三話「悪夢の再演」
樹の命をその手で奪い、慟哭する彼女の元に、最初に訪れたのは剣生だった。
後で聞いた話だが、もう一人の仲間は戦いの最中ではぐれてしまったらしい。
嫌な気配を感じて急いで駆けつけたところ、剣生はその惨劇を目の当たりにした。
剣生ですら、その光景には絶望で膝を着くしか無かった。
「…………鐡先輩」
「片桐……」
「……ごめん、なさい。私……、わた、し……」
柚葉は虚ろな表情でポツポツと、懺悔するように呟くが、何かを言い切る前に限界を迎えてそのまま意識を失う。
そしてそのまま病院に入れられ、数日目を覚まさなかった彼女は、一週間ほどで退院できたが、その後一ヶ月ほど引き篭った。
事態が終息すると、今回の被害の全貌が明らかになってきた。
前線に出ていた魔術師たちは、思いの外被害は少なかった。
元より、大群を抑えきることを前提として、実力のあるものを多く配置していた事が、被害を抑えられた理由だ。
だが、全く被害がなかった訳ではなく、そして何より前提が崩れた事で、都市への被害はかなり深刻なものとなった。
街の損壊以上に、この事件で失われた命は都市での記録上、最も酷いものとなってしまったのだ。
そして目覚めた柚葉に改めて告げられたのは、樹の遺体の行方が知れない事、彼の小隊仲間の残る一人が消息を絶った事、そして柚葉自身の小隊仲間であり友人でもある一人が、深刻な怪我を負った事だ。
その友人は完治したとしても、もう魔術師として前線に立つことは恐らく叶わないと宣告されたそうだ。
必要があったとはいえ、最も大切な人を自ら手にかけ、友人がそれほどの怪我を負っていたにも拘わらず、そちらを完全に放置していた。
仕方がない事ではあるが、その事実は目覚めたばかりの柚葉に罪悪感を齎し、精神を追い詰めた。
更に。
「……お前が、樹を殺したのか」
剣生から暗い表情で、責めるように問い掛けられた言葉が、柚葉のボロボロな心にトドメを刺した。
剣生自身も筋違いだと理解はしていただろうが、それでも彼も、誰かを責めなければ行き場のない感情を抑えられなかったのだ。
引き篭り、それでも辛うじて持ち直した柚葉が再び学園に出てきた時には、すっかり窶れて、髪も真っ白になってしまっていた。
それが今の金髪になったのは、暫く後の事だった。
魔王は危険だ。
それは、その手で樹の命を奪う羽目になった柚葉もよく知る事だ。
あれは復活させては行けないものだ。
少なくとも今、人類側の準備が全く整ってない今。
魔王が完全な復活を遂げさせてしまえば、人類は確実に滅ぶ。
(いざとなったら……、いざとなったら、あの子を、私が……)
何度目になるかも分からない、そんな悲壮な覚悟を胸に抱く。
そんな彼女の耳元で、声が聞こえる。
__いざとなったら、では遅いですわよ。
(……なに?)
__あなたしかいないのです。魔王を殺せるのは。鐡剣生にも出来なかった事を、あなたならできるのです。
(……必要になったら、勿論やるわよ)
