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終末のレジスタ  作者: 甘味の僕
二章 狙われた少年
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十二話「二つの希望」

 宙に浮かされて、幾度となく打撃を加えられる。

 激痛と共に、心が壊されていくのを、莉緒は確かに感じた。

 それを実感できるというのは中々ある事ではないが、勿論経験したいようなものでは無い。

 むしろ、恐怖を加速させるだけだった。


 もう、声を上げる気力すら残っていなかった。


「ふぅっ、ふぅっ……!」


 苦悶と恐怖で震える呼吸だけが口から溢れ出るが、当然ランディは容赦などするはずがなく、莉緒の細い首を掴んで掲げた。


「ぁっ、ぅ……!」

「……話すか?」

「……い、いやだ……」

「……そうか」

「うぐっ__!?」


 幼子のように拒絶する莉緒に、憐れむような視線を向けたランディは手の力を強くして、莉緒の首を締め上げる。

 掠れた吐息が溢れる程度の、まともな呼吸も許されず、ミシミシと骨が軋む嫌な音が莉緒には聞こえていた。

 耳を塞ごうにも、体が重すぎて腕を動かす気力すらつきかけていた。

 そもそも、体内から発生している音を遮断する術などないのだが。


「安心しろ。殺しはしない」


 何度も繰り返すせいで、何回同じ事を彼が言ったか、莉緒はもう覚えていない。

 だが、分かったこともあった。

 これは、莉緒ではなく、ランディが自身に言い聞かせているものなのだ。


 力加減を間違えて、殺す訳には行かない。

 ランディ自身は、莉緒は魔王の器ではないと考えているが、万が一彼女だった場合、ここで殺してしまえばせっかくの器が台無しになる。

 離れた戦場で、オーバスが敢えてトドメを刺さない理由も同じで、口を割らせるためだけでは無いのだ。


 息が持たずに、莉緒の意識が遠のきかけたところで、ランディは手を離した。


「かっ、ひゅ、ハッ、ハッ…………」


 彼女が冷静さを残していたなら、本当にギリギリの加減ができることに驚いただろうが、今はただ、必死に逃れる術を考える事だけが頭を巡る。

 だが、そんな余裕すら与えられる事もなく、ランディの手が頭に置かれて思わず肩を揺らす。


「……今度は、頭を軽く潰してみるか? 死なない程度に、ヒビを入れてやろうか」

「ヒッ! ま、待って……!」

「ダメだ、待たない」


 頭上の手は、ただ置かれる形から、莉緒の頭を握るように開く。

 恐怖で思考が回らず、心臓が早鐘を打つ。

 限界は、とうの昔に来ていた。


「…………わ、わかったッス」

「ん?」

「は、はなす……、はなします。だから、もうやめてくださいッス……」


 それを聞くと、ランディは驚くほどあっさりと、莉緒の頭から手を離した。

 恐怖に震え、呼吸が乱れて俯く莉緒に、視線を合わせるように屈んで薄く笑う。

 先程からそうだが、ランディの薄い笑みは、嘲笑の類ではないようだった。


「それでいい。仲間の為、友の為。大いに結構だ。だが、それに固執したから、お前は痛い目にあった。無理をすることは美徳じゃあないぞ?」

「……そう、スか」

「理解しただろう? ならば話せ。わかっていると思うが、結局話せないようなら……」

「わ、わかってるッス……! ま、魔王の器って言うのは、初耳ッスけど……」

「心当たりはある、と。それは誰だ? 名前は?」

「それは……」


 名前を言いかけて、止まる。

 将真と、自分も含め、周りにいる仲間たちの様子が脳裏を過ぎる。

 将真が目的のものだと、彼らが知ったとして。


「……一つだけ、教えて欲しいんスけど」

「何だ? 意外とまだ余裕があるか?」

「そ、そうじゃなくて……、魔王の器の正体を知って、その後どうするつもりッスか……?」


 再び、痛めつけようと動き出そうとするランディに怯えながらも、莉緒は何とかそれを口にした。

 一瞬、不思議そうに目を見開く彼は、次いで呆れたようにため息を着く。


「知れた事だ。こちらで連れていく。そして魔王の依代になってもらうのさ。お前たちを殺さず置くのも、個人的な理由だけではない。どうせ魔王が目覚めれば、お前たちは一人残らず滅ぶことになるのだ」


