⑦
――なら、その判断は彼に任せればいい。
「来るぞ、カティ!!」
求めていた少年の声が聞こえてくる。信じていた。待っていた。必ず助けてくれると、分かっていた。
カティは思い出す。試合の直前、零余が話してくれた作戦を。
『これはもしかしたらの可能性の話だから、頭の片隅程度に残しておいてくれて構わないんだが』
『俺の予想の一つに、エドガーが左手を使う可能性がある』
『カティさんの動揺を誘い、判断を鈍らせるためにな。接近戦で拮抗し続ければ、いずれは使ってくるだろう』
『だけど、一方で本当に左手を使える可能性も残っている。だから、エドガーが左手を使ったら、俺の指示を待ってほしい』
『俺の力で真実を読み取る。本当に左手に剣があれば、俺は「来るぞ」と叫ぶ。使っていないなら、「気をつけろ」だ』
『後の展開は、さっきも言った通り。そうすれば、エドガーに勝つことができる』
全て、零余の予想通りだ。自分のためにボロボロになった少年を思い浮かべる。自分を傷つけないと言ってくれた。一人で戦わせないと言ってくれた。彼は、約束を果たしてくれた。
これほど頼りになる人を、カティは他に知らない。あれほどの怪我を負った状態でもしっかりと戦況を把握し、カティへ最高の好機を与えてくれる。
「ま、けない」
そのチャンスを、無駄にするわけにはいかない。
カティの身体が緋色の輝きを放つ。髪が、瞳が、その身体全体が炎へと変化したような、そんな錯覚すら覚えるほどの輝きに満ちていた。
カティは、“爆轟の奏歌”を強く握り締めると、ギリギリのところでエドガーの左手の攻撃を弾き飛ばした。エドガーの剣は、やはりあった。彼は本気で左手で剣を振るっていた。視界の先でエドガーが笑みを強めるが、カティもそのことには気づいている。エドガーの剣を払う勢いが強すぎたせいで、カティに大きな隙が出来たのだ。そこへ目掛け、エドガーが右手の剣を振り下ろす。
このままでは、カティは負ける。右手の剣は、迷い無くカティに狙いを定めている。
しかし、剣が届くよりも一瞬早く、“爆轟の奏歌”の放つ炎が壁のように広がった。それは、エドガーの攻撃からカティを守るような動きを見せるが、トラヴィアータはそれを易々と切り裂いてしまう。
(何故だ……?)
エドガーには、カティの真意が読み取れなかった。左手の攻撃に対し、瞬間的に正しい判断を下したことはいい。だが、何故、受けるのではなく弾くように威力を込めて“爆轟の奏歌”を叩きつけてきた。何故、今さらになって爆轟も起こさず、トラヴィアータを防げないことが明らかな炎を出した。カティが多少なりとも魔力の密度を高めようとも防げるものではないことは分かっていたはずだ。ゆえに今、カティが取るべき判断は、左手の攻撃に対して受け身に徹し、ギリギリで受け流して右手の攻撃に備えるのが正しいはずだ。今のカティは、それぐらいはやってのけるとエドガーは確信していた。その上で勝利への一手を用意していたのだ。最後の最後、彼はカティから距離を取り、“爆轟の奏歌”の安全圏内ギリギリから断罪の雨を放つつもりでいた。
しかし、決着は今、着いた。炎を切り裂いた先から、肉を切る感触が腕を通して伝わってくる。視界を炎に防がれているためにその先の光景は見えないが、そこに確かな人の存在を感じる。
(勝った……?)
