②
コロッセオでの戦いから一時間、闘技場から備え付けの医務室に場所を移し、俺は先輩の治療を受けていた。エドガーに負わされた傷は想像以上に酷く、俺の全身を隈なく眺めた先輩が顔を顰めたほどだ。断罪の雨と言う脅威の技を受けていなかっただけで幸いと思っていたが、徹底的に振るわれた暴力が骨折した左手以外の骨も折っていたらしい。先輩が俺の身体に触れるたびに全身に痛みが発し、涙すら浮かんでくるほどだ。それでも激痛に耐え、先輩の掲げてくる治癒の光に意識を集中する。先輩が言うには、俺自身も負傷箇所に意識を向けることで傷の回復が早いらしい。正直、一刻も早く傷を治したい今、その助言は有難かった。
治療に専念するべくベッドに寝かされた俺とは違い、同じくこの医務室を訪れた恋とエドガーは、その一部始終を眺めていた。先輩は、エドガーを治療するつもりがないのか、悲しくもエドガーは自分で怪我の手当てをしていた。恋すらもやんわりと手当てを断っていたあたり、これも身から出たさびと言うやつだろう。それにエドガーの怪我自体は大して酷いものでもない。元の頑強さと身体強化の魔術がよほど高かったのか、軽い手当てでピンピンしていたぐらいだ。改めて、化け物みたいな奴と戦ったものだと思う。
そんな二人を除けば、治療に専念する先輩以外、医務室には誰もいない。元々治療自体は先輩一人で事足りると言うこともあったが、何よりそこで行われる話し合いに部外者を参加させたくないと言うエドガーと恋の言によるものである。俺としては、すぐにでも事の真相を学園側に報告し、然るべき対応で以って椿とカティさんの救出を行ってほしいところなのだが、それは恋によって断られた。何故、恋がそんな判断を下したのかは分からない。ただ、その真剣な表情が冗談の類とも思えず、俺は一先ずはその言葉に従うことにした。
そうしてあれから一時間。エドガーも恋も一言も話さない。エドガーは自分で行う手当てに悪戦苦闘していたし、恋は何かを考えるようにして咥えたキャンディーの棒の先端に手を当てたままほとんど動いてなかった。話すのは先輩ぐらいだが、その内容も治療のことばかりであり、俺たちの事情に踏み込んでくる様子は見られない。その静寂のせいか、外の廊下を慌しく走り抜ける足音が幾度も聞こえてくる。何を騒いでいるのだろうか、と少し考え、そう言えばこのコロッセオの闘技場や観客席の惨状を思い出した。おそらく、その修復に追われているのだろう。コロッセオは、ほとんど毎日ある。今日は特例試合を以って最後としていたが、普通の試合は明日も明後日も続くのだ。迅速な修復作業に取り掛かる必要があるのだろう。
しかし、静かだ。エドガーも恋も何かを話してほしいのだが、一向に口を開かない。俺としてはさっさと椿たちを取り戻す算段を立てたいのだ。それが自力であれ他力であれ構わない。その鍵をこの二人が握っていると言うのなら、さっさとその鍵で以って扉を開けてほしい。もちろん、自分で話を促すことも考えたが、無関係な一言に先輩は厳しかった。傷に触るから喋るな、と厳命され、終いにはハンカチまで口に詰め込んでこようとしたのでどうしようもなかった。
こうなるともはや治療に専念するしかない。その思いで一時間、黙って回復を待っているのだが、一向に怪我が治らない。明確な傷である骨折した左手や裂傷などは、元の通りに戻してもらったが、他にも内部の骨折箇所や裂傷、打撲、内部出血などなど複数様々な怪我が治りきっていない。思い返せば、先輩は椿の治療にも三時間近くを要していたのではなかったか。となれば、俺の傷も早々に治る見込みはないのかもしれない。
「せ、先輩」
「黙って」
声をかけてもこれだ。まるで応じない。だが、その真剣な表情を見れば、文句の言葉も出なかった。先輩は先輩で、俺のギリギリの命を繋ぎ止め、必死に治療してくれている。初め、この医務室で連れ込まれた俺を見たときの先輩の表情を思い返せば、どれほど危険な状態から必死に救い出してくれたのが分かる。
回復に身を任せ、俺は考える。喋ってはいけない分、出来る限りの考えは纏めておく。恋やエドガーも、もしかしたら同じ考えなのかもしれない。考えを纏め、それを話すための準備に臨んでいる。そうであれば、俺もぐだぐだと文句ばかりを頭の中に浮かべては入られない。一先ず、現状を再確認してみるに限る。
