七話「少女の追憶」
取り留めのない会話を続けながら、洞窟の中を歩き続ける将真と杏果。
歩き続けてどれほどたったかは分からないが、体感的には二時間以上と言ったところか。
落ちてくる直前は戦闘中だった事もあり、特に長く戦っていた杏果は、休憩も挟みつつでないと、流石に探索が辛くなってきた頃だ。
そしてそんな頃に、二人はあることに気がついて顔を顰める。
「……少しずつ、暗くなってきたな」
「そうね。ちょっと魔力妨害がかかってる感じかしら」
杏果が〈光源〉を使っているにも拘わらず、少しずつ周りの景色が暗くなっていく。
その原因は杏果が口にした通りのようで、杏果の掌で瞬く光の球体が、少し小さくなっていた。
「引き返すか?」
「……どうするかな」
将真の提案に、意外にも拒否せず思案する様子を見せるのは、将真と同じ感覚を抱いたからかもしれない。
ここに来る途中も、幾つか分かれ道があった。
何度か行ったり来たりを繰り返していたが、こんな魔力妨害などというわかりやすい変化は、この道が初めてだ。
そして、将真たちが抱く違和感。
上へと登り、外へ出ようと試みている途中なのだが、この道は下っているような気がするのだ。
「情けない話だけど私、暗いところあんまり得意じゃないのよね……」
「そりゃ意外だな。なら尚更、引き返した方がいいよなぁ……」
このまま進んだ所で、出口に辿り着くことは無いだろう。
それどころか、魔力妨害の起点となるものに更に近づき、最奥にまで辿り着いてしまうかもしれない。
それは将真たちの目的ではない。
そんなリスクを背負って、無駄に時間を食う余裕は無いのだ。
(そういやそろそろ夜だよな……)
