②
これにて一件落着、か。大の字になって横になり、全てが丸く収まったことに安堵する。これで全て、カティさんの望みは叶えられたはずだ。己の力を乗り越え、兄と立ち向かい、その心からの気持ちを受け、和解した。巻き込まれる形となった俺だが、こんな結末なら苦労も報われる。
しかし、何かを忘れているような気がしてならない。駄目だ。頭が薄ぼんやりとしているせいで思考が纏まらない。何か重要事があったはずなんだ。そのために色々と考えていたはずなのに、エドガーとの激し過ぎる死闘がそれらをどこかへと置き去ってしまった。
しばらく考えるが、やはり答えは浮かばない。まぁ、後で思い出すだろう。俺はそう楽観的に考え、カティさんの施してくれる止血の魔術に身を任せた。特に身体の何かが変わった気はしないが、人から見れば今の俺の出血は完全に止まっているのだろう。かなりの血を流していたはずだが、一番酷い剣の傷からの出血も抑えてもらった。煙が晴れ、医療班が来るまでは保つはずだ。その間、余計に身体を動かさなければ。
「カティ、こっちへ来い。お前の方の止血は俺がしてやろう。身体は動かないが、簡単な魔術なら扱えそうだ」
カティさんは頷き、エドガーの傍に腰を下ろす。その横顔は、家族へ向ける気を許した緩んだものだった。
エドガーの右手を取ると、そこを中心に魔力の光が流れ、カティさんの身体を包んでいく。これでカティさんも心配はいらないだろう。それにしても、二人ともボロボロだ。勝ったはずなのに、エドガーが一番ダメージが少ないとはどういうことか。これでは勝ったなんて胸を張れるもじゃないな、と俺は一人ごちた。
そんな俺をよそに、距離を縮めたカティさんとエドガーがポツポツと何事かを話している。離れた時間と心の距離が大きすぎるためにまだ余所余所しい感はあるが、すぐにでもカティさん曰く仲良しだった頃に戻れるだろう。
「それにしてもカティ、お前と柊はもうそんな関係なのか?」
「え、か、関係? べ、別にそう言うわけじゃないわ。知り合ってまだ三日だし……」
「ふむ。それにしては距離が近すぎる気がしてならないぞ。兄として心配だ。お前、吊り橋効果で勘違いしているんじゃないのか?」
「何の話よっ!? 言っておくけど、兄さんは何か誤解して――」
「いや、さっきのお前の行動を見るに、決して誤解などではないと思うが」
「~~~~~~~~っ! バカッ!」
「おい、殴らないでくれ。痛い」
あれ、なんか普通に接しすぎてない。君たち、数十分前までは殺気の応酬すらするほどの険悪っぷりだったよね。
そのこちらの苦労を一瞬にして労ってくれるような光景に思わず笑みを零し、俺はふと今頃自分を心配しているだろう妹を思い浮かべた。この戦い、椿はずっと俺を見ていてくれただろうか。あれほどの仕打ちを受けて、怒りが危険な領域に達していないといいが。まぁ、一応、恋も呼んであるし、やばくなっていたら宥めてくれているだろう。
約束、守ったぞ。
心の中で、そっと椿に声を送る。本当は胸を張って堂々と言ってみたいものだが、それは後のお楽しみだ。しかし、それにしてもこの怪我どうなのだろうか。勝ちはしたが、まさか入院するような羽目になったりしたら、椿にどう言い訳したらいいか。クッキーの件、冗談めかして言ってたけど、本気だと思う。
「ちょ、ちょっと、柊くんからも言ってよ! 私たち、別に何でもないって!」
不意に声をかけられ、俺はカティさんの言うとおりにする。ただし、言葉を発することは辛いので、横に首を振っておいた。すると、何故かカティさんの表情が少しだけ曇ってしまう。言うとおりにしたのに不満気だ。立ち上がってこちらに近づき、何故か腕を軽く抓られた。痛いから止めて欲しい。
「二人見なきゃいけないから、エドガーの隣に運ぶわ。身体に力、入る?」
「ちょっと、だけなら……」
カティさんの肩を借りる形で立ち上がり、のろのろと移動してエドガーの隣に横たわる。顔をすぐ傾けた先にさっきまでの敵の姿があると言うのも不気味だ。おまけに何故か、俺の方を軽く睨んできている。何か怒らせることをしただろうか。
「柊、俺は認めん」
「……なにを?」
聞き返すも、答えは無かった。ふん、と何故か鼻を鳴らし、そっぽを向く。すっかり機嫌を損ねてしまったらしい。
訳の分からないエドガーを構う気にもなれず、俺はエドガーとは反対方向に顔をやる。そこにはカティさんがいて、ぼんやりと煙の立ち込める闘技場を眺めていた。“爆轟の奏歌”による影響は凄まじく、爆轟の力自体はすでに抑まっているにも関わらず、未だ煙が晴れるようには見えない。立ち込める粉塵が視界を遮り、日光さえほとんど届かないために薄暗さが強調され、ある種の不気味な感がある。
もしかして、自分の為した光景に今さらながらにショックを受けているのだろうか。考えてみれば、それは十分あり得ることだ。元々、カティさんは自分の力を恐れていたのだ。その力によって為された惨事を目の当たりにすれば、少なからず心に痛みを覚えても不思議ではない。
