三話「海蛇騒動」
莉緒と美緒が水飛沫と共に舞い、彼女らを吹き飛ばしたと思われる怪物がその姿を現す。
黒銀色の鱗をもつ、巨大な蛇だ。
「でっか……」
「〈海蛇〉じゃないか!」
「あれが……」
珍しくギョッとする遥樹の言葉に、将真は改めて巨大な蛇を凝視してみた。
一応、授業でも教えられたから、どういう存在なのかはわかる。
〈海蛇〉は書いて字の如く、海に住まう蛇だ。
だがその図体は十メートルを超える大蛇で、太さは平均して一メートル以上にもなる。
主に海底を住処にしている為、非常に頑丈な表皮や鱗を持っている上に、魔力障壁を張っているせいで魔力を伴う攻撃が効きにくいという厄介な特性を持っている。
〈海蛇〉自体は強力な魔獣という程度だが、戦闘場所は必然的に海上となる。
海上での戦闘に慣れている魔戦師は自警団にすらそう多くなく、その為に最強クラスの危険な魔獣として知られているのだ。
将真は今回の任務内容を思い出す。
(魔獣が結界内で出現するなんて有り得ない! だとすればこれは、結界に穴が空いてたのか……!?)
結界の状態確認。
それが将真たちに休養を取らせる建前で、柚葉が彼らに与えた任務だった。
と言っても、結界の状態はまず問題は無いと思われていたものだったのだが。
「悠長に眺めてる場合じゃないよ! ボク、莉緒ちゃんたち助けてくる!」
「落ち着きなさい! 近づいたら危ないわよ!」
「じゃあどうするの!?」
リンが焦って指を指した先では、無防備に浮く二人に〈海蛇〉が喰らいつこうとしているところだった。
「__装填〈雷砲〉、〈空気衝撃弾〉」
その声に振り向くと、いつの間にか真那が巨大な銃火器を武装していた。
「ちょ、真那ちゃん!?」
「__〈発射〉」
そして彼女は、慌てて静止しようとしたリンを待たず、轟音と共に弾を撃ち出す。
ハラハラとした視線を送る第二小隊以外の面子だったが、〈雷砲〉は〈海蛇〉に直撃し、その動きを止めた。
そうして痺れている所で、少し遅れて〈空気衝撃弾〉が頭に着弾する。
発生した爆風に煽られて仰け反る〈海蛇〉。
更には喰われかけていた二人も同じように爆風の影響を受けて、海岸の方へと落下を始めていた。
「軌道は確保したよ。紅麗」
「ゲェ、まだ結構距離あるじゃないの、もう!」
急な役割交代を受けて、顔を顰めて文句を口にする紅麗の背中から、人の腕ほどの太さの血の副腕が生えてくる。
そしてそれは、莉緒と美緒を捕まえる為に勢いよく伸びていき__途中で動きを停止した。
「紅麗?」
「ちょ、無理……! 流石に、血が足りないわよ……!」
膝を崩して両手を着く彼女の副腕は、数十メートルもの長さまで伸びていたから、その消耗は相当なものだろう。
だから紅麗の言うこともわかるが、二人を意識が無いまま落下させたら、海の上であっても大怪我に繋がりかねない為、放ってもおけない。
すると、いつの間にか紅麗の隣にまで駆け寄ってきた遥樹が、へばる紅麗に合わせてしゃがみ、顔の前に腕を差し出した。
「紅麗、不足分は補ってくれていいから、頼むよ」
「…………はぁ、もう、しょうがないわね。なら遠慮なく貰うわよ」
盛大にため息をつくと、紅麗は両手で遥樹の腕を取り、そこに口付けをした。
正確には、伸びた犬歯を突き立てたのだ。
半分吸血鬼の紅麗は、血を吸うことで調子が上がり、自身を強化できる。
だが、あまり長々と吸血行為を繰り返せば、遥樹が干からびてしまう。
そうでなくとも、吸血行為には副作用があるのだ。
ある程度頃合を見て、遥樹がやんわりと紅麗の頬をペチペチと叩く。
「そろそろお終い。これ以上は僕も厳しいよ」
「……ぷはっ、りょーかい。これだけ貰えれば十分よ」
