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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第一章 褐色の少女
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 話は、恋たちが俺の家に襲撃(?)を仕掛ける数時間前に遡る。

 今朝、八時十分。朝食を終え、身支度を整えて学生寮のエントランスから外に出た俺を待ち構えていたのは、謎の褐色の肌を持つ少女との邂逅だった。彼女は、俺の胸元に抱きつき、押し殺した声で助けを求める言葉を口にした。当然、俺も隣にいた椿もその意味がまるで分からず、しかし、少女の言葉に嘘は無いように感じられてしまい、お互いに以心伝心で話し合った末、結局自分たちの部屋に舞い戻ることとなった。

 部屋に戻る途中、少女は黙りこくったままだった。自身の名前であるリーシャ・ランゲルと言う情報以外、何一つ自ら話すことはなかった。俺もその時は状況がはっきりと理解できず、少女に何と声をかければいいのか分からずにいた。エレベーターで三階まで上がる無言の沈黙の中、嗚咽を漏らす少女の声だけが響く気まずさと言ったら無い。俺が泣かしたわけでもないのに痛ましく思ってしまい、手持ち無沙汰になった手を思わず少女の頭に乗せ、無遠慮に撫でてしまったほどだ。しかし、少女は少し驚いたように俺を見上げたまま何も言わず、されるがままになっていた。次第に少女の涙が収まっていた事実を思えば、これはこれで正解だったのだろう。普段であれば、何らかの反応を示す椿も、その時ばかりは無言を貫いていた。重々しく流れる空気を察してのことか、少女の零す涙を本物と認めてのことか。

 エレベーターが三階へ辿り着き、自室に戻ってくると、一先ず椿の指示に従い、俺は少女を玄関で待たせ、その間にタオルを取りに行った。濡れたタオルで少女の足を拭いてあげ、少しくすぐったそうにして笑う少女を眺め見て、仮初でも少しだけ晴れやかな気持ちになったのかと安堵する。

 少女は、裸足だった。

 それだけではない。纏っているワンピースにも似た一枚の白い服はところどころ汚れており、目の下には泣き腫らした後の赤みとは別の隈が出来ていた。寝る間も惜しんで走り続けた足は、見て分かるほどに傷だらけになっており、本人は痛みの自覚が無いのか笑っていたが、それを見て椿が痛ましそうに目を逸らす。

 少女を部屋に上げ、リビングまで連れて行くと、椿は傷の手当を始め、その間、俺は風呂にお湯を張り、学園に休みの連絡を入れた後、冷蔵庫の中から牛乳を取り出してコップに注ぐ。それを温めると、少女の下へ持っていった。季節を考えれば冷たいままでも良かったかもしれないが、少女の足の傷や目の下の隈を見れば、夜通し走ってきたのは明らかだ。この時期、夜はまだ冷える。少しは温かみのあるものを口にした方がいいだろう。

 ホットミルクを入れたコップを持ってリビングに戻ると、ちょうど椿が手慣れた様子で少女の足の傷口に軟膏を塗り、包帯を巻いているところだった。椅子に座って足を少し上げるような体勢になっており、俺は少し目を逸らす。一瞬、少女の白い下着が見えたような気がしたが、気のせいだろう。気のせいにしとかないと椿がどんな反応するか分からない。

 コップを少女の前に置き、対面の椅子に座る。椿にされるがままになっていた少女は、そこでようやく俺と目を合わせ、サッと俯いてしまう。その反応の意味が分からなかったが、俺を嫌っていると言うよりは人と目を合わせることを恐れているような反応だ。俺は何も言わず、コップを少女の方へ押しやる。それに少女は気づくと、そっと両手でコップを包み込み、少しだけ顔を綻ばせた。

「あったかい……」

 どうやら、俺の選択は正解だったようだ。内心でほくそ笑みながら、今は何も言わずに少女を促す。色々と聞きたいことはあるが、今の彼女に無理に聞き出すことは躊躇われた。俺も相当に混乱しているが、少女の感情の乱れ方もかなりのなものがある。今は温かい物でも飲んで落ち着き、温かい風呂にでも入って身も心も安らいでもらおう。それに少女の方から積極的に話さないと言うことは、事を急ぐわけでもないのだろう。

