③
「エドガーッ!!」
怒号とも取れるような大声を上げ、カティさんは炎を放つ。コンクリート程度ならば易々と砕ける炎だ。眼前に迫るそれを、エドガーは生身で受けきれない。
直線的な炎の攻撃を回避し、エドガーは円を描くようにカティさんから距離を取る。だが、まだカティさんの攻撃半径からは逃れていない。そもそも、カティさんの放ったそれはあえて避けるように仕向けたものだ。そうでなければ、鞭のようにもしならせられる炎を馬鹿正直に突撃させたりはしない。
死角に回り込むように走り出したエドガーに向けて、カティさんの背中から炎の触手が飛び出す。カティさんの背中にずっと隠していたのだろう。大きさとしては腕よりも細いぐらいだが、その先端は鋭く尖り、直撃を受ければ貫通するだけの威力は備えている。
「ちぃっ!!」
エドガーは咄嗟に手元にトラヴィアータを呼び出し、迫る炎を切り払う。俺たちにとっては攻撃のチャンスを一つ潰された状況だが、これで奴に断罪の雨を取る選択肢は無くなった。
エドガーには、二つの技がある。一つは、剣。もう一つは、断罪の雨。だが、このどちらも、直接一方に変換することはできない。剣であれば一度手元から消す。断罪の雨であれば、同じくそれが落ちた場所から消す手順を必要とする。そして今、エドガーの手元にはトラヴィアータが顕現してしまっている。これを消滅させ、カティさんの頭上にだけ安全に断罪の雨を降らせるだけの時間的、距離的な余裕は、もはや存在しない。
これでようやく、カティさんは接近戦に持ち込める。
「ふっ!」
気合の篭った声と共に、カティさんはアオス・ブルフによる接近戦を開始する。炎を防ぐことで動きを止めたエドガーへ向け、契里先輩を髣髴とさせる神速の踏み込みで距離を詰め、フェンシングのような構えで突きを放つ。
対するエドガーは、剣先が地面を舐めるように下段に剣を構える。
「先、後、柔、剛、間――それはあらゆる戦闘における基礎であり、核だ」
カティさんの突きを体を開いて交わし、歌うようにエドガーは呟く。
一瞬の間にトラヴィアータは地面から跳ね上がり、無防備なカティさんへと迫る。それを炎を操ることで対処し、カティさんは体勢を立て直すと、間を置かずにエドガーへと切りかかった。アオス・ブルフがエドガーの右手の延長線上にある空間と激突し、火花を散らす。強引な形で鍔迫り合いに持ち込もうとするカティさんに対し、エドガーはその力を流す動きに徹しているのか、組み合うのは一瞬。一進一退の攻防だけが続いてゆく。
「徒であろうと、馬上であろうと、甲冑をつけていようとなかろうと、それは変わらん」
「何を、言ってるのよっ!」
「先は攻撃、後は防御、柔と剛は用いられる力の総量、間は相手と剣を噛み合わせる瞬間のこと」
何だ、やつは何を言っている。
戦闘中とは思えないほどに朗々とした口調で話すエドガーに違和感を覚える。それにあの言葉。どこかで聴いたことがある。確か、ドイツ流剣術の教えではなかったか。何故今、それを口にする。
カティさんは、トラヴィアータと真っ向から打ち合っている。見えない剣とはいえ、それを振るうのはエドガーの右手だ。当然、その動きの延長線上を見れば対処することもできる。もちろん、口で言うほど簡単なことではないだろう。だが、カティさんの実力はそれに対応してみせている。決して二人の間に大きすぎる剣の実力差はない。余裕を見せているような暇はないはずだ。
「達人の攻撃を見せてやろう――」
瞬間、背筋に走った悪寒をどう表現すれば良かったのだろうか。“識者の叡智”などとは全く無関係に、俺の危機意識が警鐘を鳴らす。このままではまずいと、必死の叫びを上げている。
鍔迫り合う状況から一転、エドガーの手からふっと力が抜ける。いや、それだけではない。展開中であったトラヴィアータが姿を消し、同時にエドガー自身はカティさんの斜め前へと踏み込んだ。唐突に逆方向からの力が消え、カティさんがほんの一瞬だけ体勢を崩す。それでも細身の剣ゆえにすぐに崩れる身体を抑えることに成功し、エドガーの動きへの反撃に移る。横殴りのように振るわれた腰の入らない一撃。武器があれば何てことの無いものだが、現状、トラヴィアータを消失させたエドガーにこれを防ぐ術は無い。あの近距離では断罪の雨は使えず、トラヴィアータを顕現させるような体勢にはないと思われた。
