⑨
零余が流されるようにシュークリームを食べているなどとは露ほども知らず、体育館のようなその場所で、恋と契里直哉は死闘を繰り広げていた。
死闘、そう、まさに死闘である。ここ以外の浮ついた雰囲気など微塵も無く、そこに流れているのは間違いなく命をかけた激突だった。切り裂かれる肌も、流れる血も、全てが戦場を戦場たらしめ、武器を振るう両者の熱を上げていく。それぞれ性質の異なるシュトラーフェを巧みに操り、互いの隙を狙い、そこを突く。一進一退の攻防は、今のところ、魔力の結合を解くことの出来る契里直哉の方に分があった。彼のシュトラーフェによって、恋のアヴェルテレの攻撃は至近では通用せず、かと言って距離を取ったとしてももはや先の戦いのように衝撃波を受けることはない。距離を正確に見定め、恋の踏み込む位置によって契里直哉は戦い方を変えていた。恋が武器の攻撃半径より中に入れば、武器を地面に突き刺して格闘戦、恋が武器の攻撃半径より外に入れば、自ら衝撃波を避けられる距離に下がるか、あるいは距離を詰めてくる。そうかと思えば、隙を突いてのジェラルドでの刺突が襲ってくる。恋と戦うに辺り、いくつかのシミュレーションを重ねたのだろう。その戦闘方法は、恋の動きに合わせて変幻自在に対応していた。
アヴェルテレを捨て、唯一活路のある格闘戦を行いながら、恋はその動きに感心する。コロッセオで戦った時とはまるで違う。油断していない、と言うのも大きいが、やはり恋との戦いを想定して策を練ってきたのが大きい。不意打ちは通用しそうに無かった。
(だからこうして、面倒くさい真っ向勝負に出てるわけなんだけど……)
ジェラルドの効果半径は、武器を中心に半径一メートル。現状、契里直哉はそれを地面に突き刺すことで格闘戦を行っている。それは逆に言えば、場所さえ移動させれば契里直哉をそのジェラルドの効果半径から一時的に叩き出すことが出来るわけだが、彼は想像以上に格闘戦の能力も高かった。恋は幾度かその身体を放り出そうと試みているが、巧みに躱し、いなし、見事な対処で退けてみせる。コロッセオで三年間、戦い続けてきた実績の為せる技か。さすがに恋は、そろそろ認めなければならなかった。
「正直、舐めてたわ」
迫る拳を受け流し、返す刀で振るわれた蹴りも最小限の動きで見切って避けながら、恋はそう呟く。その間も契里直哉は止まらず、攻撃を繰り出してくるが、それが恋に当たることは無い。確かに契里直哉の格闘戦の腕は高いが、恋の技術はそれを上回っている。それでも自身にとって最大の隙となり得る投げ技を最も警戒している辺り、契里直哉は十分すぎるほどの強者と言えた。
「あぁ? それはこっちの台詞だろーが!」
「そっか。いや、でもホント。さっさと潰してあいつら追いかけるつもりだったんだけどよ」
話をする間を作るためか、恋は一歩で一気に後方に移動した。彼我の距離は約三メートル。即座に契里直哉はジェラルドを床から抜き放って距離を縮めるが、恋が続けて放ったアヴェルテレの一撃を避けるために横に飛ぶ。そうしてもう一歩、恋が後ろに飛んだためにさらに距離が開き、二人の間に膠着状態が生まれた。瞳を鋭く尖らせる契里直哉と、それを冷めた目で見据える恋。対照的なその姿は、あるいは二人の戦いへの心構えを表しているのかもしれない。
「てめぇ、急に手を休めてどういうつもりだ?」
契里直哉からすれば、先ほどまで一切攻撃の手を緩めなかったために、今の恋の姿が解せないのだろう。しかし、恋はどうでも良さそうに無くなったキャンディーを取り替えると、アヴェルテレを肩で担ぎなおす。彼女にとっての攻撃へ転ずるその構えには、しかし殺気がこもっていなかった。
「わっかんねーんだけどよ。そんだけの力があって、何で東堂なんかにシュトラーフェを進化させてもらったんだ?」
地面を踏み鳴らし、恋は率直に問いかける。それは、戦っていて恋が感じた疑問だった。契里直哉の戦闘技術は本物だ。技を磨き、力をつけ、更なる高みへと上ろうとする武芸者のそれである。それゆえに、安易な方法で力を高めようとする理由が分からなかった。もちろん、見境無く力を求めていると言う可能性もあったが、それを踏まえた上で恋は聞きたかった。
どうして、それほどまでに力を求めるのか、と。
恋には、零余にも言えることだが、力への興味は極端に薄い。それでも必要に駆られて実力を身に付ける必要があったために今こうして戦えているのだが、だからこそ自ら強くなろうとする契里直哉の原動力が分からなかった。あるいは、そこに一抹の興味があったと言っても良い。力への渇望は、恋の数少ない謎の衝動の一つだ。