急ぎたい気持ちはあるが、途中で体力が尽きればどの道動けなくなるのだ。
ここはちゃんと休んでおいた方がいいかもしれない。
どうするべきかと悩んでいると、杏果の足がくるっと回れ右をする。
「じゃあ、とりあえず引き返すわよ」
「……そうだな」
相槌を打つと、将真は再び歩き出した杏果の後ろにつく。
今すぐに慌てて方針を決める事はない。
どうせすぐには出られないのだから、また落ち着いてから考えればいいのだ。
『__こんばんは、莉緒』
「どうしたんすか柚葉さん」
色々と結界の出入りを可能にする方法を模索していた莉緒たちだったが、結局そんな方法は見つからないまま、すっかり夜が更けてしまった。
一度諦めて、今日のところは警戒しつつも野営の準備に取り掛かっていた所に、莉緒の元へと通信が飛ばされてきたのだ。
『将真たち、戻ってきたかしら?』
「ハハ、戻ってきてたらむしろこっちから連絡入れてるッスよ」
『まあ、そうよねぇ……』
はぁ、と心配そうな表情でため息をつく。
心底不安そうだなと思いつつも、莉緒も珍しく不安を抱いていた。
森に入った学園生九人の中で誰かが狙われていて、柚葉の推測では、おそらく将真なのだという。
莉緒にも詳しい話をしてくれない柚葉だったが、もしかしたら将真の監視を頼まれた事と関係があるのかもしれないと、莉緒は勘づき始めていた。
「探しに行きたいのは山々なんスけどね。自分の判断で、落ちた二人を後回しにして、間に合った残りの面子だけ助けちゃいましたし」
『でも、探しに行けない、と?』
「自分も不安ッスけど、止められちゃいましたし。それに、結界が解除されていないとなればこっちが優先ッス」
生きているであろう二人だが、何処まで落ちたかも分からないのだ。
莉緒が一人で探しに行くよりも、結界を解除し、救援が呼べるようになる方が確実に彼らを見つけられるはずだ。
とはいえ、来た当初の、出る事が出来ないだけの結界ならばありがたかったのだが。
霧の結界が持っていた通信妨害の効果は、結界を解除出来たことで解消された。
だから、こうして連絡は取り合えるし救援は呼べるのだ。
ところがその結界を解いた結果、もう一つの結界が変質し、呼んだ助けが中に入れないとは、皮肉もいいところだ。
そしてこの結界を張っているのは恐らく高位魔族だ。そう容易く解除できるものでもない。
少々、手詰まりである事は否めなかった。
「今日の所は捜索は一旦中止で、また明日、早い時間から再開するつもりッス」
『……そうね。無茶は言えないし、あなたに任せるわね』
「任せて下さい」
そう言って胸を叩く莉緒の様子を見て、少し表情が和らいだ柚葉は、改めて「任せたわよ」とだけ言い残して通信を切る。
「責任重大、スね」
「__莉緒ちゃーん、お話終わったら手伝ってねー」
「ん、了解ッス」
タイミング良く声を掛けてくるリンに応じながら、莉緒は頬を叩いて自分を叱咤しつつ、輪の中へと戻っていく。
引き返して、別の道を選んだ二人だったが、不幸なことに、体を休める余裕もなく戦闘に入っていた。
遭遇してこなかったことがそもそも不自然だったのだが、ここで漸く、魔物と出会したのだ。
とはいえ、相手はコボルド。
大した脅威では無いのだが、問題はこの視界の悪さだ。
「流石に犬型のモンスターってとこよね、最悪……」
「まあ気持ちは分かるけど、今はさっさとコイツら片付けよう。な?」
肩を落とす杏果を慰めるように、背中合わせで声をかける将真。
ほんの数分前。
当然といえば当然なのだが、これほど長く行動していて、まさか何も体に不調を来さないはずがなかった。
「……ごめん、ちょっとここにいて」
「なんだよ急に」
「いいから、察して」
そう言って将真を睨むように見上げる杏果は、落ち着きがなく、時折内股を擦り合わせてはソワソワとしていた。
「……あー、分かった。了解。ここで待ってる」
「……耳、塞いでなさいよ。洞窟だから、響きそうだし」
「分かってるって。早く済ませて来てくれよ」
将真は、〈光源〉の魔術を使えない。
練習していないからというのが大きいが、それ故に杏果から離れれば、明かりを確保できないのだ。何か起きたとしても対処に困る。
将真のボヤくような言葉には何も返さず、杏果は明かりを小さくし、足早にその場を離れていった。
その僅か、一分にも満たない時間。
「__ひぁっ、ちょ、最悪……!」
耳に指を突っ込んでまで音を遮断したにも拘わらず聞こえた杏果の叫び声に、将真は思わず肩を揺らす。
そして杏果が隠れているであろう場所へと視線を向ける。
勿論、何かが見える訳では無いのだが。
「大丈夫か!?」
「大丈夫だから、絶対こっち来んな!」
危うく助けに向かおうと足を踏み出そうとしたところで、かなり強めの拒絶の言葉をかけられて、何とか踏み止まる。
それと同時に、将真は迫り来る気配を感じて、棒を生成しながらそちらを振り向く。
