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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第五章 急転直下
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 契里先輩が姿を現した瞬間、俺は自分が何を忘れていたかを思い出す。

 エドガーとの激闘によってすっかり忘れていたが、俺とカティさんがそもそもこの男と戦うようになった全ての原因――フォルセティの失踪事件。そこに纏わる全て、俺は試合前まで危険視し、その動向を探っていたと言うのに、度重なる痛みとカティさんの成長の嬉しさの余り忘れてしまっていた。そもそもエドガーは、何らかの理由でフォルセティの学園生を誘拐していた張本人なのだ。そう考えれば、さっきの妙に友好的な態度も分かる。あいつは、俺たちがこの件について目を向けないよう、忘れたままでいるようにあえて崩した態度で接していたのかもしれない。でなければ、あんな風に親しみやすくなるはずがない。

 やられた。エドガーの言葉など無視し、さっさとこの場を離れるべきだった。少なくともカティさんだけは安全な場所へ移動させておくべきだった。

 今、俺もカティさんもまともに戦える状態にない。エドガーに勝ったとはいえ、そのエドガーにすら、明確な傷を与えているわけではない。顎を打ち抜いたことで脳を揺さぶり、動きを封じることには成功したが、それも時間が経てば治る。そこに契里先輩まで加われば、俺たちにこれを退ける力はない。

 こうなることは分かっていた。いや、予想していた、というべきだが、考えとしては確かにあったのだ。もし、エドガーではなく、俺たちが勝った場合、どうなるか。そしてエドガーに勝つ場合、高確率で何が起こっているか。エドガーに勝つことは、カティさんの“爆轟の奏歌(アオス・ブルフ)”による爆轟が起こることとほぼ同義だ。俺たちが本当にただの連携だけでエドガーに勝つことは数パーセントも無かったのだ。となれば当然、コロッセオが爆発による爆煙に包まれ、その威力を恐れた観客が一目散に逃げ出していなくなるなど誰でも予想がつく。

 その時、コロッセオは誰の目も届かない、格好の誘拐場所となる。俺の“識者の叡智(アルヴィスナハイト)”は、カティさんの安全圏の存在も見抜いていた。エドガーによる情報を得ていれば、契里先輩がそのことを知っていたことも想像できる。だから俺は、契里先輩の動向を探り、その動きを把握しようとと如月先輩の下にまで赴いたのだ。だが、結果としてそれは失敗に終わり、無策でこの状況を作り出すこととなった。

 俺たちは、エドガーに勝っても終わりではなかった。仮にエドガーを倒せたとしても、決してカティさんを狙う脅威が去ったわけではない。そのことを理解していたにもかかわらず、何の策も打てなかった。せめて勝利した瞬間に打てる手を考えていたと言うのに、それも俺のミスで意味を無くした。

 絶望感が胸に押し寄せる。しかし、不思議と諦めることはなかった。俺が見た緋色の輝きは、そんな絶望にも負けず、太陽のように暗闇を照らして道を見せてくれたのではなかったか。

「契里か」

 エドガーが契里先輩の名を呼ぶ。その声には、安堵したような色が見て取れる。やはり、こいつは契里先輩の仲間だ。

 カティさんが一歩で俺の前に飛び出してきた。守るように俺の前で両手を広げ、威嚇するように契里先輩を睨み付ける。その視線は、同時に倒れて動かないエドガーをも捉えている。

「契里、直哉……っ!」

「あぁ? おい、後輩。さんをつけろよ」

 眦を吊り上げ、契里先輩は声を荒げた。しかし、その声に反して顔は深く笑みを形作り、喜悦を滲ませている。その姿は、罠にかかった獲物をいたぶる加虐者さながらに舌なめずりまでし、何が楽しいのかゲラゲラと下卑た笑い声まで漏らしている。

 その姿に、俺は引っ掛かりを覚えた。確かに契里先輩は俺たちを襲った極悪人だ。だが、その本質はこんな下種であっただろうか。カティさんも言い表していたが、この男には戦闘狂の性質はあっても外道や屑ではなかったはずだ。だが、今の先輩の姿は、あの時とは少し違うように思える。その言動や態度だけではない。身に纏う雰囲気までも、あの時感じたものとは別格のものを宿している。

 張り詰めた空気が漂う中、エドガーはゆっくりと上体だけを起こした。それが精一杯だったのだろう。地面に座った体勢のまま、苦しそうにしながら契里先輩と向かい合う。おそらく、助けを求めるつもりだ。

「カ、ティ……さん」

 早くエドガーの意識を奪え、と俺は声を出そうとして上手く出すことができない。この時になって痛みと疲労がピークに達してきたのだ。はぁはぁ、と荒い息を吐き、せめてどうにかしてカティさんに指示を出そうとするが、身体は指一本動いてくれない。今のカティさんはエドガーに対して少なからず信頼を取り戻してしまっている。その安心感が、再びエドガーを敵として認識することに抵抗を与えているのだ。誰だってようやく取り戻した宝物をそう簡単に手放すなんてできない。確証の持てない今、カティさんは自らの決断でエドガーを攻撃できないでいる。

「兄さん……っ」

 歯噛みし、それでもカティさんは何も出来ないでいた。ただ、エドガーが契里先輩に手を伸ばすさまを後ろから見ていることしかできなかった。

 だが、結果としてそれは、最良の判断だったと言える。

「あ?」

 間の抜けた声を契里先輩が上げた瞬間、その身体に無数の針の雨が降り注いだ。エドガーの最も得意とする技――断罪の雨。その攻撃は認識する暇も無く、契里先輩の身体を串刺しにした。先輩は全身から血飛沫を上げ、愉悦に笑うその顔を絶望に染めてゆく。