 ランディは当然のようにそう言い、莉緒もまた、やはりそうだろうとは思っていた。

 将真が魔王の器だと知られれば、彼は連れていかれ、魔王復活の為の依代にされる。

 つまりは死ぬのだ。

 そして、将真を依代に魔王が目覚めれば、人類が滅ぶ可能性は確実に跳ね上がる。

 勿論、抵抗はするだろう。容易く滅ぼされるつもりもない。

 だが、例え生き残ったとしてもかなりの被害が出ることは間違いない。

 今までの歴史のように、本当に滅ぼされる可能性も、かなり高い。


 __ここで、莉緒が話してしまえば。


「……ッ、チィッ!」

「ガフッ……!」


 莉緒の体を中心に、魔力が収束し始めた事を感じ取り、即座に反応したランディが鳩尾に蹴りを叩き込む。

 強烈な衝撃に、思わず莉緒は嘔吐いて蹲る。


 彼女がやろうとしたのは自爆。

 魔力を有している以上、魔術師にも自爆は可能なのだ。

 とはいえ、今の蹴りは魔力回路に影響を及ぼすような、特殊な攻撃だったらしく、体内の魔力制御が上手く行かなくなってしまったのだが。


「う、げぇ……ッ」

「……素直に褒めてやろう。確実に心が折れたと思ったんだがな。まだ抵抗する余裕があるとは」

「うぎっ……」


 莉緒の側まで、一足飛びに近づくと、ランディは再び莉緒の首を掴みあげる。

 だが、その力はかなり強い。


「お前から話を聞くのは無理そうだから、諦めよう。恐らく器でも無さそうだしな。死にたいようだから、殺してやる」

「あ、が……ッ!」


 呼吸が詰まるだけでなく、首が締められる苦痛に、表情が歪み涙が浮く。

 自爆を実行しようとしたにも拘わらず、死ぬ事が怖いのだ。


 だがそもそも、状況が違う。

 覚悟して、自分のタイミングで自死するのではなく、他者が殺意を持って、殺そうとしているのだ。

 まして、相手に強い恐怖を抱く状況で、怖くないはずがない。


(……いやだ、こわい、しにたくない……!)


「……た、すけ、て……!」


 恐らく、莉緒は人生で初めて、心の底から助けを懇願した。

 そして、その懇願が届いたかのように、事態は動き出す。


 少し離れた場所、おそらくはリンたちが吸血鬼を相手にしているであろうその場所から、ボンッと何かが爆ぜるような音が響いたのだ。

 思わず、莉緒だけでなくランディさえも視線がそちらを向く。

 目に映った光景は、隆起した大地に撥ね飛ばされる木々と吸血鬼というものだった。


 響弥も地属性の使い手だが、ここまで規模が大きい魔術は使えない。

 ならば、莉緒に思い当たる人物は一人しかいない。


「……きょう、か、さん……?」


 はぐれていたはずの杏果が合流したのだ。

 そしてそれはつまり、共に行動しているはずの将真も、戻ってくることが出来たということ。


(……よかった)


