③
絶えず続いてた爆轟が止み、暴れ狂うように闘技場を破壊し尽くしていた衝撃波の嵐がようやく収まりを見せる頃になって、コロッセオの観客席で防御に徹していた恋と椿は、示し合わせたように息を吐き出した。観客が逃げるまでの間、互いのシュトラーフェの力を合わせ、凄まじい威力の攻撃を真っ向から受け止め続けてきたのだ。その表情にわずかな疲れの様子を滲ませている。
額に浮かんだ汗を拭い、恋はすっかり溶けてなくなったキャンディーを新しいものに取り替えると、静かになった闘技場の方へ視線をやる。すでに戦いは終わったのか、もう爆轟が発せられることはない。それでも周囲を爆煙が包んでいるせいで中の様子は窺えないが、ほんの一瞬だけ緋色の炎の煌きが見えたような気がした。砂塵を突き破るように輝いたその光は、すぐに色を無くし、また煙によって中の様子は分からなくなってしまう。しかし、その力強く輝いた光こそ、戦いの最後の灯火だと何となく恋には分かった。
隣で疲れたように席に腰を落とし、荒い息をついている椿の肩に手を置く。ミュールを広域に渡って展開し続けたのだ。いくら恋のアヴェルテレによる支援を得ていたとしても、その疲労は相当なものがあるはずだ。
労うような恋の仕草に、椿は無理な笑みを浮かべてみせる。それでも満足した様子であるのは、兄の役に立てたからだろう。
「戦い、終わったみたいですね」
「分かんの?」
椿には、並々外れた魔力察知の力がある。その力を使えば、煙の中にあっても戦っている三人の魔力を追跡し、その感覚から戦闘中かどうかの判断は容易だった。
恋の問いに頷き、身体に活を入れて椿は立ち上がる。戦いが終わった以上、すぐにでも兄の下へ駆け寄りたいのだろう。
「兄様もカティさんもあのクソやろ――エドガーさんも魔力がすごく安定しています。ただ、動きがあるのはカティさんだけみたいですから、兄様たちが勝ったのは間違いないと思いますけど……」
どうやら、椿はまだエドガーに対してご立腹の様子である。
「んじゃま、レイのやつも結構酷い怪我みてーだし、さっさと医療班を呼んでやるか」
「そうですね」
椿が頷き、率先して観客席の出入り口に向かう。その姿を後から追いかけながら、恋はふと闘技場の惨状に視線を向けた。地面が大きく抉れ、敷き詰められた流血を吸収するための砂が舞い上がり、楕円に囲んでいる壁のところどころに陥没した痕が見られる。炎を伴った激しい爆発は、観客席近辺の鉄柵を壊すか、あるいは溶解させ、音速の熱膨張によって生まれた衝撃波がそれらを粉微塵に粉砕した。まるで爆心地のような――いや、恋の予想では、すでにその言葉が的確であると捉えている。ここは、爆心地だ。カティという少女の持つ力によって起こされた爆発の中心地。その力は、すでにシュトラーフェという物の枠外にあるのは間違いない。
(ハイリヒトゥム、か……)
シュトラーフェの原型となった、術者が自らの才能のみで生み落とすとされる武装。その力はシュトラーフェの数倍に及ぶと恋は聞き及んでいるが、それも納得のいく威力だ。いくらか力のあるシュトラーフェを見てきた恋でも、これほどの力はそう見たことがない。しかし、その圧巻の威力に比してムラがあるのも事実だ。逆に言えば、そこに成長の余地がある、ということなのだから恐ろしくも感じてしまうが、現状は危機意識を抱くほどのものでもないだろう。
ハイリヒトゥムの持ち主は、一般的に危険とされる。中には、その力を管理する必要があると訴える者までいる始末だ。恋はそこまでの極端な思想を持つわけではないが、その立場上、カティの力を正しく把握する必要がある。その恋から見て、カティの危険度はそれほど高くはない。もちろん、その力を完全に制御し、使いこなすようになればまた違ってくるのは間違いないが、現状ではむしろその力を使いこなせていないことの方が問題だ。
「レイにそれとなくカティの力を制御する方法を教えるように促すか。あいつなら良い助言、出すだろーし」
恋から見て、零余は身体能力は人並み以下だが、頭は切れる。判断力や知識も豊富であり、魔術に対する造詣も深い。もちろん、知識に力が追いついていない以上、理論的な説明しかできないだろうが、それでもカティほどの人間ならそれで十分だろう。
闘技場から視線を戻し、先を行く椿を追いかける。だが、不意に妙な気配を感じ、恋は足を止めた。まるで誰かに見られているかのような感覚がある。
この人気のない観客席は、当たり前だが見晴らしがいい。隠れる場所など見当たらず、この場に見えるのも恋を除けば椿一人だ。しかし、見られていると言う確かな実感があった。