今、俺たちの直面している現実。それはもちろん、椿やカティさんが浚われたと言うことだ。敵の目的は不明だが、当初から狙っていたのがカティさんであることは間違いない。その点、何故、椿を狙ったかは不明だ。恋に詳しい状況を聞いていればいくつか考えも浮かぶかもしれないが、俺に分かっているのは、椿と恋が一緒だったときにあの歩美とか言う少女に連れ去られたと言うことだけ。仮にも契里先輩を圧倒した恋と、防御に関してはグラディアートルの攻撃すらも防いだ椿を相手取ったのだ。あの歩美とか言う少女、『識』の魔術を巧みに使って椿を連れ去ったのだろう。となると気になってくるのは時間か。恋が椿を浚われ、俺たちの方へ駆けつけてから遅れて歩美は現れた。その時、椿を抱えていなかったと言うことは、一旦椿をどこかに置いてきたか、あるいは誰かに手渡したか。これを踏まえて、もう一人の登場人物が見えてくる。それが契里先輩の言っていた如月先輩。カティさんを連れ去り、おそらくは歩美から椿を受け取り、どこかへ連れ去ったのだと思われる。
こうやって纏めてみると、敵の強襲がどういったものであったかが見えてくる。エドガーに勝った俺とカティさんを襲ったのが契里先輩と如月先輩のペア。椿と恋を襲ったのは、おそらく歩美。この歩美に協力者がいたのかは分からないが、とりあえずの敵の構成はこんなところか。
問題視すべき点はもう一つ。敵は、エドガーが裏切ることを読んでいた。いや、あれは読んでいたというよりは、分かっていたと言ったほうが正しい。
契里先輩の言っていた言葉を思い出す。
『 ポシュシオンの能力は対象の強い意志に起因する。それを奪われちまえば、精神汚染の力は消えるってわけか』
なるほど、エドガーが契里先輩をペラペラ喋るだの、ああいう手合いは困るだのと扱き下ろすわけだ。阿呆のように一々ヒントを落としていってくれた。その性格を考えれば、先日カティさんに話していたあの内容。夢がどうとかベッドがどうとかシュトラーフェがどうとか言っていたが、あれも真実である可能性が高くなってくる。それを裏付けるように先輩のシュトラーフェの能力は進化しているわけだしな。とりあえずそれは後に置いておき、今は契里先輩の言葉だ。
ポシュシオンの能力、精神汚染の力。ポシュシオンと言うのが何を表すかは分からない。真っ先に思い浮かべられるのはシュトラーフェだが、決め付けるのは早計だろう。とにかく、ポシュシオンと言うものがあり、それによって精神汚染が行える、この二点を踏まえておく必要がある。この事実は、エドガーの起こした反逆を裏付ける理由にもなっている。
エドガーは、契里先輩に言っていた。カティさんに負けた瞬間、スイッチが切り替わるように感情の方向性が一転した、と。その点と契里先輩の言っていた、ポシュシオンが強い意志に起因すると言う情報。カティさんとの戦いがエドガーからどう言った意志を奪ったかは分からないが、それが消えたことでポシュシオンの能力が消滅し、エドガーは人が変わったように俺たちの味方についた。
契里先輩たちは、あの戦いでエドガーが負ければ、ポシュシオンの能力が消える可能性が高いことを知っていた。ポシュシオンの能力は、それだけ不安定な能力だと言うことだ。
小出しにされていた幾つもの情報が線で結ばれ、様々な事実が浮き彫りになっていく。むろん、全てが想像の範囲内のことではあるが、これは有力な情報だ。敵が精神を操る可能性を持っていることを知っていることは大きい。
――と、これじゃあまるで俺が二人を助けに行くかのような物言いだな。相手は犯罪者の集団。俺の領分をすでに越え始めている。出来ることなら椿を助けたいが、俺よりもその能力に特化した人たちに任せるのが最善であることは目に見えている。俺に出来るのは、その人たちの助けになる知恵を作ることだけ。
「先輩」
もう一度、先輩に声をかける。治療に専念していた先輩は、またも顔を上げ、俺を半目で叱るように見てくるが、今度は俺も引かなかった。しばらく見つめあい、先輩の頬が朱に染まる。嘘である。
はぁ、と先輩は呆れたようにため息をつき、治療の手を止めた。その額にはじっとりと汗が浮かび、どれほどの力を込めて魔力を使い続けていたのかが如実に表れている。それを拭い取り、先輩はわざとらしく言う。
「ちょっと休憩」
それだけを言い、先輩は部屋を出て行った。別に部屋まで出て行く必要はなかったのだが、そこは先輩が気を利かせてくれたということだろう。相変わらず察しが良いというか、そう、あれだ。偉そうな言い方になるせいであんまりこうした表現は好ましくないが、「良い女」だ。
先輩が出て行ったのを確認し、恋がエドガーを連れて俺の傍に寄る。その目は真剣そのものであり、普段の気だるげな様子は見る影も無い。さっきは気づかなかったが、その姿はまるで別人だ。これが本当に俺の知っている恋なのか。
「そろそろ話もできるようになったみてーだな、レイ」
「ああ、何とかな」
挨拶するように手を上げる恋に応じ、まだ少し痛む身体に鞭打ち、何とか上体だけを起こす。恋とエドガーも備え付けのパイプ椅子に腰を下ろし、俺たちは話し始めた。