 一瞬だけ、自身の置かれた状況を忘れて、莉緒は少しだけ安堵した。

 それも束の間。

 音がした方とは別の方向から、何かが接近してくる音が聞こえて、木々の中から飛び出してくる。

 その人物は、凄まじい魔力を全身に纏わせて__


「__その手を、離せぇッ!」


 将真が、強烈な蹴りをランディ目掛けて放った。




「……ふん」


 呆れたように鼻を鳴らすと、莉緒を掴む手とは別の手を突き出して、それを受け止めようとする。

 ランディも、莉緒ですら、容易に止められると思った。


 だが、実際にはそうならなかった。

 将真の足を掴んだランディの体が、鈍い音と共に少し沈む。


「な、にィ……!?」


 予想外の重さに驚きを覚えたランディは、思わず莉緒の首から手を離して、その間腕で蹴りを受け止める。

 結局、体勢を崩していたランディは、受けきる事が出来ずに後退。

 とはいえ、将真の蹴りもまともに通った訳ではなく、相殺されていた。

 その弾かれる反動を宙に逃がして、空中で回転しながら莉緒を庇うように目の前に降り立つ。


「大丈夫か……って、全然大丈夫そうじゃねーな!?」


 ランディを警戒しつつも、横目で莉緒の様子を伺う将真は、あまりにもボロボロなその姿にギョッと目を剥く。


「…………しょうま、さん」

「お、おぉ、どうした? ……ってオイ! お前さてはマジで大丈夫じゃねーな!?」


 呆然と将真の名を呟く莉緒の両目から、ボロボロと涙が溢れだし、将真は狼狽するしか無かった。

 そして、制服のスカートがじわじわと濡れていくのに気がつくと、首が千切れんばかりの勢いで顔を背けた。


 将真は知る由もない事だが、恐怖に心を締め上げられていたところで助けられ、安堵に気が緩んだせいだったが、莉緒は羞恥を露わにすることは無かった。

 ただ、彼女自身も少しの間気が付かずにいた涙を、ぐしぐしと雑に拭う。


「……すいません、情けないところ、見せちゃったッスね」

「い、いや、気にすんなよ。俺も見なかったことにするから……」


 狼狽しつつも、ランディに改めてしっかりと向き直ると、未だに彼は驚いたように自分の手を見つめていた。

 将真の攻撃を受けきれなかったことが、余程意外でならないらしい。


 それもそうだろうとは、将真も思っている。

 よくもまあ、あんな雑な蹴りで距離を取らせることが出来たものだ。

 ランディから放たれる威圧感は相当強烈で、濃密な死の気配を纏わせているようにも思う。

 そんなものを感じとれるようになってしまったのは、この世界に順応してきたということなのだろうが、それを喜んでいいのかどうかは複雑なところである。


「……莉緒。動けるか?」

「……重ねて申し訳ないんスけど、足も折られて、腰も抜けちゃって……。とても動ける状態じゃないッス。魔力も殆ど残ってなくて……」

「そうか……。うん、それじゃあそのままじっとしてろよ」


 棒を前に構えを取ると、将真から放たれるのは肌がひりつくほどの威圧感。

 ランディには遠く及ばないが、それでもかなり強烈だ。

 莉緒をして、ランディにまともなダメージを与えられているようには見えない。

 だから、例え戦っても、勝てるとは思わないが。


「俺がやる」

「お前……、何者だ?」


 戦意を向けられて、ようやくランディは驚きから覚めて将真を睨めつける。

 強烈な殺気に思わず顔を顰め、仰け反りそうになる体を、足を踏ん張ることで何とか耐える。


「……何者かって言われてもな。ただの、未熟な魔術師だよ」

「……まあいい、戦うついでに、とお前にも聞いておこう。魔王の器に、心当たりはあるか?」

「……魔王の器ァ?」


 当然だが、将真は知らないし、心当たりもない単語だ。

 だが、将真はそれよりも、彼が言った「お前にも」と言う言葉に反応した。


 言葉通りなら恐らく、莉緒にも問うているはずだ。或いは、他の面子にも。

 そして将真にもわざわざ問うたという事は、目的の物は見つかっていないのだろう。

 その経緯で、莉緒がここまで痛めつけられたことに、将真は強く憤りを覚えていた。

 まさか、盾になるどころか、実力のある莉緒を庇い、戦う日が来るとは思わなかったが__


「知るかバァカ!」


 ランディを恐れる心に発破をかけるように、盛大に啖呵を切って中指を立てた。


 その手が、化け物の如き異形の手になっている事に、将真自身、一瞬気が付かなかったが。


「将真さん、その姿は……!?」

「ん? ……うおっ、何だこりゃ!?」


 莉緒に指摘されて自分の姿を見下ろして将真は驚く。

 自身で見える部分には限りがあるため、顔までどうなっているかは分からなかったが、確かにいつもの姿ではない。

 浅黒い肌に少し伸びた白髪。

 いつの間にか黒衣を身に纏っていたが、左側には袖がなく、右側にはある。

 但しそれも、異形の腕に覆われていたのだが。

 そして傍から見ると、その瞳は黒く、虹彩は金色に変化していた。

 魔族の瞳に近い色合いだ。


 ランディもまた、目を見開いて動き出せずに、呆然と口を開く。


「……お前、その姿はなんだ?」

「知らねーよ。なんか出てきたんだ」


(……〈神気霊装〉? いや、それにしてはあまりにも禍々しすぎるッス。となるとこれはやっぱり……)


