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綾なす燈花が歩む途  作者: トカゲの尻尾
第四章 爆轟の奏歌
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 カティは、目の前で繰り広げられる光景を見ていられなかった。唇を噛み締め、両足を叱咤し、少しでもそこから動こうと力を込める。だが、意思に反して身体は重く、彼女の言うことを聞いてくれない。エドガーに与えられたダメージが酷く、未だに完全に身体を動かしきるほどに回復していなかった。それでも身体に命令を放ち続ける。少しでも良い。少しでも早く、彼らの場所に向かわなければいけない。

 そうでなければ――

(柊くんが、死んじゃう……っ)

 エドガーと零余の一騎打ち。それは、誰しもが予想する形で終わりを迎えた。武術の経験も何も無い零余は、無謀な突進を繰り返し、そこをエドガーによって打ち倒された。初撃でトラヴィアータを防いでみせはしたものの、繰り出した拳を難なく避けられ、反撃として打ち込まれた腹部への一撃で昏倒してしまった。そこからは、一方的な暴力だ。エドガーは、トラヴィアータも使わず、零余を徹底的に痛めつけていく。その様は、もはや戦いと呼べるものではなかった。腕を折り、腹を蹴り、身体を地面に叩きつける。零余が血を吐き出し、全身を血に染めてもその行為は終わらない。何度も何度も、無力な少年の身体を殴り続けていく。

「エドガー……エドガーッ!!」

 カティの悲痛な叫びなど無視して、エドガーは攻撃を続けていた。言葉が通じるような相手ではない。それでも叫ばずにいられないのは、そうすることしかカティにはできないからだ。身体はまともに動いてくれず、エドガーに攻撃できる魔術も持っていない。炎の触手を放つにはすでに距離が離れすぎている。いや、エドガーがわざと距離を離しているのだ。徐々に徐々に、エドガーはカティから離れていく。その合間、エドガーはカティを一瞥し、挑発的な視線を向けるのだ。早く来い、と言外にそう言ってのけている。

(動いて……動いてよ……。動け……ッ!)

 必死に心の中で叫びを上げるが、その歩みはまるで意味をなさない。カティが一歩進むたびに、エドガーは二歩も三歩も距離を取るのだ。まるで零余の身体をサッカーボールのように蹴りつけ、地面を転がしていく。

 地面は、すでに真っ赤な血で染まっていた。零余の全身に付けられた傷が、血の道を築き上げていく。すでに零余は意識が無いのか、蹴られてもほとんど反応を示していなかった。声すら上げず、されるがままになっている。

 死ぬ。本当にこのままでは、零余が死んでしまう。

 救いを求めるように周囲を見渡すが、この闘技場でカティを助けてくれるものなどいるはずがない。それどころか、周囲にいる観客は更なる熱狂に身を任せていく。エドガーの非道な所業を前に、しかし彼らはその様子を痛ましく思うことも無く、盛り上がっている。

 その光景は、カティにとってさらなる絶望を植えつけた。かつて憧れた舞台、剣闘士の闘技場。クラティアたちが互いの武を競うその場所は、彼女が憧れた美しいものではなかった。闘争に塗れ、血で以って互いを彩り、暴力性の全てを突き詰めた場所。傷つけられる相手を痛ましく思う者など誰もいない。戦いの中で傷を負うことこそ、このコロッセオという場所なのだから。

 だが、それにしてもこれはあんまりだ。エドガーのそれは、戦いなんて生易しいものではない。一方的に声も出せない相手を殴り続けるなど、クラティア同士の誇りある戦いなどではない。にもかかわらず、どうして誰もこの事態を見守り続けることが出来るのだろうか。どうして、そんな残虐な光景を黙って見続けられるのか。それがカティには理解できなかった。

(なんで……なんで、誰も止めないのっ!? 審判は……審判は何をしてるの!?)

