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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第八章 叡智の蔵より出でし至宝
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 何故なら、そこに歩美がいたからだ。

 避けたつもりだった。躱したつもりだった。体勢を崩させたつもりだった。

 だと言うのに、歩美は俺の脇を一瞬で通り抜け、如月先輩を殴ろうとした拳を受け止めていた。いくらなんでも速過ぎる。それだけじゃない。歩美の力は知っている。所詮、大人の男程度あるかないかと言ったところだ。俺の全力を込めた拳を、後ろから走ってきて掴んで完全に止めるなんてできるはずがない。

「如月殴ったら、殺すよ?」

 その表情は、今までの少女のものとはまるで違っていた。そこにあるのは、大いなる邪性だ。先輩が言っていた、黒い歩美。暴力性を明らかにしたその姿は、今までのような陽気さの中に闇を覗かせ、底の見えない深淵を宿している。

 次の瞬間、避ける暇もなく俺の頬を歩美の拳が打ち抜いた。速さも威力も今までとは桁違いのそれに身体が崩れ、そのまま床に倒される。受身を取ることも出来ず、俺は追撃で振るわれる容赦無い足の一撃を眺めることしか出来なかった。あんなものを腹部に叩き込まれれば、内臓破裂を起こして本気で死んでしまう。

 思えば、今まで歩美は必殺の攻撃をしたことがあっただろうか。コークスクリューパンチはあれとして、こちらを本気で殺すような攻撃は見られなかった。だが、今はまるで違う。歩美は、完全に俺を殺すつもりで来ている。

 まるで人が変わったようだ。俺が如月先輩本体を狙ったことが、歩美の逆鱗に触れたらしい。思えば、彼女はシュトラーフェ。主を守るのが武具だ。その意識は、在ってしかるべきもの。

「ばいばい、柊くん」

「ばいばいじゃねーよ」

 声が響く。それに合わせて床を蹴る大音が聞こえ、同時に凄まじい烈風が吹き荒ぶ。それは強引な方法で俺の身体を床に転がし、歩美の体勢を崩してみせた。事態はそれに終わらず、振り上げた足を地面に突き刺すことで風を防いだ歩美の下に、一人の少女が拳を固めて殴りかかる。

「げ、斧の人!」

 その姿を捉え、歩美が嫌そうな声を上げて拳を受け流し、少女――恋へと殴りかかる。恋も素早くそれに応じて拳を払うと、風を操って歩美を吹き飛ばした。シュトラーフェとしてはおそらく何らの魔術耐性を持たない歩美は、それを受け止めきれずに空へ舞い上がり、吹き飛ばされながらニヤリと笑う。

「やっるぅ~」

「空中で余裕かましてる場合――あ?」

 不意に歩美が姿を消す。その突然のことに恋の理解が追い付かず、呆けたような声を上げる。それでも恋はまだ余裕を見せている。彼女は、気づいていない。おそらく恋は、歩美が『識』の魔術で自身の姿を見えなくした、程度にしか感じていないのだろう。だから落下までの一、二秒に多少の余裕を見せている。

 違う。歩美はシュトラーフェだ。空中で姿を見えなくしたのではなく、術者である如月先輩が一時的に消し、再展開した。その如月先輩は、恋のすぐ傍に立っている。

「ごほ……っ!!」

 横合いから突如として現れた歩美に反応できず、恋はその拳を諸に受けてしまう。俺の時にも見せた烈風殺戮拳改めコークスクリューパンチが恋の頬を穿ち、ぶっ飛ばす。その威力は、俺を襲ったときとは比べ物にならないほど強力だ。

 しかし、どうしてだ。何故、これほどまでに威力が上がった。さっきまで手を抜いていたのだろうか。その可能性もあるが、何かが違う気がする。さっきまで在って、今無いもの。

「……そうか。俺たちの意識を操るために使っている魔力の全て、身体強化に回しているのか」

「全て、ってわけでもないけどねぇ~。ほら、ちゃんと女の子に見えるでしょ?」

 確かに歩美の姿は女の子のままだ。だが、今までのように殴る際に意識を操っていない。その分だけの魔力が攻撃に上乗せされ、さっきの爆発力を生み出したわけだ。

 しかし、今はそんなことよりも気にすべきことがある。あんな一発を受け、恋は無事なのだろうか。格好良く俺のことを助けてくれたのは良いが、思いっきり吹っ飛ばされた。軽く数メートル飛んだぞ。大丈夫か。

 身体の向きを変え、飛んでいった恋を見つける。女の子がはしたなくも大の字になって床に倒れこみ、ぐったりとしている。一発で昇天召されたんだろうか。そう危惧していると、ぐぐぐっと音が鳴るような感じでゆっくりと身体を起こし、恋は立ち上がった。その手に瞬時にアヴェルテレが生み出される。

