていられないのが現状だ。
地に降り立ったアルの軽すぎる身体を小脇に抱え、俺は周囲に目を走らせる。椿が事前に教えてくれていた情報では、ここともう片方。それからエントランス前にジッとして動かない者たちがいるとか。そいつらがルプスのメンバーであることは間違いないだろう。
それにしても、だ。何故、奴らは襲撃を仕掛けてきたのだろう。俺の予想では、奴らの襲撃は日を跨いで午前三時から四時にかけての辺り。ちょうど夜闇が続き、俺たちの警戒心がピークを越えて落ち着いたところを狙ってくると思っていた。それ以前であれば、俺たちの出方を窺い、その上で行動するだろうと予測していたのだが、俺の読み間違いだろうか。しかしどちらにしろ、敵は悪手を取った。肉体的・精神的疲労がピーク時を狙うのではなく、万全に準備していた段階で攻撃を仕掛けてきたのだ。おかげでまんまと七人の内の二人を打ち倒し、俺たちもリーシャを連れて逃げられる。椿と恋なら、まず間違いなくあの襲撃者を降せるだろう。椿の壁を壊せる者はそうはいないし、恋の実力は折り紙付きだ。
しかし、やはり疑問が残る。何故、あのタイミングで襲撃を仕掛けたのか。何故、効果の薄い催涙弾らしき物を使ったのか。事前にしっかりと情報が回っていれば、リーシャの能力にその手の武器は効果が無いと言うことは一目瞭然である。だからこそ、敵はリーシャが最も油断してくる瞬間を狙ってくると思っていた。リーシャが力を使える以上、最悪敵は彼女に触れることもできない可能性があるのだ。数を増やして襲っても時を停められて逃げられる。それを考慮して、敵は慎重に攻めていると考えたんだが、しかし二人を倒せたと言うこの状況は好機という他ない。
今回、俺たちに勝利条件があるとすれば、それは逃げることではない。逃げることにはまるで意味が無く、そんなことをしてもセリアとか言う追跡者に監視されるように捉え続けられるだけだ。
ならばただ一つ。俺たちの勝利条件は、そのセリアの打破にある。だが、そいつはよほどのことが無い限り出てこないだろう。ゆえに一人ずつ、確実に狩っていく。狩人たちを罠にかけ、出てこざるを得ない状況へと追い込む。
「気をつけて、リーシャ、カティさん。椿が事前に言っていた。ここにおそらく、一人いる」
言いながら、俺は目を走らせる。こうしてここでグズグズしている時間はあまり無い。すぐにでも仲間が集まってくるだろうし、そうなれば逃げるのが困難になる。まずは、このフォルセティの地理を利用して複雑な道を行き、外に出る。そこで移動手段を確保し、その上で策を立てるのが最善だ。そのためにもまず、第二の関門を突破する必要があった。
ゆえに今、俺がやることは一つである。二人には指示するまでも無く、行動から次の手を判断してくれるだろうと信じる。
俺はアルにもう一度魔力へと戻ってもらい、一気に木々に隠れたそこから飛び出した。これならアルを顕現するために使っている魔力を使うことができる。二人の唖然とした様子を尻目に広い通りに飛び出した俺は、素早く全体に目を走らせ、それを見つける。木々に隠れたわずかな隙間、そこに身を隠し、俺の動きを逐一確認している男が一人。髪は黒のドレッドヘアーで、肌色はリーシャと同じ褐色――いや、より濃い黒だ。その身にはピッチリとしたライダースーツのような服を着ており、俺と目線が合った瞬間、何かに気づいたように俺が飛び出した草木の方へ目を向けた。
気づかれた。だが、これも予想通り。男が何らかの力を発動するより先に俺は地を蹴って駆け抜け、そこへ接近する。その動きに流されるように男が俺へ視線を向け、その身体が動きを停めた。
“時神の裁可”――時を停める力は、何の抵抗も無く一人の人間をあっさりと戦闘不能に追い込む。
俺がしたことは、ただ相手を見つけ出し、突っ込む動作を取っただけ。だが、それで十分だった。俺の進行方向がリーシャやカティさんに敵の位置を教え、それを確認したリーシャが素早く顔を出してそこへ力を注ぐ。男は、迫る俺に意識を奪われてリーシャの警戒を怠り、結果、その力の餌食となった。
