⑤
その言葉に、隣に座っていたカティさんの目がくわっと開く。
「決闘!?」
何か嫌な予感を感じて俺は反射的に立ち上がるが、それよりも早くカティさんは腰を上げ、外に向かって駆け出していった。止める間もない。仕方なしに俺はカティさんを追いかける。
「兄様?」
「二人はそこで待っててくれ。……ったく、支払いも済んでないってのに」
悪態をつきつつ、一団の中心に突っ込んでいくカティさんを追いかける。興奮し過ぎる性格とか言っていたし、決闘の変な空気に当てられて暴走しなければいいが。
それにしても、決闘か。さっき話していたばかりの内容を直接この目で見る機会が訪れるとは思わなかった。それもこんな多くの人々が行き交う場所だ。決闘をしている奴らは、よほど短気で見境がないに違いない。
目立つ赤髪を追いかけ、人混みを掻き分けるように進む彼女の後を追う。時折他の野次馬と肩がぶつかり、鬱陶しそうな目で見られるが、気にしていられなかった。
ようやく追いつき、その肩に手をかける。そこは、ちょうど俺やカティさんの身長でも中の様子が十分に見える位置取りだった。
「カティさん、まだ支払い済んでないだろ。戻るぞ」
声をかけるも、カティさんの反応がない。その意識は、ちょうど対峙するように立つ二人の男を捉えている。どちらも見たことのない男だ。片方はすでに棍棒のようなシュトラーフェを顕現しているが、もう一人は違う。ポケットに手を突っ込んだまま、悠然と男を見下ろしている。
そう、見下ろしているのだ。二人の身長差は、二十センチ以上はあるだろうか。棍棒の男が低いわけではない。見た感じ俺よりも大きく、日本男子の平均身長くらいか。一方の男は、その顔立ちや髪色も含め、日本男子の平均をはるかに上回っている。目算で百九十センチほど、顔立ちは完全に外国人のそれであり、髪はどこかで見たような緋色――
「――あ、れ?」
隣を見やる。そこには、ちょうど似たような色をした外国人の少女が立っており、高身長の男を食い入るように見つめていた。とても初対面の人間に向けるような視線ではない。だが、かといって友好的な人間に向けるそれともどこか違って見えた。
「エドガー……」
「エドガー?」
視線の先で、カティさんにエドガーと呼ばれた男と棍棒の男の決闘が火蓋を切る。周囲の観客は、その始まりに盛り上がりを見せた。
棍棒の男が武器を構え、一気に駆け出す。地を蹴る力は強く、一気にエドガーとの距離を詰めていく。その一連の動きだけを見ても相当な実力者だということがわかる。だが、盛り上がる観客に比して、隣に立つカティさんの表情に焦りが浮かび始め、彼女は悲痛の叫びを上げた。
「ダメッ!? 逃げ――」
それは一瞬の出来事だった。
視界が血飛沫で染め上げられる。突如、棍棒の男の身体から大量の血液が宙を舞い、それが俺の視界一杯に広がったのだ。
自身に降りかかるわけでもないのに、思わず一歩引いてしまう。そんな俺の反応とは裏腹に、周囲の観客はさらに熱を上げていた。その光景を前に引くこともなく、ただ当たり前の事実のように受け入れている。この状況で焦りを募らせているのは、俺と……予想外にカティさんだけだった。
「罪は流血によって洗われ、剣は墓標のように突き立つ」
エドガーが何事かを呟いている。その言葉の意味は理解できなかったが、倒れいく棍棒の男に向けるその冷たい瞳が、これから起こることを雄弁に物語っていた。エドガーが何で以て相手を傷つけたのかは分からない。彼は未だ、ポケットから手を出してすらいなければ、シュトラーフェも見せていない。何らかの魔術だろうか。だとしたら、俺には分からない。どちらにしろ、一つだけ言えることがあるとすれば、あの男は攻撃の手を緩めていないということだった。
「嘘だろ……」
たかが学生の喧嘩だぞ……。そこまでするのかよ。
背筋が凍る。そうしている間にも、エドガーはポケットから右手を出し、攻撃態勢に入っていた。攻撃まで、後一秒もないだろう。その後に待ち受ける光景は、凄惨なものであることは想像に難くない。
殺すのか。いや、殺しはしないのかもしれない。だが、地面に倒れた男の血の量は尋常じゃないぞ。あそこに追撃を加えたりすれば、間違いなく死ぬ。止めなくていいのか? 周りの誰も止めようとしない。こいつらは何故、止めない? フォルセティの医療チームが凄腕だからか? だが、もし殺されてしまえば、復活なんてできようはずもない。そうでなくても、大怪我を負って再起不能になるかもしれない。なのに何故、誰もあの男を止めようとしない。
この学園に入学したときにも思った違和感がぶり返してくる。ここの学生は、当たり前のように戦うということを受け入れているのだ。
そう思いながらも、俺には何も出来なかった。恐怖で足は凍りつき、それ以前にここからでは動いても遅すぎる。俺の身体のどこをどう動かしても、あの男の盾になることも侭ならないだろう。
