②
当初は重たい話を聞かされていた気がしたのに、最後の最後で酷い纏め方をされたものだ。結局、如月先輩が深刻な話をしたいのか、ふざけた笑い話にしたいのか分からなくなった。それでもさっき、シュークリームを奪われて歩美に殴りかかっていた姿は本物だ。その姿だけを見れば、なるほど食べ物の恨みは恐ろしく、それが長年の恨みとして積もり、結果としてシュトラーフェの消滅なんて言うクラティアとは思えないような結論に至ったのも分かる。
いや、そもそもだ。どうして俺は、如月先輩とこんな話をしているのだろう。
歩美によって立てないほどにボコボコにされた後、空腹もあってか甘味の欲望に抗えず、飛びつくままに如月先輩のシュークリームを貰ってから少しばかり。最後の一個を歩美によって奪われ、二人でお仕置きを敢行した後、何故か意気投合した末に歩美の普段の振る舞いに対する愚痴を聞かされ、そのまま流れるように過去話を聞かされてしまった。俺に何をどう受け止めろと言う。
だが、長々と話していたおかげで体力も回復してきた。歩美の姿を再び視界に入れてしまったのは失敗だが、腹も満たされたし、そろそろ行動を再開しよう。俺もいつまでもこんなところで無駄な時間を過ごしている暇は無い。
「それより先輩、いい加減、人の動きに合わせて進行方向を塞ぐのは止めてくれませんか?」
「ダメ。行かせない」
「先輩の目的と東堂の目的は一致しないと思いますよ。あいつが欲しがってるのはハイリヒトゥムみたいだし、シュトラーフェを消す方法なんてきっと知りませんよ」
「方法はある。先生のポシュシオンなら、わたしの変わったシュトラーフェも抑えられる。事が終わればそうしてくれるって約束した」
先生のポシュシオン――東堂のシュトラーフェこそ、やはりポシュシオンか。エドガーの精神まで汚染したその力をどう使えば、如月先輩のシュトラーフェを封じられるのかは知らない。しかし、それを条件に東堂と先輩は協力したと言うわけか。思えば、東堂が力を求めているからと言って他の人間も同じように力を求めているとは限らない。自身に利益があれば、目的は違えど手を組むのは良くあることだ。利益があると確信できる限り、如月先輩は引くことは無いだろう。ふざけた話だが、それだけの意思の強さも感じる。
だが、それはあくまで先輩の意思。ここには、それ以外の意思もあるはずだ。
「歩美! 歩美、いるんだろ!?」
「ふぁ~い、なに?」
俺の声に従い、歩美が姿を現す。その手にはチョコレートが握られており、美味そうに食べていた。
「あなた……また勝手に人のお菓子を……っ」
「にっしっし、さっきはスルメしか食べられなかったもーん」
怒る如月先輩の攻撃を躱し、歩美は俺の方へ近づいてくる。その後ろでは、如月先輩が怜悧な瞳で歩美を睨み付けていた。
呼んでおいてなんだが、如月先輩を怒らせるのは止めて欲しい。怒りの矛先を俺に向けられてまた殴られるのはご免だ。
「で、柊くん。なに?」
気楽な調子で聞いてくる歩美に苦笑を浮かべながら、俺はこのもう一つの意思に問いかける。如月先輩は確かにシュトラーフェを消したいと言っていたが、それは如月先輩の都合だ。彼女の力として在るこの少女の意思は、どうなのだろう。仮にも人格があるのであれば、消したいと言う願いに思うところは無いのだろうか。
「歩美は良いのか? 如月先輩はあんな風に言っていたけど、あの人は君を消そうとしているんだ。それでも良いのか?」
「消す? わたしを? なんで?」
こ、この子、話を聞いてなかったのか?
如月先輩の言っていたとおり六歳児なのだと実感しながら、俺は順を追って話してやる。さっき如月先輩が俺に話してくれたこととその目的。その行き着く彼女の未来を。歩美はそれを真剣な様子で聞いていたが、途中で頭を抱え始め、終いには呆けたようにぽかーんと目を点にし、最終的に俺の腹を殴ってきた。なんで?