「はぁ? んなもん決まってんだろ。強くなるためだ。エドガーを、他のグラディアートルをぶっ飛ばして、俺が頂点に立つためだよ」
堂々とそう宣言する契里直哉の姿は実に男らしいが、やはりそうした衝動は、女の恋には伝わらないものだった。不思議そうに小首を傾げ、納得しきれない表情で彼を見つめている。そんな彼女の姿に少しだけやり難そうにしながら、契里直哉は納得させる気も起きず、一歩踏み出した。一瞬にして恋との距離を縮め、ジェラルドによる攻撃に転じる。突きと見せかけた一撃で恋を左右に揺さぶり、それを確認してから恋の回避方向へ回転から薙ぎの一撃を加える。威力、タイミング共に完璧であり、ジェルラドの攻撃半径に入った時点ですでに魔術による防御も行えない。
捉えた、とそう契里直哉は確信した。
しかし、あろうことか恋は、その動きを読んでいたように回避した先ですぐに地を蹴ると、ジェラルドの刃先と契里直哉の中間地点付近で足を止め、片手でその柄を受け止めた。そのまま強く握り締め、離さない。無理矢理に引いてでも手放させようとするが、彼女が腕の力を緩めることは無かった。
今までに無い恋の力に額に汗を浮かべ、契里直哉は即座にジェラルドを消すことを選択すると、再び頭上に掲げて再展開しようとする。だが、それを狙ったように恋は一瞬でアヴェルテレを顕現し、その腹を打ち抜いた。インパクトの瞬間、その威力はアヴェルテレの能力によって増幅され、その身体が室内の端にまで吹き飛ばされる。その様を眺めながら、恋は一人ごちた。
「こんなもんを極めることの何が良いのかねぇ~」
今の一撃は、決して契里直哉が油断したわけでも手を抜いたわけでもなかった。ただ単純に恋が今までより速く動き、今までより強い力を込めたに過ぎない。そのために恋の動きをシミュレーションしていた契里直哉は、その急な力の増加に対処し切れなかった。結果、今のように吹き飛ばされたわけである。
恋は、この戦いが始まったその瞬間から手を抜いていた。本気でやるほどの活力も沸かず、その必要性も感じなかったからだ。男女呼ばわりされて怒りを見せていても、本気でやる必要など皆無だと高を括っていた。
だが、契里直哉は予想以上の動きを見せた。シュトラーフェの能力だけだと思っていた男は、その格闘能力も相当なものがあったのだ。それが恋の誤算を生み、結果としてわずかだが本気を見せる結果となってしまった。
(久々だな、本気で動いたの……)
首の筋肉を解すように頭を傾けながら、恋は再度アヴェルテレを振るう。容赦の無いその一撃は、吹き飛ばされた契里直哉に向けて放たれたものだ。だが、倒れていた彼は、目を見開くと、それをすんでのところで回避する。相当なダメージを負っているはずだが、見事な動きだ。その頑丈さに口笛を吹きながら、恋はアヴェルテレを消し、接近戦へと躍り出る。当たらないのなら、遠距離からの攻撃など意味が無い。それよりも負傷している今、そこに畳み掛けることの方が好機だと判断した。
「く、っそ……」
息も絶え絶えにジェラルドを放り捨て、契里直哉は防御の構えを取る。床に突き刺す体力も無いのだろう。恋は笑い、床のジェラルドを蹴り飛ばすと、返す刀で契里直哉のがら空きの足に蹴りを叩き込んだ。それだけで膝が折れ、防御が崩れる。その開いた防御の隙間を抜って頬を打ち抜き、衝撃で壁にもたれ掛かるのを利用して頭を掴むと、そのまま壁に叩き付けた。
「がは……っ!」
「まぁ、こんなもんだろ。で、どうする? さすがにこれ以上は続けねーよな」
「は……か、ぁ……な、めんじゃ、ねぇぞ……っ」
「そっか」
淡々と呟き、恋の拳が契里直哉の頬を穿つ。その勢いで彼の身体は床を滑るが、それでも必死になってジェラルドに近づき、握り締めた。それを支えのようにして執念深く身体を起こし、立ち上がる。異常なまでの戦いへの執着。勝ちへのこだわり。彼がしがみ付いているのは、生ではなかった。ただ、勝利することを目指していた。
恋は頭をかき、首を振る。分からなかったのだ。この男のその執着の意味が、まるで理解できなかった。勝敗は決し、これ以上続けても無意味だ。何か守るものがあるならその必死さも理解できるが、ここで契里直哉が負けても失うものは無いはずだ。仮に勝ったとしても、どの道エドガーと零余が東堂を討つだろう。ゆえにこんなところで必死になる意味が恋には分からない。東堂のため、と言うわけでもないだろう。そんな仲間意識が彼らにあるようにも見えなかった。