だから、俺は何も出来なかった。ただ見ているだけだ。しかし、隣の少女は違った。
「ぐぅ!?」
隣で大音が鳴る。思いっきり地を叩いたような音に驚くのも束の間、カティさんが空を駆けていた。緋色の髪をはためかせ、手には白銀の剣を握り、身体に炎を纏わせたその姿は、雄々しさすらも感じさせる。
その大々的な登場に、さしものエドガーも手を止め、突如として現れた乱入者に目を細めた。その視線がカティさんの姿を認め、次いで大上段から振り下ろされた剣に目を見開く。
その時、初めてエドガーが大きく動いた。地面に倒れた男に向けていた手をカティさんに向け、、何かを振るうような仕草で迎え撃つ。次の瞬間、重力に乗ったカティさんの一撃がエドガーの前方に当たる空間とぶつかり、火花を散らした。金属のぶつかり合うような甲高い音が鳴り響き、受け止めたエドガーはいなす様な動きでカティさんの一撃の威力を受け流す。
「カティか」
「エドガー、兄さん」
緋色の乱入者に呆気に取られていた観客が、熱を取り戻したように湧きあがる。怒涛の歓声に嫌悪感すら覚えるが、それよりも俺の意識は対峙する二人に向いていた。
兄さん。カティさんは、そう言った。さして驚くこともない。似たような髪色を見て、カティさんが名前を呼んだ時点で何らかの繋がりがあるだろうとは思っていたからだ。しかし、こうして向かい合い、睨み合う姿を見ると、とても兄妹のようには思えなかった。
「何のつもりだ、カティ。正式な決闘を邪魔するとは」
「その人はもう戦えない。これ以上、攻撃する意味は無いはずよ」
カティさんの表情には、明らかな怒りが見て取れる。その怒りに応じて炎が勢いを増し、燃え盛るように逆立っていた。それを見た観客が、若干熱量から逃れるような動きを見せる。俺も同じく炎から距離を取ろうとするが、ふと気づく。あれほどの熱量があるにも関わらず、まったく熱さを感じない。あれは本物の炎か?
「これは戦いだ。戦いの場においては、情けは無用だ」
「まるで戦争でもしてるような口ぶりね。たかが子供の喧嘩を格好良く言わないで」
俺が疑問を抱いている合間にも、二人の応酬は続いていた。どちらも一歩も引く気はなく、ただ敵意だけを滲ませている。
「そうか。なら、子供の喧嘩に口を挟んだんだ。とばっちりを受けても仕方がないな?」
「……………………ッ!?」
歓声が止む。いや、止めさせられたのだ。素人の俺でもはっきりと分かるくらいの殺意。エドガーから放たれる暴力的なまでのそれが、興奮していた観客を黙らせた。初めて、馬鹿騒ぎに身を任せていた彼らの顔にも恐怖が走る。ようやく事態の危険性を認識したようだ。
対するカティさんの腕が、僅かだが震えていた。怖い、のだろう。勇ましく飛び出し、兄に向かい合ってはいるものの、恐怖で身が竦んでいるのは目に見て分かる。この二人の関係がどんなものかは俺も良く知らない。こうなっている大前提のことも把握していない。兄を止めるために何故、妹が武器を取り出す必要があるのか。何故、兄が妹に向けて殺意を向けるのか。そんな事情は皆目見当もつかない。ただ、目の前で怯えている少女を見過ごすことは出来なかった。
深呼吸する。心臓が焦ったように早鐘を打つ。緊張で汗が噴出してきた。
や、やるぞ、俺。男を見せるぞ。
「何の事態ですか、兄様」
「ちゅばきッ!?」
不意に横から声をかけられ、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。そのあまりの声量に対峙する二人もこちらを振り向いた。いや、二人だけではない。観客すらも俺の方を向いていた。
こちらを見る目。責めるような、哀れむような、悲しむような、居た堪れないような視線の数々。俺は耐え切れず、こちらを見る妹の方を向いた。
「ど、どうしたんだよ。恋は?」
「恋さんは一人で残っていてくれています。それより、どうしてカティさんが剣を抜いているんですか? それにあの人……カティさんと同じ髪色」
椿の目は、エドガーを捉えていた。そこには、俺やカティさんのように怯えの色は見受けられない。ただじっと、睨みつけるように彼を見ていた。それに気づいたのか、エドガーも椿の方を見る。彼は、口元に少しだけ笑みを浮かべた。その意味は分からなかったが、危機感を覚え、俺は半ば反射的に椿の前に出る。
「兄様?」
「な、なに、こっち見てんだよ」
声を震わせながら、エドガーを睨みつける。精一杯のそれは、しかし鼻で笑われてしまう。相手にする価値もないと言いたげだ。
「カティ、お前の連れか?」
「今日出来たばかりの友達よ」
それを聞くと、エドガーは殺意を緩め、構えを解く。
その緊張の霧散した雰囲気に俺がホッと息をついたのも束の間、頬を何かが掠めた。遅れて鋭い痛みが走り、熱い何かが垂れていく。思わず手で触れてみると、そこには赤い液体が付着しているのが見える。
き、切られたのか、今?
