⑥
一方の椿と言えば、少し恥ずかしさで頬を染めながら、ごほんと口だけで咳払いする。さすがに冗談が過ぎた。だが、おかげでほんの少しだが東堂の視線を逸らすことに成功した。今、東堂の視線と意識は完全に椿から外れている。
意識を魔力の制御に集中する。
魔術の発動は、二つの予兆があるとされる。一つは魔力の発光。これは込める魔力の密度によって大小の多寡があり、それを上手く使いこなすことで相手に気づかれずに魔術を発動できる。
もう一つは、発生した魔力による振動の検知。こちらは肉眼では確認できないが、クラティアならば目元に魔力を集中させることである程度は確認できる。もちろん、こちらも隠すことは可能だ。
だが、どちらも完璧に相手に気づかれずに行えるかと言うと、そうではない。注意している者、気を張っている者、実力で上回られる者。これらを相手取れば、上手くいく可能性はぐんと低くなる。そして今、椿の目の前にいる男は、確実に椿の実力を上回る存在だ。一目見て、彼女はそのことに気付いた。
(力を使っていないのに……濃密な魔力が身体を漂っていますよ……!)
肌が粟立つような気持ちの悪い気配。対人でこんな感覚を受けたのは、いつ以来だろうか。エドガーですらこれほどの畏怖は覚えなかった。今、椿の目の前にいる男は、紛れも無い実力者だ。そんな男を相手取ろうとしているのだ。多少の恥ぐらいはかいてみせよう。
次の瞬間、椿を拘束していたベルトが同時に断ち切られた。椿は、その魔力の発動を東堂はおろか、如月や歩美にすらも気付かせずにそれを行ってみせると、異変に気付いた東堂より早くカティの眠る寝台に飛びつき、一瞬にしてミュールを展開してみせる。それより少し遅れて伸ばした東堂の手は、ミュールにぶつかり、弾かれてしまった。
「いっ……!」
無造作に手を伸ばしたところで壁にぶつかったせいか、突き指でもしたのだろう。東堂は赤くなった指を見つめ、顔を痛みで顰める。そこにあるのは、椿の感じた恐怖を笑い飛ばすかのような姿だ。だが、椿は決して油断していなかった。カティを後ろに寄せ、守るように立つ。ミュールは椿とカティを囲んだギリギリの形で展開され、その分だけ普段よりもさらに強度が上がっていた。易々と突破されるようなものではない。
「あーちゃー、如月。先生、やっちゃったね」
「油断するからそうなる」
部屋の端の方では、如月と歩美が退屈そうに事態を見守っていた。事に対処するつもりはないらしく、動き出す気配は無い。そのことを好機と思えるほど椿は愚かではなかった。あれほどまで余裕を見せていると言うことは、それはつまりこの現状をどうとでも出来ると言う自信の表れに他ならない。
「私たちを……解放してください」
叶わないと知りながら、椿はそう尋ねてみる。返答は、やはり予想した通りのものであった。東堂は首を振り、それどころか何事も無いように自己紹介をし始める。
「僕は東堂拓馬。一応、フォルセティの教師をやっているんだけどね。君とは初めてあったかな? よろしく、椿くん」
「よろしくするつもりはありません。私たちをここから出してください!」
椿は歯噛みし、声を荒げる。自分の行為がこの男たちに何の影響も与えていないと言う事実に焦燥感を募らせていた。ミュールの向こうにいる敵は、椿の行動に何の興味も抱いていない。それどころか愉快そうにミュールの壁面を突き、おもむろに取り出した紙に何かを書き付けていた。椿の要求など、まるで聞き入れるつもりがないようだ。
東堂を睨みつけながら、椿は考える。この危機的状況下を切り抜けるにはどうすればいい。現状、一時的に拘束からは抜け出せはしたものの、椿がいるのは敵地のど真ん中。おまけに何も考えずに突発的に逃走行為に走ったせいで、この場所における情報もない。その点に関しては、完全に椿のミスと言えるだろう。拘束されている状態で出来る限りの情報を得た後か、あるいは東堂が一人の時を狙って逃げ出すべきだった。全ては、急にこんな状態に放り込まれて焦ったせいだ。状況も分からず、それでも危機からの逃走を第一に行動してしまった。
(兄様なら……もっと上手く、やれたんでしょうね……)
この場にいない兄の姿を思い出す。あの後、兄はどうなったんだろうか。椿の記憶は、コロッセオでの決着がついた辺りで途絶えてしまっている。その後、不思議な少女が現れ、知らずのうちに気を失ってしまい、気付けばこんなところだ。焦って逸る行動に出ても仕方ないだろう。
その時、椿は思い出した。この部屋にいる二人の少女の一人、三白眼を持つ少女である歩美の方は、椿を襲った張本人だ。つまり、恋が言うには『識』の魔術を扱うクラティアである。
(逸り過ぎました……最悪、です。ただでさえ危険な男が一人に、搦め手まで使う人もいるなんて……!)