 クラティア・コロッセオの勝利判定は、三人の審判による判断によって行われる。当然、試合内容があまりに危険であると判断した場合、彼らには試合を止め、試合結果をその場で言い渡す権利があるのだ。

 この圧倒的な状況下でなら、即座にレフェリーストップがあってもおかしくはない。だが、そのアナウンスが行われることは一切なかった。いくら待っても、誰も試合を止めてくれない。あのエドガー・ブレイズフォードという残虐非道な兄を止めてはくれない。

(そうだ……一つだけ、ある……っ)

 絶望に呑まれそうになったカティは、エドガーを止める一つの方法を思い出す。それは、零余が最も得意とする手段だ。それを使えば、試合を彼女の意思で一瞬にして終わらせることができる。

 もう、どうにもならないのだ。仮にカティが万全であったとしても、エドガーにあれほどの怪我を負わされた零余の身体が試合終了まで保つわけが無い。ならば、この場で試合を終わらせるしか道は無かった。

「こうさ――」

 大声で敗北宣言を行おうとした瞬間、何かがカティの身体に叩きつけられる。それに倒される形で地面を転がったカティは、身体を起こしたところで気づいた。彼女に手元には、意識を失い、まるで陸に上がった魚のように身を震わせる零余がいた。全身に痛ましいほどの傷を作り、折れた左手が異様な方向を向いている。そのボロボロな状態に、カティの瞳に涙が浮かんだ。

 早く、早く止めなければ、とそう決意し、もう一度カティは負けを認めようとする。だが、それを遮るようにエドガーが立ち塞がった。カティを見下ろし、怜悧な瞳で彼女を射抜く。カティは、涙交じりの瞳で、それを真っ向から睨みつけた。手元にある大切な友人を傷つけた兄を、憎悪すら滲ませた強い瞳で見つめ返す。

「良い目だ。だが」

「かはっ!!」

 兄のことなど無視して、カティは叫ぼうとする。だが、一言目を発するよりも早く、エドガーの手がカティの喉を強く打った。その拍子に息がこぼれ、激痛が走る。叫ぶことも忘れ、カティはその場でのた打ち回った。手元にある零余が地面に投げ出されるが、そんなことを気にしている余裕も無い。感じたことの無い痛みが、全身を強張らせる。それでも何とか痛みを堪え、カティは言葉を発しようとして気づいた。

「ご……ざ、ん」

 上手く言葉が発せられない。口からは空気の漏れるような音だけが響き、言わなければいけない言葉が出てくれない。

(まさか……喉を……)

 絶望の面持ちでエドガーを見上げる。そこには、獣のように凶暴な笑みで顔を歪ませた兄がいた。無様なカティの姿を滑稽だと言いたげに見つめ、何もせずに立ち尽くしている。まるで早く立てと言わんばかりだ。そうしなければ、零余を狙う、と目で語っている。

 しかし、カティにはそんなことはどうでも良かった。それよりも恐ろしかったのは、兄が自分の最後の希望を打ち砕いたという事実。地面に放り出してしまった零余を抱き上げ、涙をこぼす。このまま試合が終わらなければ、零余は死んでしまう。怪我も、出血の量も、すでに許容量を超えているのだ。とても保つとは思えない。

「降参なんてつまらん真似を許すと思うか。さぁ立て、カティ」

 エドガーが何かを言っているが、それがカティの耳に届くことは無かった。ただ、少しずつ死に近づいている少年の身体を抱きしめる。その身体は確かに心音を放ち、暖かみがある。まだ、柊零余は生きている。だから、カティは膝を屈し、負けを認めようとしたのだ。そうすれば、この少年だけは助かると思った。

 自分のために身体を張ってくれた。自分のために恐怖に立ち向かってくれた。自分の傷を聞き届け、抱えてくれた。

 しかし、カティは零余に何を与えられただろう。一方的に頼るばかりで、迷惑をかけるだけで、何一つ返せなかった。エドガーを倒し、椿をその脅威から守りきることも出来なかった。それどころか、無様に地面を転がり、零余を盾のようにした結果が今の自分だ。

 戦う勇気を得たはずだった。立ち上がる気力を手に入れたはずだった。

 だが、そんなものでは何も守れなかった。

 そっとその手を握り締める。試合開始の前、カティはこの手の温もりに誓ったのだ。必ず生き残ると。守って見せると。

(守る……)

 その言葉を反芻する。かつて、カティは守れなかった。兄を襲った凶刃に対し、それに倍する力で迎え撃った結果、守るべき兄すらも傷つけた。

(そうだ……私、いつも何も守れてないじゃない)

 その結果、目の前の悪魔のような男を生み出してしまった。執拗にカティの力に固執する化け物を。そうしてその化け物は、カティの大切な友達を傷つけ、仲良くなれるかもしれなかった友人を死の淵に立たせている。

(全部、全部……私のせい……)