「なんでそこまで勝ちにこだわる?」
「あぁ?」
何をバカな、とでも言いたげに恋の問いを契里直哉は鼻で笑う。そんな質問に何の意味があると言外に語っていた。
「決まってんだろ。戦いってのは、勝ってこそだろーが」
「勝って? ああ、そっか。勝って、ね」
ふと、恋はその言葉で気づいた。契里直哉の見ているものと恋の見ているものがまるで違うことに。あるいは、生きてきた世界の違いと言ってもいい。その違いがこの認識を生み、恋を困惑させていたのだ。
思えば、恋はコロッセオを嫌い、適当に手を抜くような人間だったが、契里直哉は必死になってランク十五位にまで上り詰めた人間だ。思想が違うことは当たり前だし、戦いにかける認識も違う。
恋は、コロッセオの試合についてこう思っていた。命を懸ける意味もない下らない戦い、と。もちろん、コロッセオが死ぬことを許容しているわけではないが、零余のように大怪我を負う者もいる。わずかな成績のためにボロボロになって戦うなど愚の骨頂だ。そんなものは、本当に果たすべき任務の時だけで良い。
だが、彼らは違う。彼らにとっての生き甲斐、生きる場所があの戦場なのだろう。命を懸けた泥沼の底ではなく、武と武を競う闘争の舞台。立っている場所が違う。その華やかさも、何もかも。所詮、泥の底で生き抜いてきた恋には、舞踏会での作法など知らぬのも当たり前だ。
「知ってるか。戦いってのは、生き残ってこそなんだよ」
だからこそ、恋は自らの教えを目の前の男に説く。命果てるまで戦おうと武器を構える愚者に、上位者としての説法を行う。
契里直哉が笑う。その笑みは、戦いへの愉悦も多少はあっただろうが、それ以上に恐怖によるところが大きかった。今、彼の目には、殺気を宿す恋の瞳が映っている。それを一目見て、彼の身体は生への執着心を生み出し始めていた。
「は、はは……俺より年下のくせに、なんつー目ぇしやがる」
「悪いね。年下でも場数が違う」
言って、恋は拳を構える。ジェラルドのせいでシュトラーフェは出せないが、その必要もなかった。すでに恋の力と速さは、契里直哉のそれを越えている。身体性能で圧倒されている以上、技も策も意味はない。そもそも土俵にすら上がれていない者に勝利へ至る権利は無かった。
結果、当然のように契里直哉は打ち倒された。振るったジェラルドの一撃は紙一重で躱され、的確に人体の急所を突いた一撃が彼の身体の自由を奪う。動こうともがいてみても身体は言うことを聞かず、去っていく恋を追いかけることすらできない。その無言で去り行く姿が、契里直哉に懐かしい光景を思い出させた。
(ああ、そういや……あいつもあんなんだったな……)
もう、いつだったかも覚えていないような昔。契里直哉がこのフォルセティに入学し、自分の生み出したシュトラーフェに自信を抱いていた頃、彼はコロッセオと言う舞台で一人の男と出会った。
緋色の髪と瞳、凛々しくも鋭い眼光を持つ異国の男――エドガー・ブレイズフォード。その噂はすでに彼の耳にも広まり、その実力は校内でも知られ始めていた。しかし、契里直哉には自信があった。彼のシュトラーフェは相手の魔力の結合を消し飛ばす。どんな相手でも負けるとは思えなかった。
だが、負けた。完膚なきまでに叩きのめされ、地を這ったまま、彼は去っていくエドガーを見送った。その圧倒的な強者の背中、追いつき、追い越したいと思ったその姿を。
だからこそ、彼は力を願ったのだ。エドガーを、その先にある存在を、あらゆる者を上回り、もう二度と地を這う必要がなくなるほどの絶対的な力が欲しかった。だが、結局彼にはそこまでの才能は無く、たまたま出会った東堂と言う男の力を借りて歪に力を鍛えることしか出来なかった。そんな力でさえ、エドガーには届かず、年下の一年生にまで敗れ去った。
(俺、何してんだろうな……)
仰向けになって天井の光に目を細めながら、契里直哉は思う。もしかしたら、と。もし純粋に必死になって力を求めていれば、あるいは違う形で確かな力を手に入れられていたのだろうか。決してこの二年と少しの鍛錬を否定するわけではないが、それでももっと何か出来たんじゃないかと思わずにはいられない。もっと、努力できる部分はあったのではないか。
それは結局、過去への下らない後悔と知りながら、それでも契里直哉はそう思わずにはいられなかった。