せめてカティが起きていれば、と思い視線を送るが、起きる気配は無い。起こそうかとも思ったが、目の前の東堂から目を離すのが恐ろしかった。ミュールを突破されてしまえば、椿たちは終わりだ。
「君たちをここから出すつもりは無いよ。ああ、でも君がこのミュールを展開したままでいようとなんだろうと僕にはあまり関係が無いとは言っておくね。君たちに直接どうこうするつもりはないんだよ。必要なデータは、絶えずこちらで取れている」
「データ? まさか、このよく分からない波みたいなものですか」
言いながら、椿はすぐ近くにあるモニタを指差す。バイタルサインのほか、魔力波形も計測されているそれだ。
「そう。体内から漏れ出す魔力の波形を調べているんだ。カティくんのをよく見たまえ。まるで他のクラティアとは違う」
何故か東堂は、興奮したように話し出す。椿は、言われるがままに横目でカティの魔力波形を眺めてみるが、良く分からなかった。そもそも、他と違うと言われても他の波形を知らないのだ。比較対象も無しに見て分かるはずが無い。そのことに東堂も気付いたのか、部屋の中央に一際大きく備えられたモニタを操作し、そこに二つの波形を映し出す。
「上が一般的なクラティアのもの、下がカティくんのものだ。波形の最大値がまるで違うことは分かるかい?」
「……あなたと、そんな談義をするつもりはありません」
「そうか。じゃあ、一方的に話させてもらうよ。何せこれを始めると如月くんも歩美くんも逃げ出してしまうからね。君は、そこでミュールを展開し続ける限り逃げられないだろう?」
「く……っ」
椿の都合などまるで無視し、東堂は自分の世界に浸りだす。それを無視して、椿はカティの身体に付けられているケーブルに手を伸ばした。これが東堂の目的であると言うのなら、それを抜いてしまえばそれで済む。少なくともこの鬱陶しい話を終わらせられる。
だが、椿の伸ばした手がケーブルを掴むことは無かった。その手は急に椿の意思を無視して固まり、言うことを利かなくなってしまう。
「な……んですか、これ!?」
「言ってなかったね。君たちの身体には、すでに如月の『識』の魔術がかかっている。術を解かない限りは、ある一定の行動は封じられると思った方がいい。例えば、僕の研究の邪魔をする、とかね。ああ、シュトラーフェや魔力を使うことは大歓迎だ。それは良いデータになる」
「……だから、そんなに余裕しゃくしゃくとしているんですね」
納得し、椿は腕の力を解く。緊張と焦りで汗が浮かぶが、拭う気力も湧かなかった。東堂が言っていることが本当であれば、こうして椿がミュールを展開していること自体、何の意味も為さないのだ。考えてみれば、せっかく連れてきた研究素体をただの拘束だけで放置するはずが無い。相手はクラティアだ。その程度、いくらでも抜け出せるのは目に見えている。
『識』の魔術は、人の精神に作用する。椿の「東堂の研究を邪魔しよう」とする意思に応じ、術が発動しているのだ。これでは、この場所を抜け出すことはおろか、東堂に危害を加えられるかどうかも怪しい。
(打つ手無し……ですか)
半ば諦めた心地で張っていた肩の力を抜く。そうとなれば、無駄な行為は体力を消耗するだけだ。
それにしても、ここはどこなのだろう。見上げた先にはいくつかの照明があるばかりでそれ以外には何も分からない。部屋には無数のモニタと寝台が並んでおり、そこには眠りに付く少年少女が横たえられているのみだ。唯一、端の方に机があることを除けば、それ以外には何も無い不気味な部屋だ。
(寝ている人は……まさか、失踪者の人たちですか。そう言えば、彼らの狙いはカティさんでしたっけ。なら、どうして私を?)