もちろん、こんなところで終わらせるつもりは無い。停まった男目掛け、カティさんが飛び出してきた。その手に“爆轟の奏歌”を顕現しし、全速力でその攻撃半径二メートルに男を捉えると、その炎の一撃を叩き込む。その寸前、リーシャによって男の停滞が解け、眼前に迫るカティさんに気づいた男が咄嗟の防御に出るが、もはや遅い。男は、なすすべ無く物質的な炎の一撃を叩き込まれ、軽く数メートルは飛んで地面に昏倒した。
これで、三人目。
「行くぞ、二人ともッ!」
敵を打ち倒したことで歓喜を露にする二人を叱咤し、俺は脳内で地図を思い描く。ここから複雑な道を取りつつ、フォルセティの外へ出るにはどうすれば良いか。敵が何で追ってきているのかは知らないが、徒歩と言う事も無いだろう。考えられるのは車だが、ならば俺たちも同じく車で逃げると言う考えに落ち着くものの、生憎ここにいるのは未成年ばかり。公共交通機関の利用も挙げられるが、地下鉄などの人混みに入るのは避けたい。リーシャと逸れてしまえば問題だ。ならば、バスかタクシーか。駄目だ。時間帯を考えれば、道路が混雑してしまう恐れがある。なるべく、距離を取りつつ、撹乱できるようにしたいところだが――いや、今は先に外に出ることを優先しよう。
それにしても、と俺は走りながら二人を見る。カティさんは言うまでも無いが、リーシャも足が速い。裸足であるにもかかわらず、その足取りに迷いも無く、フォームも綺麗だ。弱々しい雰囲気を醸し出していたこの子だが、訓練を受けていただけあって男の俺にも勝る勢いである。いや、単純な体術や戦闘ならおそらくは手も足も出ないだろう。催涙弾が投げ込まれた時の対応や、さっきの俺の指示もなくその意図を読んだ判断力、その特殊な力の扱い方。明らかに手慣れたものがある。
「凄いな、リーシャは」
息一つ乱さずに走るリーシャを見つめ、俺は思わず呟いていた。それが聞こえたのか、リーシャは俺を振り向き、何がですか、と目で訴える。俺はそれに笑い、もう一度凄いと繰り返した。そう言う自分の能力の高さを自覚していないところも凄い。
「にしても、柊くん。靴下一枚ってのも、走り難いわね」
まさにその通りである。襲撃者から慌てて逃げたために靴を履く余裕も無かった。靴ぐらいは履いて備えておくべきだったかもしれない。とはいえ、そんなことをすれば部屋が汚れるし、いや、そんなことを言っている場合ではなかったんだが、まぁ、今それを言ってもしょうがない。それに靴なら、あそこへ行けばあるだろう。
「一端、校舎へ寄ろう。俺たちの上履きがあるし、リーシャの足のサイズに合う物もあると思う」
「……それ、良いのかしら?」
「緊急事態だ。それに全部終わった後に色つけて返しとけば良いさ」
俺たちは複雑に入り組んだ通路を抜けて校舎へと向かい、そこで靴を履き替える。今のところ、追っ手が現れる様子は無い。校舎にはすでに学生の姿は無く、さして時間もかけずにリーシャの足に合う物を見つけると、外に出ることなく校舎の奥へ進み、開いている窓から外へ飛び出る。ちょうどこのフォルセティは、校舎を中心にして東西南北にそれぞれの門を持ち、学生寮がある区画は西門側に当たる。そこから俺たちは東側に飛び出し、道をいくつか走って校舎を抜け、ちょうど現在目指している東門に向かう。あそこは、そのまま道路に面しているし、駅やバス停もある。人通りは疎らで足を止められることもなく、そこを抜ければ街並みは一転して繁華街のような飲食店や百貨店、商業施設などが立ち並ぶ複雑な立地へと変わる。俺もそう足を運んだことがあるわけではないが、すでにその地形図情報は叩き込んである。逃走ルートはすでに在り、その上で迎え撃つ策も十分だ。
だから、まず目指すのはそこなのだが、単純に走っているだけではまずい。何か無いだろうか。こんな時に便利極まりない車両。渋滞に巻き込まれずに進める代物が何か。
見えてきた東門、そこから広がる車の走り行く道路を見つけ、俺は歯噛みする。結局、ここに来るまでに答えは見つからなかった。
だが、それはあろうことか、俺の目の前に突如として登場する。白と黒で彩られるボディに天井部に赤色灯を乗せたそれは、デカデカと文字を車体にフォントし、堂々とそこにある。
パトカーだった。そのパトカーから、
「早く乗るんだ、零余!」
馬鹿が顔を覗かせていた。




