三話「そして始まる序列戦」
『__柚姉ちゃん、どこ行くの?』
『うん?』
見たことの無い制服に身を包み、玄関で靴を履く柚葉。当時はまだ、あの眩く長い三つ編みの金髪、ではなく少し長めの茶髪だった。
その背中に声をかけたのは、まだ幼かった将真だ。
将真よりも七つ年の離れた柚葉は、将真が小学生になる前に、中学生になろうとしていた。
柚葉が小学校を卒業する頃、何度かとある学校から勧誘を受けていたらしく、家族と相談して柚葉はその学校へ行くことに決めていた。
今だから分かる事だが、その学校というのが〈日本第一魔術学園〉だったのだ。
だが、当時の幼い将真にそんな事が分かるはずもなく。彼が理解していたのは、慕っている姉がどこか遠くの知らないところへ行ってしまうという事だった。
『うーん……、どこ、ねぇ。そうだねぇ……』
『うわっ!』
問われて困ったような表情を浮かべた柚葉は、将真の頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫で回す。
『しょーくんにはまだわかんないところ、かな』
『わかんないところ』
『うん。……もしかしたら、もう家には帰って来れないかも』
『……そっか』
『こーら、男の子がそんな顔しない』
『ムギュっ』
寂しそうな表情を浮かべる将真の顔を、柚葉は両手で挟み込むように押さえて目を合わせる。
『大丈夫。帰って来れないかもしれないけど、二度と会えなくなるわけじゃないよ』
『うん……。バイバイ、柚姉ちゃん』
『それも違う。また会えるって、言ったでしょ?』
『……わかった。それじゃあ__』
もう寂しそうな表情は無く、笑顔を浮かべた将真に、柚葉も笑顔を向けた。
『いってらっしゃい!』
『うん、行ってきます!』
「……ん」
微かな唸り声と共に、将真は目を覚ました。
少し見慣れてきた仮宿の天井を見上げ、暫しの間、放心する。
「また随分と、懐かしい夢を見たな……」
体を起こして、大きく伸びをする。
将真は、既にぼやけつつある夢の内容を思い出していた。
今となっては薄ぼんやりとした記憶しかないのだが、確かに昔はお姉ちゃんっ子だった将真。
だが、あれから十年という月日が経ち、その間、まるで音沙汰もなかったのだから、再会するまでは他人事のような気分だったものである。
誰に対しても、特に柚葉に対しては、恥ずかしくない自分であろうと、幼い将真は健気に努力をしていた。出来ることを子供なりに探して、暫くして武術に辿りついた。
だが実力が身につく反面、柚葉との思い出が遠い日のものになるにつれ、寂しかったことも忘れつつあった。そして、努力をする理由さえも。
そんな事を思うと、自分が薄情者に思えてきて、そんな考えを振り切るように、将真は首を振ってため息をつく。
「……さて、今日は序列戦、だったっけ」
リンの話では、編入生ではとてもじゃないが勝ち抜けるものでは無い、という話だ。勿論、初回のみの話ではあるが。
だからといって、将真に容易く負けてやる気など毛頭ない。少なからず不安はあるものの、負け無しのプライドにかけて、本気で勝ちを目指していた。
「よし、やれるだけの事はやるぞ」
そう呟くと、将真は学園へと向かう準備を始める。
運動能力には自信がある。大丈夫。そう、大丈夫なはずだ。
「あ、片桐くんおはよう」
「お、おぉ、おはよう。……もしかして待ってたのか?」
学園に着くと、校舎の前でリンが手を振っていた。その状況に少し戸惑いながらも、将真は彼女の元へと駆け寄る。
「うん。そういえば会場の説明とかしてなかったなぁって。場所知らないでしょ?」
「……知らないです」
「そうだよね。じゃあ一緒に行こっか」
素直に認める将真に笑みを浮かべると、リンはそのまま体を反転させ、将真を先導するように歩き始める。当然、将真もその後ろについていく。
暫くの間、互いに沈黙が続いていたが、遂にリンが呟くように口を開く。
「ねぇ、片桐くん。調子はどうかな。いけそう?」
「……いや、どうかなぁ」
そう返す将真は、少し自信がなさそうだ。
朝起きてすぐは自信に満ち溢れていたくらいなのだが、いざ戦いをイメージしてみると、致命的なことに気がついたのだ。
改めて考えてみれば当たり前の事だったのだが。
(よくよく考えたら、相手は魔術も使ってくるんだよな……?)