「カティ、さん」
そっと声をかければ、カティさんは我に帰ったようにハッとした表情を浮かべる。慌てて笑みを浮かべていたが、その不自然な様子が俺の予想を裏付けた。
ズキリ、と胸が痛む。やはり、俺のしたことは間違っていたのだろうか。
俺は、最低の所業をした。勝つために、カティさんを守るために、最低の決断を下したのだ。その結果、確かに勝てはした。俺たちも無事だ。だが、果たしてカティさんの心はどうだ。兄を救い、己の力を守るものと見られるようになったとしても、根本的な自身の力への恐怖を忘れ去れるとは限らない。こうして眼前に広がる破壊の痕を見てしまえば、尚更だ。
言っておこう、と俺は決意する。せめて彼女一人の決断ではなかったと、そう心に余裕を持てるように俺の最低の所業を口にしよう。その結果、嫌われてしまうかもしれないが、カティさんがまた傷を抱えるようなことになるよりはマシだ。
「カティさん、その……実は、さ」
「なに?」
どう話せばいいのか、少しだけ戸惑ってしまう。それは結局、俺の中にある迷いの表れだ。そんな迷いを、頭を振って絶ちきり、その事を口にする。
「俺がエドガーにボコボコにされたことだけど……」
「あ……ご、ごめん、兄さんが酷いことして。傷、痛いの?」
「いや、そうじゃなくて……その、わざとなんだ。いや、全力で勝つつもりだったのは間違いないんだけど。それでも、ああなることは分かってた。その上で、俺はエドガーにやられた」
「どういう……こと?」
カティさんが小首を傾げる。不審そうなと言うよりは、言っている意味が分からずに不思議そうな様子だ。その純粋な表情に胸を突かれるが、俺は痛みを堪え、はっきりと口にした。
「カティさんに、本気で戦ってもらうために……わざとやられてみせたんだ」
「…………………………」
カティさんが押し黙る。怒っているのだろうか。それは分からないが、それでも俺は言葉を続けていく。
「守る勇気を、持ってもらいたかった。それがあの時、勝つための最善手だったから。だからさ、カティさん一人のせいじゃない。このコロッセオの惨状は、その、俺のせいでもあるから」
そこまで言ったところで、カティさんが笑いを堪えていることに気づく。ぷくく、と漏れ出す音が隣からも聞こえ、見ればエドガーも表情を崩し、噴出していた。あんたはいい加減、親しみやすくなり過ぎてて気持ち悪いぞ。
「い、いきなり真面目になるから……くく、どんなこと、言うかと思ったら……っ」
「ふむ、あれだな。大方、柊はカティがこの惨憺たる結果を気にしているとでも思ったのだろう。ぷっ、笑えるな」
やばい、腹立つ。エドガーだけはマジで腹立つ。なんだこいつ、なんだマジで。
「別に私、もう自分の力を怖いなんて思ってないわ」
あっけらかんと口にし、カティさんが曇りない表情で俺を見つめる。その緋色の瞳の奥には、確かな強さと穏やかさがあった。恐怖も迷いも一切見せず、彼女の中で確かな何かが芽生えたことだけは分かる。
「確かに柊くんは、勝つために私が力を出さざるを得ない状況に追い込んだのかもしれない」
「うっ」
冗談めかして非難するようにカティさんは言う。悪気はないと分かっていても、やっぱり負い目を感じてしまう。
「でも、そのおかげで私も気づくことが出来たのよ。自分の力から逃げてばかりで、向き合おうとしていなかった、って。この“爆轟の奏歌”を破壊の力だと決め付けて、守るために私が願った力だってことを忘れてたの」
だから気にしなくていい、とカティさんは続ける。その表情は迷いが吹っ切れたように晴れやかであり、俺の心にあった申し訳なく思う気持ちが洗い流されていく。それに甘えていいものかどうか迷い、ならばそれは俺の中で決着をつけるべきものだと気づく。申し訳なく思うなら、カティさんに許しを請うのでなく、俺自身の気持ちを行動で移そう。そうだな、プレゼントなんて良いかもしれない。
不意に浮かんできた妙案にほくそ笑み、これからのことに期待を寄せる。そのためにも、まずはこの怪我を治さなければ。
その時だった。未だ晴れぬ煙の中、こちらへ向かってくる足音が聞こえてくる。それは徐々に煙の中にシルエットを浮かび上がらせる。医療班だろうか。煙の中を突っ切ってきてくれるとはあり難い。隣でカティさんが立ち上がり、おーい、と呼びかけながら手を振る。シルエットの影は、こちらに気づいたようで、真っ直ぐに向かってきた。その影が徐々に明らかになってくる。そうして現れた男に、俺もカティさんも凍りついた。エドガーでさえ、言葉を失っている。
「よぉ、言い様じゃねぇか。エドガー」
そこにいたのは、つい先日俺たちを襲い、このコロッセオでの試合を作る原因ともなった大本の元凶――契里直哉、その人だった。