 〈神気霊装〉でなく、将真の中にあるこれほどの力。

 心当たりは一つしかない。

 そして、ランディはその気配に覚えがあったのか、再びの驚きから覚めると同時に、その口元に深い笑みを作る。


「……自覚はないようだな?」

「何の話だ?」

「……いや、なに。わざわざ自分の仕事を放り出させられてここまで出向かされて……、それが無駄足にならずに済みそうだと、喜ばしく思っているところだ」


 喜ばしい、というのは本当だろう。

 悦楽を感じた莉緒との戦闘中ですら、ここまで深い笑みは浮かべていなかった。


「ショーマだったか?」

「……そうだけど、なんだよ」

「そうか。ならばショーマ、安心しろ。お前を見つけた以上、そこの少女に手は出さん。もう興味もない」

「……で? それを信じろと?」

「好きにしろ。だが、俺の今の仕事はお前の生け捕りだ。精々、考えて立ち回れよ__!」


 そう言うと、ランディは地面を強く蹴りつける。

 莉緒には及ばなくとも、十分すぎる程の速度。

 いつもならば目で追うだけで精一杯の、一瞬の接近に__将真は反応した。


「__オラァッ!」


 ランディを迎撃するように、将真は手に持った棒を横薙ぎに振るう。

 その刀身にあたる部分が、黒く濃密な魔力で刃を形成していた。


「なっ……」


 そして、またもランディは驚きに包まれることとなる。

 血装ごと、あまりに滑らかに切断されたことに。

 流石の反射神経で、体ごと両断される前に後退したが、その間に治っていてもおかしくないはずの腕が再生してこない。

 否、厳密には再生していない訳では無い。

 確かに目に見える速度で再生しているが、それでも吸血鬼の再生力には程遠い勢いだ。


「……なんだよ、案外あっさり斬れるじゃねーか」

「……これを生け捕りか。案外、手こずらされそうだ」


 呆気ないほど、抵抗なく切断できたが、油断はできない。

 生け捕りにしようという、彼がどれだけの力を使ってくるかは分からない。だが、先程の莉緒に手を出さないと言う言葉を信じるならば__


「それじゃあ、コッチからも行かせてもらうぜッ!」


 面倒くさそうな表情を浮かべるランディに向かって、攻勢に出るために強く足を踏み切った。




 待たせた、と言って彼らとオーバスの間に立ち塞がる杏果。

 彼女の魔術で高々と突き上げられたオーバスだったが、降りてきた時の様子を見るに、やはり大したダメージにはなっていなさそうであった。

 とはいえ杏果も、今の攻撃でダメージを期待していた訳では無い。


(いや、ていうか随分とヤバいやつ相手にしてるわね……)


 今まで遭遇した事がある中でも、明らかにオーバスは強過ぎる。

 魔力を見る目がなくても、肌で感じとれるくらいに常軌を逸しているのだ。

 だと言うのに、その奥からはそれすら凌駕する気配を感じる。


「杏果ちゃんが戻ってきたってことは……、将真くんは?」

「さぁ、いまさっきまでは着いてきてたけど……」


 杏果は気づかなかったが、この場所に辿り着き飛び出すまでは後ろにいたはずの、将真の姿が無くなっていた。

 だが、奥から感じる、何かが戦っていた気配が止んでいる事から察しはつく。

 ここに莉緒がいないということは、離れたところで彼女が戦っていたのだろうが、将真はそちらに向かったのだ。


「……こっちのは吸血鬼の超級アーククラスね。これよりやばいって、向こうのやつは何者なのよ」

「あ、えっと、ランディって名乗ってて……」

「……マジで言ってる?」

「た、多分本物だと思う……」


 リンは少し自信なさげに言うが、杏果はそれを聞いて本物だという確信を得た。

 どちらの敵も、今までに聞いた事も感じたことも無い危険性を孕んでいるのは明らかだったからだ。

 杏果も勿論、ランディの名は聞いた事がある。


「いくら莉緒が強いって言っても、一人で相手してたの? あまりにも無謀だと思うんだけど……」

「多分、ボクたちがアイツを……、オーバスっていうあの吸血鬼を倒すまでの間だけ、離しておくつもりだったんだと思う」

「いや、まあやりたい事は分かるけど……」

「__そろそろ良いか?」


 杏果とリンがボソボソとオーバスに聞こえないように小さな声で会話をしていたが、横槍を入れられた彼は少し不機嫌そうだ。

 だが、彼に怒りを抱いているのは杏果も同じだ。


「わざわざ待ってくるなんて律儀じゃない。私が来た事で形成が逆転したかもしれないのに」

「お前一人で? 馬鹿な事を」


 鼻で笑うオーバスは、徐に血装による豪腕を掲げる。


「お前にも聞いておくか。魔王の器について、知ってるか?」

「……魔王の器?」

「あの、杏果ちゃん。ボクたち九人の中に、アイツらが探してるその魔王の器っていうのがいるらしくて、それを探してるって。莉緒ちゃんは心当たりがあるみたいなんだけど……」

「……なるほど?」


 リンの説明で、オーバスの問いの意味は理解出来たが、魔王の器というものにはピンと来ない。

 その単語自体、初耳ではあるが、それでも心当たりがあるとすれば__


「……ねぇ、オーバスだっけ?」

「ふむ? そうだが、なんだ。心当たりがあるのか?」

「そうね。当たってるかは分からないけど」

「別に構わん。話せば見逃してやろう」

「__教えてやるなんて言ってないし、義理もないんだけど?」


 ハッと鼻で笑い飛ばすと、杏果は戦斧を肩に担いで構える。

 戦意を向けられたオーバスは、意外にも強い覇気に一瞬だけ驚くが、すぐにスッと目が細まる。


「……そうか。ならばお前も、話したくなるように痛めつけてやろう」

「そんな理由で、リンや皆をこんなに……。ふざけんじゃないわよ__!」


 奥歯を鳴らし、怒りを露わにする杏果に豪腕が襲いかかる。


(速い。でも、反応できないほどじゃない!)