だが、そこでエドガーは驚異的な動きを見せる。まるで予期していたかのように背中に迫るアオス・ブルフを身を屈めてかわし、低い姿勢から身体を半回転させると、トラヴィアータを顕現したのだ。その刃はすでに上を向いており、逆袈裟斬りの要領でカティさんに向かっている。これを受け、カティさんは身体の動きでの回避を諦めた。強引な体勢の切り替えを一度行っているのだ。今のカティさんにこれを身体能力で避けることはできない。その代わり、アオス・ブルフが生み出した炎を身体に叩きつけ、無理矢理にでもエドガーから距離を取る。
距離を、取ってしまった。
エドガーの手からトラヴィアータが姿を消す。それから一拍の間を置き、それは現れた。カティさんの頭上を覆う、見えない針の群れ。“識者の叡智”が示すその数は、カティさんが避けられるものではない。唯一の対抗手段である炎も、すでにカティさんを助けたために動きが遅れている。
「罪は流血によって洗われ、剣は墓標のように突き立つ」
「………………っ!?」
次の瞬間、絶望の表情に染まるカティさんの身体から、血飛沫が舞い上がった。
それら一連の光景を前に、俺は何も出来なかった。避けることを指示することも出来なければ、対処法を考えつくことさえも無理だった。
エドガーは、カティさんの一連の動き、回避行動に至る全てを読んでいたのだ。鍔迫り合いからトラヴィアータを消すことでカティさんの隙を作ると見せかけ、その実はカティさんが咄嗟に無理な姿勢から反撃に転ずることも予想の内だった。その上で回避行動を見せ、狙っていたかのように逆袈裟斬りを放つ。当然、これが必殺の一手だと俺もカティさんも思っていた。だが、続きがあったのだ。カティさんが炎を自分に当てることで距離を取って回避することまで見越して、次の手を用意していた。いや、そもそも距離を取らせること自体が目的だったのかもしれない。ほんの少しでいい。カティさんに距離を取らせてしまえば、後は断罪の雨を降り注ぐことができる。
ドイツ流剣術の教え、『間』。熟練した剣士は、『感じ』で相手の次の行動を先読みし、『間』で以って適切な行動に移すとされる。エドガーは、まさしくそれを体現して見せた。
悲鳴すら上げられず、カティさんが地面に倒れ臥す。急速に身体中を走る痛みが、叫びを上げる暇すら与えなかったのだろう。微かにアオス・ブルフを握る手が動くが、その力は酷く弱々しいものだった。
「カティ、確かにお前の剣術の腕は俺と伍すると言ってもいい。よく三年のうちでこれほどに腕を上げたものだ」
「ぐ……あ……。くっ……」
立ち上がり、淡々とエドガーは語る。止めを刺す事も無く、ただその冷たい瞳をカティさんへ向けていた。そこには、試合開始前まで見られた愉悦の色はない。まるで遊びに飽きた子供のように、無感動な表情を浮かべている。
「だが、それでは俺を降すことは不可能だ。剣魔複合、とは誰が言ったかな? まぁ、どうでもいいが、俺の剣は魔術と共に完成したものだ。ただの剣術で俺を倒せると思うなど、おこがましいにもほどがある」
忘れていた。クラティアの本質は、魔術の力にある。しかし、俺はエドガーのシュトラーフェの能力に捉われ、その中でも最大の危険度を誇る断罪の雨を封じることが出来れば、勝機へと繋げられると誤解した。そのために作戦を練り上げ、勝つためにカティさんへ間違った指示を出してしまった。
違うのだ。エドガーの剣術は、魔術と共にある。仮に接近戦に持ち込んだとしても、エドガーは剣士として戦うようなことはない。常にクラティアとして戦っているのだ。対してカティさんは、接近戦に持ち込んだ段階で炎の使用を最低限に、剣術のみでエドガーと向かい合った。見えないトラヴィアータの性質ゆえ、炎の扱いに割くほどの余力が無かったのだろう。
剣術のみでクラティアと渡り合えるはずもない。常人が超人に挑むようなものだ。その結果は、目の前に広がっている。
剣魔複合。剣と魔術を組み合わせた、新たな剣の領域。エドガーの熟達した先読みと合わさり、それは脅威の領域に到達している。それに単純な力や技量だけの話ではない。エドガーも言っていたが、二人の剣術の腕の間にさほどの差は無い。だが、実戦経験には大きな開きがある。これが二人の間で明確な壁となって立ちはだかった。
駄目だ。この試合、もう勝ちの目は無くなった。エドガーに対抗できる唯一の攻撃手段であるカティさんが、断罪の雨を諸に受けてしまったのだ。あれでは、もう立つことはできない。全身を流れる血と痛みで意識も朦朧としているはずだ。
「いい加減にしろ。俺はお前のその温い炎と戦いに来たわけじゃない。俺は、お前の全霊を打ち破りに来たんだ」
