⑤
「うぅ、怖いよぉ。バッキーが実はあんなに恐ろしいなんて――へぇ」
如月の背中に隠れ、怯えていた歩美が不意に表情を変える。その目は細まり、愉快そうに唇を舐めた。
「先生、侵入者みたいですよぉ~」
「侵入者?」
「うん。パスワード三回間違えた末に扉切って中に入ってきたみたい。たぶん、エドガー辺りじゃないかなぁ。パスワード変えてないとでも思ったのかなぁ、ぷぷ」
歩美の口から発されたその名前にカティは目を輝かせ、椿は少しだけ表情を曇らせる。対照的なその反応に気づいたのは、この場では如月だけだ。だが、彼女は何も言わない。自身に関わりの無いことにまで突っ込んでいくつもりはなかった。
そんな二人の様子に気づかず、東堂は状況にどう対処すべきかを考えていた。彼の予想では、体育館辺りで契里直哉が出てくることは確実だろう。彼の性格や今いる場所を考えれば、それが一番しっくりくる。しかし、相手はエドガー一人と言うことはないだろう。そうなると、契里直哉では全員を足止めできない可能性が出てくる。
「如月くん、歩美くん、足止めに行ってもらえるかな? 僕は最後の調整に入ろうと思うよ」
「分かった」
東堂の頼みに如月は二つ返事で答え、歩美は何も言わずにその後姿について行く。部屋を出て行く寸前、椿を一瞥し、笑顔で去っていった。
二人が去ったのを確認し、椿はカティと目を見合わせる。状況が動き出し始めていることを知り、彼女らも自身らで動こうと決意したのだ。それに如月と歩美は、もうこの場所にはいない。彼女たちの力を封じる存在は、何も無かった。
「二人を行かせて良かったの? あなた一人で私たち二人を相手取るつもり?」
言葉も無く“爆轟の奏歌”を生み出し、カティは再度構えを取る。その隣に立つ椿も、いつでもミュールを展開する構えを取っていた。侵入者に対処すると言って如月は去って行ったが、そうなれば東堂を守る術はもうない。後は、単純な力勝負に持ち込めるのだ。
「好戦的だね。さっきは僕たちの思い通りにならないと言ったくせに。でも、一つ間違いだ。最後の調整と言っただろう? 君たちの相手をするつもりはないんだ」
「それは――」
「――あなたの都合です!」
視線を交し合い、カティを前衛に据え、椿が後衛に控える形で戦いが開始する。剣を握り締めたカティは、相手が丸腰と言うこともあって多少はやり難そうにしていたが、それでも迷い無く突きを放つ。狙いは致命傷を避け、内臓を傷つけないようにと肩を向いていた。仮に肩であったとしても、当たれば相手の片手を封じ、著しく戦力を奪うことが出来る。
しかし、それが当たることはなかった。
「ポシュシオン、出番だ」
東堂の言葉に応じ、東堂の足元に香壺が現われる。大きさはちょうど大樽を少し小さくような感じだろうか。不気味なデザインの施されたそれは、東堂を守るように立ちはだかり、思わずカティも足を止めてしまう。その急な登場はシュトラーフェに相違ないだろうが、その能力はまるで分からなかった。そのことがカティを足踏みさせ、攻撃の手を緩めさせる。
「迂闊に手を出さないほうが良いわね、やっぱり……」
しかし、奇妙なシュトラーフェである。カティも本型と言う攻撃とは無縁の形をした物を知っているが、この香壺は輪を掛けて奇妙だ。大きな壺であること以外、特に何の変哲も無いのである。まさか持ち上げて鈍器にするのか、と馬鹿な想像が過ぎるが、東堂にそんなことをする様子も見られない。ただ、そこにあるだけだ。
その壺の正体は、すぐに明らかになった。香壺の空いた穴からおもむろに何かが表れ出たのだ。それは、紫と言う異様な色をした煙である。煙は即座にカティの周囲に充満し始め、彼女は後方に飛んでそれから距離を取った。さすがにあの色の煙には、能力が分からずとも警戒を覚える。
「カティさん、気をつけてください。毒かもしれません」
「いや……それは無いわ。もしあれが毒なら、私たちどころか他の人たちまで巻き込む羽目になる。殺すような真似はしないはずよ」
冷静に分析しながら、カティは煙の動きを見定める。煙は香壺の周りを漂うばかりで、そこから広がっていくようには見られない。だが、その代わりに煙はどんどん増えていき、その密度を増している。その先にいる東堂の姿が煙の中にどんどん隠れていく。
