大国ヴェリルク
〈日本都市〉が存在する座標より遥か東。
〈表世界〉ならば北アメリカ大陸と呼ばれるその地には、現存する数少ない国の中でも最も大規模な軍事国家が存在していた。
その大国の名はヴェリルク。
〈日本都市〉よりも遥かに多くの魔戦師が軍部に所属し、その練度も自警団と遜色ないほど。
それでも自警団のトップクラスと比べるとなると、ヴェリルクにも匹敵する者はさほど多くない。
だが、ヴェリルクは他国には無い、圧倒的に脅威度の高い部隊が存在していた。
空を飛ぶという行為が、魔戦師本人の技量としても、そして魔道具の技術的にも安定してない現代、飛龍を駆る事でそれを容易に可能にしてしまった者たち。
彼らはそのまま、〈飛龍部隊〉と呼ばれていた。
そして今、ヴェリルクはこの部隊を中心に、国全体が不穏な空気に包まれていた。
問題の起点となっているのは部隊のトップにして、ヴェリルクの中でも最高クラスの権力を持つ男の存在だった。
「__ヴァーミリオン閣下! 失礼ながら考え直して頂きたい!」
「……何の話だ?」
彼は〈飛龍部隊〉の隊長と言うだけでなく、ヴェリルク内における貴族であり領主の一人であった。
その在り方はあまりに有名で、〈日本都市〉でもヴァーミリオンの名は知られている。
尤も、ヴァーミリオンは家名であって彼自身の名ではないのだが。
「とぼけないで頂きたい! 目に余る行動が多いのは昔からであったが、最近は特に酷い! 重税に加え給金の低下、更に財産の徴収……何を考えておいでか!? このままでは領民たちも限界を迎え、終いには暴動も……うぐっ!?」
彼に詰め寄るのは壮年の男性。
弱者に興味がないために彼は覚えていないのだろうが、その男はかつて彼の側近を勤めていた者だった。
今となっては、別の若者が側近を勤めているのだが。
そしてその男の体は唐突になにかに締められたような状態で宙を浮いた。
彼はまるで話にならない男の抵抗に静かに薄ら笑いを浮かべ、ゆったりと席を立つ。
二メートルを優に超える巨躯はのしのしと男の前まで歩みを進め、大きな手を男の顔へと伸ばす。
「__勘違いしてないか?」
「なに、を……!?」
「まず、我が国の基本理念は徹底的な弱肉強食。強者の定めた法に抗うのは勝手だが、弱者がどれほど吠えた所で意味などない。強者こそが勝者たりえる……つまり、俺のやり方は正義そのものだ」
「そんな……ふざけた、はなしが……」
「それにな、俺の生い立ちを知らぬわけではあるまい? 例え領民が反旗を翻し、俺一人孤立したところで、何の問題にもなりえん。そもそも、俺を担ぎ上げたのはお前たちだろう?」
「ぐぅっ……しかし……!」
「まだ口を閉じんか……面倒だな、お前ももう要らんし消しとくか__」
「ヒッ……」
手を伸ばし、男の顔を掴んだ彼は、手の力を少しずつ強めていく。
このまま頭を握り潰されるのかと恐怖に引き攣った声が男の喉から零れる。
だが、唐突に強さを増す彼の手が止まった。
その理由は、部屋の外から騒々しい物音が聞こえてきたからだ。
何かが駆け回り、暴れる音。
部屋の前に配置した兵たちが困惑する声。
そしてこの熱気。
彼は気がついた。
よく知る人物が来訪して来たのだと。
そして__
『退きなさいッ!』
『うわあぁぁぁあッ!』
誰かの怒号と兵たちの悲鳴が響き渡り、同時に爆発を伴い部屋の扉を吹き飛ばす。
炎に包まれた入口を掻き分け出てきた人物の姿を見て、彼は静かに笑を零した。
「……随分と、騒々しいノックじゃないか」
「……何を考えてるの、父様?」
少しくすんだ色をした父とは違い、美しい炎のような赤い髪を靡かせて入室してきたのは彼の娘だ。
