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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第八章 叡智の蔵より出でし至宝
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「いったた。くそ、どんな馬鹿力……」

 立ち上がり、漏らしかけた悪態を引っ込める。いや、無理矢理に引っ込めさせられた。目の前の存在が信じられず、唖然として見上げてしまう。目の前に広がる光景を理解できず、ただそれに反応も返せずに見つめ続けた。

 そこにあるのは、人間の上半身の様な姿をした煙の巨人。ランプの精を髣髴とさせる、奇妙なデザインをした香壺(こうご)から飛び出した煙が像を成した異様な存在だった。紫色の煙が揺らめくその姿は、その巨体さ特有の威圧感で以って俺の動きを抑え付ける。ごくりと飲み込んだ唾の音すらも聞こえてくるような静寂の中で、それは威風堂々とその場にあり、その空間全てをその巨体で支配していた。

 これは……なんだ?

 当然のように沸いた疑問は、その煙の巨人のすぐ近くにある男が答えてくれる。

「“肥大せし災禍の芽オグモンティ・ポシュシオン”。やあ、ようこそ、柊零余くん」

 枯れ木のような見た目。研究者風の出で立ち。眼鏡を掛けたその姿に力強さは感じないが、瞳だけは威圧的な何かを秘めている。

 こいつが――東堂拓馬。全ての元凶とされる男。その男が今、俺を視界に捉え、気になる言葉を投げかける。

 オグモンティ・ポシュシオン……ポシュシオン、だと? つまり、あれが東堂のシュトラーフェだと言うのだろうか。あり得ない。歩美のような不可思議なシュトラ―フェもいるにはいるが、これはシュトラーフェなんて代物じゃない。煙の巨人。濃密な魔力を宿す化け物。こんなものがシュトラーフェであっていいはずがない。

 何かがおかしい。そもそも、東堂の目的はハイリヒトゥムだったはずだ。なら、これが目的の成果? いや、ハイリヒトゥムだとしてもこれは違う。これは、それよりさらに先にあるもの。

 これは、まるで――

応身(おうじん)。君も聞き覚えがあるだろう?」

「……開闢に至ったって……わけか……」

 開闢――ハイリヒトゥムを顕現した者にのみ許された魔術の最高峰。その力は、百のクラティアですらも圧倒するほどとされている。だが、その反面、強大すぎる力は術者にまで悪影響を及ぼしてしまう。それゆえに開闢に至ったばかりの術者は、その力の開放者として自身に代わる別の存在を生み出す。

 それが応身。報身(ほうじん)と呼ばれる術者本体とは別の、より魔力的な性質の強い代替物。

 その存在が今、俺の目の前で顕現している。あり得ない。聞いていない。開闢など、数百年に一人現れるかどうかと言われるレベルの代物だ。そんな領域に何故、ハイリヒトゥムも持たない東堂が至っている。仮にハイリヒトゥムを手に入れることが目的だったとしても、一朝一夕で到達できるようなものではない。努力などとは別次元の領域にある力なのだ。

「しかし、君は来るのが遅いね。君の力で皆を助けようにも、ほら」

「な…………っ!」

 東堂がある一点を指差す。その指差す方向には、見慣れた俺の仲間が倒れていた。椿、恋、カティさん、エドガー、その全員が今、床に倒れ伏し、ピクリとも動かない。遠目からでも分かるほどにその身体は傷だらけとなっており、服装も至る所が破れてしまっている。その破れた箇所から血が滲み出し、少なくない血溜まりが出来ていた。

 死んで、いる? 嘘だ。あり得ない。防御に特化した椿やそれを補助できる恋、爆轟すらも巻き起こすカティさん、圧巻の実力を誇るエドガーまでいるんだぞ。死ぬはずが……やられるはずがない。

「くそ……!」

 身体に鞭打って何とか駆け抜け、真っ先に椿を抱え起こす。だが、反応がまるでない。瞼は重たく閉じられ、ぐったりとした様子で意識を失っている。焦燥感が募り、必死になって椿の身体を揺するが、妹が目を覚ますことはなかった。