「致死性の毒以外にも色々ありますし、ともかく油断は禁物ですが……あれは私が抑えます!」
「やっぱり、そうよね!」
煙は、香壺から広がっていかないのではない。何らかの力によって抑え付けられ、それ以上拡散することを封じられているのだ。それが何であるかなど、カティは今さら問う必要もない。何も無い空間に発生した見えない壁の囲い、どう考えてもミュールの能力である。
自身の力を封じられ、東堂は参ったとでも言いたげに肩を竦める。そこへカティが一歩で踏み込み、その喉元に剣を突きつけた。
「私たちを舐めすぎたわね。どうする?」
「ふむ、ミュールは凄いね。僕のシュトラーフェと相性が悪いことはもちろん、防御に加えて範囲を広げれば敵の攻撃、相手を覆うように展開すれば足止めまで出来てしまう。汎用性が広い上にその姿を目で追うことも出来ず、展開速度も早い。人間の速度では、発動に気づいてから逃げることは難しいだろうね」
危機的状況であるにも関わらず、東堂に焦った様子はない。向けられた刃に怯えることもなく、興味深そうにミュールを評価した。その能力や評価は、やはりカティの時と同様に的を射ている。東堂がミュールを見たのは、たった二度だ。それだけでミュールの力を言い当て、その有用な使い方まで言ってのけた。
(だからこそ……この状況に全然安心できません……)
それほどの強者がこれほどまであっさりと捕まるだろうか。それに東堂は、目で見て分かるほどに余裕な様子だ。虚勢を張っている可能性もあるが、それを信じられない程度には、椿の目はその身が纏い始めた濃密な魔力に気づいていた。
「さて、もう少しこの二つの力を見ていたいものだが、やはり僕には調整が必要だ。行かせてもらうよ」
踵を返し、東堂は去ろうとする。剣などまるで意にも掛けず、彼は二つの出入り口の内の扉のある方へ向かっていく。その瞬間、カティは一切の容赦を切り捨てた。迷わず剣を握り、必殺の突きを叩き込む。しかし、それが東堂の身体を貫く瞬間、カティの前にまたも香壺が現れる。今度の物は、先ほどの物よりも小さい。構わず、カティは香壺ごと東堂を突き刺すが、剣の一撃でそれが割れた瞬間、一気に紫の煙が溢れ出した。それは瞬く間に周囲へと拡散し、東堂はおろかカティすらも呑み込んでしまう。椿のミュールすら間に合わないほどの速度だ。さっきのものとは訳が違う。
(しまった……シュトラーフェを消してから再展開して……! それにこの拡散速度……さっきとは全然違います。私の能力を分かっていて、あえて最初に能力を低く見せてからミュールを誘い出した……!)
椿のミュールは、東堂の言うとおり煙を放つ彼のシュトラーフェとは相性が悪い。煙を放つ本体をミュールで抑えてしまえばそれで済むからだ。だからこそ、一番最初に分かりやすい形で巨大な壺を顕現し、ゆっくりと煙を出し始めた。それは同時に、見えないミュールの展開先を限定し、東堂へその位置を知らせる役目もあったのだ。それを確認し、カティの攻撃を誘い出す。同時にミュールの中にあった壺を消し、再展開した小さな壺を盾にすることで中身を割らせ、一気に煙を拡散させた。
ふざけている、と椿は思う。あの状況下、東堂の方に余裕があったとは言え、完全に手玉にされたのだ。おまけに最悪なのは、カティが煙を被っていると言う事実。あれでは、ミュールを展開してももう遅いだろう。煙の拡散は、椿の方にも広がっている。東堂の足を止めようにも、自身に迫るあの煙を第一に封じなければならなかった。
「くっ……カティさん、大丈夫ですかっ!? カティさんっ!」
広がる煙から身を守りながら、椿はカティへと声を掛ける。だが、煙に呑まれたカティは、椿に返答を返すことはなかった。いや、返すことができなかった、と言った方が正しい。
煙の中、カティは東堂の姿を探す。だが、まるで先が見えないほどの濃い煙だ。それどころか、足音すらも聞こえない。目も利かず、耳も利かない。それだけではなく、“爆轟の奏歌”を握る感触すら希薄になっていく。
(そうか……これは、精神を……!)