間も無くして、用を済ませた杏果が戻り、将真と背中合わせに立つ。
そして最初の状況に至る訳だ。
余程腹に据えかねたのか、無駄に力一杯戦斧を振り回しては、コボルドをかち割り、叩き切り、千切り飛ばして行く。
将真も遅れを取らないように、僅かな明かりと殺気を頼りに次々とコボルドたちを伸していく。
暫くすれば、特に苦労することも無くコボルドの群れを突破し、留まるのは危険だからとその場を移動し始めた。
そうして再び暫く歩くと、間違えた道を来たようで、突き当たりへと辿り着く。
だが、今はむしろ都合がいい。
「今日の所はここで休もうかしらね。もう流石に限界が近いし……」
「そうだな。ちょうどいい場所だし」
本来なら、場所的に火を使わずに起きたいところだが、魔術を行使したままでは杏果も眠ることが出来ない。
仕方なく、小さな火を起こして、適当に燃える物に火を移すと、杏果は魔術の発動を止めて横になる。
準備がいい事に、寝袋も持ち合わせていたようだ。
これなら、固い地面の上でも多少マシな寝心地になるだろう。
「……じゃあ悪いけど、ちょっと先に休ませてもらうわ」
「おう。ちゃんと見張りはやっとくから」
将真の応答を聞くと、余程疲れていたのだろう。杏果の意識は直ぐに闇の中に沈んでいった。
__分かるなんて、軽々しく言わないで!
そんな叫び声が聞こえて、杏果は思わず目を見開く。
だが、それはあくまで感覚だけの話であり、実際は目を開いてなどいない。
薄暗い家の中。
まだ幼い少年は、彼よりも少し大きな少女を優しく抱きしめようとして、泣きじゃくる少女に手を払われていた所だった。
あまり経験がある訳では無いが、これは__
(明晰夢、か)
お世辞にも睡眠に適したとは言えない環境で、将真とあんな話をした後なのだから無理もない。
杏果は、この夢に覚えがある。
夢、と言うよりは記憶と言うべきそれは、かつて両親を失ったばかりの、不安定な時期の自分の姿だった。
両親を失い、響弥の家に養子として引き取られた。
それでも、彼の苗字である『荒井』に変えなかったのは、今の両親の言葉があったからだ。
自分の両親が忘れられなければ、忘れたくなければ、無理に変える必要は無い、と。
杏果はその言葉に甘え、今も本当の両親である姓の『柊』を名乗っている。
今でこそ、響弥は杏果よりも頭一つ分近く背が高いが、当時はまだ杏果の方が大きかった。
女性の方が早熟なのだそうだから、当然の光景と言えよう。
この時は確か、まだ引き取られて間も無い頃。
自分の姓の事になど、気にかけている余裕すらなく、どうしようもなく行き場のない悲しみを飲み込もうと必死になっていた。
そんな時に、嫌な夢を見て情けなくも服とベッドを汚してしまい、まだ残っているような感覚があったからとトイレに向かった時に、同じようにトイレに起きた響弥と遭遇したのだ。
これほど鮮明に記憶に残るくらいには、この時の事は懐かしくも恥ずかしい思い出だ。
(……改めて振り返ると、無茶なことを言うわね。我ながら)
顔を赤くして、言い訳を考える杏果に、響弥は揶揄うでも責めるでも無く、優しい言葉をかけてきた。
そして言ったのだ。
__二人とも死んじゃって、悲しい気持ちはよく分かるよ。
分かるものか、とは今でも思う。
少なくとも、当時の自分の立場になってみれば。
今では、そもそも彼はそんな軽率な言葉をかけたりしないだろうが。
馬鹿っぽい響弥だが、あれで杏果の事をとても気にかけてくれているのは、彼女自身がよく分かっていた。
それは昔から変わらなくて、変化があったとしても、杏果が妹になってからは顕著になったという程度。
だが、幼い杏果には、そんな無責任な言葉が受け入れられなかった。
響弥もまだ幼いのだ。むしろそんな風に優しい言葉で慰めようとしてくれるだけで十分すぎると言うのに。
__分かるわけないじゃん! アンタは、パパもママも生きてるのにッ、私の気持ちなんて分かるわけないよ!
泣き叫びながら、力いっぱい響弥の体を叩く。
幾ら子供と言っても魔術師の卵で、特にこの頃から杏果の力は既に、少女どころか子供離れしつつあったほどだ。
叩かれている響弥は、かなり痛いはずだ。
それでも、彼は叩かれる度に少しだけ苦しそうな表情になるだけで、杏果を止めることも咎めることもせずに、ただ受け入れていた。
今だからこそ分かる。
響弥が助兵衛だなんて、彼の一番わかりやすい一面と言うだけのことだ。
本当は、出来た人間なのだ。
こんな幼い頃から、大人びた一面が垣間見えるほどに。
対する当時の杏果は、年相応に我儘で、幼かった。
__分かってるもん! 家族が死んじゃう事なんて、魔術師だったら珍しくないんだ! 私と同じ思いをしてる人だっていっぱいいる! 私より辛い思いしてる人だって絶対いる! だから、頑張って、こんな気持ち、忘れようって思ってたのに! 私の何がわかるの!?