「ぐぉ……なに、する……」
「難しい話はやめよぉーよ。それにどうでもいいじゃん、そんなこと」
「なに?」
本気なのか、と言う思いで歩美を見上げる。いくら話を理解できなかったと言っても、俺の言葉の全てが分からなかったはずはないのだ。しかし、自分が消えることに関して歩美は無関心を貫いている。その表情も、焦ったような様子や不安はまるで見受けられない。本当にどうでもいいと思っているのが分かる。
シュトラーフェだからなのだろうか。この死への、あるいはそれに準じた結末への無頓着さは、彼女が生物足り得ないからだろうか。
「わたしが消えるとか消えないとか、それって大事?」
「少なくともわたしの食べる分のお菓子は奪われない」
歩美の本質的な問いかけに、如月先輩は冷淡に返す。その言葉を受けても歩美は表情一つ変えなかった。
あてが外れた。如月先輩の話を聞き、その目的を知り、仮に戦わずともその点で押せば二人の仲違いを引き起こせると考えていた。だが、歩美は予想に反して自身の命へ執着しておらず、今こうして立ちはだかっている。
最悪だ。奪われた体力は戻っても、傷が治ったわけではない。未だこの二人を実力で退ける案は何一つ思い浮かばず、時間だけが無駄に過ぎていく。だが、まだだ。勝てる見込みは無いが、攻める手立てが無いわけではない。歩美にその意識が無いと言うなら、その意識を与えてやればいい。
「歩美。君には、したいことって無いのか?」
「したいこと?」
歩美が聞き返す。食いついた、とは思わない。そこまで楽観的ではない。ここからだ。ここからの話の持っていきようで全てが決まる。
歩美を見据える。真っ直ぐに見つめ、言葉を続ける。
「好きなことでも良い。なんでも、何か無いか?」
歩美は考えるような仕草を取り、しばらくして何かを思いついたように両手を打ち合わせた。
「あるね、うん。あるある、結構あるよぉ~。わたしね、遊園地って行ったこと無いの。それに水族館とか動物園も。行きたいわけじゃないけど、ちょっと興味あるね」
遊園地。水族館。動物園。まるで子供だ。子供が行きたい場所を適当に羅列しているようだ。実際、この子は六歳児。そんな願いを持ったとしても何ら不思議ではない。
彼女は、ちゃんとした望みを持っている。死んでいいと言いながら、一方で当然の欲求を兼ね備えている。
「他には?」
「ほか?」
「例えば、俺なんかはそうだな。今は腹が減ったから飯が食いたい。さっきのシュークリームをもう一個食いたい。あー、あとお金が欲しい、なんてまぁ、色々ある」
それだけではない。今は言わないでおいたが、妹を救いたい。ここを通りたい。色々だ。生きていたいと言う思い以前に、したいことは山ほどある。
「おー、なるほど。それならわたしもさっきのシュークリーム食べたいなぁ。あー、あとプリンも食べたい。如月の買ってくるプリンを食べたい」
「プリンは上げない」
プリンくらい上げろよ。だが、ナイスアシストだ、先輩。上げないと言えば欲しくなる。子供ならなおさらだ。先輩にそんなつもりは無いだろうが、知らずのうちに如月先輩は歩美の生への欲求を喚び覚ます手助けをしてくれている。
「もーらーう。次買ってきたら絶対貰うもんねー」
やはり、歩美は正しく理解していない。封じられると言う意味、それが一時的なものだと考えている。そこが穴だ。その穴を押し広げ、明確なものとする。
「「次は無い」」
俺と如月先輩の声が、意図せずに被る。しかし、その言葉に乗せた意味合いはまるで違う。終わりを告げる如月先輩に対し、俺は全く別の意思の萌芽を促す。
「何言ってんのぉ。このことが終わったら、プリン買ってもらうからねぇ~」
「あっそ。なら、さっさと終わらせればいい。柊くんに足を止める気は無いみたいだから、もう気絶させて」
「はいは~い」
ちょ、おいおい、待て待て。大して動けない俺を放置してくれるんじゃなかったのか。俺が喋る時間くらいは稼いでくれるんじゃなかったのか。くそ、またまたあてが外れた。これじゃ、歩美を説得するだけの余裕が無い。もう後一発か二発でも顔面に食らえば、意識が飛ぶ。仮にそうでなくても立てなくなる。
歩美が視界から消える。先のように血の動きで攻撃を見切ることは出来ない。どこを狙う。頭か、腹か。足は無いだろう。歩美が好んで殴ってきたのは顔か腹だ。その二択のどちらか。なら、顔を隠せば腹に来るのは間違いないだろう。しかし、今の俺では腹に受けても立てなくなる自信がある。
「れっぷーさつりくけーん」
――顔だ!