遥樹の腕から紅麗が口を離して、親指で口元を拭う。
その頃には、莉緒と美緒はかなり下まで落下していたが__
「そいっ!」
改めて伸ばした紅麗の副腕に掴まれて、堕ちる前に事なきを得た。
紅麗はそのまま加減なく引き戻し、二人の体は勢いですっぽ抜けて、海辺に水飛沫を上げながら転がり落ちる。
「うわぁっ!」
「わわっ……み、美緒ちゃん大丈夫!?」
「うう……」
「な、何とか……」
その際に何とか受け止めたリンと佳奈恵のお陰で、大きな怪我も無く済んだようだった。
「……あ、暫く体起こさないで。今はちょっと不味いから……」
「じ、自分も、同じく……」
「え? えっと……」
「うん、わかった」
二人の要請にリンと佳奈恵は顔を見合わせる。
起こそうとした時、彼女らの体が一瞬身震いしたような気がしたが、やはり体のどこかが痛むのかもしれない。
そんな事を考えている間にも、紅麗が慌てるように背後を振り向いて声を上げる。
「ちょっと! 早く引き上げなさいよ、危ないわよ!」
「待って! 二人ともまだ本調子じゃないから!」
「じゃあ早く何とかして! あとあんた達は避難誘導!」
「あんた達って……お前らはどうするんだよ?」
将真の問いに対して、第二小隊の三人はそれぞれ武器を構えて答える。
「__アレの相手を」
まず前提として、〈海蛇〉に半端な魔法は効かない。
体を覆う魔力障壁を抜くほどの火力が必要になる。
だが、ただ強力な魔法を打ち込めばいいというものでは無い。
結界内の海は、夏場になれば一部を娯楽の一つとして解放する訳だが、本来は水生生物の養殖を目的として確保された場所だ。
それほど危険のない水生の魔物も、少ないながら飼われていたりもする。
そんな場所で何も考えず強力な魔術を不用意に放てばどうなるか。
海産物や研究対象にダメージを与える可能性があり、その場合、大きな損害を産むことは想像に難くない。
「俺は? 俺の攻撃なら通りやすいだろ?」
「海の上で戦える?」
「それは……ちょっとわかんねーけど」
「じゃあダメ。危なすぎる」
「むぐ……」
響弥の提案に、この面々で彼の次にまともに雷属性が使える真那が静かに首を横に振る。
確かに水生の魔獣なのだから、他の魔物等と比べても雷属性が通りやすく、そういう意味では響弥が非常に有効だ。
だが響弥ではリーチが足りない。
しかも火力が高すぎて、海上で攻撃を放てば懸念通りの結果が生まれるだろう。
海中への被害を最小限に抑えようと思ったら、接近しなければならない。
だが、響弥に水上戦の経験は殆どない。
相性が良くても、リスクばかり背負うような戦いは容認出来ない。
「って事は私もダメか……」
「火力だけならむしろ十分すぎるんだけどね」
項垂れる響弥の隣で残念そうに呟く杏果に、遥樹が苦笑して頷く。
そして静音は火力、リーチ共に足りない為、第三小隊はこの戦いには参加出来ない。
「じゃあ私は?」
「あんたもダメよ。生態系にダメージ与えかねないんだから」
ようやく起き上がるに至った美緒の提案には、紅麗が首を横に振った。
美緒の氷属性は、雷属性に比べれば幾らかマシだが、この距離から届いて尚且つ〈海蛇〉に通る程の威力で放てば、海中の生物をも纏めて凍てつかせてしまう。
美緒の魔力制御力は学園でも突出しているが、それでもこの距離で、海中への影響を考えて放つ威力では、ダメージが通るかは微妙なところだ。
猛は相性が最悪なので勿論なし。
佳奈恵は、恐らく対抗可能ではあるだろうが、その為の準備に時間がかかる。
よって、第四小隊も戦力外だ。
そして第一小隊は。
「……自分も猛さんと同じく、相性は悪いッスからね。それでも近づけば倒せる自信はあるッスけど、さっきのダメージもあるんで遠慮しとくッス」
