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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第七章 開闢
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 零余をゲーム部屋に捨て置き、走って数分と経たず、エドガーはその場所に辿り着いた。長い廊下の奥の奥。上下左右に広く空間を取ったその場所は、天井に人工的な明かりを据え、部屋にいくつものモニタを置いた部屋だった。モニタには波形が並んでおり、そのモニターから伸びるケーブルが部屋にいくつもある寝台に繋がっている。その寝台の上には、見慣れた少年少女が安からな吐息を立て、長らく眠り続けていた。彼らは、連れ去られたあの時から変わらず、眠り続けている。エドガーが知る限り、一度も目覚めることはなかったはずだ。絶えず投与されている睡眠剤のせいだろう。そのことを思い、エドガーは罪悪感に胸を痛めた。この事件に大きな関わりを持ち、彼ら失踪者を浚ってきたのは、他ならぬエドガー自身なのだ。感情を支配されていたとは言え、完全に操られていたわけではない。いくらでも理性をしっかりと保てていれば、もしかしたら途中で自身の罪深さに気づけたかもしれないのだ。

 結局、カティに目を覚ましてもらえるまでは、エドガーは哀れな道化を演じ続けてしまった。

 拳を握り締め、そこにいるであろう男の姿を探す。そこは、全ての首謀者である東堂の研究室だった。あの男はエドガーの知る限り、ほとんどの時間をこの場所で過ごし、クラティアから得たデータを基に何かを調べている。だから今この場所にいるだろうと予測していたのだが、その姿は見えなかった。その代わり、人のいなくなった二つの寝台とどこか暴れたような形跡が見られる。すぐにそれがカティたちだと気づき、視線をさらに転じれば、部屋の端の方にある扉を叩く二人の姿が見えた。どちらも外傷はなく、カティにいたってはエドガーが付けた傷すら見られない。感謝するつもりは無いが、東堂が治したのだろう。

「カティ」

 エドガーは二人に近づき、声をかける。だが、エドガーは一つだけある事実を見落としていた。カティはともかくとして、椿はエドガーの変化を一切知らないと言うことを。

 エドガーが近づいてきたのを見た途端、椿のミュールが一瞬で展開し、その身体を押しのけた。急な逆方向からの力にエドガーは対処できず、その長身が大きく傾いていく。その動きを止めるものは無く、自重に任せたその身体は一気に床に叩きつけられた。さすがにエドガーは受身を取ってみせるが、椿のミュールはさらにその身体を押さえつける。立ち上がろうとするエドガーの身体を拘束するように上からの圧力で封じ込めてしまう。

「ふむ、動けん」

「つ、椿!? いきなり兄さんに何するのよ?」

「兄……さん? カティさんは、エドガーと呼んでいたはずでは……いや、それはどうでも良いです。それよりもこの人は、敵です」

 厳しい瞳で睨み付ける椿とは対照的に、事情を知るカティはどう説明したものかと思案する。簡単に兄は味方だ、と言って椿は信じるだろうか。いや、とその考えをカティは否定する。椿の目は、警戒心以外の何か、深い怒りを秘めていた。思い返せば、エドガーは零余を徹底的に叩きのめした張本人だ。怒らないはずがない。仮にエドガーが同じような目に遭わされて、その相手がカティの目の前に現れた時、カティも同じように振舞う自信がある。

(いや、自信があっちゃ駄目よね……)

 頭を振って考えを打ち消し、椿の説得を試みることにする。目の前で重圧で押し潰されそうになっているエドガーを見ていると、自業自得とは言えさすがに可哀想に思えてきた。

「椿、兄さんは味方よ。ミュールを解いて」

「味方?」

 カティの言葉を反芻し、椿の表情に迷いが表れる。それでもすぐにミュールを解かないのは、零余への仕打ちのこともあるが、何よりカティの精神状態を案じたがゆえだ。先のポシュシオンの一撃の際、カティは精神を操ると言っていた。そのカティの言葉を真っ向から信じるには、状況の重なりが悪く、またエドガーと言う人間への信頼も信用も椿は一切持っていないために安易に彼を解放することを渋ってしまう。

 今、ただでさえ時間に追われる状況なのだ。事情を知らないカティには分からないが、椿には東堂の言葉が大きく重圧として圧し掛かっている。開闢に至りたい、と言った男は、この部屋を去る際に最後の調整とも言っていた。それを鑑みれば、万が一でも敵を増やすような真似はしたくない。

「柊の妹、聞いてくれ。ここには、お前の兄も来ている」

 そんな椿の迷いを知ってか知らずか、エドガーは彼女にとって全てに代わる人間の名前を挙げた。その名前が出た途端、椿の顔色が変わる。一瞬にしてミュールを解き放ち、倒れるエドガーの胸倉を掴みかかった。

「どういうことですか!? 兄様が来てるって、なんですかそれっ!?」

「言葉通りだ。お前を助けるために、お前の兄がここに来た」

 普通なら、その言葉に喜んだのかもしれない。普通の兄妹なら、身を挺して身体を張ってくれる兄に感激したのかもしれない。

 だが、柊零余と柊椿は、普通の兄妹とは少しだけ違っていた。椿は強く唇を噛み、自身への怒りに打ち震える。

(私が……捕まったりなんかしたから……!)