__それでは遅いと言っているのですわ。手遅れになる前に、殺さなくては行けないのです。それとも、七年前の悲劇を、繰り返すおつもりで?
(……それは)
__あなたがやるのです。あなたしか出来ないのです。
(……私、しか)
__そうです。あなたにしかできません。
(……私が、もう一度)
聞こえてくる言葉に、何故か反論することも無く、柚葉の中にスルスルと入り込んでくる。
それは徐々に柚葉の心を塗りつぶしていく。
(……私が、魔王を殺さなきゃ)
いつの間にか、声は聞こえなくなっていた。
柚葉が眠りについた直後、他に誰もいないはずの学園長室に一人の魔術師が姿を現す。
それに気づくものは当然いない。
「……フフ、存外、しぶとかったですわね」
彼女は小さく笑みを浮かべて柚葉を見下ろす。
予定では、もっと早く眠りに落ちるはずだったのだが、どうやら年月を重ねて、彼女の心は強く成長していたようだ。
だが、それも関係ない。
一度眠らせてしまえば、後は暗示をかけてやるだけだ。
「……フフ、七年前の再現、とまでは流石に、今回は行かないでしょうが」
彼女は、学園長室の窓から空を見上げる。
明るく丸々とした月が、夜の都市をボンヤリと照らしている。
「あぁ……、楽しみですねぇ。おっと、口調が崩れるところでしたわ」
恍惚とした表情の彼女は、誰が聞いている訳でもないが、そんな自分に更に笑みを浮かべる。
悪夢が再び、始まろうとしていた。
そんな不穏な企てが少しずつ実行に移されている最中、将真はこんな真夜中に呼び出した相手に訝しげな表情を向ける。
「……こんな時間に何の用、ですか。先輩」
その相手とは、柚葉の秘書である楓だ。
彼女の後ろには、彼女の率いる小隊の仲間であろう、二人の少年が立っている。
そして呼び出した張本人である楓は、少し悲しそうに、静かに微笑を浮かべた。
「__とても大事な話だよ」
「……柚姉も通さずに、先輩が直接俺に?」
「そう。凄く、深刻な問題が発生してるんだ。私が知る限りのこと、全部話すから。ちゃんと聞いてくれる?」
「……まあ、分かりました」
将真が言うように、柚葉を通さず直接話が来たものだから、そう大した話ではないのだろうと彼は高を括っていた。
だが、楓の表情や緊迫感は、将真が気を引き締めるには十分だった。
「……先日、上層部で会議が行われてね」
「はぁ……」
「その内容が、あなたの処遇についてなんだけど」
「はぁ……、え? 俺?」
予想外の申告に、将真は気の抜けた返答を返す。
一体、何かやらかしたのかと自分の行動を振り返るが、思い当たる節がない。
その疑問は、続く楓の言葉ですぐに解消されることとなった。
「あなた、魔王の力を持ってるんでしょ?」
「……あー、なんか、そうらしいですね」
将真自身、ランディに指摘されるまで知らなかった衝撃の事実。
といっても、実感がないだけに驚きようがなく、反応が淡白になるのは仕方がない事だった。
尤も、病院に叩き込まれるほどの負担になっていたことからも、危険な力である事は自覚せざるを得ない訳だが。
「……それで処遇について話されるってことは、やっぱり魔王は危険だから殺そうって話です?」
「あらすごい。察しがいい上に肝が据わってるのね」
「……勘弁してくんないですかねぇ?」
感心したような顔の楓に、思わず将真は顔を引き攣らせる。
魔王と処遇という単語が並べば、その考えには自然と行き着いたが、勿論将真としては溜まったものでは無い。
将来を期待された力が魔術師たちの宿敵のもので、そんな訳の分からない力が自分のうちにある危険性は分かる。
だからといって、そうおいそれと命を奪われる事を許容したくはない。
「……俺は魔王じゃないんですけど」
「勿論、理解してるよ。それに、察しはいいけどちょっと飛躍したね。そういう意見は勿論出たけど、いざ目覚めるという状況に陥るまでは様子見する事が決定されたわ」
「……つまり?」
「おめでとう。監視がついたりはするかもしれないけど、身の安全は自警団が保証してくれるよ」
「……喜んでいい事なんですかね?」
本当に喜ばしい事のように伝えてくる楓に複雑な心境で、引き攣ったままの表情で目を逸らす。
それに、将真の中ではまだ別の疑問も残っていた。
(……そんなことを伝える為に、こんな真夜中にわざわざ呼び出すか普通?)
そもそも、呼び出された場所が〈日本都市〉の西出入口付近で、何故この場所を選んだのかが分からない。
加えて彼女は、小隊の仲間まで引連れている。
只事とは思えないし、だからこそその程度の報告で済むとは思っていない。
恐らく本題はここからだ。
「それじゃあ本題をどうぞ」
「……本当に察しがいいね。分かった。じゃあ改めてここから本題ね」
今度は驚いたように目を瞬かせると、楓は少しだけ目を伏せて、次に将真の目をしっかりと見据える。
「一部の過激派が、決定を無視してあなたの命を狙ってるわ」
