第二十四章 四年目の春
四年目の春。
徳田の温室の若木は、もう俺の身長を超えていた。葉の数も増え、毎年収穫量が少しずつ増えていた。
今年の予想は五十粒は超えそうだ、と徳田は言った。
「来年はたぶん、百粒は行きます」
徳田が緑の葉の影で、嬉しそうに言った。
「そうか」
「正式に、品種登録しようと思います」
「うん」
「名前、考えました」
「うん」
「〈ブルーム〉というのは、どうでしょう」
俺は、しばらく彼を見た。彼の目は、真っ直ぐに俺を見返していた。
「いいんじゃないかな」
「マスターの店の名前と、同じになっちゃいますけど」
「いいよ」
「いいんですか」
「うん。たまたま同じ言葉なだけ、ということで」
徳田は頷いた。
帰り、彼が改札の前でふと言った。
「高瀬さん、聞いていいですか」
「うん」
「あの最初の一粒、本当にどこから来たんですか」
俺はしばらく考えて、答えた。
「遠いところ、だよ」
「遠い」
「ものすごく、遠い」
「秘密ですか」
「秘密、というほどでもない。ただ説明しても、信じてもらえないような遠い場所」
「ふうん」
彼はそれ以上、聞かなかった。頷いて、改札の手前で深く頭を下げた。
「お預かりします」
「うん。お願い」
改札を通った。
ホームでしばらく、ポケットの中で五粒の生豆を握っていた。今年の収穫から、徳田が分けてくれた分だ。
ホームの灯りに透かした時、緑の中の青味が年々、わずかずつ強くなっているように見えた。
それはこちらの世界の土壌に馴染んできた、ということなのか。あちらの世界の覚星石がこちらの大気を覚え始めた、ということなのか。
わからない。わからなくて、いい。
帰り、店で五粒のうち一粒を、また自家焙煎した。ハンドドリッパーに敷き、湯を細く注いだ。
粉が、息を吐くように膨らんだ。
ブルーミング。三十秒。
その三十秒の中で、いつもの問いがゆっくり浮かんで、ゆっくり消えた。
俺は何のために、これを淹れているのか。
答えは相変わらず、出なかった。
でも答えが出ないこと自体が、今は答えに近い場所だ、と思った。
最後の一滴が落ちた。
琥珀色の液体のふちに、わずかな青が走り、すぐ消えた。
両手で包み、ゆっくり口に含んだ。
舌の上に、いつもの味が戻ってきた。完璧では、ない。けれど、必要な、いつもの味。
手帳に、その日の数字を書いた。
書きながら、ふとペンを止めた。
俺は長い間、〈書く〉ことに囚われてきた。書かないと、自分が消える、と思ってきた。
でも、最近、わかってきた。
書く、という行為自体が目的ではない。
目的は、毎日自分の手のひらに、自分の意識を戻すこと。
書く、というのは、その手段の、ひとつ。
いつか、書かなくても、手のひらに意識が戻る日が来るかもしれない。その時は、その時で、ペンを置こう、と思った。
今は、まだ書く。
書きながら、明日の準備の、湯量と粒度のメモも書いた。
ちょうどいい、メモの量だった。書きすぎず、書き足りなくない。
窓の外で、春の風が吹き始めていた。




