⑥
「如月……先輩」
恋と別れ、直線の通路を道なりに進んだ俺たちは、先の体育館に比べて一回り小さい部屋に辿り着いた。そこには、いくつかの液晶画面が置かれており、ゲームの類が種類別に並べられている。先の部屋を運動不足解消の体育館とするなら、ここはさしずめストレス解消の娯楽部屋、と言ったところだろう。今さらそれをエドガーに確認する気にもなれず、またそんな余裕もなく、俺は目の前に立つ二人の少女と対峙する。
眼鏡をかけた落ち着いた表情を浮かべる少女、如月先輩。
特徴的な三白眼を持ち、楽しそうに無邪気な笑みを浮かべる少女、歩美。
『識』の特性を持つクラティアであり、おそらく東堂以上に未知数な相手だ。戦い方を想定できないばかりか、気づかぬうちに意識を操られる可能性すらある。そんな二人が今、同時に俺たちの前に現れていた。ただでさえ厄介な特性を持つ相手が二人。これからの戦い方が一瞬も油断できないものになることは想像に難くない。
しかし、それとは別にして、俺は不可解な思いに捉われていた。目の前に見える如月先輩が、記憶の中のものとまるで別人なのだ。俺が出会った如月先輩は、もっと明るく、鬱陶しいぐらいに陽気さを振りまく人だった。だが、今の先輩はまるで違う。あの時の先輩を太陽と表するなら、今の先輩は月だ。歩美と言う太陽に隠れ、動じることなくそこにある。
「本当に、あの如月先輩?」
隣のエドガーに声をかける。しかし、エドガーには俺の質問の意図が分からなかったようだ。
「他に如月がいるのか?」
「そうか」
つまり、エドガーの知っている如月先輩はあの雰囲気で間違いないというわけだ。しかしそうなると、俺たちの前では演技をしてわざと明るく振舞っていた? いや、そんなことは今は気にかけるべきことじゃない。今、大切なのは、目の前には俺たちを足止めするように彼女らが立っていると言う事実。そして、先輩らを突破した先の研究室に椿たちがいる。
「柊、構えろ。あいつらを相手取るなら、お前のシュトラーフェが必要不可欠だ」
「分かってる。――“識者の叡智”」
手元に魔力を集中し、本となって現れたそれを手に取る。全てを看破するこの本には、未だ何の記述も現れていない。まだ、如月先輩たちは魔術を使っている様子はなさそうだ。これは幸いである。『識』の魔術は、何より前段階の準備が全てを決める。人の精神を操るのは、生半可なものではないのだ。手品師が巧みに人の意識を誘導するように、『識』の魔術もまた、人の精神や意識に方向性を定めることで初めて発動する。そうして一度術にかかってしまえば、それはさらに連鎖し、『識』の魔術は威力を増していく。最初は五感のうちの一つを、次第に二つ、三つ、四つと増えていき、最終的には五感の全てを操ってしまう。一度でも術にはまったら、終わりだ。
「気をつけろ、エドガー。俺の指示は全て反対の意で受け取るようにしろ」
「なに?」
「万が一、あんたの聴覚を支配されてもそれなら大丈夫だ。何々をしろと言えば、それをするな。するなと言えば、しろ。反対の意味で受け取れないようなら全て俺の指示じゃないと思ってくれて構わない」
「なるほど。分かり易い」
「ああ。行け、エドガー!」
さあ、恋に続いて俺たちも戦いの始まりだ。
だが、エドガーが動き出すことはなかった。ピタリと足を止め、一向に飛び出す気配はない。何をしているのだろうか。俺たちの陣形は、エドガーが前衛、俺が後衛であることは相談するまでもない。そのことに不満を抱くはずもないし、となれば何故足を止める? まさか、もうエドガーは敵の術にはまっているか。いや、“識者の叡智”にそれらしき記述はない。ならば、どうして――
「って、あんた! 行けって言ったから行ってないのか!? そこは融通を利かせろよっ!」
だが、エドガーは動くことはなかった。融通を利かせろ――融通を利かせない、の意で受け取ったのだろう。真面目すぎる。いや、本人はふざけているのかもしれないが、しかしこれだけ律儀ならある意味、相手に惑わされることないだろう。なら、俺は指示を変えるだけだ。
「行くな、エドガー!」
言った瞬間、エドガーは――動き出さなかった。
「ふむ。思うんだが、どうして俺がお前の指示を聞かなければいけないんだ?」
あれ、今そこを気にするの?