 迫る豪腕を見据えて、構えた戦斧の柄を強く握って、体に直撃する手前で大きく振り下ろす。

 直後にドンッと轟音が響き、杏果の体勢が崩れる。

 追撃は__来ない。

 豪腕を叩き割る威力を目の当たりにし、オーバスは驚き、目を疑った。


「チッ、デカい腕だとは思ったけど、見掛け倒しって事はなさそうね」

「……何だ今の膂力は? 貴様本当に人間か?」


 明らかに途中まで手を抜いていたオーバスだったが、今の一撃には躊躇しなかった。

 今まで相手にしていたリンたち六人の様子を見て、回避くらいはできるだろうと予想していたからだ。

 だがまさか、正面から迎撃されるとは彼も思っていなかった。


「あらそう? 驚いてくれて何より。それなら、更にパワーアップしてあげるわよ__〈神気霊装〉第二解放!」


 魔力が膨れ上がり、溢れ出るそれが形を成す。

 杏果の装いは、莉緒や美緒に近い和装を羽織る状態へと変化する。

 全身に満ちる魔力が、彼女の自慢の膂力を更に向上させていた。


 それにより、オーバスは杏果を敵として認識。

 二本の豪腕を分散させ、元の八本の爪へと変化させる。


「……ならばこれは止められるか!?」


 そう言うと、血の爪が勢いよく延び、八本全てが杏果へと襲い掛かる。

 純粋な威力だけなら先程の豪腕の方が上だろうが、爪の方も決して侮れるものでは無い。手数が多く、何より速い。


(全部は迎撃しきれない……、だったら!)


 それを悟った杏果は、敢えて踏み出して正面から迎え撃つ。

 目の前に迫る一、二撃目は戦斧の一薙ぎでまとめて打ち払い、次に迫る爪を跳んで回避。

 更に次々と迫る爪に対して、宙で迎撃の体勢に入ろうとする。


(……ダメだ、間に合わない!)


 可能な限り迎撃し、残りは多少体を掠めてでも回避するつもりでいたが、想定していたよりも爪の迫る速度が速い。

 だからといって中断できるわけでもなく、可能な限り直撃する数を減らす方針へと意識を切り替える。


 だが、宙を追う血の爪が、杏果を傷つけることはなかった。


「__忘れてもらっちゃあ」

「困るよ」


 杏果に迫る残りの血の爪を、響弥の雷が焼き貫き、美緒の冷気が芯から凍てつかせて砕く。

 何とか無傷で着地した彼女のそばに、二人がすぐに駆け寄る。


「ボクも行けるよ!」

「わ、私も……!」

「問題ないよ」

「舐めんじゃねぇぞ……」


 残りの四人も、それぞれ立ち上がって武器を構える。

 どうやら杏果とオーバスの数合の攻防のうちに、昏倒から回復したようだ。


「全く、心配させてくれるわね」

「悪かったよ。それに助かったぜ、流石杏果だ」

「……ふん、煽てたってなんにも無いわよ」


 親指を立てて調子のいい事を言う響弥に、ぷいっと顔を背けるが、別段機嫌が悪くなった訳ではなく、むしろ心做しか少し機嫌が良くなっている気さえする。

 本当に気がする、程度の変化でしかないものの、響弥は少しだけ含み笑いを浮かべた。


 手数が増えても、先程の豪腕に比べれば杏果でなくても迎撃可能な威力だ。

 たった一人、杏果が加わっただけで、戦況がギリギリ、五分と言えなくもない所まできている。

 序列だけなら美緒の方が高いのだが、オーバスはこの時、確かに杏果を危険視した。


(痛めつけて話せばそれでいいが、その前に足を掬われるようでは馬鹿らしいな)


 好奇心の塊であり、退屈を嫌う吸血鬼は、戦闘狂のきらいがある。

 だが、超級アーククラスという事もあり、まともな判断をできるだけの理性がオーバスにはあった。

 そうして彼が出した結論は、戦場においては至極真っ当なものだった。


「……あいつは殺すか」


 そうして遂に、攻撃は血装だけの戯れで、基本は受けに徹してきたオーバス本人が動き出した。

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