「うそ、だろ……椿? 椿……!」

「安心しなよ、零余くん。彼女は死んではいない。まだ、だけどね」

「椿……椿っ!!」

 俺の必死の呼びかけも、椿には届かない。目を覚ますことはなく、その身から絶えず血を流し続けている。椿だけじゃない。恋もカティさんもエドガーも、為すすべなく倒れ、死への道行を歩み始めている。

 だが、そんな中で不意に一人だけ動く者があった。恋だ。他三人よりも送れてここに訪れた恋だけは、ゆっくりとだが確かに身体を動かし、立ち上がろうとしていた。

「ほう、凄いね。このポシュシオンの一撃を受けてまだ立てるのかい。ああ、そう言えば、君のシュトラ―フェだけは僕も知らなかった。その力のおかげかな?」

「はぁ……はぁ、ぐっ……あ、あぁ……。くそ、ったれ……なんっつー、隠し玉を……持ってんだよ……っ」

 荒い息を吐き、斧を支えに恋は立ち上がる。しかし、もう戦える状態にないことは一目瞭然だ。仮に戦えたとしても、無傷でこの四人を圧倒したほどの相手に何が出来る。

「にしても……おっせぇーよ、レイ。さっさと構えろ」

「構えろって……お前、何言ってんだよ……。そんなぼろぼろの状態で……」

 それに構えて何が出来る。あんなもの、“識者の叡智(アルヴィスナハイト)”で調べるまでもない。その脅威は確かな力の形を伴って目の前にあり、不動のものとしてそこに在る。それに椿や他の皆の傷を見れば、どんな風に攻撃されたかも分かってしまう。剣や刀と言った刀剣、銃などの銃火器ではない。皆の傷は、単純な殴打やそれに伴う衝撃によって出来たものだ。それを何が為したのか、それは考えるまでもなく明らかである。あの煙の巨人が、その剛腕で以って殴りつけた。椿のミュールを破壊し、カティさんの“爆轟の奏歌”を振り払い、エドガーのトラヴィアータを意にも介さずに、圧倒してみせたのだろう。

 勝てるわけがない。戦おうと言う発想がまず間違いだ。そんなことよりも今は、椿を助ける方が最優先だろうが。

「あぁ? ちっ、腑抜けやがって、クソ。ならアタシ一人でやるまでだ」

 吐き捨て、恋は武器を構えて走り出す。動けるような状態で無いにもかかわらず、真っ向から東堂へと向かっていく。その結果は待つこともなく、俺の眼前に叩きつけられた。無造作にポシュシオンが右手を振り払い、迫る恋を弾き飛ばす。そのハエを振り払うようなのっそりとした動きを避けることも出来ず、恋は地面を転がり、そのまま動かなくなった。すでにギリギリの状態でそんな攻撃を食らったのだ。立てるわけがない。そもそもあんな状態で攻撃を当てられるわけもないのだ。少し考えれば分かることだ。なのにあの馬鹿野郎、あんなにあっさりと吹っ飛ばされやがって……。

「まるで話にならないな。少しは期待したんだが、ポシュシオンの試運転にもならない」

「試運転……?」

「ああ。折角開闢に至ったにもかかわらず、全力を出せないとは詰まらない」

 試運転。詰まらない。ふざけるなよ、この野郎。

 だが、そんな思いを口に出したところで何も変わらない。今、この場で動けるのは俺だけなのだ。下らない言葉で挑発して怒りを買っては助けられる者も助けられない。何とか奴の隙を見て、椿だけでも場所を移動させられないか。いや、椿だけでも? なら、俺は他の皆を見捨てるのか?

