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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第六章 幕間
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 燃え盛る炎の中で、妹が泣いていた。何度も何度も、ごめんなさい、とそう口に出して謝り続けていた。

 周囲を埋め尽くす破壊の嵐。吹き荒れる衝撃波の中で唯一、妹とその手に抱きしめられる自分、その周りにある空間だけがその害意に曝されていない。だが、それ以外はまるで地獄だ。何度も爆発の轟音が鳴り響き、圧倒的な熱の塊が周囲を舐め尽くしていく。爆風と衝撃波がその炎の範囲をさらに広げ、もはや取り返しのつかない事態になってしまっていた。

 その惨状を、ぼんやりとただ見ていた。身体は動かず、妹が落とす涙が頬に当たる感触だけが感じられる全てだ。それ以外は、何も感じない。何も思わない。

 炎に包まれるそこは、かつて妹と幾度も剣を交わらせ、汗を流した場所だった。互いに研鑽を積み、技を重ね合わせた場所だった。互いの夢を語り合った場所だった。

 その思い出が、炎で埋め尽くされていく。輝かしい未来の全てが、暴れ狂う炎の大蛇によって呑み込まれていく。

 妹が泣き叫ぶ。もうこんな力は使わない、こんな力は必要ない、と。

 その言葉を聞いて、ただ漠然と思ってしまった。自分たちの夢は、このままでは叶えられることはないのだろう。

 だからこそ、エドガー・ブレイズフォードは力を求めた。脅威の力を宿した妹を上回る力、その力で以っても傷つけられないほどの絶対的な力を。

 やがて、エドガーは予てからの夢を追いかける意味もあって、彼らの故郷を離れて日本の地に降り立った。フォルセティに入学し、そこでひたすらに努力を重ねた。一年にしてランカー入りを果たした後もそれは変わらなかった。血の滲むような努力を重ね、自分の前に立ち塞がる強敵の尽くを打ち倒してきた。それは、一般的な常識からは非道な戦い方であっただろう。だが、コロッセオという舞台での評価は百八十度違った。彼の力は、観客を歓喜させ、狂騒に駆り立てた。やがて付いた二つ名が“不可避の刃先(クラリーチェ)”。彼の力にピッタリな名前だったが、それに頓着することもなく、努力を怠ることもなかった。誰に褒められても、誰に認められても、彼は満足しなかった。

 力、力、力――彼がかつて見たあの脅威の力には程遠い。妹との大切な思い出の全てを?み込んで見せた大蛇の炎とは、比較することもおこがましい。だからこそ、力が必要だった。全てを打ち倒す、それが叶えられるほどの大きな力が必要だった。

 それは、クラティア・コロッセオの頂上――グラディアートルと言う場所に辿り着いても変わらなかった。未だ自分を打ち破る者は多く、六位という順序がそれを示している。ならば、それらを上回る力が必要だ。更なる努力と、それを超えた何かが必要だった。

 そんな折、エドガーは一人の男と出会った。枯れ木を思わせる生命力の欠けた男だが、瞳にはエドガーにも似た力への希求を覗かせていた。男は、力を求めるエドガーに手を差し伸べた。力が必要ならばくれてやろう、と悪魔のように囁いてみせた。だから自分のために手を貸せ、と。

 それから半年。エドガーは男の手足となって動き続けた。磨き上げた強大な力を用い、力を得るために必要だと思われるものを求め続けた。それは物でも、人でも変わらなかった。

 男には、仲間がいた。三人の仲間だ。どちらも男と同様、力を求める者たちだった。共に同年代ということもあって気兼ねはしなかったが、一方で仲良くもならなかった。三人の内の一人は、何故かエドガーに対抗心を燃やしていたし、もう一人は内心の黒さが透けて見える。最後の一人にいたっては、何を考えているのか分からなかった。牙をむき出しにする男も笑顔の裏に牙を覗かせた女も思考の読めない女も、そのどれもがエドガーには信用のならない存在だった。それはもちろん、彼と共に力を追い求める男も同様だった。

 初対面の時にあったその瞬間から、エドガーは勘付いていた。男の持つ危険性、内心に孕んだ野心の深さを。そもそもが力を求めているなどと口にする人間に碌な奴はいない。力とは、他者を傷つけるもの。それは妹が証明してくれたし、エドガーもそのために力を求めていたのだから疑いようもないだろう。

 力は、誰かを傷つけるためにある。他者を打ち破り、己の正当性を叩きつけ、敷き詰められた弱者の階段を踏みしだいて上るためにある。そんなものを心底から渇望する人間にまともな者がいるはずもない。

 だが、どうでも良かった。力が手に入るなら、男が何を望もうとどうでもよかった。彼らの仲間が自分を信頼していなかろうとどうでもよかった。自分が彼らを信用できなかろうともどうでも良かった。泣き叫ぶ誰かも、助けてくれと乞う何かもかも、等しく彼には何の価値もなかった。

 それがおかしいのだと、気づくこともなく。

 エドガーは、心の優しい人間ではなかった。端的に言って普通である。妹や家族に対する優しさはあったが、困っている人を進んで助けることもなければ、自身の身の丈を超える危険に進んで立ち向かう正義感もない。必要と不必要を見極め、より合理的な判断を下す。昔から勉強も運動もできる反面、子供らしさにかけ、冷静なその思考力が著しく幼稚な勇気と純真さを削ぎ落としていった。

 それでも彼は、屑ではなかった。外道でもなかった。助けて、と泣きながら差し伸べられる手に謝って返すことはあっても、嗤ってその手を振り払うことはなかった。優しくはなかったが、冷たくもなかった。善悪の基準を正しく持ち、その中で行動できる人間だった。