「歩美、てめぇ……やりやがったなぁ!!」

 結構ピンピンしてた。

「うっそぉ、あれ食らって立ち上がれるのぉ!?」

 ホント、仲間の俺もちょっとビックリだわ。だが、おかげで歩美は恋とやりあってくれそうな雰囲気。正直、あの身体能力で来られたら俺はひとたまりもない。ここは恋に任せよう。今、歩美も如月先輩も恋に注目している。俺はゆっくりと床を這い、少しずつ少しずつ距離を取り、冷蔵庫の中を開け、チョコレートを拝借した。

 は、腹減ってやばい。さっきから空腹がピークだ。

 俺が腹を満たしている間にも、恋と歩美の戦闘が再開する。だが、二人が再び激突することはなかった。

 轟音が鳴り響く。それはこの地下全体を鳴動し、激しく揺さぶった。その常軌を逸した揺れにこの場にいる全員が動きを止め、同時に音の鳴った方向を見つめる。それは、エドガーの去っていた先、東堂の研究室があると思われる場所だ。一直線に伸びた廊下は暗く、先を窺い知ることはできない。だが、その先で何かが起こっているのは、疑いようも無かった。

「おいおい、どんな戦いしてんだよ、向こうは」

「戦い……そっか、先生の目的は果たされたのね」

 恋と如月先輩は対照的な反応を返す。恋は呆れたように、如月先輩は冷めたように。その言葉を受け、歩美が戦意を解いた。恋に向けて構えていた拳を下ろし、その姿が掻き消える。意識を操ったのではなく、如月先輩がシュトラーフェを解いたのだ。

「もう、戦う意味は無くなった。それでもまだやる?」

「戦う意味が、無くなった?」

 如月先輩の言葉を反芻し、その合間に気づく。先輩の戦う意味、その目的とは、全て東堂の目的の達成に起因する。それが果たされれば、当然、彼女が戦う意味もない。それはつまり、東堂の目的が達成したと言うことだ。

 東堂の目的――ハイリヒトゥム。それを手に入れたと言うことか。さっきの振動はそれによるものなのかもしれない。

「恋!」

「ああ、行くぞ、レイッ!」

 恋に声をかけ、お互いに頷き合い、立ち上がって奥の通路に駆け込む。しかし、俺の身体は思うとおりに動くことは無かった。その身体が疲労と傷で地面に崩れ、立ち上がろうとして膝がガクガクと震える。さすがに最後の歩美の一撃が聞いたらしい。思い出したように身体が痛み始め、俺は荒い息を吐いた。

 そんな俺を恋は一瞥し、舌打ちしてから行ってしまう。戦力にならないと判断したんだろうが、無駄な問答をせずに済むのは助かる。そこら辺の判断力は、なるほど自称プロなだけはある。

 しかし、どうしたものか。マジで立てない。立てたとしても走れない。本当にこのままじゃ、俺はただのお荷物だ。

「歩美! 歩美!」

「まだ戦うの、柊くん?」

 俺は、歩美の名を呼ぶ。今頼りになるとすれば、彼女だけだ。自律して動き、自らの意思を持つ彼女に助けを求める他ない。

「なんか呼ばれてばっかだなぁ。なぁに、柊くん?」

 俺の呼びかけに応じ、歩美はまた姿を現した。そこには、さっきまでの黒い歩美ではなく、ニコニコと陽気に振舞う白い歩美がいる。どうやら、怒りはその矛を収めてくれたらしい。好都合だ。俺は、わざと如月先輩を丸っきり無視し、歩美に向かって頼んだ。

「俺をあの奥まで連れてってくれ!」

「へ?」

「は?」

 如月先輩と歩美がきょとんとしたような声を上げる。それもそうだろう。さっきまで敵だった相手に助けを求めているのだ。そんな反応をされても仕方が無い。だが、別に無茶や無謀を通しているわけではない。これでも一応、勝算があっての頼みだ。

「歩美! ここにチョコレートがある。これをやるから俺を連れてってくれ!」

 さっき拝借したばかりのチョコレートを掲げ、俺をそう言った。その瞬間、如月先輩の瞳が異様な光を帯びたが、今は気にしないでおこう。たぶん、気づかれたと思ったが、気にしないでおこう。

「チョコ、レート……だと?」

「そうだ。チョコだ。君、好きだろ? 俺の頼みを聞いてくれたら、これをやる」

「チョコ……」

 ふらふらと幽鬼のように揺れ、誘われるように歩美が近づいてくる。かかった。これであそこまでの足を手に入れることが出来る。

 だが、その動きは如月先輩の一言で止まってしまった。

「歩美。行ったらダメ。先生に頼まれたのは時間稼ぎだけど、わざわざ不利になるような真似までする必要は無い」

「で、でもぉ……」

「行ったら、わたしの目的が果たせなくなる」

 如月先輩の厳しい口調に歩美は動きを止め、顔を俯かせてしまう。だが、おもむろに顔を上げると、振り返って先輩と向かい合った。その表情には、反抗的な色が宿っている。それは、さっきまでとは別種の反応だった。