「……そういうパターンか」
ため息をついて、将真は頭痛を感じて頭を抑える。
なるほど、確かに処分するという意見も出ていたくらいなのだから、様子見という判断に納得がいかない勢力は存在するだろう。
それをわざわざ告げに来たということは、少なくとも彼女は敵ではない。
だが、その勢力がかなり厄介だという可能性は考えられる。
「私は会議に参加させて貰えたわけじゃないけど、学園長と親密って事で、その弟である君に大いに関係がある話だからって父さんが教えてくれたの」
「じゃあ、やっぱり先輩は味方なんですね」
「厳密には敵じゃないってだけなんだよね。〈美空家〉、〈時雨家〉、〈風間家〉はあなたの処遇に関して、様子見で問題ないって賛同してくれたんだけど」
「……あと一つ、確か〈花橘家〉でしたっけ? そこが暴挙に及ぼうとしていると」
「そういう事」
話は何となくわかってきた。
それと、わざわざ敵でも味方でも無いと注釈したあたり、助けてもらえる訳では無いのだろう。
そう思っていたのだが。
「だから、少しだけ助けてあげる」
「……いいんですか?」
「うん。ただ、助けると言っても、この都市から逃がしてあげるだけ」
〈花橘家〉と事を構えることになっても、勿論その他大勢の方が強く、勢力も大きい。
止める事は出来るだろう。
だが、同時に都市に深刻な被害を齎しかねない。
将真に同情は感じても、彼一人の為に都市を丸ごと危機に陥れ、血の海に染める事は、誰も望んでいないのだ。
だから、将真を外へ逃がす。
そしてその間に、上層部が改めて方針を固め、過激派を抑えて、将真が再び都市に戻れる地盤を作り直す。
それが一番、被害が小さく済むのだ。
「過激派連中は気にもせず動き出すだろうけど、ほかの人たちは迂闊に無茶は出来ないから、どうしても時間がかかっちゃう。早くてもその日のうちに、というのは厳しいかも」
「……つまり、俺はここから出て、暫く逃げ続けなくちゃ行けないって事ですね?」
「うん。都市の中で匿うより、本来危険な都市の外の方が実は安全なんて、皮肉なものだけどね」
確かに皮肉ではあるが、話は理解出来た。
将真もまた、自分のことで仲間を危機に陥れたくはない。
全員とは行かないまでも、リンや莉緒、他にも将真を庇って動きそうな仲間はいる。
その結果、彼らが傷つく事を、将真は望まない。
(まあ、アイツらも俺一人で出てったら文句言いそうだけどなぁ……)
特にリンがそんな気がするのだ。
そう思うと、我ながら良い友人に囲まれたものだと思わず笑みが零れる。
物騒な世界で、時には命の危険と隣り合わせでありながら、〈表世界〉にいた時よりも恵まれていると、将真は改めてそう感じた。
「……分かりました。今、俺が都市に残って良い事はなさそうですしね」
「ごめんね。きっとすぐ、戻ってこられる状態になると思うから」
「お願いします。あと、この話柚姉には?」
「今からだと遅いからね。また明日、報告に行くよ。君の場合は急ぎだから、真っ先に伝えに来たんだけどね」
初動は大事だ。
柚葉も、必要な事だと理解すれば、将真たちの行動にも納得してくれよう。
ただ、少しの間で済むとは思うが、柚葉や仲間と顔を合わせることなく、知られること無く出ていくというのは、彼自身も心細いものがあるが。
「皆のことも、よろしくお願いします」
「……うん。任された」
「では……」
「武運を祈るよ」
楓の小隊に見送られ、将真は〈日本都市〉を出る。
彼の消息が知れないと仲間たちが気づくのは、夜が明けてからの事だった。
「……莉緒ちゃん」
「……美緒。悪いんすけどその……、黙っててくれると、ありがたいッス」
「それはまあ、勿論そうするけど……」
翌朝、病院の一室で莉緒の様子を見に来た美緒は、少し心配そうな表情で、両手で顔を覆い隠す莉緒を見つめる。
ランディに受けた仕打ちがかなりトラウマになっているようで、ここ最近は夢見が悪い。
まず美緒がしたのは、入口の封鎖だ。
片付けにかかる時間はそう長くないとはいえ、莉緒のこの状態を他人に見せる訳にも行かないのだ。
そして次に、サッと莉緒の着替えを準備する。
「ほんと、すいません。情けないッスね」
「気にしないで。たまには弱いところも見せてくれた方が、私は安心するから」
「そう言ってくれるのはありがたいッスけど……」
美緒の言葉は温かいが、莉緒自身は自分の現状に納得出来ていない。
今日から退院だと言うのに、この調子では私生活や任務にも影響を及ぼしそうだった。
身体の方は治っても、心の傷というのはやはり、すんなりとは治ってくれないらしい。
そうして、汚した服を着替えている最中の事。
急に慌ただしい足音が近づいてきて、病室の扉がガタガタと音を鳴らして、思わず莉緒と美緒は肩を揺らす。
『莉緒ちゃん起きてる!? ちょっと聞きたいことが__いたっ!』
勿論、扉は美緒によって固定されていて、容易く開けられるようになっていない。
