表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バリスタが異世界転生したら、異世界で『抽出魔術』の真理に辿り着き、世界を救った話  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/30

第十章 第三波の記録者たち

地下から這い上がった俺は、王都の下水街に逃げ込んだ。


 メリンディアの下水は、迷路だった。地上の華やかさとは別世界の、湿った石壁、苔、時折流れる泥水。鼻の奥に、酸化した鉄と腐った植物の匂いが沈んだ。


 奥の暗がりに、バルデスがいた。


「やはり来たか。司書から伝言があった。〈樹は無事に逃げた、だが私は、もう書庫には戻れない〉と」


「司書は」


「捕まったろう。だが、彼は自分の役目を、最後に果たした」


 彼は暗い壁にもたれ、しばらく目を閉じた。


「私はな、三十年前、宮廷抽出師の見習いだった。あの頃から、もう過抽出の流派が主流だった。私はそれに気づき、若さに任せて声を上げた。〈数値が間違っている〉と」


「それで」


「即日、追放された。家族は、〈異端の身内〉として王都を追われた。妻は数年で死んだ。息子は行方知れずだ」


 声に特別な悲しみはなかった。長い間繰り返してきた事実を、また繰り返しているだけ、というような調子だった。


 彼が三十年、ひとりで持ち続けてきた沈黙の上に、俺が立っていることを、初めて実感した。


「バルデスさん」


「ん」


「俺は、お孫さんになれませんが」


「弟子で、十分だ」


 彼は初めて、まともな笑みを見せた。歯の数が一本足りないことに、その時気づいた。


 上着の内ポケットから、書き写した記録の束を出した。バルデスはそれを、長い間、無言で見た。


「これだけあれば、なんとかなる」


「裁判で、ですか」


「いや。裁判では勝てない。王と教会と魔導院は、ジョージアの後ろ盾だ。だが、これがあれば、瘴の発生源を特定できる」


 彼は地図を広げた。大陸全土の地脈の図だ。中央に王都メリンディア、そこから放射状に魔脈が伸びている。各地の魔脈の瘴の濃度が、色で示されていた。


「ここに、〈カルナの心臓〉と呼ばれる山がある。大陸の魔脈の源流だ」


「そこで」


「最終的な抽出をやり直す。三百年分の過抽出を、希釈し、本来の抽出値に戻す」


 地図を見つめた。山の位置、距離、標高。不可能な数字が並んでいた。だが、不可能だ、とは思わなかった。


 ただ、変数を一つひとつ合わせれば、いい。


「彼女は」


「すでに、知らせは送ってある。仲間が、彼女を密かに連れ出している。三日後、ここに合流する手筈だ」


 ほっとした息を吐いた直後、別の不安が湧いた。もし、ジョージアが彼女に手を出したら。


 あの男は、自分のメンツを潰された相手に、必ず報復する。城島が、そうだった。


 立ち上がった。


「行きます」


「どこへ」


「リラエを迎えに」


「樹、無理だ。今夜、王都の門は」


 俺の言葉を遮るように、地下道の入り口で、足音が響いた。


 兵士の。しかも、複数。


 バルデスが舌打ちした。


「もう、見つかったか」


 奥の通路から、もう一つの足音が近づいてきた。ローブを翻す音。


 地下水の流れる音と、その足音が、混ざる。下水の壁の内側に、誰かが石で何かを叩いた跡が、規則的な間隔で並んでいた。何百年も前、ここで誰かが何かを数えていた跡だった。


 バルデスはそのうちの一つを、指の腹でなぞった。


「これ、リラエの兄が、子供の頃に、刻んだ印だ」


「リラエの、兄」


「奴は、レジスタンスの初期メンバーだった。十年前、王都から、消された」


 バルデスの目は、暗がりの中で、わずかに、湿っていた。


「リラエはそれを知らない。私も、教えていない。教えれば、彼女は、書く力を失う」


「はい」


「お前の手帳と、リラエの手帳と、彼女の兄の壁の傷と、全部、繋がっている」


「うん」


「お前は、ひとりで来たわけじゃない。三百年分の、書く人たちが、お前を、ここまで、運んできた」


 その言葉に、答えなかった。代わりに、内ポケットの手帳を、もう一度確かめた。


 ジョージアの声がした。


「樹くん。逃げないでくれよ。話したいだけだ」


 手帳を、固く握りしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