咄嗟にそう判断し、床を転がる。そのギリギリのところで拳が通り過ぎていく感覚があり、俺は額にかいた汗を拭った。歩美がアホな必殺技を出してくれたおかげで助かった。あの必殺技なら確実に顔面を狙ってくると判断できる。
「バカ。折角姿消してるのに攻撃のタイミングを教えてどうするの」
「あらら、ホントだね。まっ、いいじゃん。次当てるから」
気楽にそう言い、再び歩美が拳を構える。
次当てる、か。思えば、歩美は子供だ。それも十に満たない子供。知能は十六歳と同程度に振舞っているが、精神性はまるで違う。そんな子供が必殺技を避けられたらどう出るか。攻撃する場所を切り替えるか。いいや、違う。ムキになって殴りかかってくる。
「あ、あれ、また避けられた」
「何やってるの」
歩美の再度の顔面を狙った烈風殺戮拳を転がって回避し、俺は地面に落ちてあったそれを拾う。二度も攻撃を回避できたおかげで場所をある程度移動することが出来た。俺の手には、さっき如月先輩から渡された空のペットボトルがある。それをわざとらしく手に持ち、武器のようにして構えてみせた。
「ペットボトルで……戦うの?」
さしもの如月先輩も呆れ果てた様子だが、知ったことか。来るなら来い。ペットボトルの恐ろしさを見せてやる。
「歩美、止め」
「ほいさぁ~」
相変わらず気の抜けた返事と共に歩美が掻き消える。その姿も、足音すらも聞こえなくなる。先のように歩美の思考を読むことも出来ない。二度あることは三度あると言うが、歩美が正確に顔を狙ってくる可能性は低いだろう。かと言って腹を狙ってくると言うのも確証が無い。だが、歩美に殴られた箇所、順番は覚えている。そこからある程度、次の攻撃は予測できる。その予測をもとに行動する? いいや、それは無い。そんな不確定な情報を頼りに戦えるわけが無い。
だからこそ、俺はより明確な情報を頼りに戦う。
音が鳴る。待っていた。ぴちゃ、と何かが弾ける音。その動きに応じて波紋は広がり、揺れるようにそれは動く。
そこにあるのは、先ほど俺がぶちまけたペットボトルの水。血を流すために流したそれだが、同時に消されたシュトラーフェに対処するための布石になるかもしれないと思って蒔いていた種。シュークリームなどと言う戦闘時にあるまじき行為にわざわざ乗り、時間を稼いで体力を回復させたおかげで、ようやくその種を芽吹かせることが出来る。
これだけは、したくなかった。結果的にやりたくなかった暴力行為を行う羽目になるからだ。だが、そうも言っていられない。無駄な時間を過ごしすぎた。
跳ねる水音を捉えた瞬間、俺は一気に駆け出した。すでに濡らした床との距離感は定めている。歩美――いや、パペットドール本体の身長、全力で走るときの姿勢、利き腕。そこから判断し、走り抜ける場所を選択する。歩美は右利きだ。それに応じ、左脇を掠めるように一歩踏み出す。俺が反撃に出ると思っていない歩美がこれに対処することは出来ない。そのまま通り抜ける瞬間に肩をぶつけ、体勢を崩してやると、一気に如月先輩との距離を詰めた。
視界の先で先輩が身構える。武術の心得があるのかは分からないが、そのためのペットボトルだ。俺はそれを大きく振り被り、放り投げる――仕草を取った。その瞬間、先輩の身体が強張り、一瞬だが回避行動に走ってしまう。しかし、すぐに俺がペットボトルを放っていないと気づくと、その身体を咄嗟に引き止めてしまった。その行動が先輩の身体に一秒にも満たない停滞を促す。迫る俺に対し、僅かに反応が遅れてしまう。
ぶっ飛ばす――。
「どういう、つもり?」
「何が、ですか?」
俺の拳は、先輩の鼻先少しで止まっていた。止めてしまった。目の前の無感動に世界を眺める先輩の顔面を、殴り飛ばすことが出来なかった。




