②
目を閉じ、頭を抱える。だが、いくら待っても衝撃はやってこない。
俺は、死んだのだろうか。あの熱量によって痛みもなく一瞬にして蒸発した。なるほど、あり得る。なんせ視界は真っ暗だ。生きているなら、何かが映るはず――あ、俺、今目を閉じてた。
恐る恐る目を開ける。視界に映ったのは、眼前に迫る炎剣の姿だ。だが、何かに塞き止められたように動きを止めている。少女が手を緩めてくれているのか。いや、違う。カティ・ブレイズフォードは、明らかに全力を振り絞っていた。それでも動かせないのだ。
「まぁ、さすがに冗談が過ぎますよね」
鈴とした声が耳を打つ。視線をやれば、そこには冷めた目で事態を眺める椿がいた。特に何かをしているわけではない。変わらず同じ位置に立ったままだ。だが、俺が何をしたわけでもない以上、椿が彼女の剣を止めていることは明らかだろう。
「カティさん、でしたよね。コロッセオ以外での対人への魔術及びシュトラーフェの使用は、規則違反に当たりますよ? このまま続けて兄様に怪我でもさせたら、最悪退学になるかもしれませんけど」
退学、という言葉に少女の眉がピクリとはねる。事ここに至って、ようやく自分が何をしているのか理解したらしい。慌てたように剣を引き、表情に焦りが浮かぶ。
「あ、わ、私、また暴走して――あ、あの、ごめんなさいっ! そ、そうよね、いきなり戦えはおかしいわよね……」
ふっと音もなくアオス・ブルフが消失する。少女が戦意を無くした証拠だが、さっきまでの気迫を思い返すと、一概に安心し切れない。俺はしゅんと落ち込んだ様子の少女から一歩距離を取り、二歩目で大きく移動して椿の後ろに隠れた。肩口からそっと少女を眺める。
「何しているんですか……」
呆れたような椿の声。俺はそれを無視し、ごほんと咳払いしてから少女に話しかけた。
「えっと……ブレイズフォードさん、だっけ?」
「カティで良いわ。ファミリーネームじゃ長いでしょ。はぁ~……またやっちゃった……」
何だか落ち込んでいる様子のカティさん。さっきまでの威勢の良さはどこにいったのか、その落胆っぷりに俺の方まで困惑してしまう。自己嫌悪に陥っているらしく、頭を抑えていた。ふるふると首を振り、頻りにため息を零している。
「私の悪い癖なのよ……興奮し過ぎると周りが見えないっていうか、怒ると暴走しすぎるっていうか……」
「それはそれは……」
か、関わり合いになりたくないタイプだ! 冗談通じなくてヤバイ感じの人だ!
なんて内心の言葉をさすがに口に出すわけにもいかず、俺は落ち着いてきた様子のカティさんに近づいていく。妹を盾にしながら。
「お、押さないでください、兄様っ」
「ほら、椿。カティさんにご挨拶なさい」
「なんですかその引っ込み思案の子供を促す親みたいな台詞は……」
まぁまぁ、と適当に宥めつつ、俺は妹を挟んでカティさんと正対する。すでに自己嫌悪も終えたのか、申し訳なさそうな表情でカティさんが俺たちの方を見ていた。どこか所在無さげな様子は、さっき殴りこんできた人と同一人物とはとても思えない。興奮し過ぎるとああなると言っていたが、はてさて本当の姿はどっちなのやら。
「本当にごめんなさい」
お互いの気まずさを打ち破るように、カティさんが躊躇い無く頭を下げる。こうも素直に謝られると逆にこっちが申し訳ない。なんというか、悪いことをしたような気さえする。
「いや、俺の方もその……大事なデビュー戦台無しにしたみたいでごめん。お詫びと言ったらなんだけど、椿のことなら好きにしてくれても良いから」
「さり気無く人身御供にしないでください」
むぅ、と唇を尖らせながら拗ねた様子で椿は言う。薦められたカティさんと言えば、何とも言えない表情を浮かべていた。どう答えて良いのか分からないと言った感じだ。こういうノリは慣れていないのだろうか。
ともかくも、お互いの便宜的な謝罪も終えたわけだ。再びカティさんと視線を交わし、気まずい沈黙だけが下りる。応じるように謝ったは良いが、ここから何をどうすればいいのだろうか。さすがにこの押し黙った空気は辛い。
そんな空気を打ち破るように率先して口を開いたのは、俺たちの間に挟まれて一番気まずい思いをしていた椿だった。
「とりあえず、この部屋……どうしますか?」
言われ、カティさんと二人して眺め見る。歪に曲げられたドア、叩き割られた鏡、吹き飛んだ壁。一つ一つがもはや修復不可能なまでに破損しており、この事実が学園に知られれば、弁償は免れないだろう。おまけにここはコロッセオの控え室。少なくはない額の資金が投下されていることは想像に難くない。当然、かなりの弁償額を要求されるはずだし、それ相応の処罰も下されるはずだ。
カティさんを見る。その表情は、可哀想なぐらいに青ざめていた。だが、これも因果応報。悪いことをしたら叱られるのが世の常だ。
「じゃあ、俺たちはこれで――」
「兄様、それはさすがに薄情な気がします」
逃げようとしたところを椿に引き止められる。
「そうは言ってもな。あんなもん、どうしようもないだろ。かといって、このままここにいたら俺たちまで弁償させられる羽目になる」