 恋を、カティさんを、エドガーを、もう一度眺め見る。仲間を見捨てて椿を助ける。その選択肢は俺の中に確かにある。冷静な思考で妥協案を見出し、その目的のために行動する。東堂を倒すことはもはや不可能とはいえ、椿を助けることならまだ可能だ。だが、それは他の皆を見捨てることと同義だ。

 それを俺が選ぶ。椿を救うために選ぶ。俺にそれが出来るだろうか。

「零余くん、君は僕を楽しませてくれるのかな?」

「………………ッ!?」

 しまった。考えごとに意識が取られすぎてしまった。そのために判断に迷い、結果として東堂の攻撃の矛先がこちらを向いていることにも気づかなかった。

 不意に伸びてきたポシュシオンの腕が俺の身体を掴み、引き上げる。その凄まじい圧力に抗うことが出来ず、俺は床から数メートルの高さに持ち上げられた。

「くそ……この、離せ……ッ!」

「ねぇ、零余くん。柊家の人間である君に尋ねたいことがある。天魔を知っているね?」

「天魔、だと……っ?」

 知っているか、なんて聞くまでも無いだろう。それを俺が知らないはずが無い。研究者の一族として名高く、国家に属さず独自の立ち位置を保っていた柊家が、政府の管理下に置かれ、その研究成果を奪われることとなった直接の原因。柊本家どころかその周辺地域を壊滅させ、未だその地域は復興に追われている。

 天魔――開闢域に到達した大災のクラティア。この東堂と同じ、いやもしかしたらそれ以上の力を持つ化け物。

「君は、天魔の正体を知っているのかな?」

「まさか……それで、椿を?」

「その通り、察しが良いね。柊家の直系、天才と謳われる彼女なら何か知っているのかと思ったんだけど、彼女とはあまり話が出来なくてね。代わりに君に聞きたいんだ。天魔を知っているかな?」

「がぁ……っ!!」

 締め付ける圧力が増し、ミシミシと身体全体が嫌な悲鳴を上げる。肺すらも圧迫されたその状況では言葉を発することも難しく、東堂の質問に答えることは難しいことのように思われた。だが、奴はそのことにも気づいていない。まるで子供のように手元の玩具を好き放題に振り回し、勝手な要求だけを叩き付けてくる。

 だが、このままでは本当に圧死する。そうなれば、次に東堂は倒れた皆に襲い掛かるかもしれない。そうでなくても皆はもう瀕死の重傷だ。動ける俺がどうにかしてこの現状を打開しなければ――待て。何故、それがそこにある。

 今まで、俺は必死になってこの拘束から逃れることに捉われて気づいていなかった。しかし、今ようやく気づいた。ポシュシオンの腕、ちょうど手首の辺りに短剣が突き刺さっている。小さすぎて気づかなかったが、あれは恋のアヴェルテレだ。

 恋のアヴェルテレのもう一つの能力――武器形態の変化だ。恋のアヴェルテレは、斧に限らず、パージすることで剣やナイフの形態を取ることが出来る。その一本が今、ポシュシオンの身体を侵食している。しかし、確かに小さくはあるが、あれほど紫一色に包まれた中でその存在に気づかないものだろうか。

 その時、俺はもう一人の存在に気づいた。この部屋唯一の入り口である扉から顔を覗かせ、こちらに手を振っている少女、歩美。

 あの子、いつの間にか東堂の認識を操っていたのか。

「アヴェルテレ……弱めろ……っ」

 搾り出すような恋の声が聞こえてくる。その瞬間、一気にポシュシオンの拘束が緩み、俺の身体が自重落下で床に降り立った。足から全身にかけて想像を絶する痛みが駆け抜けるが、それでもあのまま押し潰されるよりはマシだ。

 恋のおかげでポシュシオンの身体が一時的に不安定に揺れ動く。しかし、それも一瞬のことで、すぐにも元の巨体へと戻ってしまう。元が煙であることを考えれば、いくらアヴェルテレの増幅・減少の力でも限定的な効果しか得られないのだろう。

「ちっ……くそ、やりづれぇシュトラーフェだ……」

「ふむ、いつの間に刺されていたのか。しかし、やるね。僕のポシュシオンに影響を及ぼすとは。並のシュトラーフェではこうもいかないだろう。君のそれ、少し興味が出たよ」

「きもち、わりぃ……っ! っざけんな、おっさん」

 吹っ飛ばされて倒れていた恋が立ち上がり、再びアヴェルテレを構える。倒されていたのは隙を窺っていたのかもしれない。しかし、そうなると俺のせいで攻撃の機を逃してしまったことになる。