 ちびちびとコップに口をつけ始めた少女を尻目に、俺は椿を呼んで声を潜めて言葉を交わす。成り行き上、流されるようにここまで連れて来たが、さすがに俺も椿も馬鹿ではないし、完全なお人好しでもない。助けてください、と口にしたこの少女の言葉の意味や意図を図りかね、彼女自身も扱いかねると言うのが本音だ。

「椿、どうする?」

 あらゆる意味で捉えられるその言葉に、椿は思案するように目を閉じ、同じく小さな声で答えを返す。

「助けてあげたい、と言うのが本音です。あの子の足の傷、相当な距離を裸足で走らないとあんな傷は付きませんし、それに……その」

「その?」

「足だけじゃなくて、身体の他にも傷があるんです。まだ見てみないと分かりませんけど」

「そう、か……」

 椿の言葉から、虐待、と言う単語が思い浮かぶ。この十代前半ほどに見える少女が裸足で、それにあんなボロボロの服を着て外を出歩く理由があるとすれば、それが的確だろう。だが、分からないこともある。もしそうであるなら、何故このフォルセティにいるのか。当たり前だが、ここにあるのは学生寮ばかりで、子連れの家族が住んでいるなんてことはない。それに彼女が長い距離を踏破してきたのなら、その過程で助けを求める相手はたくさんいたはずだ。にもかかわらず、彼女は俺を見つけ、助けを求めた。ここに違和感を覚えない者はいないだろう。彼女が助けを求めたのは、目に付いた頼りになりそうな人ではなく、おそらくは俺と言う特定の個人だ。

 だが、何故、俺なんだ。この少女とは面識も無いし、名前も聞いたことがない。そんな相手に助けを求められる理由が分からない。

 ダメだ、今のまま考えていても答えは一向に出ないだろう。とりあえずは、少女が話をし易い環境を作ってあげることが最善か。その上でこの事態にどう対処すべきかを再度検討し、最適な答えを導き出す。

「なら椿、あの子の他の怪我も見てやってくれ。ついでに風呂も入れておいたし、温まらせてあげて」

「はい。あの、リーシャさん? 少し良いですか?」

「ふぇ……! な、なんですか?」

 椿に声をかけられ、リーシャが顔を上げる。その緊張した様子に椿は優しげな微笑で迎え、子供にするようにその手を取ると、ゆっくりと立たせて上げた。それからその手を引き、告げる。

「お風呂、入りたくありませんか?」

「あ! は、はい!」

 喜色満面の表情でリーシャは答えると、椿に手を引かれるままに廊下に出て行こうとし、そこでハッと気づいたように俺の方を振り返った。その目が一心に俺を見つめたかと思えば、何故か椿の腕を振り払い、リビングに通じる扉の蝶番のある辺りにしがみ付く。その姿は、まるで我侭を口にする子供のようだ。

「お、お兄さん、も……一緒に、来てくれませんか?」

 そのまま、あろうことかリーシャはそんな爆弾発言を投下した。

 一瞬、椿の眉がピクリと跳ね上がる。だが、それも一瞬のこと。すぐに表情は穏やかな優しいそれに変わり、椿はリーシャの肩をそっと掴むと、その耳元で優しく語りかける。

「駄目ですよ、リーシャさん。女の子がそんなはしたないこと言ったら」

「で、でも! その、お兄さんと……一緒が、いいんです。こ、怖いんです、わたし。不安で……だから」

 静かに嗜める椿に対し、リーシャは食い下がる。その瞳にまたも涙を滲ませ、俺と一緒がいいと駄々を捏ねる。その姿にさすがの椿も困惑し、助けを求めるように俺を見た。

 そんな目を向けられても困る。この状況でそんな顔をされたら、俺が一緒に入らざるを得なくなる。だが、もしそんなことしたら椿は許してくれないだろう。怒りはしないし文句も言わないかもしれないが、たぶん心の底で溜め込んで、不自然な笑顔で接してくるに違いない。あの、一番怖いヤツ。爆発しかけの爆弾を前にしたようなあの姿だけは、本当に二度と見たくない。