勢いよく開け話そうとした声の主は、恐らく手にダメージでも負ったのだろう。
バクバクと煩く、早鐘のように鳴り響く心臓を落ち着けつつ、慌てて着替えた莉緒は清浄魔法で惨事を片付けて扉を開ける。
「いたた……」
「……リンさん、ここ病院ッスよ。少し落ち着いて」
「うっ、ご、ごめんなさい……」
扉の向こうにいたのはリンだった。
莉緒のため息混じりの発言に、肩を縮めて申し訳なさそうに謝罪すると、莉緒はもう一度ため息をつく。
ただし二度目は、安堵によるものだった。
(……よかった。この様子だとバレて無さそうッスね)
美緒と目を合わせ、苦笑と共に胸を撫で下ろすと、莉緒は一先ずしゃがみこむリンに手を差し伸べる。
「とりあえず話は聞きましょう。そんな慌ててどうしたんスか?」
「そ、そうだ、聞いてよ! 大変なんだよ莉緒ちゃん!」
「うん、だから声量は抑えてくださいッスね?」
再び大きなを上げるリンを窘めるが、焦る彼女は止まらない。
「__将真くんがどこにもいないの!」
「……はぁ」
リンに告げられたその内容に、莉緒が返したのは気の抜けた声だった。
「……将真さんが? 病室に?」
「うん」
「……トイレとかは?」
「聞いたけどいないって」
「うーん、体は動くようになったみたいッスし、鍛錬に出ているのでは?」
「そっちは見てないけど、でも絶対安静なんだよ?」
一応退院も許可されてはいるが、今日までは任務も禁止されている。
手続きも終えていないから厳密にはまだ退院しておらず、外に出ているとは確かに考えにくい。
「うーん、でもたまたまじゃ……」
「莉緒ちゃん、ちょっといい?」
莉緒が頭を悩ませていると、話を聞いていた美緒が耳打ちしてくるので、そちらに意識を寄せる。
「……どうしたんスか?」
「実は数日前、上層部の方で会議をしたみたいで、その内容が魔王の処遇についてって話みたいなんだけど……、関係あると思う?」
「いや、それは……」
莉緒はすぐに答えることが出来なかった。
将真の姿が見えないのはたまたま外出しているからで、そんなものは考え過ぎだと思いたい気持ちはある。
だが、確かに魔王の話が絡んでいるなら、本当に何かしらの厄介事に巻き込まれている可能性はある。
だとしても、なぜこのタイミングなのかは想像もつかないが。
「……まあ、それは今考えても仕方ないッスよ。とりあえず学園に戻りましょう」
「柚葉さんに聞けば、何かわかりそうだもんね」
「あっ、そっか。そうだよね……」
一人で慌てて焦り散らしていた事を恥じるように、両手を頬に当てて気を落とすリン。
その肩をそれぞれ、莉緒と美緒が揶揄うように軽く叩いた。
その後、思い当たる場所をいくつか探して回ったが、本当に将真の姿は見当たらなかった。
第三、第四小隊の協力を得ても、だ。
それ故に、本来ならば今日一日は休んでもいいと言われている彼らは学園へと赴き、柚葉の元へと向かおうとしていた。
だが、学園に辿り着いたところで、異様な雰囲気を感じて、思わず一行はその足を止める。
時間的には授業が始まっている時間だ。
だから静かだということに関しては何もおかしくないのだが。
「……何か」
「やけに、人の気配がしないッスね?」
将真の姿が見えない事といい、朝から不自然な出来事が重なるこの状況は、不気味ですらあった。
もしかしたら本当に何か起きたのではないだろうか。
すると突然、人の気配が爆発的に増えた。
正確には、一箇所に集められていた生徒たちが、何かの弾みで一斉に動き出したのだ。
そして学園生は、校舎の前で立ち尽くすリンたちを視界に入れるや否や、凄まじい勢いで群がり始める。
「第一小隊だ!」
「片桐将真のところか!」
「捕まえろぉ!」
「えぇっ!?」
「ちょ、ちょっと待った、なんなんスか急に!?」
あまりに唐突過ぎて、驚きながらも両手を上げて降伏を示す彼らに、生徒たちは足を止める
だが、落ち着いた様子はあまりない。
「お前ら、片桐はどこだ? 見当たらないみたいだけど」
「それが、自分たちにもさっぱりで、学園長に聞きに行こうと思ってたとこなんスけど……」
男子生徒の問いかけに答える莉緒。
庇っているのではという疑いもあるようだが、どうやら学園長という単語が効いたようで、彼らは莉緒の言葉を信じることにしたようだった。
そして次に向けられるのは、哀れみの視線なのだから、ますます訳が分からない。
「……そりゃ残念だったな」
「何がッスか?」
「学園長が言った事は、本当だったって事だよ」
生徒たちが集められていた、その理由は柚葉に呼び出されていたからだった。
そして柚葉が生徒たちに告げたのは、驚くべき内容だった。
片桐将真が、魔王の器である事が確認された。
七年前の惨劇を繰り返す前に、彼の処分を決定する。
生徒たちは学園長の指示の元、彼を捜索し、見つけ次第、速やかに処分せよ。




