⑥
ここでちょっと視点が切り替わってます。
暗い夜道を一人、少女は歩いていた。手には学生鞄を抱え、片手で携帯を弄っている。携帯のディスプレイには、無料通話アプリが展開されており、少女が所属しているグループ内で現在放映中のドラマについての話で盛り上がっていた。それを眺め見ながら、少女は嘆息する。そのグループは、彼女が中学生のときに友人らと作ったものだった。中学を卒業して以降、彼女らとは離れ離れになっており、高校に入学して二ヶ月経っても一度も会えていない。クラティアの資質があると言われてフォルセティに入学したものの、授業の難度は高く、実技のほかにコロッセオなどもあって付いていくのが精一杯だ。当然、ドラマなど見ている暇もない。
こうして今日もまた、少女は夜遅く学校に残って勉学に励み、遊ぶ暇もなく帰路に着く。中学の頃、その最後の一年である受験時に比べてもハードな日々だった。
歩き慣れた路地を抜け、月明かりに照らされた住宅地を歩く。人工的な蛍光灯が僅かに灯るその場所は、時間帯もあってか不気味なほどに静かだ。少女が鳴らす革靴の靴音だけが規則正しく響き渡り、時折吹いた風音がそこに色をつける。六月を回ったこの季節とはいえ、まだ少し夜は肌寒い。衣替えに伴って肌の露出が多くなった分、それは余計に如実に感じられた。
「あ、うそ……」
携帯のディスプレイ上に電池残量の限界を知らせる通知が現れる。残り数パーセント。このまま使い続けても良かったが、あと十数分と経たず消えるのは目に見えている。少女は再度嘆息しながら携帯の表示を落とすと、それをポケットに突っ込んだ。
視線は当然前を向き、そこで少女は足を止める。前方、ちょうど蛍光灯の灯る下、そこに誰かが立っている。黒いフードと、同色のジャージを着た少し肥満体の男だ。普段であれば特に気にかけないだろうそれは、しかしやけに不気味に思えた。男は、少女に向かってゆっくりと歩いてくる。まるでジリジリと距離を縮めるように。
少女は気味の悪いものを覚え、一歩後ずさる。だが、深呼吸をして心を落ち着かせると、前に歩を進めだした。気持ち悪くはあったが、さしたる恐怖はない。仮にもクラティアとしてシュトラーフェを顕現している身だ。目の前の男が仮に何かをしてきたとして、どうとでも出来る自信があった。
男が近づいてきたことで、フードから覗く顔が見えた。どこにでもある平凡な容姿だ。特に目を引くようなところはない。だが、男が口の端を緩めたことで少女は表情を引き攣らせる。男は、少女を一瞥して笑っていた。その下卑た笑みに少女は生理的嫌悪感を覚え、回り込むように距離を取りながら男と擦れ違ってしまう。
少女をチラリと一目見て、男は何もせずに去っていく。それをしばらく見送りながら、一定の距離が離れると、少女は息を吐き出した。知らず緊張で握り締めていた手は、じっとりと汗ばんでいる。いくら抗しうる武器があるとはいえ、やはりああ言う手合いは緊張する。
「……早く、帰ろ」
不意に吹いた風にぶるっと身体を震わせ、少女は帰路を振り返る。
そこにまた、男がいた。しかし、さっきの肥満体の男ではない。少女を遥かに上回る高い身長を持つ男だ。顔立ちは驚くほど整っていて、髪は夜闇でもそうと分かるほどに赤い。どこかで見たことがあるような男だった。だが、少女は思い出せない。
男は、少女を見下ろしていた。宝石を思わせる赤の輝きを宿す瞳は、無感動に冷たいものを宿している。彼はその場から動かず、ただ少女を凝視していた。
「あ、あの……」
どうすればいいか分からず、戸惑ったように少女が声をかける。それを受けてもなお、男は一言も喋らなかった。
多少の恐怖はあったが、少女は男の脇を通り過ぎることに決める。いつまでも見られていては居心地が悪いし、何よりさっきの倍以上に不気味だ。このまま何もせずにいたら危険だと、直感的に悟った。
男は動かない。隣を通り過ぎる少女を、彼はもう見ていなかった。少女もまた、男など無視して走っていく。だからこそ、見落としてしまった。少女が彼の隣を通り過ぎるその瞬間、ほんの僅か、口元に笑みを浮かべたことに。
(あ……れ……?)
突然、少女の身体が崩れ落ちる。当の本人でさえ何が起こったのか分からず、ただ硬いコンクリートの地面だけが見えていた。このままこければ大怪我をする。そんな危機意識はあるのに、身体が固まったように動かない。それだけではない。徐々に瞼が重く、意識は鈍くなっていく。
少女は、訳が分からなかった。何も分からないまま、その意識を失った。
少女が地面に向かって倒れこむ瞬間、その横合いから手が伸びる。男は、まるで最初からそうと分かっていたかのように倒れる少女の身体を受け止めた。しかし、それは助けてあげたというにはいささか乱雑であり、その後の処置も相手を気遣うような意識は感じられなかった。意識を失った少女の襟元を引っつかみ、乱暴に引っ張る。コンクリートに革靴が擦れ、傷がつくこともお構いなしだ。
「カティ……」
男――エドガー・ブレイズフォードは、倒れた少女を一瞥してふと呟く。決して顔立ちが似ているわけでもなければ、雰囲気が似ているわけでもない。ただ、年代的に近しいものがあったため、不意に思い出されたのだ。
「向かって来い、カティ。お前の全霊で以って」
誰ともなくそう呟き、エドガーは歩き去る。気を失った少女を引き連れて。
しんと静まり返ったその場所には、少女が落とした学生鞄だけがぽつんと取り残されていた。
一先ず第一章終了、という事で、少しだけ物語が動きます。