将真のイメージとして、魔術と言われれば火の玉を放つだとか、風の刃を飛ばすだとか。
つまり、遠距離攻撃というイメージが強い。
対して将真は、魔術もろくに使えない。そもそも武器がない。昨日リンから聞いた話の中に、武器を魔力で形成する方法もあるらしいのだが。
とにかく、想像してみるとあまりに状況がよろしくなかった。思わず顔が引き攣るくらいには。
そんな将真をみて、リンが苦笑を浮かべる。
「大丈夫だよ。年に三回あるんだから、今回ダメだとしても、次があるよ」
「……それはまあ、分かるんだけど」
「__ちょっと!」
「「うん?」」
それでもやはり、負けたくは無いのだ。そんな事を思っていると、突然二人の間に割って入る声があった。
思わずそちらに視線が向かう。進路を塞ぐようにして仁王立ちするのは、一人の少女だった。校章のリボンの色は同級生を示していたが、少女の割には少し背が高いかもしれない。
桜色、とも取れる淡いピンクの髪は、姉である柚葉とはまた違うものの、同じように目立っていた。
だが、リンにも劣らないほど可憐な顔には、苛烈とも言える表情を貼り付けていた。
昨日の今日だ。もしかしたらあの三人組と関わりがある生徒か、或いは単に編入生である将真を目の敵にしての事だろう。
そう思い至った将真の顔は、少しうんざりしたものになっていた。
「……何、その顔?」
「いや、面倒くさそうだと思っただけだけど……」
「面倒くさいって何よ!」
将真の言葉に苛立たしげにキャンキャン叫び散らす少女。
さてどうしたものか、と考える将真だったが、続く少女の言葉に、自分の想像とは違ったことを思い知る。
「__いいから、リンから離れなさいよ変態ッ!」
「誰が変態かッ!?」
少女の名前は柊杏果。
生まれも育ちも〈裏世界〉で、リンの親友なんだそうだ。
どこからか、昨日もリンが絡まれていたことを聞き付け、心配して様子を見に来たら知らない男子生徒と歩いているものだから、杏果からしてみればおかしな反応ではない。
本人はそう思っているが、将真からすれば過保護だと思うし迷惑だとも思っていた。
「ふーん、片桐将真ねぇ。……片桐、……片桐?」
将真の名前を聞くと、訝しむような表情で反芻する杏果。だが、なにかに気がついたのか、その表情が変化していく。
「……学園長の、関係者? 弟?」
「そーだよ、学園長は俺の姉だ」
「昨日絡まれてたのだって、片桐くんが庇ってくれたんだよ」
「……あれ? 榛名先輩じゃないの?」
「結果的にはそうだけど、最初は片桐くんだよ」
「…………はぁ、しょうがないわね。リンにあんまり男を近づけたくないけど、髪の毛一本分くらいは認めてやるわ」
「なんでそんなに上からなんだよ」
髪の毛一本分ってどの程度なんだと、杏果の評価に納得がいかない将真は唇を尖らせる。
だが、今までの発言からして、将真の脳裏に掠める予感めいたものがあった。
「……お前、男嫌いなの?」
「……別に、嫌いって程じゃないわ。好きではないけど」
幼稚だし下品だし、視線は下心丸出しだし。そうブツブツと呟きながら、杏果は不機嫌そうな表情を浮かべていた。
まあ、男子生徒が下心を向けるのも分からないでもない。将真もそう思うくらいには、杏果のスタイルはかなり良かった。
「リンもいい加減抵抗しなさいよね。相手を付け上がらせるだけよ。編入生に対する態度が横暴なやつって全然減らないし」
「……ん? リンって編入生、なのか?」
「あー、うん。中等部入学時点でだから、もう三年前なんだけど、ボクも元から〈裏世界〉にいた訳じゃないんだ」
話を聞いたところ、中等部は高等部ほど差別的な目は強くないが、良くも悪くもリンの容姿は目を引いた。結果、悪目立ちしていたのだという。
「昔ならともかく、今はリンの方が強いでしょ。一回黙らせてやるべきだと思うわ」
「うーん、あんまり乱暴はしたくなくて……」
「時雨って強いのか……?」
「強いわよ。私ほどじゃないけど」
「__あっ。片桐くん、着いたよ」