 椿は、兄に助けてもらいたいとは思っていなかった。むしろ、来てくれるとすら思っていなかったほどである。自分の問題には自分自身で対処するつもりであったし、兄の救いなど期待しなければ、望んでもいなかった。何故なら、兄が自分を救いに来ると言うことは、兄の身を危険に晒すと言うことになるのだから。そんなものは、椿の望むところではない。

 椿の望む願いは、たった一つである。兄が無事で心安らかに、何の危険も無く、平穏に普通の人生を送ること。普通の学生のように学校へ行き、恋をして、幸せになってくれればそれで良い。それだけだ。それ以外は望まず、むしろそれ以外に染まることを嫌悪するほどである。

 普通であって欲しい。普通に生きて欲しい。三年前のその日から、ずっとそう思い、願い続けてきた。

 しかし、今、零余はこれからどんな危険が起こるか想像もつかないこの場所にいる。

 ギリッ、と音が鳴るほどに強く歯噛みし、椿はエドガーから手を離した。その表情は、立っているカティはもちろん、エドガーにも窺い知ることはできない。

「エドガーさん……カティさんが言うようにあなたは私たちの味方なんですか?」

 椿の発したその声は、恐ろしいほどに感情の篭らない平淡なものだった。

「ああ。ポシュシオンとか言うもののせいで精神を操られていたみたいだ」

「ポシュシオン? ちょっと待って、兄さん。それ、私も東堂に使われたわ」

「なに? 大丈夫なのか、お前」

「う、うん。別に変なところは無いけど。でも、あのシュトラーフェの力を受けたせいか、“爆轟の奏歌(アオス・ブルフ)”が出なくなったみたい」

 カティの言葉を聴き、エドガーは考える。ポシュシオンが東堂のシュトラーフェであったことは半ば予想通りだったが、その副次的な効果としてカティのハイリヒトゥムを抑え込んだのは驚きだ。その能力はある一つの強い意志を根幹に置いた精神の汚染、と零余は予想していたが、あるいはカティの何らかの意志に反応して機能した可能性がある。それが結果として“爆轟の奏歌”の顕現を妨げているのだ。

 エドガーには、一つだけ心当たりがある。だが、それを直接教えたとして、カティはそれを認められるだろうか。何故なら、カティは一度それを乗り越えたつもりになっているのだ。他人が指摘したとしても素直に認め、納得するかは分からない。それどころか、余計に混乱させる可能性もある。

(今は……良いだろう。それにここは地下だ。どのみちあんな力は使えん)

 そう結論を下し、エドガーは黙っておくことに決める。視界の先にいるカティは、不安そうにしてはいるものの、同時にどこか安堵しているようにも見えた。その自分の姿に、おそらく彼女は気づいていないのだろう。

 一先ずカティのことは置いておき、エドガーは再度周囲へ視線を走らせると、二人に問いを投げかける。この場には、ある一人の男がいるはずだった。

「二人とも、東堂はどこに行った?」

 二人は、無言で扉の先を指差す。硬く閉ざされた扉だ。素材が何かは分からないが、この二人が協力して傷一つ付けられていないところを見ると、生半可な材質ではないのだろう。エドガーは、そこに手を付き、指を滑らせる。それから手の甲で軽く叩くと、重たい響きが伝わってきた。相当な厚みがあるようだ。

「トラヴィアータで斬れるか……?」

 トラヴィアータの切れ味には、エドガーも相当な自信を持っているが、それでもこの厚い扉を切り裂けるかどうかは分からなかった。この地下へ入ってくる時に強引に突破したコロッセオの壁とは物が違う。しかし、何事も試してみるべきだろう。

 エドガーはトラヴィアータを顕現し、両手で構えると、大上段から振り下ろした。一刀の下に断ち切るつもりだったが、手に返ってくるのは重たい衝撃のみであり、目の前の扉にはかすかな傷がついた程度である。何度もやっても同じであることは、その些細な傷を見ればすぐに分かった。

「ふむ、強引には無理か。ならば」

 トラヴィアータを消し、今度は扉そのものへと干渉してみる。エドガーの魔術特性の一つは、『水』。それは、流動、変化に対して適応する性質を持つ。その力で以って扉そのものを変質させてみようと試みるが、それが上手く機能することはなかった。『水』の変化に対し、『地』の動きや変化に対して抵抗する特性の魔術で防がれたのだ。おそらく、この扉が生半可な硬さを持つのもそれが原因だろう。ただの厚みや材質の硬さのみならず、魔術によってすでにコーティング済みなのだ。そして、エドガーの干渉を防ぐほどの力を持つ者――東堂による仕業だろう。この建物自体、東堂が造ったものなのだ。その中でも特に頑丈な造りになっていると言うことは、もはやこの先に何があるのかは想像がつく。