「目的って、わたしを消すこと?」

 どこか震える声で歩美がそう尋ねる。それに対し、如月先輩は迷いなく頷いてみせた。そこに一切の温情もなく、冷たくきっぱりと切り捨てて。

「ええ、そうよ」

 歩美は、笑う。その言葉を受け、乾いた笑いを漏らす。その頬は、引き攣っているようにも見えた。

「なら、行く。先生止めなきゃ、わたし消されちゃう。さっき、如月が殴られそうになってるのを見たとき、死ぬかもって思って嫌な気持ちになった。あれ、わたしに振りかかるの? わたしも如月に嫌な気持ちを与えちゃう?」

「与えない。わたしはあなたに消えて欲しい」

 芽生え始めて持て余した想いを吐露する歩美に、如月先輩はどこまでも冷たかった。その冷徹な態度と歩美の泣き出しそうな様子を見比べ、さすがに何か一言言ってやらなければ気が済まなくなる。確かに振る舞いはうざいくらいだが、何度も如月先輩を助けてくれた子じゃないか。なのにその態度は、あんまりに過ぎる。

「先輩、いくらなんでも――」

「べーっだ! 如月の言うことなんて聞かないしぃ! チョコ貰ってわたし行くからねー!」

「は? え、ちょ、首ひっぱ――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 歩美が強引に俺の首を引っ張り、走り去る。その際、背後でぼそりと呟く如月先輩の声が聞こえてきた。

「殺す。絶対殺す。柊も殺す」

 ……チョコレートのこと、根に持たれたみたい。

 しかし、今はそれよりも――

「ぐ、ぐび、ぐびが……ッ!」

 歩美が襟首を引っ張るせいで喉が締め付けられる。そのことを訴えように歩美は俺の方を向いておらず、一心不乱に廊下を走るばかりだ。声が出せない以上、上手く意思も伝えられない。

 意思を伝える?

 俺は、傷を治してくれた先輩から黒いボタン状の何かを渡されていたことを思い出す。口頭での指示を簡略化するとか何とか言っていた代物だ。それを揺れる状態で何とか取り出し、手にとって眺めてみる。しかし、やはり使い方が見当もつかない。術具、なんだろうか。機械仕掛けの道具って風にも見えない。何らかの術具であれば、魔力を込めれば発動するはずだ。しかし、反応はなかった。

「そろそろ着くよ、柊くん」

「え? あ、ああ」

 とりあえずこの道具は仕舞っておこう。使い道が無さそうだ。

 歩美の言うとおり、首だけで振り返った先でより一層明るい光が見え始めた。薄暗い廊下を抜け、俺たちはその光の下に飛び込む。そこは、たくさんのモニタが並ぶ部屋だった。寝台があり、そこには少年少女が眠り続けている。しかし、俺の意識がそこに向けられるよりも早く、それは聞こえてきた。地を打つような轟音。地面を揺らすかつてないほどの大きな震動に身体が震える。その震動の大本は、どうやら部屋の奥にある扉の先らしかった。

「歩美、あそこは……」

「先生の部屋だね。何があるかは知んないよぉー」

 あの奥に、東堂拓馬がいる。そして、この戦いを知らせるような地響きと揺れ。まず間違いない。あそこで戦っているんだ。エドガーや恋、もしかしたら椿やカティさんも。

 拳を握り締め、大きく息を吐き出し、震える足に活を入れ、俺は歩き出す。よろよろと身体は頼りなく揺れ、正直このまま行っても足手まといな感は否めない。だが、あの部屋から流れ出してくれる濃密な気配が俺の不安を煽る。このままここに留まって皆の帰りを待つと言う選択肢を放棄させる。

「ひ~いらぎ、く~ん」

 だが、歩き出そうとした俺の肩に歩美が手を置いてくる。見れば、何かを催促するように手を差し出していた。ああ、そうか。俺はポケットから取り出したそれをそっと歩美の掌に置く。チョコレートの包装紙だった。

「これ、なぁ~に?」

「悪い。チョコレートは実は全部俺が食べた」

 言って、俺は全速力で走って逃げた。しかし、すぐに捕まってしまった。当たり前だ、走れないから引っ張ってきてもらったんだから。

 歩美は頬を引き攣らせたまま無言で俺を持ち上げると、あろうことかそのまま放り投げた。尋常じゃない膂力によって歩美と言うカタパルトから射出された俺は、そのまま吸い込まれるようにして開いた扉の先にある部屋へと転がり込む。

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