椿が視線でカティさんの方を促す。そこには、今にも泣き出しそうな彼女の姿があった。さっき以上の狼狽っぷりを露呈している。あたふとするその姿を見ていると、何だか留学してきたばかりで右も左も分からない外国人を虐めているような罪悪感を覚えてしまう。
椿が目で語っている。男を見せろ、と。
俺は目で語った。男も時として逃げる、と。
「はぁ……」
ため息を吐かれても困る。俺にはどうしようもないことぐらい、椿も良く分かっているはずだ。
「カティさんを励ますとかなんとか、やりようはあると思いますけど」
なに? ふむ、しょうがないな。
「大丈夫だ、カティさん。きっと凄い弁償させられるけど、退学にはされないって。凄い弁償させられるけど」
「はぅあっ!」
何故か俺の言葉でカティさんが崩れ落ちた。おかしいな。退学を気にしているようだから、そうはならないよって言ってあげたんだけど。
振り返った椿の何とも言えない視線が刺さる。俺のせいと言わんばかりだ。
「全く、兄様は……。仕方がないですね。ここは私の力で何とかしてあげます」
「え?」
カティさんが顔を上げ、驚いたように椿を見る。
「それで兄様の件は許してあげてください。悪気があって土下座なんて真似をしたわけではないですから」
悪気があって土下座をする人間ってなんだ。
「それは……構わないけど。でも、どうやって……?」
「こうやってです」
言うや否や、突如としてバラバラの鏡の欠片が宙に浮かび上がり、それぞれがまるで逆戻しのように元の場所に戻っていく。俺は、異様なその光景に目を奪われた。そのまま、鏡はそのヒビの一つすら残さず、元の状態に修復されてしまう。
目の前で見た光景が信じられず、思わず手で触れてみる。指が滑るような感覚もそのままに、とてもさっきまで割れていた物とは思えなかった。
「私の魔術特性は『地』と『空』に特化していますから、これぐらいはお手のものです」
魔術特性。魔術を扱う者には、その資質に応じた得意分野が存在する。それぞれ、『地』『水』『風』『火』『空』の五つに分けられ、これらはペンタゴン・エレメントとも呼ばれている。他にもこれらに属さない『識』なんていうものもあるが、これは極端に少ない特例中の特例だ。大半のクラティアは、先に示した地水風火空のどれかに特化している。
「『地』は固いものや動き、『空』は実体性の存在しないものに作用する、だっけ? えっとつまり、『空』の特性で風を操って鏡の破片を移動させ、『地』の特性でそれらを修復したってことか」
「そこまで単純じゃないですけど、概ねその通りです」
椿がテキパキと壊れた箇所を修復していく。その一連の光景をカティさんはぼーっと呆けたように眺めていた。時間にして数秒。カティさんが破損させた箇所は、その面影も残さないまま元通りになった。
「……すごい」
カティが感心したように声を漏らす。
「すごい?」
まぁ、確かに一瞬で戻ったのは凄いし驚くべきことだが、そこまで目をキラキラさせることだろうか。
「すごいわよ。あなた、見てなかったの? 今の魔力制御……!」
「え、あー、あ、ああ、そう」
魔力制御、魔力制御、ね。なるほど、俺には分からんわけだ。
椿の実力に興奮したのか、カティさんが立ち上がってその手を取る。その目はまるで子供のように輝いていた。
「あなた、名前は?」
「つ、椿です。柊椿」
「そう、椿ね。よろしく、椿。私のことはカティって呼んで。でも嬉しいわ。日本に来て早々にこんな実力者と出会えるなんて!」
カティさんの距離を感じさせない馴れ馴れしさに椿は気圧されているようだった。その姿を見て、俺はなるほど、と納得する。興奮したら暴走するというのは本当らしい。
ニコニコと楽しげに笑うカティさんと、引き攣った笑みを浮かべる椿。
その光景に微笑ましさを覚えながら、俺はその場を後にした。
頑張れよ、つば――
「ど、どこに行くんですか、兄様! まさか私をこのまま見捨てる気ですかっ!?」
「いや、見捨てるっていうか、もう俺がここにいる理由もないっていうか、さっさと家に帰りたいっていうか」
「だったら私も帰ります! すぐに帰りますっ」
「せっかくカティさんと友達になれたんだ。留学して間も無いみたいだし、面倒見てあげたらどうだ」
「そうだ、椿。カフェで少し話さない? 私、この学園について色々と聞きたいことがあるの」
「カ、カティさん? ちょっと待ってください。すぐに兄様を連れ戻しますんで」
「俺のことは放っておいて、二人で仲良くな」
「逃げるつもりですか?」
椿が目を細める。その目は、『妹を置いて逃げる臆病者なのですか』と雄弁に語っていた。少し大袈裟に考えすぎではないだろうか。カティさんは、椿の実力を一目見て、その腕前に惚れ込んだ。だからこうして仲良くなろうとしている。それだけのことではないか。むしろ、その中に俺が入り込むことこそ無粋というものである。
「だから椿、その手を離しなさい」
痛い痛い。腕を引っ張らないで。
「カティさん。兄様も一緒に来てもいいですよね?」
「ええ、別に構わないわ。さっきはあんなことを言ってたけど、椿のお兄さんってことは本当はきっとすごく強いんだろうし!」
なにその勘違い!? 椿どころか俺までキラキラした目で見てるぞこの子。興奮しすぎて思い込みまで激しくなってる。
俺は悟った。自分たちが本格的にアレな娘に関わってしまったということを。