 零余の手を強く握り締める。もう、カティには立ち上がる気力も無かった。心の闇が彼女の全てを埋め尽くし、飲み込もうとしている。その大口を開けた闇の中に、彼女は自ら身を投じた。目の前の現実から目を背け、逃げることを選んだ。

 だが、

「思い……だせ……」

 唇を震わせ、搾り出すような声が聞こえてくる。思わず閉じかけていた目を開き、その声の主を見れば、彼は薄目を開き、その身体の傷を思わせない穏やかな表情でカティに語りかけていた。握る手に弱々しくも力を込め、優しく語り掛けてくる。

「俺が、言った事……思い出せ……」

「――――――――――」

 カティの頭に、つい先日の記憶が流れ込んでくる。カティが兄に関する全てを打ち明けたその日、目の前の少年は、必死に搾り出すようにある言葉をカティに与えてくれた。その時は、その言葉を力の持たない甘い言葉だと思い、理解できなかった。所詮、この力の恐ろしさを実感していない者の言葉だと無意識のうちに鼻で笑っていた。

 だが、本当にそうだろうか。思い出す、彼の与えてくれた言葉を。その一語一句、それは確かに自分の中に在ったのだ。甘い言葉と断じておきながら、確かにカティはその言葉を覚えていたのだ。

(確かに……恐ろしい力かもしれない)

 記憶の中で笑うエドガーとカティの姿がある。仲睦まじい兄妹。共にクラティア・コロッセオに憧れた似たもの同士。だが、その関係は、たった一つの力によって分かたれ、二度と交じり合うことは無かった。

(確かに……誰かを傷つけてしまうかもしれない)

 エドガーを守るために行使した力は、エドガーすらも傷つけた。二刀の剣に己の道を見出した兄の夢を、カティの力は二度と叶えられないものにしてしまった。

(身に余る力がまた誰かを傷つけてしまうんじゃないかって、怖いんだ)

 エドガーの怪我以来、カティは自身の力を封じ込めた。二度と誰にも見せず、それを心の奥底で仕舞い込んだ。そのために彼女の不自然な炎を欠陥品だと揶揄し、馬鹿にした者もいたが、そんなものは自分の力を知って恐れられるぐらいなら安いものだった。

(けど……本当にそうだろうか)

 口を開くのも辛いだろうに、それでも零余はカティを見つめている。信じていると、その目が強く語っている。決してそれは、恨みや憎しみのこもったものではない。この状況を作り出したカティを、それでも彼は信じてくれている。

(強い力は、本当に誰かを傷つけてしまうことしかできないんだろうか)

 糸が切れたように目を閉じた零余の身体を横たえ、カティはそっとその手を離す。名残惜しい気持ちもあったが、いつまでも手を握っていてはいられない。最後に一度柔らかな微笑を浮かべてから、カティは立ち上がる。その身体にすでに痛みは無く、それどころか力強い魔力の光が彼女の身体を緋色に包んでゆく。

(違う。そうじゃない。強い力は――守るためにあるんだ)

 かつてカティは、兄へと迫る死を避けるべく、力を求めた。強い力を、ただ一心に。守るために。決して傷つけたかったわけじゃない。守りたかったのだ。結果はどうあれ、彼女にあったのは守りたいという強い意志だった。

(誰かを守るために、大切な人を守るために。いつかまた、一緒に笑いあうために)

 だから、今度も彼女は願う。強い力を。地に倒れ臥す友達を、目の前にいる狂ってしまった兄を、助け、もう一度笑顔で笑いあうために。

 カティの身体から莫大な魔力が溢れ出す。その魔力に当てられたようにエドガーは一歩後ずさり、それから笑みを深めた。ようやく待ち望んだものに出会えた子供のように、歓喜の表情を浮かべてみせる。

「カティッ!!」

 兄のその叫びなど無視して、カティは右手に意識を集中した。一度は体力を温存するために消してしまったそれを生み出し、高らかにその名を口にする。喉は潰れ、声は掠れて届かない。それでも構わず、彼女は叫んだ。

「――行くわよ、“爆轟の奏歌(アオス・ブルフ)”!」

 緋色の炎を纏い、白銀の剣が生み出される。柄に護拳のついたそれは、陽光の光を浴び、何よりも力強く輝いた。天を突かんばかりに振り上げられたそこから渦を巻くように炎が溢れ出し、周囲の熱気を急速に上げていく。

 守る――たった一つのその強い意思を思い出し、今、カティは過去の残影と向かい合う。

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