お前に売るおにぎりはない
公園通りの銀杏の葉が、天高く光る秋の太陽の日差しを受けて、黄金色に輝いている。広場の噴水にも、その葉が浮いて光っているようだった。
秋も深まってきたな……。晩秋の昼下がり、そんな事を思いながら徹は開店準備をしていた。西野さんと一緒に出たイベント以来、売り上げは好調だ。しかし徹はふと気が付くとスマホを手にし、メッセージをチェックしていた。
(今日は西野さん……顔を見せてくれるかな)
悪石島という共通点のある彼女。笑顔が素敵で、一緒にいると明るい気持ちになる彼女の事を、徹はふとした時に無意識に思い浮かべるようになっていた。
お茶目な彼女は、連絡なしで来る日もある。なので今日は会えるかな、と朝起きた時につい考えてしまうのだ。お店の前を行きかう人々の中に、並ぶ列の中に、ついつい彼女を探してしまう。いたずらな笑みを浮かべた彼女が、ひょこっと群衆の中から顔を出した時、ぱっと周りの景色が明るく色づいたように見えるのだ。まるでティンカーベルが、魔法の杖を振って輝く粉が落ちる時のように。
(俺を驚かせるために、わざとやってるような感じあるな)
でも、徹はそれが嬉しかった。なんでもコツコツ取り組み、予定外の事はあまり得意でない徹だったが、彼女に驚かされるのは、楽しかった。
そんな感じで、会えたら嬉しいし、会えなかったら明日が待ち遠しい。
ふぅ、と息をついて徹はスマホをしまった。特に彼女からの連絡はない。にやけていないで脳内を仕事へと切り替えなくては。今夜の営業場所はどこにしようか。
(天文館通りもいいけど、ちょっと足を延ばし鹿児島駅前まで行ってみるかなぁ)
あのイベント以来、声がかかる事もあって、このお店を停めておける場所も増えた。移動のため外の看板を畳みながら、徹の口から思わずぽつりと声が漏れる。
「ありがたいことだな……」
食べ物で、人の役に立つ。その対価を貰って、生きていく。自分一人の腕で、この店を切り盛りして運営しているのだ。そう思うと、誇らしかった。
(それに、こういう販売方式だと、お客さんの顔も見えるし)
美味しかったです、ご馳走様、今日はあれ、ある……?
今までかけてもらった様々な言葉が、おにぎりを頬張る笑顔が、甦る。
自分の料理が、誰かに喜んでもらえている。それを対面で確認できるのは、何にも代えがたい嬉しさがあった。その嬉しさに、結果的に黒字もついてくる。思い切ってこの車を買ってよかった、と徹はしみじみ思った。
「本当に、感謝だ」
ふっと一人笑った徹の後ろに、その時誰かが立った。
「ふうん……感謝って、誰に?」
徹の背筋がゾッと寒くなる。このバカにしたような口調。わずかにせせら笑う語尾……。
(まさか……なんでこの人が、ここに?)
徹は半信半疑でゆっくりと振り向いた。
「五十嵐、さん……?」
「よお三笠。久しぶりだな」
へらりと笑って片手をあげるその姿は、まさしく五十嵐だった。
風雲の料理人。あの厨房の親方の弟子で、徹の先輩にあたる人。
そして、徹を騙して罪を着せ、風雲から追い出した張本人――。
一体、その彼がなぜ今、自分の前に居るんだろう。まさか、また何か罠を用意しているのだろうか。徹は身構えた。
「こんな所に、何の用ですか?」
すると五十嵐は顔を歪ませた。
「ははっ、うぬぼれるなよ。別にあんたに会いに来たわけじゃないよ。たまたま旅行しにきたってだけ」
五十嵐のへらへらしたこの言動には、ずいぶんと翻弄されてきた。彼は基本的に、尻尾をつかませない。自分の本心を言わないで、都合の悪い情報は伏せ、相手よりも優位にたって、ギリギリまで振り回す。
そういうタイプだ。基本まっすぐな性格の徹は、そこが苦手だった。
でも、もう彼は自分の先輩でもなんでもないのだ。言う事を聞く必要も、上手くやっていく必要もない。徹はバッサリと断定した。
「この季節に鹿児島に旅行? 沖縄ならともかく。何か話があるなら聞きますよ」
それに、師匠はすでに自分の身の潔白を知っている。それけで徹は、毅然とこの男に対応できるような気がしてきた。
俺と、俺の店に何かする気なら――本気で抵抗してやる。
徹はそう思いながら五十嵐を睨んだ。
「はは、そう怒るなって。そうだなぁとりあえず、おにぎりを貰おうかな」
ところが五十嵐はいつもの様子ではぐらかした。
「もう完売です」
「ええ? 残念だな。じゃあなんか奢ってよ。儲かってんだろう?三笠くんさぁ」
絡みつくようなその言葉を、徹はきっぱり拒絶した。
「たとえ売れ残ってたとしても、五十嵐さんに売るおにぎりなんてありません。俺忙しんで、話がないなら失礼します」
そう言って徹は車へと乗り込んだ。が、五十嵐は素早くドリンクホルダーに手を突っ込んで、キッチンカーの鍵を取り上げた。
「何を……っ!」