どうやら話している間に、目的地に到着していたようだった。だが、その光景に将真は怪訝そうな表情を浮かべた。
そこは部屋だった。教室、という訳でもなく、ただ等間隔に扉だけが壁に設置されているだけの部屋。
扉の横には紙が貼り付けられていて、そこにはトーナメント表が記されていた。
「……確か、闘技場があるんだったよな?」
「そうね」
「そうだよ」
「……どうなってんの?」
「……あー、そっか、初見じゃ分からないよね」
将真が困惑していると、リンは苦笑しながら扉の一つに手をかける。
「まあ、見てみればわかるよ」
「__な、は……?」
ゆっくりと開かれた扉の先。そこに拡がっていたのは、確かに序列戦の開催場所となる闘技場だった。
広大な訳では無いが、それでも十分すぎる広さがある。まるで小さなグラウンドだ。
更にはそこまで広くないものの、観戦席までついていて、まだ試合は始まっていないが、二、三年の生徒や教師たちがチラホラと観にきている。
扉の置かれた間隔と、その扉の先のスペースを考えると、凡そ有り得ない光景に将真は戸惑いを隠せないでいた。
だが、それはそれとして、この光景に対する説明も何となく脳裏に浮かんでいた。ファンタジー小説を読んでいた知識は伊達じゃない。
「……まさか、空間魔法……、いや、この世界だと空間魔術ってやつか?」
「あっ、凄い。正解だよ。ちなみに前者の方でね」
昨日は魔法の説明は受けなかったが、曰く、属性が無いもの、或いは属性を有しながら、属性魔術の枠に収まりきらない強力な効果を持つものを指すのだという。
ちなみに空間魔法は、どちらにも該当するのだが。
〈裏世界〉にもそうあるものでは無いが、〈日本都市〉に存在する組織の最強格の魔術師が、空間魔法の使い手らしい。
〈日本都市〉にとって重要な施設には、彼女の力を使って空間魔法を刻印した扉が普通に使用されているのだという。
(空間魔法って、ファンタジー系の中でもレアなやつじゃなかったっけ? こんな簡単に目にできていいもんなのか……)
凄い魔法、のはずだったのに、あまりにあっさりとした邂逅に、少なからず将真はショックを受けた。
そんな彼の心情など知るはずもないリンは、扉の横に貼られているトーナメント表を指し示す。
「ここは片桐くんが参加するBブロックだね。三戦目だって」
「三戦目……、え? 早くね?」
「言ってても始まらないでしょ。まあせっかくだからリンと高みの見物とさせてもらおうかしらねぇ?」
予想よりもずっと早く順番が回ってきそうで動揺する将真。そんな彼を見て、杏果がニヤァと嫌味な笑顔を貼り付けていた。
(は、腹立つ……!)
思わず杏果に対して忌々しげな表情を向けるが、リンに軽く叩かれることで杏果の表情が崩れる。
「あたっ……」
「もーっ、そういうのはダメ!」
「……そうやって普段から他の奴にも抵抗しなさいよ」
「き、杏果ちゃんだから平気なだけで、他の人にはあんまり……」
「まあいいわ。それじゃあせいぜい頑張りなさい」
そう言うと、杏果は背を向けて立ち去っていく。リンもその後を追うように足を向けて、ふと、少し立ち止まった。
「……片桐くん」
「……どうした?」
「頑張ってね。応援してるよ」
「……あぁ、ありがとう。やるだけ、やってみるさ」
将真の苦笑しながらの回答に、リンは顔を綻ばせて手を振り、今度こそ杏果の後を追って駆けていった。
将真は再び闘技場に目を向けて、緊張した面持ちで呟く。
「……準備しなきゃな」
時間は、そんなにないのだから。
前二つの試合を見て、将真は戦慄を覚えていた。
大体、想像していた光景通りなのだが、いざそれを目にしてみると全然違う。
やはり、魔術は遠距離攻撃が多いらしく、接近戦を得意とする者にとってはやりづらい事この上ない。
正直、なんの対策も思い浮かばないままに、将真の順番は回ってきた。
改めて闘技場に立つと、柄にもなくかなり緊張している事を自覚する。
ここまで緊張した経験は、将真自身、あまり身に覚えがないほどだ。