カティさんの傍に寄り、エドガーは冷たい声音で言い放つ。そんなことを言ったところで、今のカティさんが反応できるわけも無い。エドガーの放った断罪の雨は、カティさんの身体を余すところ無く刺し貫いているのだ。それがたとえ一本一本の針でも、無数に突き刺さればその威力は甚大なものとなる。
だが、そこで俺は気づく。地面を濡らしている血の量が、その傷とは裏腹に少ない。いや、そもそもカティさんの身体から血は流れていない。遠目からでははっきりとは分からないが、カティさんは出血していなかった。
カティさんの頭が上がる。その目は強い緋色の輝きを見せ、エドガーを睨みつける。両手はしっかりと大地を押しのけ、徐々にその身体を起こし、地面にしっかりと立ってみせた。その身体には無数の赤い点が見られるが、まるで塞き止められたように血は流れていない。
あれは、出血を抑える魔術だ。椿を助けたそれを、カティさんは今、自分に施していた。
「こんな、画鋲でも付けられるような穴を開けたくらいで……調子に、乗らないで……っ」
息も絶え絶えに吐き出し、カティさんは挑戦的に笑ってみせる。言葉ほど威力の低い攻撃でないことは明らかだが、一方でカティさんの言葉は正しい。エドガーの断罪の雨の真に恐ろしい点は、その傷口から大量に流れる出血量だ。しかし、傷自体はさほど深くは無く、一つ一つは致命傷と呼べないほどのものである。剣で切られたならまだしも、針で刺されるのであれば、止血さえできれば致命傷とはならず、身体を動かすことも可能だろう。だが、それはあくまでも可能性の話だ。実際にあの攻撃を受け、それを実践できた対戦相手がどれほどいたことか。痛みと急激に失われゆく血の中、絶望的な実力差に挫けずに立ち向かえる者がどれだけいるだろう。
俺は、心の中でカティさんに謝っておく。断罪の雨を一度食らったくらいで、カティさんは諦めるような少女ではなかった。そんな脆い決意でこの場に立ったわけではなかった。
だから、俺は走り出す。このまま、あの傷ついた少女をさらに傷つけないように。
「なるほど……それは一理あるな。しかし、お前は今、立つのがやっとの状態だ。画鋲程度の痛みも、無数に増えれば耐えられる限度を超える。そこにもう一度同じものを与えれば、さてどうなるだろうな?」
エドガーが軽く後退すると、カティさんの頭上にまたも針の雨が現れる。カティさんは呆然と頭上を見上げるが、彼女の目には一切の針が映ってはいないだろう。しかし、それでも強く彼女はそこを睨みつけた。目を逸らさず、動かない身体でも睨むことだけは止めなかった。
針の雨が降り注ぐ。その直前、俺はそこへ飛び込んだ。押し倒すような形でカティさんと共に地面を転がり、断罪の雨を回避する。
「柊くん……!?」
驚くカティさんをよそに、庇うように片膝立ちで本を抱え、俺はエドガーの前に立ち塞がる。奇しくも二日前と同じ状況だが、今回は違う。あの時のようにカティさんは怯えていない。
「またハッタリで切り抜けるか?」
嘲笑を浮かべ、エドガーが問いかけてくる。それを受け、俺も笑って見せた。こいつはまだ、カティさんの中に怯えでも見えているのだろうか。ならば、その愚かな考えは根底から改めさせてやる。
「必要ないだろ。今なら……今のカティさんと俺なら、あんたをぶっ倒せる」
「面白いことを言う」
勝算なんてはっきり見えているわけではない。目の前の男は、化け物だ。だが、それでも先のカティさんの姿に俺は希望を見出した。決して倒れず、立ち向かったその姿は、この目の前の男程度に破られるような柔なものじゃない。
「カティさん、ごめん。断罪の雨は君を傷つけないって言ったのに、もう二回も君を傷つけた」
エドガーは動かない。俺たちの出方を窺うように、こちらを見ている。その隙に俺は言葉を紡ぐ。言いたい想いを伝える。
「だから、もう君だけを戦わせたりしない。考えてみれば、君と一緒に戦うと言っておいて、俺は後ろに控えてばかりいた」
「でも、それが一番……勝率が高いって……」
確かにそうだ。カティさんに適切な指示を下し、トラヴィアータの回避方法を伝えること。それがエドガーに勝つための最善の道だと思っていた。だが、それは間違いだとさっき証明された。もう、ただカティさんに指示を出すだけでは勝つことは不可能だ。接近戦にすら、勝機は見出せなくなった。
ならば、多少の犠牲は覚悟しなければならない。俺に戦う力は無い。だが、その働きで以って勝利に繋げることは出来る。