「そりゃ、俺の“識者の叡智”とあんたの実力を合わせて戦うには、俺が指示するしかないだろ?」
「それはそうだ。相手は『識』の魔術を扱う厄介な敵。なるほど、得心もいく。だが――お前の指示を聞くなど我慢ならん!」
「子供かっ!」
こいつ、ただの我侭で俺の指示を無視するつもりか。状況を理解していないのか。確かにエドガーは強いが、それは真っ向から打ち合った場合のみだ。変則的な戦い方を好む相手にトラヴィアータが有用に機能するとは思えない。特に意識を操る相手ならそれは顕著だろう。だと言うのに、この男は駄々を捏ねる。俺の言うことなど聞きたくないと耳を塞ぎやがる。マジか。
「そもそも、だ。俺たち二人でこいつらと戦うこと自体が分からん。今は一刻も争う状況だ。桜庭のように一人が戦えばいい」
「は? いやいや、何言ってんだ。あんたと如月先輩たちとじゃ相性が悪いだろ」
「ならお前が戦え」
平然とエドガーは言う。その言葉に冗談の様子は見られず、本気で俺に一人で戦えと言っていた。
俺はエドガーを見て、如月先輩たちを見る。彼女らは女の子だ。それに『識』の魔術を操る分、真っ向からの戦闘能力は高くないと見積もっていいだろう。おまけに俺には“識者の叡智”がある。相手の術にはかからないと言っていい。だが、如月先輩は三年生だ。真っ向からの戦闘能力が高くないとは言っても、俺よりも多くの術を習得しているだろうことは間違いなく、さらに言えば俺には一切の攻撃魔術がない。戦う方法があるとすれば、肉弾戦に限る。
殴る、のだろうか。あの如月先輩や歩美を。拳を硬く握り締め、あるいは本を鈍器のように扱って、あの柔肌に振り下ろす。駄目だ。そこまで思い切ったことが出来るとは思えない。これまでの人生、本気で人を殴ったこともないような人間だ。結局、契里先輩やエドガーに振るったそれも当たることはなかった。男でそれだ。女を相手にして、それが上手くいくとは思えない。感情論で嫌だと言っているのではなく、冷静な分析から結論を下す。
俺には、彼女たちを倒すことは不可能だ。
「いいか、柊。感情を封じられていた頃ならともかく、今の俺はそれなりに普通の感性を持っている。はっきり言おう。正直、女に剣を振り回したくはない」
「って、あんたもかよ!」
こいつもただ女子とやり合うのが嫌なだけか!
「あんた、コロッセオのグラディアートルだろ! 男女に関係なく戦ってきたんじゃないのか!?」
「女のときはなるべく手を抜いていた」
こ、こいつ……。堂々と真顔で言いやがった。いや、その心意気は男として敬意を覚えるが、今この状況で言い切られると情けないとしか思えない。しかし、俺たちの意見はこれで一致したと言うわけだ。
お互い、如月先輩たちに牙を向けることはできない。ならば、やることは一つだけだ。俺の本気、今こそ披露してしんぜよう。
「やるのか、柊」
エドガーが目を見開き、頬に汗を浮かべて俺を見る。俺が頷くと、まるで道を開けるように一歩横にずれた。その開いた道を進み、俺は真正面に立つ如月先輩たちを強く見据える。
「如月先輩、と歩美、だっけ」
「なに?」
「なにかなぁ、柊くぅ~ん?」
これは、出来れば使いたくなかった。こんなものを使ってしまえば、俺がどうなるか分からないからだ。だが、椿やカティさんを助けると言う目的がある以上、そんなことも言っていられない。
俺は、目を閉じ、深呼吸を一つする。ここからは、全てが一瞬だ。一瞬で決まる。
「頼みます――」
目を開き、俺は一気に膝を折った。吸い込まれるように膝が床をつき、流れるように両の掌が地面を叩く。額は振り子のように振り下ろされ、頭に走る鈍い衝撃と共に言葉を放つ。
「そこを退いてくださいっ!」
“座王”の勇姿をとくと見ろ。
「おぉー、土下座だ」
「土下座……初めて見た」
ゆ、勇姿を、とくと見ろ。
「ぶっちゃけ格好悪いね~、如月」
「ホントのこと言っちゃダメ」
ゆ、ゆう、ゆうし、を……。
「そうだ、如月! わたしの靴を舐めろって言ったら舐めてくれるかなぁ?」
「そうね。もしかしたら舐めるかも」
「舐めるかぁーーーーっ!!」
何が勇姿だふざけんな俺。ただの土下座じゃねぇか! 情けないよ、うん。はいはい情けない情けない。何が本気だ馬鹿野郎。
勝手なことを言いまくる如月先輩たちに怒りを爆発させ、俺は跳ね起きるように立ち上がる。いつまでもこんな下らないことはしていられない。さっさと奥の研究室に行くんだ。
隣では、エドガーが俺のことを見ていた。それからぷっ、と噴出したように笑い、慌てて顔を背ける。それでも肩が震えているのが見えた。俺は何も言わず、その尻を蹴り飛ばす。こいつの長身の頭を叩くのは毎度毎度ジャンプしないといけないから面倒くさい。
「とにかく、如月先輩たち! 俺たちはなるべく二人とは戦いたくない。そこを通してくれませんか?」
「いいよぉ」
「軽っ!?」
呑気に手を上げて歩美は答えると、何故か跳ねるようにスキップして俺に近づいてきた。思わず身構えるが、その雰囲気からは敵意をまるで感じない。そのままされるがままに腕を取られ、何故か引っ張られる。
「でも、行っていいのはエドガーだぁ~け。柊くんは、私たちとここに残ろう!」
「なるほど。よし、後は任せた」
迷いもせず、エドガーは走り去っていこうとする。俺は慌てて歩美ごとエドガーを押さえつけた。しかし、奴は止まらない。馬鹿力め。
「あ、あんた、俺をここに置いてく気か!?」
「大丈夫だ。見た限り、歩美に好かれているようだし、命までは取らないだろう」
「ふ、っざけんな! それに、歩美はともかく、如月先輩は了承してないだろっ! 罠の可能性が――」
「別に構わない。エドガーと組まれたらどの道わたしに勝ち目はない」
「だ、そうだ。去らば」
ふん、と勢いよく回転した遠心力で俺を振り払い、一目散にエドガーは駆け去ってしまう。如月先輩は言った通り、それを止める気はないようだ。横を通り過ぎるエドガーを一瞥もせず見逃してしまった。