エドガー自身、半ば信じられない心持ちだった。こんな勝利でいいのか、とすら思えてしまう。あれほど待ち望み、渇望したカティとの戦い。それがこんな拍子抜けするような結末でいいのだろうか。
そこまで考えて、エドガーは理解した。
(そうか、俺は――)
振り抜いた剣が肉を完全に切り裂き、空を流れる。燃え盛る炎のせいで未だ判断はつかないが、あの距離だ。どうあっても致命傷は避けられない。
(心のどこかで、カティに勝って欲しいと)
不意に気づいてしまった内心の想い。今さらのそれに自嘲し、エドガーはトラヴィアータを引き戻す。もう、引き返すことはできないのだ。こうなれば、後は当初の手筈通りに事を進めるだけだ。カティを研究所に連れて行き、全てが終わる。
だが、エドガーの手が剣を引き戻すことは無かった。まるで何かに引っ張られたようにびくりともしない。不可解なその現象に驚くのも束の間、視界を遮っていた炎の壁が一気に弾け、視界にようやく景色が戻ってくる。
そこには、鮮血に染まる妹の姿があるはずだった。
しかし、そこには――
「ば、かな……っ。お前は――!?」
身体中から大量の血を流し、息も絶え絶えの状態になりながら、それでも見えない空間に身体ごと飛びつく柊零余がいた。
意識が朦朧とする。
身体に力を入れるたび、骨が軋むようなに悲鳴を上げる。
満身創痍。まさにそれだ。すでに身体は限界に達しており、動かすだけでも精一杯である。足は確かに地面にあるはずなのに、その感覚も曖昧だ。ふとした拍子に生と死の狭間を行き来し、自分の生の実感が急速に失われていく。
それでも、この手だけは離さない。
ようやく出来た絶好のチャンス。これを逃せば、もう次は無い。
全身に活を入れ、疲労も痛みも度外視してそれを掴む。強引に触れたせいで腕は切りさかれ、またも傷が増えるが、そんなものに構ってはいられなかった。
時間が遅々として過ぎていく。後何秒、何十秒、この苦しい体勢で耐えればいい。すぐにでも力を抜いて楽になりたいという思いが蘇ってくる。
それでも、離さない。この手だけは、何があっても離すわけにはいかない。
俺は、声の限りに叫びを上げる。この声に彼女は答えてくれる。最高の結末を運んでくれる。だから、
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
緋色の輝きを纏う少女に向けて、俺は全てを託す。
視界の先にエドガーがいる。トラヴィアータにしがみつく零余を見て、理解出来ないといった様子が見て取れる。それはそうだろう。カティも最初、この策を聞いたときはあり得ないと思っていた。条件が限定的すぎるし、何よりその立案者が一番危険に晒されるのだ。
だが、今ならカティにも零余のことが少なからず分かる。彼は、この作戦にこそ勝機を見出していたのだ。異常とも言える先読みの果てに、この結末を思い描いていた。
『もし、エドガーが何らかのフェイントでカティさんの攻撃を誘ってきたとき、エドガーが俺の姿を追えないほどに切羽詰った状況であれば、わざと隙を作ってほしい』
零余の言葉通り、エドガーはカティの動揺を誘うフェイントを入れてきた。左手を駆使し、瞬間的な判断を必要とさせた。だからこそ、エドガーが左手で構えを取った段階でカティは気づいていた。先ほどまで“爆轟の奏歌”の安全圏にいたはずの零余の姿が忽然と姿を消していたのだ。しかし、カティに集中するあまり、エドガーはすでにその存在を意識から外してしまっていた。ある意味で追い詰められ、零余の姿を見失ってしまったのだ。
それを確認し、声を聞いた時点で、カティは作戦を遂げるべく動き出した。わざとエドガーの左手の攻撃を大振りの一撃で払い、これでもかとあからさまな隙を作って見せた。
『そこにエドガーは必ず必殺の一撃を仕掛けてくる。その時、カティさんはエドガーから自分が見えなくなるほどの炎を展開してくれ。自分を守るように見せかけてな』
零余の言に従い、カティはありったけの炎を展開して見せた。その炎は、エドガーからカティの姿を覆い隠し、それどころか一時的な光によってエドガーの視界を奪いもした。
『その一瞬の間に、俺がカティさんを引っ張って位置を入れ替える』
エドガーのトラヴィアータが炎を切り裂く瞬間、爆煙を突き破って傷だらけの零余が躍り出てきた。彼は、カティの身体を粉塵の中に放り込み、自身は迫る刃に備えた。
『エドガーが刃を引き戻す仕草を見せたときが勝負だ。奴は接近戦で決着をつけた場合、必ず剣を払う癖がある。俺がそれを無理にでも止めるから、その瞬間にカティさんは炎を消し去ってくれ』
(――その瞬間、私たちの勝利のチャンスは訪れる)
炎が姿を消した瞬間、エドガーは目を見開き、その動きを硬直させた。この勝利を確信した場面で、立ち上がるはずのない零余が目の前に現れたのだから、その驚きは相当なものだったのだろう。それでもすぐに硬直は解け、反射的に防御姿勢を取ろうとしたのはさすがだが、それは零余がトラヴィアータを懸命に押さえつけることで妨げられた。もし、ここでエドガーが剣を消し、再展開していれば、あるいはまだ勝負は分からなかったかもしれない。しかし、ここで生まれた一瞬の躊躇は、勝負を決定付けた。
舞い散る粉塵を掻き分け、カティはエドガーの懐へ潜り込む。完全に虚を突いたその動きに、エドガーの反応は間に合わない。
「ッ!?」
「私たちの、勝ちよ……っ!」
“爆轟の奏歌”を放り投げ、炎を纏う拳を握り締めると、問答無用でエドガーの腹部――その鳩尾を狙って叩き込んだ。エドガーの身体がくの字に折れ曲がり、口から空気が漏れる。それだけでもかなりのダメージだが、カティは容赦しない。今までの恨み辛みの全てを拳にこめて、止めとばかりにその顎をフルスイングで打ち抜く。
「エドガーの、バカァッ!!」
掠れ、涙交じりで上げた声は、カティが心の底から口にしたかった本当の想いだったのかもしれない。