 何が起こったのか分からない。ただ分かることとは、エドガーが契里先輩に攻撃したということだけだ。

 全身から大量の血を流して地面に崩れ落ちる契里先輩に向け、エドガーは感情のこもらない声をかける。そこには、仲間意識など少しも感じられなかった。

「都合が良い。契里、一つ聞きたいことがある」

「ぐ……あ……はは、容赦ねぇなぁ……。聞きてぇことだぁ……?」

 息も切れ切れに声を絞り出し、契里先輩は何とか立ち上がる。断罪の雨を受けてなお、その胆力には感服するばかりだが、それでも受けた傷は本物だ。足はフラフラと揺れ、全身から流れる血を止めた様子も無い。あのままでは、すぐにでも大量出血によって立つことすら難しくなるはずだ。

「ああ、一つ疑問がある。カティに負けた直後、俺の中で何かが切り替わった感覚があった。それこそ、まるでスイッチを押したかのような。今まで感じなかった――いや、かつてカティや他の者たちにも感じていた好意的な感情が不意に湧き上がってきた。同時に、その者たちにした仕打ちへの罪悪感も同等にな。……俺に何をした?」

 最後の問いかけは、怒りを押し殺したように搾り出すものだった。

 その問いに、契里先輩は笑う。それこそ、声を上げ、腹を抱えるように大笑いし出した。そんな笑いが出来るほどまともな状態でないにもかかわらず、先輩は涙まで浮かべて盛大に笑うと、それを拭い、大きく息を吐き出す。

「あー……あいつの力借りといて良かったぜ。それにしもて、なるほどねぇ。あの野郎の言ったとおりだ。ポシュシオンの能力は対象の強い意志に起因する。それを奪われちまえば、精神汚染の力は消えるってわけか」

 奇妙なことが起こる。契里先輩の姿が、まるで蜃気楼のように揺れ始めたのだ。ついに俺の意識が落ち始めたか、と思ったが、良く見れば揺れているのは契里先輩だけであり、エドガーやカティさんはしっかりと焦点が合っている。となれば、おかしいのは契里先輩だ。何が起こっている。

 俺の身体は動かない。だが、まだ魔力を練り上げる力はある。その力で“識者の叡智”を生み出し、それをカティさんに見える場所に放り落とした。俺の“識者の叡智”もまた、ある程度の距離なら自由に顕現させることが出来るのだ。

 突如として現れたそれに気づき、カティさんがこちらを振り返る。残る力で頷くと、俺の意思を理解したカティさんが慌てて本を手に取り、ページを捲る。そこには、すでに発生中の魔力の流れ、それに伴う魔術の構築理論までも書かれているはずだ。

「え、えっと……え、ええ? こ、これ、書き込みが凄すぎて理解できない……」

 し、しまった。そう言えば、一度椿にこれを見せたときも同じ反応を見せていた。俺はそう苦も無く読んでいるが、あそこに書かれている膨大な量の情報は、全て昔の魔法使いの暗号文字で書かれている。それだけでも読み取ることは難しいのだが、さらに書かれている内容が膨大なのだ。魔力の流れは正確な位置情報まで書かれているし、発生する魔術は理論だけで表されている。その効果もまた、同じく。慣れてない者、知識の無い者が一見して分かるような代物ではなかった。

 読みきれない内容に焦るカティさんの手からエドガーは素早くその本を奪うと、一気に目を通す

 そうか、カティさんならまだしも、三年のエドガーならまだ理解はできるかもしれない。

「使えん!」

「お前がな!」

 すげぇよ、声出たよ。体力の消耗が激しいのに突っ込みのためなら声が出たよ。

「なんだ、お前。声が出せたのか。なら、さっさとこれを読め。契里に何が起きている?」

「ぐ……む、ちゃ……いう、な」

 エドガーが放り投げてきた“識者の叡智”を受け取ることも出来ず、俺の顔面にぶち当たる。ただでさえ怪我でしんどいと言うのにこの仕打ち、いくらなんでもあんまりだ。

 しかし、本当にさっきの突っ込みがまぐれであり、今は声も出せない。俺の顔にぶつかった“識者の叡智”が運よく顔の横に転がってきたためにその内容は理解できるが、それを声に出して説明することが出来なかった。

 くそ、と珍しくエドガーが悪態を吐き、震える足に力を込めて立ち上がろうとする。だが、やはりカティさんに与えられたダメージが足に来ているのか、崩れるように片膝をついただけで、立ち上がれずにいた。額に汗を浮かべ、荒い息を吐いている。

「カティ、警戒しろ……。あいつは、何かがおかしい」

「分かってる」

 カティさんがエドガーの隣に並ぶ。その兄妹の背中は、不思議と頼もしく見えた。

 これなら、契里先輩でも倒すことが出来る。カティさんとエドガーが手を組めば、仮にこの傷だらけの状態でも十分だろう。

「ねぇ、エドガー。信じて……いいのよね?」

 かつては敵だと断じて見せたその口で、カティさんはエドガーへの信頼を口にする。エドガーは言葉無く、ただ頷いて見せた。当たり前のことを言うなとでも言いたげに、弁解の言葉すらも必要とせずに。

 炎が巻き起こる。全てを飲み込まんとする業火にしては、それは太陽の陽だまりにいるかのように暖かく、身体の寒気が消えてなくなるようだ。その暖かさに心休まりながら、俺はそこにある違和感を覚えた。何故か、カティさんの手元には“爆轟の奏歌”は現れていないのだ。すぐにそのことに気づいたカティさんは、何が起こったのか分からないと言った様子で固まってしまっていた。

「剣が……でない?」

「どうした、カティ」

「“爆轟の奏歌”の本体が……出てこない……っ!?」

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