それに莉緒と美緒は海中で、〈海蛇〉の姿をはっきりと見ていた。
海上で怒声の如き雄叫びを上げる〈海蛇〉は一体だけ。
二人が見た時より、二体足りていないのだ。
莉緒も水上戦に慣れてはおらず、姿が見えない二体を警戒しながら戦うのは難しい。
「ぼ、ボクは? 近づかなくても、槍を投げれば倒せると思うんだけど」
「……まあ貫通力はあるし、威力が足りれば行けると思うわ。でも確かリンって制御力落ちてなかったっけ? あの距離で貫通させられるだけの威力を制御できる?」
「……やめます」
紅麗の少し厳しめの言葉に敢無く撃沈し、しょんぼりと肩を落とすリン。
そして残る将真は。
「……なるほど、投げる、か」
「……何考えてんの?」
「いや、ちょっと試してみようかなって」
リンの発言から何を思いついたのか、戦えるか否かを確認される前に、その手にいつもの棒状の武器を生成する。
そしてそれを強く握りしめると、〈海蛇〉を睨むように見据える。
「何をする気かな?」
「要は近づかなくても……無駄な被害を抑えてダメージを与えられりゃ、いいんだ、ろッ!」
遥樹の問いに答えながら少し後退して、助走をつけながら魔力を込め、身体強化と共に槍投げの要領で勢いよく投擲する将真。
途中で不安定にぶれることはあったが、それでもその一投は意外にも、狙い違わず〈海蛇〉目掛けて飛来し直撃した。
瞬間、割れ物が砕け散るような破砕音が、彼らの耳に届いてくる。
そして気に触ったのか、怒りを露わにするように〈海蛇〉が何度目かの雄叫びを上げた。
「……効いてないじゃん」
「かたっ! 行けると思ったんだけど……」
「分かってたことでしょうが!」
「いって!」
考えが甘いと言うように臀部を紅麗に蹴飛ばされて、将真は思わず声を上げてよろめいた。
「もういいからさっさと避難誘導!」
「わ、わかった、分かったって……!」
つい出しゃばってしまった上に、思惑通りに行かず、更にどやされるという三連コンボに少なからずショックを受けつつも、将真も第二小隊を残して指示通りに避難誘導を開始する。
その様子を確認して、紅麗は漸く落ち着いたというようにため息をついた。
「全く、下手に出しゃばるんじゃないわよ、もう」
「まあ、発想は良かったんだけどね。如何せん、まだ力不足かな」
紅麗の厳しい言葉に苦笑しながらも、遥樹も肯定を示す。
その隣には、莉緒と美緒と短い会話を交わしていた真那が戻ってきていた。
「ちょっといい?」
「何よ」
「手短にね」
「うん。〈海蛇〉何だけど、アレの他にあと二体いるって」
「うげぇ……」
真那の報告に、紅麗は嫌そうに顔を顰めるが、遥樹は特に反応を示さず、思考を巡らすように沈黙した。
それも僅かな間ではあるが、伏せていた目を開いた時、彼はポツリと呟く。
「……うん、誘い出そうか」
「へ?」
「さて、やるよ二人とも」
「うん」
「いやさぁ、勿論やるけど説明しなさいよね」
遥樹の呼び掛けに、真那は素直に頷くが、紅麗は少々納得がいっていない様子でむくれる。
その様子に、遥樹は困ったように小さく笑った。
「そうだね。じゃあまずは、飛んでもらってもいいかな? 海上に出てるあの一体を、ちょっと引き付けておいて欲しいんだ」
「りょーかい」
今度は素直に答えると、紅麗はその場でしゃがみこみ、次の瞬間に踏み込んで、〈海蛇〉を見下ろせるほど高い位置まで跳躍する。
そして紅麗が動くと同時に、遥樹は身体強化魔法をかけると共に体内で魔力を循環させる。
「真那は撃ちだす準備をしておいて」
「ん、わかった。属性は?」
「雷でいいよ」
「ん。じゃあ__装填〈雷撃砲〉」
遥樹の指示を受けると、真那は先程よりも強力な雷属性の魔力を溜め始めた。