その表情には怒気を孕んでいた。
「何を? 意味がわからないな」
「とぼけないで! それに今だって……」
少女が目を向けるのは、今なお彼に掴まり苦しそうに藻掻く男。
その視線に気がついた彼は、興味が失せたと言わんばかりの真顔で男を解放したが、予想外の対応に男は着地もままならず尻もちをつく。
「うぐっ……」
「これでいいのか?」
「それだけじゃないわ! もう数ヶ月と重税に財産の徴収に……領民を苦しめて、革命軍まで生まれてる始末。前まではちゃんと領主としてやってきたのに、何を急にそんな……」
「お前までそんなことを……」
少女が家を抜け出し街へ下りている事は彼も把握していた。
そして、領民と対話をしているのも。
その行動が、父の暴挙を止める為だと言う事も。
「国の理念は理解してるわ。でも、何をしても許される訳では無いでしょう? それがわかってるから父様も以前まではしっかりと領主としての仕事を__」
「そこまで分かっていながら、まさかなんの理由もなく俺が動いているとは考えていないだろうな?」
「それは……」
厳しい視線を向けられ、少女は怯み口篭る。
この国の理念、弱肉強食を彼ほど極端に捉えている者は殆ど居ない。
そんな彼ですら、かつては最低限まともに、責任をもって領主を勤めていたのだ。
とはいえ彼のような人間が領主に任命されたのは、国側による一種の足枷をつけるような意味合いで、つまりヴェリルクの上層部ですら彼を扱いかねている訳だが。
それが何をしたら、数ヶ月程度で革命軍が編成されるほどの酷い管理になるのか。
勿論、何かしらの理由があるとは考えていた。
だが、それが何なのか少女には思いつかなかったのだ。
「フレミア」
低い声で名を呼ばれ、少女はビクッと肩を揺らす。
「何を考えているか、か。ならば教えてやろう。何も難しいことは無い、戦争の為だ」
「……戦争? 魔王軍との?」
当然だが、魔王軍が率いる魔族や魔物たちに脅かされているのは〈日本都市〉だけでは無い。
ヴェリルクの軍人たちも日夜戦い続けているし、フレミアもまたヴェリルクにおいて指折りの実力者だ。
然しながら、魔王軍の戦力は相当なもので、頭数だけならヴェリルクですら到底及ばない。
まして、彼らが動きだしたというのならとっくに連絡があるはずだ。
それがない上に、数ヶ月かける悠長な戦争準備ともなれば__
(魔王軍……ではない?)
その可能性に行き着いたフレミアは、更に脳裏を過ぎる想像に鳥肌を立てた。
「……まさか、他国と戦争をしようと? 同盟を組むならまだわかるけど、戦争を仕掛けるっていうの!?」
「……及第点だな」
正気の沙汰では無いと声を上げるフレミアに、彼はニィッと笑いかける。
一体、どこに戦争を仕掛けるつもりかと気を揉んでいたフレミアに、彼は躊躇うことなく答えを口にする。
「〈日本都市〉__奴らに仕掛ける」
「よ、よりにもよって〈日本都市〉に!?」
「そうだ。が、訂正するなら、よりにもよってではない。だからこそ、だ」
驚き声を上げるフレミアに、彼は大きく口を歪めて嗤う。
〈日本都市〉の魔戦師は、ヴェリルクの魔戦師の軍勢に比べれば数で大きく劣るが、その質の高さはヴェリルクは勿論、他の国と比べても頭一つ抜けている程だ。
少数精鋭、一騎当千とはよく言ったものである。
だからこそ、その戦争には価値がある。
「勘違いするなよ? 潰す為ではない。従属させる為だ」
「従属って……倒して無理やり従わせるって事でしょう?」
「そういう事だ」
彼はこの国の理念に誰よりも心酔する者だ。
勝者こそが正義だと信じて疑わず、弱者の反論を決して許さない。