(……勘違い、じゃねーよなぁ)
恋の魔力探知能力はそれほど高くはない。だが、気配を察知する力は本物だ。魔術と言う技術を超えた本能的な力。動物的感というのが正しいそれは、恋に脅威の存在を伝えてくる。しかし、そうなると恋には一つだけ疑問があった。何故、このタイミングでそんな感覚に触れたのか。今までずっと見られていたら気づかないはずがなく、となれば今この瞬間に見られ始めたということになるのだが、それは少しおかしい。今、この場には椿と恋は二人きりだ。そんな二人をこっそり眺めて何をしようというのだろう。
「椿、ちょっとそこ動くな」
「え? どういうことですか、恋さん?」
事態に気づいていないらしい椿にそれとなく目で合図を送りながら、軽くコロッセオを見回してみる。やはり、観客席には隠れられるような場所は見当たらない。だが、恋の中でふと考えが浮かんだ。確かに観客席に人の隠れられるような場所はないが、闘技場の方ならどうだろう。カティの力によって副次的に起こった煙が辺りを包んでいるあの場所なら、隠れることは可能だ。いや、それが当たっているなら、そもそも隠れているのかも疑わしい。
聞こえてくる。徐々にだが、カツカツと地面を踏み鳴らす革靴の足音。それはより明瞭な響きを伴い、一際大きな音を立てたところで、その姿を現した。
煙に包まれた闘技場から、高い塀を飛び越え、一人の少女が二人の前に姿を現す。フォルセティの学生服を着た、見慣れない少女だ。表情はやけに明るく、三白眼が椿と恋の姿を捉えた。その姿からは、まるで危険は感じない。登場の仕方がやや不気味ではあるが、陽気な微笑は愛嬌すらある。
だが、その少女が現れた瞬間、椿と恋は目の色を変えた。肌を突き刺すような強烈な悪寒に襲われ、すぐに臨戦態勢を取る。表情や仕草に敵意は見えずとも、そこにいるのは確かな脅威だ。本能的な部分で、椿も恋もそれに気づいていた。
「おー、いたいた。柊椿をはっけ~ん!」
ビシッと椿を指差し、少女はウインクしてみせる。そのふざけた様子に二人は取り合わない。無言のままでいる二人に少女は呆気に取られ、それから居心地悪そうに頬をかく。この沈痛な空気に耐え切れないのか、誤魔化すように笑みを浮かべると、ごほん、と咳払いした。それで仕切りなおすつもりなのか、今度は表情を改めると、指を椿に向けたまま言う。
「柊椿、わたしと一緒に来てくれる?」
「嫌です」
理由も言わずに発せられたその問いに、椿の答えは早かった。
がーん、と衝撃を受けたように少女は目を丸くし、慌てたようにまた咳払いする。やはり、それをすれば全て無かったことにして一からやり直しが聞くとでも思っているのかもしれない。
「ユー、わたしと来ちゃいなYO!」
「嫌です」
やはり、椿は即答である。
その瞬間、少女は声を上げて笑い出した。一人楽しげに笑い、バンバンと隣の鉄柵を叩いている。その拍子に半壊していた鉄柵の割れて尖った部分に腕をぶつけ、笑いが一瞬にして悲鳴に変わった。少し切れたのか、手を見つめ、ふーふー、と息を吹きかけている。
その姿に、少しだけ恋は緊張を緩めた。まるでアホの子供だ。
「うぅ、痛い。しくった。……まっ、いいや」
パンと両手を打ち合わせ、少女がニッコリと微笑む。その笑みは、さっきまでの様子とはまるで違っていた。陽気さや穏やかさと言ったものがまるでない。笑顔、と言うものが人の本質的な心の在り様を表すとすれば、それはただ口元を吊り上げ、目元を緩ませているだけだ。根底にある邪心が透けて見える。
「さて、冗談はほどほどにして……ねぇ、バッキー。わたしとぉ、来ぃーて?」
やけに間延びした口調で少女がそう言った瞬間、周囲の空気が色を変えた。比喩的な表現ではなく、現実に恋の目に映る世界が赤に切り替わったのだ。その突然の変化に多少驚きはするが、恋はさほどの衝撃は受けなかった。すぐに周囲へ視線を走らせ、状況を確認する。一方、椿は恋ほど冷静ではいられなかったようだ。
「……っ! な、なんですか、これ……!?」
理解が追いつかずとも警戒を解かない辺りはさすがだが、椿はかなり動揺しているようだ。安心を求めるようにコロッセオの出入り口の壁に手を着き、分かりやすいぐらいに目を見開いている。
「ここは、赤の世界。あなたたちは、私の世界に招待されたのでーす」
「っざけんな、ただの『識』の特性の魔術だろーが。ただの手品だ、気にすんなよ」
最初の方は少女に、後のほうは椿に向かって恋は声をかける。