上空の紅麗は、体が落下を始めるタイミングで血装による翼を背に生やした。
その大きさは片翼だけでも彼女の数倍はあり、遥樹の血を吸っているからある程度余裕はあるが、そうでなければかなり血と魔力をギリギリまで使ってしまっていただろう。
そして翼がバサバサと大きく羽ばたく度に、鱗粉のような赤く煌めく粒子が無数に零れていた。
羽ばたきに耐えられず、僅かながらに翼が自壊しているのだ。
だが、ただ自壊するだけに終わらせるほど、紅麗は間抜けではなかった。
赤い粒子は〈海蛇〉の魔力障壁に触れると、パチパチと弾けるような音を立てる。
障壁を抜くような威力はないが、〈海蛇〉は鬱陶しそうに身を捩り、紅麗に向かって吠える。
(よし、囮役は十分出来そうね。あとは任せたわよ)
時折放たれる魔力の光線を血装で防御しながら、紅麗は眼下の遥樹へと視線を落とす。
「__よし」
その頃に丁度、彼も準備が整ったようで、顔を上げるとその場からゆっくりと歩き出し、徐々に速度を上げて水上を駆け出していく。
同時に真那が、少し高くへ銃口を傾けて構える。
何時でも発射できる体勢だが、まだ撃たない。
あと十数メートルで〈海蛇〉と接触するというところで、遥樹は足を止めて跳躍した。
その瞬間、海中に身を潜めていた残りの二体が誘われたように飛び出して、遥樹へと襲い掛かる。
(やっぱり、魔獣だけど思いの外賢いね)
恐らく、初めに出現した一体は囮として出てきたのだろう。
接近戦にでも持ち込ませれば、勝手に魔術師側から近づいてくるのだから。
だが、既に莉緒たちに姿を見られているというのに、隠れ潜んで誘き寄せようとしている辺りは、やはり知能が足りていない気がした。
(まあ所詮は魔獣だし、賢いと言ってもたかが知れてるね)
そんな感想を抱きながら、海中から出現した二体のうち一体の頭を、遥樹は強烈に蹴り上げる。
大したダメージにはなっていないが、蹴りを食らった〈海蛇〉は、その巨体を海中から完全に引きずり出されて宙へと浮いた。
そして遥樹は、蹴り上げた〈海蛇〉の方には見向きもせず、もう一体の方を振り向いて空中に立ち、魔力で生成した剣を振り上げる。
上空では、蹴り上げられた個体に気が付き意識が逸れた〈海蛇〉目掛けて、紅麗が急降下していくところだった。
接近に気がついた〈海蛇〉は大きく口を開くが、その行動は紅麗の狙い通りだった。
紅麗が両手を空に掲げると、そこには凶悪な形をした、血の色の大きな棘鉄球が生成される。
更に海岸では、時は来たと言わんばかりに真那が引き金を引く。
すると銃身に、電気が弾けるような音が発生し、遥樹に浮かされた〈海蛇〉目掛けて強烈な雷光が放たれる。
「__〈血連爆弾〉!」
「__神技〈聖剣〉」
「__発射」
三人がほぼ同時に、それぞれ別の〈海蛇〉に攻撃を放つ。
紅麗の攻撃を受けた〈海蛇〉は、口内にぶちまけられた血の爆弾を食らうと、ぶくぶくと内側から膨張して弾け飛んだ。
遥樹の攻撃を受けた〈海蛇〉は、まるで紙でも切るかのように、あっさりと頭頂から両断された。
真那の攻撃を受けた〈海蛇〉は、雷光によって体を撃ち貫かれ、強力な電流に身を焼かれて黒焦げになって海へと落ちた。
「__よし、討伐完了っと」
海の上に立ち、魔力を解いて剣は虚空に溶ける。
その呟きが聞こえた訳では無いだろうが、真那も小さくため息を着くと、銃器を解除して戦闘態勢を解いた。
そして紅麗は無抵抗に海へと落下し、遥樹が少し慌てて彼女を回収しに動いていった。
そんな一連の様子を見ていたもの達は、思わず呆然とその場に立ち止まって__
「……ば、バケモンかよ……」
将真の呆然とした呟きに、同意せざるを得ないのだった。