 研究者が、念入りに守ろうとするほどの場所。当然、そこにあるのは、長年の研究成果に他ならない。

「どでかい金庫、と言うわけか。しかし、こうなるとどうにもならないな」

 視線をカティや椿に向け、何か案は無いかと目で訴える。しかし、二人とも案は無いのか、首を横に振るだけだ。まさしく八方塞がりである。

「いや、待てよ」

 エドガーは視点を変える。確かにこの扉には『地』の魔術によって強固な防御が為されているが、それはこの扉に限定されるのだろうか。少し場所を移動し、隣の壁を叩いてみた。音は扉ほど重くなく、こちらは普通の材質のように思える。もしかしたら、壊すか、あるいは突破することが出来るかもしれない。

 再度、エドガーは魔力を込め、『水』の魔術によって変化をもたらす。壁に変化を与え、結合を解き、穴を開ける。今度は大した抵抗も無く、壁は一瞬にして円形の穴を開けた。エドガーの指示した通りの仕上がりとなり、その先にある部屋の様子を覗かせている。

「あ、そっか。入り口とは別に壁を破壊すれば良かったわけね」

 エドガーの発想の転換にカティが感心したように呟き、

「多少、強引ですけどね」

 椿もまた、その腕前に素直に賞賛を覚えた。カティは椿の魔力制御に驚いていたが、エドガーのそれは椿以上である。

 二人を手で促し、エドガーは緊張感を滲ませた面持ちでその壁に開いた穴の先を覗き込む。しかし、そこにあるのは何も無い広大な空間だ。人工的な明かりと白を基調とした造り、と言うこの施設全体に共通するような概観をなしており、特に不審な点は見られない。奥を覗いた分には、東堂の姿も見えなかった。

 しかし、そこに頭を入れた瞬間、エドガーは肌を刺すような凄まじい魔力を感じ取る。思わず頭を穴から抜き、表情を強張らせるほどだ。一瞬だけだったが、まるでエドガーは巨大な壁にもぶち当たったかのような圧迫感を覚えたのである。

 ごくり、と唾を飲み込み、再度頭を入れる。だが、そんなエドガーの様子を不思議に思ったのか、 カティが先に頭を覗き込ませてしまう。その後の反応は、エドガーと似たり寄ったりだ。表情が固まり、身体全体を震わせる。

「二人のように中を覗かなくても……感じます、この魔力……」

 唯一、魔力察知能力の高い椿だけは、その場所からでも気づいてしまっていた。開かれた穴から流れ出す濃密な魔力。その人間とは思えないほどの力の質の高さに。これほどの魔力は、椿が考え得る限り一つしか無い。かつて、彼女はそれと同じものを感じたことがあるのだ。殺気や怒気といった人にとって脅威となる感情の矛先とは別の、ただそこにあるだけで大きく強く感じられてしまう力。大きなカリスマを持つ者は、そこにいるだけでその存在が大きく見えると言う。この魔力もそれと同じだ。魔力の大きさやそこに込められた感情の色ではなく、ただそこにあるだけで強烈な存在感の大きさを持つ。

「カティ、一つ教えてくれ。東堂は……何をした?」

「そ、そんなの、私にも分からないわよ。そう言えば、椿、さっき開闢って――」

 カティがそう言いかけたところで、さっきまで閉じていた扉が音を立てて開いた。まるで三人を招待するように開かれたそれは、何とも言えない怪しげな雰囲気を漂わせている。三人は咄嗟に目を見合わせ、相談を交わした。目の前の穴と開かれた扉、どちらが入るのが最良か。

「俺は、この開けた穴の方が良いと思う。あの開き方は怪しい。何かを誘っているようだ」

「でも、その穴入りにくそうだし。こっちの方が入り口としては普通じゃない」

「いえ、そこはどうでも良いんですけど……」

 冷静に突っ込む椿だが、二人は取り合わない。本気でどちらの入り口から中に入るかを議論し合っている。その似たもの同士の兄妹の姿に嘆息しながら、椿は二人に先んじて一歩、開かれた扉の方から中に入った。背後で慌てたようなカティの声が聞こえてくるが、追いかけてくる様子は無い。その代わり、隣の壁から顔を覗かせ、姿を現した。壁の穴から入る方を選んだらしい。

 椿が足を運んだ先にあったのは、先の空間と同程度の広さを誇る部屋だった。その部屋は、椿から見て真っ直ぐ奥に椅子だけがある。それもただの椅子ではない。電動マッサージのような深い背もたれの付いた、機械的な造りをした不思議な椅子だ。その椅子に腰掛け、頭に脳波測定器のような被り物を被った東堂の姿がある。

 東堂は、椿を一瞥し、それから次いで現れたカティに視線を向けた。しかし、そこには以前のように興味を抱いた様子は無い。感情の無い、極めて色の無い瞳だった。それを向けられた瞬間、椿は心臓を鷲掴みにされたような心地を覚える。思わず踏み出しかけた足を止め、干上がった喉に唾を流し込んだ。

「――相成った」

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