例え有能な者でも、容赦なく叩き潰すだろう。
この国のあり方としてもやり過ぎな思想を、彼は他国にまで押し付けようとしている。
「いくら俺でも、魔王軍を我が国の魔戦師たちだけで倒せるとは思わん。むしろ今回、どれだけの犠牲を出したとしても、奴らを従属させられるなら大儲けだ。連中にはそれだけの価値がある」
「……そんなのダメよ。父様が無事で済んでも、他の兵士たちが無事で済むとは思えないもの。そうでなくとも同盟ならともかく、戦争しかけて無理やり服従させるなんて……!」
「なら、どうする?」
父からの問いかけに、フレミアはすぐに口答しなかった。
代わりに、彼女の全身から炎が迸る。
それが彼女の答えであり、彼は貼り付けた笑みを更に大きく歪ませた。
「__止めるわ、今ここで!」
「俺に勝てるとでも?」
「別に__勝てなくたっていいのよッ!」
父の強さはよく知っているし、勝てる見込みは微塵もない。
だが、それでも良いのだ。
雄叫びと共に懐へと飛び込むフレミア。
その速さに彼は意外そうに感心したような声を漏らす。
「……ほぉ。成長したな、フレミア__」
炎を纏う掌底が彼の体に触れた次の瞬間。
周囲が爆煙に包まれた。
フレミアの狙いは、父を行動不能に追い込む事だった。
例え自分の命がここで潰えようと、このまま予定通りに彼を動かすのは危険だと感じたからだ。
或いは、魔王軍との戦いより先に人類同士の大戦へと発展しかねない。
だから、勝たなくてもいい。
ここで、父の想定を先送りに出来るのなら。
そんな彼女の狙いは__一瞬で潰されることとなる。
爆炎によって吹き飛ぶ領主邸の一角。
炎に包まれるその場所から宙を舞うフレミアの体は、火傷を中心としたダメージでボロボロだった。
ここまでなら彼女の想定の範疇だったのだが、問題は父の状態。
爆煙の中に見える彼の姿を見れば一目瞭然だ。
(いくらなんでも、そんな……無傷なんて……)
彼を覆うのはフレミア同様炎だが、魔力の密度が桁違いだ。
それ故に炎というより溶岩に近い色であるのだが、先の爆炎を除いて周囲のものは一切燃えていない。
あの馬鹿げた密度の魔力を制御しきっているという事だ。
悔しげに歯ぎしりするフレミアを父は愉しげに見上げていた。
「やるじゃないか。だが俺の装甲を貫くには足りんな」
「まだ分からないでしょ__クリス!」
フレミアの体が落下を始めるが、彼女が名前を呼ぶと、それは物凄い速度で現れて宙のフレミアを拾い上げる。
フレミアが飼う、赤い体を持つ飛龍。
まだ若いが、その強さは〈超級〉クラスの龍種に匹敵する。
フレミアもまた、〈飛龍部隊〉の一員なのである。
「ごめんなさい、クリス。もう少し私に付き合ってね」
クリスの背に跨り身体を撫でると、クリスは機嫌良さそうな声と共に目を細める。
次いでキッと鋭い視線を向ける先は勿論彼だ。
「……いいのかクリス? 俺を敵に回すということを、理解しているのか?」
嘲るような笑みを上空に向け、彼は語り掛ける。
その問いに対するクリスの答えは、力任せな野生の龍種が放つものとは段違いの、高密度に圧縮されたレーザーの如きドラゴンブレス。
それは狙い違わず彼を襲い、その姿は一瞬にして光に飲み込まれる。
これで倒せたとは思わないが__
(せめて少しくらいダメージになってくれるといいんだけど……)
無論、無事である方が異常なのだが、爆炎も延焼もなく抉りとったような痕跡の中に__相も変わらず無傷で佇む彼の姿にフレミアは厳しい表情を浮かべ、クリスは不機嫌そうに唸り声を上げる。
(これでもダメ……ほんと、どうしたら攻撃が通るのかしらね!)