つかみかかろうとしたが、五十嵐はさっと車から出て鍵をその手に握りこんだ。
「返してほしい?」
「ふざけないで下さい。警察呼びますよ」
「呼べばいいじゃん? こんな田舎じゃニュースになるからね。俺一度ニュースに出てみたかったんだよなぁ」
一体、何が目的なんだ。ぺらぺらしゃべるその言葉に、徹は身構えた。
「犯行動機でなんて言おうかなぁ」
突然、五十嵐が演技がかった仕草で両手を開いた。
「ここの住人のためです! だってこのおにぎり屋、前、アレルギーを使って客を殺そうとしたんですよ!ってな」
わくわくしたような笑顔で、五十嵐は言う。
「そしたら、今までお前のおにぎりを食べた客たちはどう思うだろうなぁ?」
この人は何を言っているんだろう……?半ば呆れがなら、徹は首を振った。
「そんな事でニュースになんてならないし、突然やってきた変な男の言う事なんて、誰も信じない」
「へぇぇ?言うようになったじゃん。ま、たしかに車のキー盗むくらいじゃ、ニュースにはならないわな」
そう言って、五十嵐は車に乗り込み、一歩徹に近づいた。その手に、何か鈍く光るものが握られている。
「だからお前が言う事聞かなかったら――これでニュースになってやろうと思ってさ」
ちょうど徹の心臓の上に、サバイバルナイフが突きつけられていた。
(う……嘘、だろ)
一瞬、頭が真っ白になる。信じられなかった。さっきまで、いつも通りおにぎりを売っていたというのに。
(なんで、こんな事に)
五十嵐は、最早怖くもなんともない。けれど突きつけられた鋭い刃は、怖くないわけがない。徹は必死で頭を使った。ここはオフィス街。ちょうど昼下がりころは皆オフィスに戻って人通りが少ない。加えて車の中にいるせいで、ここは外から見えづらい。かといって車から逃げ出せば、鍵を持つ五十嵐に車を好きにされてしまうかもしれない。
(いや待て、この卑怯な五十嵐が、自分の手を汚して殺人なんてするか? ただのこけおどしだ、落ち着け、落ち着け……)
徹はできうる限りの冷静な声で言った。
「なんのつもりだ。こんな事したら、あんたの損になるでしょ。何が目的なんだ」
しかし五十嵐はくくっと笑った。
「よく聞いてくれましたわ。三笠くん、俺にこの車ちょーだいよ」
「……は?」
「聞こえなかった?ちょうだい。くれなきゃこれ刺すよ」
つっ、と刃の先が徹の胸の上をすべる。まっさらに新品のナイフが、徹の前掛けに切れ目を入れた。
「む、むちゃくちゃだ……! なんでそんなこと。だいたいこの車なんて手に入れて、どうするんだ!」
「錦江湾に放り込んでやるよ。霧島の滝つぼでもいいけど」
この男は――本当に、何を言っているんだろう?
この車が欲しいだって? これを壊して、徹に嫌がらせをしたい、そのためだけに?
(俺が……俺がまた料理をできるようになって、この車を手に入れて……それでここまでくるのに、どれだけかかったと思っているんだ!)
ずっと冷静を保っていた徹だったが、この言葉にとうとう怒りが弾けた。
「ふざけんな……っ」
すると刃がくっ、とさらに進み、徹の服に穴が開く。
「あーあ、いいのかな? そんな事言って。いつでも刺せるよ? 俺」
なおもへらへらしている五十嵐の目を、徹はじっと覗き込んだ。その目はまるで酔っているような、なにもかもどうでもいいような――そんな投げやりな光と、徹に対する憎しみが浮かんでいた。そこで徹は、気が付いた。
「……俺に復讐しにきたって事っすか」
「復讐?」
「だって五十嵐さん、いままでやった悪い事がバレて風雲首になったんでしょう。それで腹いせに、元凶の俺をどうにかしようと来た」
言っているうちに、どんどん怒りが募ってくる。
いったいどこまで卑劣なチンピラなんだろう、この男は。徹を罠にはめて料亭から追い出しただけでは飽き足らず、本州最南端に来てまで徹の店を潰すつもりなのか。
腹が立つ。一発といわず何度も横面を張ってやりたい。今までやられた事を、全部倍にして返してやりたい。そんな気持ちが湧いてくる。
その怒りが、ナイフの恐怖を上回った。
「全部自業自得でしょうが!自分のやった事が、返ってきただけ。それで俺に八つ当たりとか、情けなさすぎるだろ!」
「な……!」
この後に及んで、まさか徹が噛みついてくるとは思っていなかったらしい五十嵐が、目を見開く。
「やった事の支払いはかならずしないといけない。小学生でも知ってるけど?ほら、俺を刺せばいいじゃないですか。きっと高くつきますけどね!」
「てめぇ……!」
徹は負けじと身を乗り出して五十嵐を睨んだ。
「俺が怖がってなんでも言う事聞くとでも思ってました? また、あんたの言いなりになるくらいなら……」
徹は座席の間に手をつっこんだ。そこには焼きおにぎり用の予備のガスバーナーがあった。
「これでその性根ごと、焼いてやる!」