 駄目だ。全てが悪い方に向かっている。歩美がアシストしてくれて助かったが、そもそもあの子の能力はシュトラーフェの誤認だ。この状況を打開するような力は無い。おまけに動ける恋も、先の一撃でかなり足に来ている。一歩動くたびに身体はフラフラと揺れ、その足元が覚束ない様子ではすぐにでも倒れてしまいそうだ。

 やるしかない。俺が、やるしかない。

「“識者の叡智”!」

 名を呼び、手元に手繰り寄せる。しかし、ページを捲ってみてもこの場に展開中の魔術の内容が記されているだけだ。目の前の“肥大せし災禍の芽”、その能力は精神の汚染。応身として物質的な煙を放つその姿はあくまで副次的なものであり、その本質は半径一キロ以上に渡って煙を広げ、その範囲内にいる者の精神を飲み込み、過去のトラウマを広げ、そこに入り込んで感情の一部を極端に刺激することにある。その過程で他者の心を巧みに誘導して操り、あるいは如月先輩に言ったようにシュトラーフェの封印と言う方向性に持っていくことも出来るのだろう。

 だが、それがどうした。そんなことを知ったとしても意味は無い。そんな力を使われるまでもなく、俺たちは蹂躙され、命果てようとしているのだ。

「くそ、くそ……っ! 応えろよ……っ」

 本を叩きつけ、俺は必死の思いで叫ぶ。あの時は、こいつは俺の想いに応えた。カティさんの命が果てようとしていた時、確かに問うたのだ。

 だが、今は何の応えも返さない。黙って沈黙し、使えもしない情報ばかりを出してくる。

「レイ、避けろッ!!」

「え?」

 恋の声に顔を上げ、見る。そこには、巨大な拳があった。恋に向いていると思っていた東堂の注意は、変わらず俺に注がれ、ポシュシオンの握り締めた拳を放っていたのだ。

 駄目だ。速い。今の俺では、避けることが出来ない。

「ミュール……!」

 鏡が割れるような激しい音が鳴り響いた。咄嗟に俺の目の前に一人の少女が飛び込み、庇うように立つ。展開した防壁は跡形も無く吹き飛び、大力無双の拳が少女の身体を捉え、そのまま俺の身体ごと吹き飛ばした。

「が……ぁ……っ!」

 衝撃が全身に響き渡り、身体のいくつかの骨が折れる。だが、それよりも、そんなことよりも気にすべきことがある。今、俺の腕の中に抱かれ、一緒に吹き飛ばされたのは誰だ。長い髪を二房に束ね、俺を優しく見上げるこの少女は誰だ。俺と似た顔をした、三年前のあの頃より常に俺と在ったこの少女は誰だ。

「つ、ばき……」

 俺の姿を見つめ、椿は柔らかく微笑んだ。あの時、俺を助け、救ってくれたときのように。

 黙り続けていた俺のハイリヒトゥムが白い光を帯び始める。常に流れ続けていた時間が停滞し始め、世界は遅々として回り始めた。その中で俺の身体だけが常のように動き、手にした“識者の叡智”が問いかける一文を紡ぎだす。

『どうしますか、マスター』

 本が問いかける。俺の判断を仰ぐ。そうしながら、すでに文章は出来上がっていた。踊るようにいくつも文字が浮かび上がり、俺の朗誦を請う。

 決まっている。

 “識者の叡智”に書かれた文を目で追いかけ、詠うように言葉を紡ぐ。その声は、俺の口から出たものとは思えないほどの荘厳さを伴う、神へと至る祈りの讃歌――祝詞に他ならなかった。


『されど彼方に願いたて、救いあらんと知ればこそ』


『我、人ならざるものとして、此方に祈りを捧げよう』


 東堂、天魔の正体を知りたいと言ったな。

 なら、今見せてやる。

 柊家の産み出した怪物――その神髄を。


『開闢――“叡智の蔵より(アルヴィスナハイト)()でし至宝(アルマハト)”』

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