あっさりとネタ晴らしされた少女は、途端に不満そうに唇を尖らせる。だが、やはりその顔を可愛いさなどまるで感じない。ぶりっ子していて苛立つ、と言うような意味ではなく、心の内に宿る黒さが如実に表れているのだ。少女自身、隠す気がないのかもしれないと思えるほど。
「『識』って、精神や意識に作用するっていうあれですか?」
「ああ。人数が少ないから使う奴もなかなかいねーんだけど、こいつはその一人ってわけだ。っても、全部がいきなりな奴だな。椿をどこに連れて行きたいんだよ?」
何故か少女が小首を傾げた。恋の問いかけは真っ当なものであるはずなのに、少女の反応は常人とはかけ離れている。何を言われているのか分からないと言ったように小首を二、三度左右に振り、急に真顔になると、心配するような声音で言い放つ。
「え、教えると思ってるの? 頭、大丈夫?」
ぶちっ、と言うような音がした。恋は、それが自分の中にある心の枷が外れた音だと気づいた。
「なんか知らねーけど……椿、さっさとレイたちに医療班呼んでやれ。こいつはワタシが相手しとく」
「こいつじゃなくてぇ、歩美でぇーす。ぴーす」
「うっせーよ! 聞いてねーよ!」
怒りのままに叫ぶと、歩美と名乗った少女がケラケラと笑い出した。その小馬鹿にした様子に恋の怒りが増長され、瞬時にアヴェルテレを顕現する。現れた身の丈を優に超える戦斧を両手で構えると、間髪入れずに攻撃へ出た。
歩美へと距離を詰めながら、恋は奇妙な気分だった。こんな風に怒りのままに攻撃へ出たことがかつてあっただろうか。戦いの中で怒りはしても、これほど直情的な行為に出たことはなかったはずだが――
「やっぱバカかなぁ? わたしの魔術特性が『識』って分かってたんじゃん」
その声が届くよりも早く、恋は気づいてしまった。自分が今、歩美の術中にかけられていたことに。
ふざけた言動と仕草、隠しもしない悪意、挑発的な物言い。それらを踏まえ、目の前を赤に染め上げることで『識』の魔術を展開して見せている事実。これらを総合すれば、恋が何をされたのかは見えてくる。つまり、知らない間に恋は、魔術と話術によって精神の方向を怒りへと向くように誘導されていたのだ。そのために歩美は挑発するような振る舞いを取り、魔術を使用してみせることで「他の魔術は使っていない」と思わせた。この視界を赤く染め上げる魔術の効果かどうか分からないが、赤色には人の獰猛な部分を刺激する作用もある。その全てを巧みに駆使して、恋を出し抜いて見せたのだ。
(くそ、このアタシとしたことが……騙されたとはいえ無警戒に敵に突っ込むなんて!!)
視界の先に見えていた歩美が掻き消える。いや、そもそも歩美と言う少女自体、最初からそこにいなかったのだろう。『識』の魔術を使って恋たちの視界から隠れ、その上で視線を送ることで警戒心を誘い、わざとらしく大々的に登場してみせる。あの時点からすでに、恋は彼女の術中に嵌っていたのだ。
足を強引に止め、恋は振り返る。そこには、意識を失った椿を抱える本物の歩美がいた。恋に今度は穏やかとも言える笑みを浮かべ、バイバイとでも言いたげに手を振る。その手には、先ほど見た鉄柵での傷などまるでない。あれも全て、その場にいると思わせるための嘘。
「っざけんじゃねぇーぞっ!」
未だ胸に宿る怒りのまま、荒々しい声を上げて恋はアベェルテレを振るう。ただ地面を打ったように見えたそれは、しかし一瞬にして観客席の地面を叩き割り、その衝撃波は一直線に歩美へ襲い掛かる。椿も巻き込んでの攻撃だったが、このまま連れ去られるよりはマシだと判断した。その強引とも言える攻撃に、さしもの歩美も顔に焦りを浮かべると慌てたように出入り口の奥へ走り去ってしまう。
「待ちやがれ!」
怒声を発し、恋はその姿を追いかける。だが、不意に感じたもう一つの気配に闘技場を振り返った。闘技場の方と出入り口の方を見やり、恋は瞬間的な判断を余儀なくされる。連れ去られた椿と、状況の追えないあの場所。普通ならばすぐにでも歩美を追いかけるべきだろうが、あの闘技場にある気配は尋常なものではない。あそこには、満身創痍の零余と力を使い果たしだろうカティがいる。もし、あれが彼らの敵であった場合、ここで判断を謝れば取り返しの付かないことになる。
(相手は『識』の魔術特性を持つ。アタシが真っ直ぐ追いかけても、さっきのこともあるし、欺かれるのは目に見えてる)
冷静に自身の能力を鑑み、現状から答えを出す。そうしなければ、恋の本来の目的すら達成できない可能性がある。
(それにこのタイミング……偶然とは思えねー。となれば、あそこにいる奴なら、椿がどこに連れて行かれたか知ってるか? ――よし!)
そう結論を下すと、恋は煙の舞う闘技場へ一気に飛び込んだ。