「フレミア、クリス」
何事も無かったかのように二人の名を呼ぶ父。
その声に威圧するような力はなかったが、既に為す術のないフレミアはビクッと肩を揺らした。
「俺を敵に回すというのがどういうことか教えてやろう__グレア」
彼が何者かの名を呼ぶ。
その名前にフレミアは顔を引き攣らせ、クリスは警戒心を剥き出しにしていた。
その名前の正体は、少しして直ぐに現れた。
余りに大きい、三十メートルには達するかという巨体を持つ赤い飛龍。
かつて彼が倒し、調教して飼い慣らした龍であり、クリスの母に当たる彼女は、凄まじい力を持っている。
龍種には〈超級〉クラスより上に、他の魔物とは別の階級が存在している。
一つは〈古龍〉。
圧倒的な力と、長い年月を生き人すら凌駕する知性を持つ彼らは、その個体数が恐ろしく少ない。
確認されているだけでも両手の手で数え切れるくらいだ。
グレアは流石にそこまででは無いが、次点で強力と言われ、知性も確認されているクラス__〈老龍〉の領域にある炎の龍。
〈古龍〉に比べれば希少性は劣るがそれでも珍しい事に変わりのないグレアの種は〈エルダー・クリムゾンドラゴン〉と言うそうだ。
端的に言うなら、〈超級〉クラスの〈クリムゾンドラゴン〉が長く生きた姿なのである。
「俺を敵に回すということはすなわち、彼女も敵に回すということだ。万に一つも、勝ち目があると思うか?」
「う、く……」
変わらず愉しげな様子の父に構う余裕は、フレミアにはなかった。
実力だけなら、グレアを倒した父の方が強いだろう。
だが彼女は、最強の生物と言われる龍種の中でも極めて強力で、その巨体から放たれる威圧感も尋常ではない。
クリスですら五メートルを超えるかというところなのだから、その差は歴然だ。
更にフレミアが気圧されている間に、グレアは口の中に炎を溜め込んでいく。
あの巨体から放たれるドラゴンブレス。
もはやどんな威力になるのか想像できたものでは無い。
「クリス回避ッ! 全力で!」
フレミアの指示を受けたクリスは、ともすればフレミアの体を振り落としかねない勢いで急加速し、ブレスの軌道から外れる。
次の瞬間、極太の熱線がグレアの大口から放たれ、掠めた領主邸の一部が消し炭になった。
(躊躇いもなく……なんて威力!)
その光景に、思わず鳥肌が立った。
元から勝ち目は無いとわかっていたが、ここまで手も足も出ない程の差があるのは想定外だ。
(……多分、殺される事は無いけど、このままだとボロ負けした挙句拘束されるだけ。でもみすみす戦争を引き起こす訳には行かない。何も出来ないならせめて__)
ギリ、と歯を食いしばると、フレミアはクリスに耳打ちをする。
「……ここから離脱するわよ。行先は__ッ!」
父の位置では聞こえない程度の声量。
しかし何かを話していることくらいはわかる。
何かしらを企むフレミアに追撃を仕掛けるのはおかしな事では無い。
「どうした? 反抗した割にはもう終いか?」
「……父様を止められずに、ここで捕まるくらいなら……クリス!」
フレミアの指示で、再び超加速し上空に飛び立つクリス。
暫く高度を上げると、今度は目的地のある方角へと物凄い勢いで飛び去っていく。
「……逃げるか」
「__グリシャ様」
つまらない、と言いたげなため息と共に飛び去る影を目で追う彼に、一人の青年が声をかける。
グリシャ、と呼ばれた彼の側近だ。
「どうした?」
「少々暴れすぎです。せめてもう少し自重して戦って頂きたい……それで、ご息女についてはどうされますか?」
「そうだな……後を追わせろ。十人くらい入れば連れ戻すには十分か?」
「了解しました。すぐに手配しましょう」
グリシャの指示を受けて、青年は一例をしてその場を立ち去る。
ただ一人、その場に残ったグリシャは静かに笑みを浮かべた。
「好きに動くといい。どうせお前では、俺を止められはしないのだからな__」