感覚が消えていくにつれ、カティの中で様々な記憶が巡っていく。楽しい記憶、悲しい記憶、それらの別なく様々な記憶が流れ過ぎ、その中で唯一、カティの頭をある出来事が埋め尽くす。
燃えていた。全てが燃えていた。思い出の場所が炎の大蛇によって飲み込まれ、世界全てが燃やし尽くされていく。兄と共に剣を磨いたその場所が彼女の生み出した炎によって包まれ、草木は燃え散り、木々は焼け倒れ、花々は吹き散らされていく、
その光景の中で、彼女は願った。
――こんな力はいらない、と。
次の瞬間、記憶の本流が弾け飛び、カティの視界がクリアになっていく。煙が晴れたのだろう。次第に感覚も戻っていき、気づけばカティは立ち尽くしていた。慌てて椿が駆け寄ってくる頃になってようやく我を取り戻し、自身に起こった事態を信じられない面持ちで振り返る。
「カティさん、大丈夫ですか!? カティさん!?」
「え、ええ、大丈夫。特に何もおかしなところは……あれ?」
心配する椿に曖昧に返しながら、カティは右手に違和感を覚えた。そこには、確かに“爆轟の奏歌”が握られていたはずだが、知らぬ間に消え去ってしまっている。だが、おかしい。カティにそれを消した覚えは無く、主の命令無しに勝手に消えるなどあり得ない。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。視界の先で東堂が扉の奥へと消えていき、その重たい扉が閉まってしまう。
「東堂ッ!」
叫び、扉へと近づくが、その扉が開くことは無かった。何度叩いても鈍い音が返ってくるだけだ。よほど硬い材質で出来ているのだろう。遅れて椿も扉を眺め、軽く風を操って攻撃してみる。だが、その扉はビクともしない。傷一つついていない。コンクリートに穴を穿った力ですら、まるで歯が立たなかった。
「なら、これで!」
カティは、右手に意識を集中する。“爆轟の奏歌”は、魔力を纏った炎の状態でも桁外れの攻撃力を誇る。それだけで鉄板を平然とへし折れるほどの力を持っているのだ。ゆえにそれを顕現し、この扉に叩き込む。そう計画を立て、“爆轟の奏歌”を取り出そうとするが、それが手元に現れることはなかった。カティの意識をまるで無視してそれは現れず、集めていた魔力も霧散してしまう。
「な、どういうこと!? まさか、『識』の魔術が――」
しかし、如月や歩美と言った『識』の魔術の使い手はもういない。認識を操られていない以上、“爆轟の奏歌”が出ないことはどう考えてもおかしかった。
そこまで考え、カティは、ハッとなって気づく、そう言えば、さっき煙による攻撃を受けたばかりではないか。身体に外傷はまるでないが、もしかしたらあれのせいで力を封じられてしまったのかもしれない。あの時、カティは記憶の中で見たのだ。力を否定する自分の姿を。
「ポシュシオンは……精神を操る……っ」
その事実はカティを驚かせ、同時に隣に立つ椿を戦慄させた。慌てた様子で扉に殴りかかり、何度も何度も拳で打つ。
「ちょ、椿! そんなことをしても腕を痛めるだけよ?」
「駄目なんです! そんな、そんな力がもし、もし、開闢に至ったら……っ!」
「開闢? それって――」
「とんでもないことになるかもしれないんですっ!!」
その芯に迫る叫びに、カティの表情もまた、戦慄に包まれた。