何が起こったのか理解できず、ただ俺は立ち尽くすしかなかった。そんな俺を再度嘲弄するかのように見つめ、エドガーは言う。
「カティ、付き合う相手は選べ。そんな生温い炎を見せている暇があるならな」
それだけを言い残し、エドガーはその場を後にする。エドガーが近づくと、群がっていた観客も怯えるように道を開けた。その中を、さも当然のように歩き去っていく。その異様な後姿を見つめながら、俺もカティさんも動くことが出来なかった。身体は、縛り付けられたように動かない。
ただ、背後でボソッとこんな声が聞こえてきた。
「兄様を傷つけられた兄様を傷つけられた兄様を傷つけられた…………」
ま、まぁ、なんだ。もしかしたら、うちの妹が一番恐ろしいのかもしれない。
エドガーがいなくなるとほぼ同時にフォルセティの医療チームが救急車のようなサイレン音を鳴らす白の車両に乗って現れる。その白と青で彩られた制服もまるで本物の救急隊員のようだ。彼らは大声で野次馬に退くように注意を促すと、急いで血を流す男に近づき、その状態を確認していく。瞳孔や脈、意識の確認などを行うと、担架を使って男を抱え上げ、そのまま車両に乗せて去っていった。様子を見るに、男に命の別状はないのだろう。それが分かり、少しだけ安堵する。目の前で死なれでもしたら寝覚めが悪いからな。
すっかり人気の疎らになったその場所で、カティさんはもういない兄の背中を追い続けるかのように真っ直ぐ前方を睨みつけている。その手には、未だにアオス・ブルフが握られたままだ。
「カティさん」
幾ばくか迷った末に、俺はカティさんに声をかける。しばらく放心したままだったカティさんは、視線だけを俺に寄越した。そこには、もうさっきまでの戦意に溢れた獰猛さは失われている。同時にアオス・ブルフも姿を消し、カティさんは身体ごとこちらに向き直った。
「ごめん、エドガーのせいで。その傷、見せてもらえる?」
「傷……って、ああ、これか。別に良いよ。掠り傷だし」
自分が怪我をしたことを思い出し、笑いながら傷口に触れる。すると、痺れるような痛みが走った。手を見ると、さっきと同じく血が付着している。全く血が止まっている様子はなかった。
「って、うっわ……上着にまで垂れてるし……!」
「兄様早く服を脱ぐか傷口を押さえてください! 学生服は高いんですからっ」
さっきまで呪詛のようにぶつぶつと呟いていた椿が慌てたように俺に近づき、ハンカチを押し当ててくる。ついでに俺の学生服に着いた血も丁寧に拭き取り、染みがどうとかげんなりした様子で漏らしている。
「私、いらない、かな? ふふ、本当に仲が良いのね、二人は」
俺たちの様子を見て、カティさんは笑う。そこに少しだけ痛々しいものを感じるのは、俺の思い違いではないだろう。
「カティ――」
「何言ってるんですか、カティさん! 兄様のほっぺを押さえてください! あぁ、また垂れてきたっ! もぅ、兄様も早く上着を脱いでください。あ、ワイシャツはもっとダメですね。それも脱いでください!」
「ちょ、こんなとこでTシャツ一枚になれってか!?」
「制服は高いんです!」
そんな庶民的な――いや、止そう。椿の目がマジだ。言うとおりにした方が良さそうだ。
「あー、カティさん? 傷口、押さえてもらってもいい?」
恐る恐る尋ねると、カティさんは可笑しそうに俺たちを見つめ、それから取り出したハンカチで頬の傷を押さえてくれた。ほのかにハンカチから漂う甘い香りは、洗剤のものだろうか。それに心地よさを覚えながら、俺は上着とワイシャツを脱ぎ捨てる。それを受け取った椿が、慌ててどこかに走っていった。おそらく、水で塗らしたハンカチで血を拭き取るつもりなのだろう。乾拭きだと染みが残るからな。