順を追って頭を働かせてみるが、椿に上手い答えは見つからなかった。ただ、ジッと隙無く周囲を見渡し、何か情報が無いかと目を凝らす。そうしている内に諦観の念が過ぎり、椿はミュールを解いた。不可視の壁が消失し、一気に空気が流れ込んでくる。
「状況を理解できたのかな?」
「こうして無駄なことに力を使っている暇はない、と言うことは分かりました」
自身の眠っていた寝台に腰を下ろし、椿は東堂と向かい合う。何をしても無駄なことは自覚できたが、黙って身を差し出すつもりはなかった。その強い意志に東堂は笑みを浮かべ、内心で賛辞を送る。
やはり、素晴らしい。夢を追い求める者、励む者は素晴らしい。諦めた人間のなんと醜く、滑稽なことか。しかし、この椿と言う少女は諦めていない。未だ瞳には希望を宿している。
「いいよ。聞きたいことがあるんだろう? 無理に連れてきた侘びだ。何でも聞きたまえ。何せ、僕は先生だからね」
その言葉に歩美が爆笑し、如月がその頭を叩くと言う一幕があったが、今は関係ないだろう。
椿は、東堂の目をジッと見据える。その目に嘘は窺えない。椿に人の心を読み取る技術なんてものは存在しないが、それでも東堂が嘘や誤魔化しを言っているとは思えなかった。理由はただ一つ。何の利も無いからだ。ここで椿に嘘の情報を与える必要が無く、仮に嘘の情報を与えたいなら、わざわざ何でも教えるなどと言うのはむしろ逆効果になりかねない。
「なら、私たちがずっと気になっていることを一つだけ」
「何かな?」
「あなたたちの目的は、何ですか?」
失踪者事件の真相。その目的、わざわざ幾人ものクラティアを誘拐した意味。
椿は、ずっと少なくない怒りを抱いていた。失踪した人々には、家族や友人達がいたはずだ。その帰りを待つ者がいたはずだ。だが、彼らはそれを唐突に奪われた。帰ってくると思っていた人たちはいつまで経っても帰らず、今こうして、眠りについている。その事実すらも知らず、今も不安に押しつぶされながら帰る時を待っているのだ。
それがどれほど胸が張り裂けるほどに苦しいものか、椿は知っている。帰らぬ者を待ち続ける気持ちを知っている。だからこそ、恋がカティのレポートを手伝うと言った時、椿は迷わずそれを請け負ったのだ。
そんな気持ちを人に与えてまで、この東堂と言う男は何をするつもりなのだろう。
(もし……もし、ここまでのことをしておきながら下らない理由であったなら……私は、この人を許しません)
東堂は頷き、モニタを操作してある映像を映した。
それを目にして、椿は目を見開く。そこにあったのは、かつて椿が絶望と共に眺めた悪夢のような光景だった。
「開闢、と言うものを知っているかな?」
椿の驚く姿を満足そうに眺め、東堂は話し始める。彼の目的、その狂気の願いの全てを。