「これから俺がエドガーに接近戦を仕掛ける。その間にカティさんは傷の回復に専念してくれ。そして傷が回復した後は、二人で奴に襲い掛かる。同時じゃ駄目だ。間を置いて、余裕を無くさせる。必殺の一撃を叩き込むための隙を作る」
「そ、そんなの駄目よ! あなたの力じゃ、エドガーには……っ!」
「分かってる。俺じゃエドガーには一撃すら当てられないだろうな。だけど、避けることは出来る。身体は弱いけど、避けることは結構得意なんだ」
それだけを言い、服の袖を掴んでくるカティさんの手をそっと外し、俺は立ち上がる。
「相談は終わったか?」
エドガーの確認に、俺は無言で頷いた。“識者の叡智”を広げ、これから俺の行う戦いに必要な情報を導き出す。その一連の動きを眺め、エドガーは察したように手元にトラヴィアーアタを顕現して見せた。断罪の雨を使うことが最良であるはずにもかかわらず、この行動。俺を舐めているのは明らかだ。
「その本、おそらくは探知の力なんだろう。それも術の発動を認識するものではない。もしそうなら、範囲を広げたトラヴィアータをカティが対処してみせたことが不可解だからな。魔力の流れを読む、大方そんなところか」
この野郎、わずかな情報だけでほとんど正解を言い当てやがった。その実力もさることながら、勘の良さも常軌を逸している。隙が無さ過ぎる。
「攻撃能力があるようにも見られない。だからこそ、後ろでカティへの指示に徹していたんだろう。あの時はカティを殺すなどと嘯いていたが、とんだタヌキだな」
「騙される方が悪いってね。あんただって薄々気づいてたんだろう。その上で俺の誘いに乗ってみせた。カティさんと本気で戦うためにな」
そのためにこいつがカティさんに何をするか、それも大体想像がつく。
背後のカティさんに意識をやる。さっきは避けるなどと言ってみせたが、エドガーの本気の攻撃を予測だけでかわしきれるとはとても思えない。確かに体力の回復のためにカティさんの前に立ち塞がったものの、俺の目的は他にあった。
これからやることを思えば、俺は最低の所業をすることとなる。それでも今は、勝つために――彼女を勝利へ導くために、俺は彼女の過去を克服させる。
そう、カティさんの過去。俺に話してくれたある事実。
かつて、カティさんはその力で以って、エドガーの身体に癒えない傷を負わせた。二刀流を極めていたエドガーの左手を奪い、二度と剣の握れない身体にしてしまった。今の戦いもそうだ。エドガーは、一度として左手を使っていない。全て右手だけで戦っている。体格も筋力も違うエドガーとカティさんの剣技が互角なのもそれが理由だ。相手の呼吸すらも読み切るエドガーでも、片手一本の剣技だけでカティさんを上回ることは難しいのだ。
その過去を鑑みれば、エドガーの向ける殺意も分かる。だが、故意ではなかった。エドガーとカティさんを襲った誘拐犯の凶行から兄であるエドガーを守るために、カティさんはその力を使ったのだ。その結果として、守りたかったエドガーにまで怪我を負わせてしまった。
カティさんは、ずっとそのことを後悔してきた。兄から左手を、剣を奪ったことを、胸に抱えて生きてきた。エドガーがカティさんに辛く当たるようになったのもその時期からだという。左手を奪われ、エドガーの中でカティさんに対する怒りが生まれたのかもしれない。そうして二人は仲違いしたまま、エドガーは日本に渡り、カティさんは遅れてそれを追いかけてきた。エドガーに認めてもらうために、エドガーに許しを請うために。
「ああ、その通りだ。本気のカティを打ち倒し、過去の己の弱さを越える。それが俺の望みだ」
本気の殺意が叩きつけられる。エドガーは今、俺に向かって明確な殺意を宿した。トラヴィアータを頭上高く、切っ先を俺の方へ向ける。『雄牛』と称されるその構えは、確かに名前の通り、牛の角が間近にあるような圧迫感がある。
「ゆえに、俺は誰であろうと容赦しない。ただ、お前のその覚悟だけは認めてやろう」
俺の狙いに気づいているのか、エドガーは初めて俺に称賛の言葉を投げかける。そんなものを送られても嬉しくも何とも無いが、不思議と恐怖だけは抜けていく。誰かに認められたことで、俺がこれから行うことを正当化してもらったような気がした。
一つ深呼吸し、しっかりと眼前の敵を見据える。俺がエドガーに勝つことはないだろう。だが、ただでやられはしない。ギリギリのギリギリまで粘ってみせる。
「行くぞ」
「来い――」
笑みを深めるエドガーに、俺は一直線に突進していった。