路上でTシャツ一枚のまま、女の子に頬をハンカチで押さえてもらっているこの状況。周りからの好奇の視線が辛い。なまじカティさんが人目を惹くから余計にだ。
って、そうだ。なんで俺はいつまでもカティさんに傷を押さえてもらってるんだ。ハンカチを借りればいいじゃないか。
そう思い立ち、俺は声をかけようとする。だが、それよりも先にカティさんが言葉を発した。
「どう、思った?」
何が、とは聞くまでも無かった。さっきのエドガーのことだろう。
カティさんの問いにどう答えればいいのか分からない。少し迷った挙句、俺は素直な感想を口にした。
「こいつやっべぇ――いや、凄く横行闊歩というか眼中無人というか傲岸不遜というか」
「おーこーかっぽ? がんちゅーむじん? 傲岸不遜……は大体分かるわ。確かにぴったりかもね」
結構失礼な評価を下したような気もするが、カティさんは気にしていないようだ。俺の頬に手を当てながら、視線は何かを思うように空を見ている。同じ空の下を歩く兄でも思い浮かべているのだろうか。
「傷、痛まない?」
「ん、それほどでもないな」
「…………ごめん」
「カティさんが謝ることじゃないって」
「そっか……ごめんね」
沈黙が降りる。気まずい。とてつもなく気まずかった。さっきの控え室の比ではない。カティさんは目に見えて落ち込んでおり、何を話せばいいのか分からなかい。こういう時、人生経験がものを言うのだろうか。駄目だ。俺の薄っぺらな人生経験じゃ、この場合の女の子に対する正答が思い浮かばないぞ。
通りを幾人もの生徒が通り過ぎていく。それをぼんやりと見送っていると、不意に携帯のアラームが鳴り響いた。聞いたことのない、どこか心安らぐ穏やかなメロディーだ。音の方を辿れば、ちょうどカティさんが携帯を取り出すところだった。メールか、あるいは電話か。携帯のディスプレイを一瞥し、表情を変える。
「どうした?」
「先生からの呼び出し。さっきの件で聞きたいことがあるって。行かなきゃ」
ああ、さすがに放置はされないわけか。決闘を大前提にシュトラーフェを出していたエドガーや対戦相手の男ならともかく、カティさんは完全に私闘で武器を取り出し、攻撃をしかけた。事態がどこから漏れたのか分からないが、学園側の耳にも届いたということだろう。
これ、と言われてハンカチを握らされる。それを受け取ると、手を振り、カティさんが慌しく走り去っていった。急なことに呆気に取られながら、手渡されたハンカチを見つめる。上等そうなレースのハンカチだ。ずっと傷口に触れていたため、べっとりと血がついている。
「これ、洗って落ちるか……?」
予想外に高そうな一品に気後れしてしまう。だが、汚れてしまったものは仕方ないか。
改めてそれを頬に当てていると、こちらに向かって恋が歩いてくる。なんだか顔が不機嫌そうだ。
「何してんだよ、レイ」
「恋? お前、支払いはどうしたんだよ」
席で待ってるんじゃなかったのか。
「あんまり遅いからこっちで全部払ったわ! 後で返せよ、ったく。そんで椿とカティは? つーか、何でTシャツ一枚なんだよ」
一連の出来事を見ていない恋には、何があったのか全く分からないのだろう。仕方がなく、俺は面倒くさいものの説明してやることにした。
「かくかくしかじか」
「伝わんねーよ! 漫画じゃねーんだよ!」
大声で突っ込みを入れる恋に思わず笑ってしまう。さっきまでの空気が重たいものであったために余計に気楽な心地がする。
笑う俺に恋はイラついたのか、軽い蹴りを入れてくる。それを受けながら、俺はふと思った。
「あ、カティさん……支払いせずに行っちまった」
「はぁっ!?」
大空の下、恋は素っ頓狂な声を上げるのだった。