 リーシャが俺を見ている。怖い、不安です、と目で訴えかけてくる。一緒に来て、とそう言っている。

 いやむしろ、不安視することが逆の気がする。俺に覗かれる心配じゃなくて俺が一緒にいないと怖いってどうなんだろう。

 とにかく、俺に一緒に入るなどと言う選択肢など取れるはずもなく、俺は男と風呂に入ると言うことがどういう事態を招くか、それはそれは丁寧かつオブラートに包んで話してあげた。それがどれほどの危険を伴い、時として自身の価値すらも貶めかねないということを、だ。約十分近くかけて長々と説明し、リーシャから帰ってきた言葉がこれである。

「一緒に入って……くれないんですか?」

 まるで小動物のように瞳をうるうるとさせ、言われた言葉がこれである。ちなみに騒ぎを聞きつけて俺の部屋から現れたアルの放った言葉がこれである。

「マスター、顔がにやけてます」

 ごめん、無表情ではっきりと核心を突くようなことを言わないで。ただでさえある程度俺の心の内を読めるのだ。この子の前では俺の気持ちなど隠しようも無い。

 しかし、本当にどうすればいいのだろう。このままでは一向にリーシャをお風呂に連れて行けないし、その身体にあると言う傷の具合も確認できない。かと言ってさすがにこの年頃の女の子とお風呂を共にするわけにもいかないし、と言うかもしそんなことをしたら妹が怖いしで、俺には打つ手が無かった。そんな中、刻々と沈黙の時間が過ぎていき、俺は気づけば全員の視線を集めていることに気づく。

 え、決めるの? 俺が決めるの?

「兄様」

「お兄さん」

「マスター」

 三者三様のうち最後の一人が意図していることはまるで分からないが、とにもかくにも俺に決定権は委ねられたらしい。このままこうしていても埒が明かず、俺は仕方なしに一肌脱ぐことにする。一応、物理的な意味で。

「分かった、一緒に入ろうか」




「“爆轟の奏歌(アオス・ブルフ)”!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! そ、それは下ろして! それは下ろして、カティさん!!」

 リビングでテーブルを囲むように回想話をしていた俺は、不意に現れた白銀の剣に恐れを為して椅子から転げ落ちた。目の前には、“爆轟の奏歌”を構えるカティさんがいて、それを大上段に構えている。その目は今までに見たことが無いほどの冷徹な色を宿しており、その姿が精神を汚染されていた時のエドガーを思い出させた。

 さすが兄妹。本気になった時は同じ顔をする。

 などと呑気に分析しているわけにいかず、俺は今にも剣を振り下ろしてしまいそうなカティさんを必死に宥める。

「カ、カカ、カティさん! お、落ち着いて! 話はまだあるんだ! は、早まるなぁぁぁぁぁ!」

「早まるな、ですって? こ、こんな年下の女の子捕まえて、怖がっているのを良いことに――!」

「それは誤解だぁぁぁぁぁぁぁ!」

 全力で叫び、何とかカティさんに剣を戻してもらうように働きかける。話をしている途中ですでに不機嫌になったような表情を浮かべていたが、お風呂の話題になった段階ですでにそれはピークに達し、最後の俺の一言で限界を迎えたらしい。だが、そこで話を区切らすには早すぎる。そこで区切ってしまえば、俺は確かに変態だ。いや、別に変態という訳ではないとは思うが、しかしいささか男らしさに欠けると言わざるを得ないだろう。誘惑に負けた色魔と言われても仕方ないものがある。

 そこで話を終わらせれば、だが。

 俺はそれを全力で説明し、カティさんに弁解のチャンスを求める。その必死の俺の懇願の様子を見て、ようやくカティさんは剣を下ろしてくれた。その間、事の元凶であるリーシャがおろおろと俺とカティさんを交互に見ていたが、何も言わなかったことは正解だ。万が一、火に油を注ぐようなことにでもなったら大変だからな。

 ごほん、と咳払いし、俺は再び話を続けることにする。そう、俺はリーシャと一緒にお風呂に入ろうと言い、そして――

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