 それは、力を求めるようになってからも変わらなかった。非道な戦い方をしてはいても、倒れて動けない相手を担ぎ、医務室に運ぶ人間らしさはあったのだ。容赦はなくとも、スポーツマンシップは正しく守っていた。だが、全てはあの男と出会ってから変質した。知らぬうちに心の中に力を求める絶対的な欲望だけが渦巻くようになり、それ以外の感情は希薄になっていった。

 ある時、そんなエドガーに一人の少女が好意を抱いた。必死な面持ちで恋心を伝え、想いを打ち明けた。しかし、その朱に染まった頬も、不安げに揺れる瞳も、エドガーに何らの感慨も与えることはなかった。それどころか、彼はその少女に有用性だけを見出し、笑顔を浮かべることもなくその少女の告白に応じて見せた。喜色満面の表情ではしゃぐ少女を見ても、やはりエドガーは何も思わなかった。

 それから数日後、その少女はフォルセティから姿を消した。一日、二日、三日と経つようになって周囲は騒ぎ始め、警察が赴く事態となったが、学園側がこれを押さえつけた。ある理由から、万が一にも事が世間に広まることを恐れたのだ。同時にこれ幸いとばかりにエドガーの仲間である女がその同級生たちの認識を著しく薄めていった。彼女の得意の力で記憶を封じ、人の口に戸を立てた。噂は次第に収束し、誰もその少女の話題を表に出すことはなくなった。

 これが最初の失踪事件の被害者である。彼女は、エドガーとデートをしたその日から姿を消してしまった。

 誰がやったか、何があったか、それは誰しも想像が付く。だが、その張本人は一切の口を割らず、周囲もそれを追求することはなかった。次第に失踪事件は連続するようになるが、その対応は同じものだった。警察の介入を嫌った学園側は独自に調査を依頼し、それに合わせてエドガーの仲間が目ぼしい記憶を封じていく。世間一般にその事実が広まることも無く、学生側にも知られていないという奇妙な事態は、それからおよそ二ヶ月ほどは続くこととなった。

 そんな状況にあってなお、やはりエドガーは何も思わなかった。心は痛まず、ただ一心に力を求め続けた。何故なら、彼は失望していたのだから。

 二ヶ月前、少女を連れ去ったその帰り、彼は一人の少女と対峙した。かつて彼の妹として互いに刃を交え、剣を鍛え、切磋琢磨した懐かしい顔。彼と同じ緋色の髪を持ち、その一族の証たる紅玉の瞳を持つ勇ましい彼女。

 カティ・ブレイズフォードは、変わってしまった兄の姿を嘆き、怒った。しかし、その嘆きも怒りも、やはりエドガーには何も響かなかった。そのことに少しの違和感はあったが、エドガーにはどうでもいいことだった。そんなことよりも、目の前で妹が腑抜けた力を見せたことに憤激した。かつて自分をも?み込んだ炎の化身は、見る影も無いかがり火へと変わってしまっていた。

 こんなものを求め続けてきたのか。こんなものを超えようとしていたのか。

 その時のエドガーの落胆は、誰にも分からない。それでもエドガーは、その炎と真摯に向き合った。自身の持てる全て、磨き上げた技の全てを振るい、一部の容赦もなく打ち倒した。その結果、妹と呼んだ少女は、彼に恐怖を抱くこととなったが、エドガーには何の感情も湧き起こらなかった。実の妹に恐れられたというのに、彼は何も感じなかった。

 思えば、この時点で歯車はおかしな方向に回り始めていると気づくべきだったのかもしれない。噛み合わない意思と願い。そこに生まれた差異に目敏く対処すべきだったのだ。なのにエドガーは、何もしなかった。自分の心の内から目を背け、変わらず力を追い求め続けた。怪我を負って倒れた妹を思い、そこに眠り続ける本当の力との再戦だけを望み続けた。

 やがて、果たされたその戦いの中で、エドガーは見た。

 自身を呑みこまんとする炎の輝き。妹を怯えさせ、恐れさせたその力が、何より美しい緋色の輝きを灯していることを。

 それを一目見て、エドガーは気づいてしまった。自分たちを傷つけんとしたこの力は、決して彼が思っていたような破壊の力ではなかった。あの時、彼の思い出を呑みこんだその力は、その代わりに彼の宝物は守り続けた。妹を泣かせたのもこの炎だが、その妹を守ったのもこの炎だったのだ。

 超えられない、とそうエドガーは思った。この力を超えてはいけない、と無意識にそう思った。

 この炎は、自分たちを守った炎だ。救った炎だ。その炎を穿ってしまうということは、自分の守ろうとしていた宝物までも傷つけてしまうということに他ならない。

 だからこそ、カティとの戦いの最後、エドガーは敗北を望んだのだ。結果的に、そんなことを望むまでも無く、彼は実力によって打ち倒されたのだが、同時に、心にあり続けた力への渇望は泡と消え、代わりのようにかつて感じ続けていた想いがぶり返してきた。大切な妹を愛おしく思う気持ち。その成長した姿を喜び、微笑ましく思う感情。それとは別に自身が傷つけてしまった者たちへの罪悪感。妹を守り、自分と真っ向から戦ったある少年への敬意。

 波のような感情に押し流される中で、彼は薄っすらと理解した。

 自分は、あの男に操られたのだ。術中にかけられ、知らずのうちにいいように利用されていたのだ。

 ――許さない。

 あの男を、カティを連れ去った仲間を、絶対に許さない。

 痛む身体が癒えていく感覚の中で、エドガーは憤怒の想いをその瞳のように燃え上がらせた。

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