将真が闘技場に入って来た時に、同じタイミングで向かいからもう一人、少年が入ってきていた。
体格は将真と同じくらいか。逆立ち気味の黒髪に、三白眼の鋭い目付き。剣を右手に下げて将真を睨めつけるその姿は、全体的に剣呑な雰囲気を感じさせる。
「……おい」
「ん……?」
更にはその佇まい。
特に構えている訳でもない、自然体の状態でありながら、隙がほとんど無い。同じ、まだ十代半ばの少年とは思えないレベルだ。
これほどの技量の相手を前にすることは、〈表世界〉では別に珍しくもなかった。だが、例えそういった相手でも、身体能力に圧倒的な部があった将真を脅かす事は、一般人では到底叶わない。
それが魔術師となればどうだ。こんな威圧感は、今まで感じたことがない。
「おい、聞いてんのか?」
「ん? あ、あぁ、聞いてるけど……」
少年を観察していると、彼は不機嫌そうに将真に声をかける。ジロジロ見られるのが気に食わなかったのかもしれない。
そう思ったが、どうやらそうではないようだった。
「お前、武器は?」
「……ないけど」
「アホか? ……あぁ、なるほど。お前編入生か」
将真が編入生だと理解すると、その表情がより一層不愉快そうに歪む。
杏果の時は勘違いだったが、ここまで敵意を向けられれば間違えることは無い。昨日の三人組同様、編入生が気に食わないタイプの人間なのだろう。
「……悪かったな、編入生で」
「あぁ、悪いことこの上ねぇ。何も出来ねぇくせして、才能だけで、可能性だけでここに立ってやがる。不愉快だ」
そこまで言うか、と。そのあんまりな物言いに、将真も流石に苛立ちが募る。
確かに、将真はまだ魔術はまるで使えない。勿論、魔法にしても同じことだ。だが、何もしなかった訳では無い。
(まあ、偉そうに言い返せるようなことでもないけどな……)
将真よりも先に行われた試合。それを将真はしっかりと観察していた。そして、何となくだが感じたのだ。魔力というものを。
ならば後は、自分の内側にあるそれを感じ取ればいい。
ところがそれは、簡単ではなかった。それでも昨日から続けていた魔力の感知は、試合を観ることで少し出来るようになってきた。
「言わせっぱなしは癪なんだよなぁ……」
「あぁ……?」
ボソッと呟く将真。その言葉が聞こえたのか否かは不明だが、少年は不愉快そうに声を漏らす。だが、将真にそれを気にしている余裕はない。
集中力を高めていく。
武器を魔力で生成する。
簡単な説明は昨日の段階で受けている。その手段に属性は関係なく、つまりは魔術ではなく、魔法の類なのだという。
やるべき事は、何となくわかっていた。将真が脳裏に思い描くのは、使い慣れた竹刀だ。
まだ希薄ではあるものの、感じ取れる魔力を元に、イメージしたもの通りに形を作っていく。
そうして暫く経つと、手に物質が生成された感触があり、それを握ると同時に目を開く。
(よし、成功し、た……?)
息をつき、その出来上がったものを見る。だが、それは凡そ、竹刀どころか剣の類とも言い難いものだった。
例えるなら、そう。棒だ。そうとしか言いようがないくらいに、それは棒だった。
何とも禍々しい色をした、魔力で形成された一本の棒が、将真の手に握られていた。
周囲を見渡せば、大半の者が唖然とした表情を浮かべている事に気がついた。
(あ、あれ……? やらかした?)
内心、焦る将真。
だが、将真が武器を手にしたことで、闘技場の上部から試合開始のカウントダウンが開始される。
それがさらに、将真の焦りを加速させる。
だから、直ぐには気がつかなかった。目の前の少年が、怒りに肩を震わせていることに。
「…………ナメてんのか、テメェ……!」
「っ……!」
怨嗟とすら取れるその呟きが、焦る将真を身震いさせた。
直後、試合開始の合図が鳴り響く。
とにかく、将真に遠距離攻撃の手段がない以上、接近するより他に手段はない。
その為に足を踏み出そうとした次の瞬間。
__目の前で発生した火の玉が、将真目掛けて飛んできた。