__本当に、忘れちゃっていいの?
杏果の、幼い心で抱えきれなかった慟哭を聞き届けると、響弥はそっと杏果の手を取り、そんな事を言った。
__二人のこと、覚えてあげられるのは、杏果だけだよ? 仲良しの父さんも母さんも、良くしてもらった僕だって、いつか忘れちゃう。他のみんなもそう。最後まで覚えていられるとしたら、きっと杏果だけだよ。
未だに啜り泣く杏果を、今度こそ優しく抱き留めて、でも、と響弥は続ける。
__でも、杏果が忘れちゃったら、いつか誰も、二人のことを思い出せなくなっちゃう。誰の記憶にも残らない、そんな悲しい存在になっちゃうんだ。本当に、それでいいの?
__やだ。いくない。
大人のように、優しく言い聞かせるような響弥に対して、杏果の返答は子供のそれだ。
他の誰に見られている訳でもないが、杏果は我が事ながら恥ずかしさを覚える。
__忘れたくない。忘れたくない! でも痛いよ! 苦しいよ! 頭も心もグチャグチャで、どうしよもないんだもん、仕方ないでしょ!?
__忘れる必要なんてないよ。飲み込まなくていい。ゆっくり、受け止めればいいんだ。それが辛くて苦しいなら、父さんも母さんも支えてくれる。勿論……、俺だって、助けてやる。
そう、思い出した。いや、そもそも忘れていた訳では無いのだが。
この頃だ。この頃から、響弥は自分の事を「俺」というようになって、男らしい口調になっていった。
多分、杏果が情けなく弱い所を見せてしまったから、頼りになる兄でいようとしてくれていたのかもしれない。
真相は、本人に聞いてみない事には分からないが。
__響弥のバカ! 知ったような事ばっかり言わないで!
そこまで言われて尚、当時の杏果はその言葉を素直に受け入れる事が出来なかった。
散々泣き喚いて、響弥に当たり散らして、疲れてしまった杏果は、そのまま響弥に抱きしめられたまま再び眠りに落ちた。
この翌朝、自分のベッドの上で寝ている響弥を見て、添い寝されていたのだと気づいたことで一度驚き、服とベッドの染みが夜起きた時よりも悪化していた事に気がついて、再度驚いた。
そこから響弥が目覚めた事でバレて、家族全員に生暖かい目で見られて羞恥に顔を染めるまでが、この時の一連の出来事だ。
だが、この日を境に、心が急速に強く育ち始めた杏果は、少しずつ両親の死を受け止められるようになっていった。
(恥ずかしくて、面と向かって言えた事はあんまり無いけど……)
それでも、いつかちゃんと伝えたい、とは思っている。
感謝しているのだと。ただ、ありがとうと。それだけを。
「……響弥、無事かしら」
心配される立場にあるのはむしろ杏果の方だったのだが、彼女の口からはそんな不安が零れる。
そしてそれは、あまり彼女らしくない姿でもあった。
現在に至るまで、常に共に行動する事が当たり前になっていたから、この極限状態で、離れ離れになるまで考えた事はなかったが__
「……会いたい」
思えば、彼女の強靭な精神力も、響弥の支えがあってこそのものだ。
多くの者は、そんな響弥の陰ながらの行動に気がついてはいないけれど。
たった数時間、離れているだけで、寂しいと感じたのだ。
もう、両親の時と同じような思いをするのはゴメンだった。
だから、早く目を覚まさなくては行けない。
今、一緒に行動している将真だって、休まなせなくてはいけないのだ。
改めて、杏果は過去の自分に目を向ける。
両親の死を受け止められるようになったその表情に、暗いものはない。
「……また今度、ちゃんと伝えるから。今は夢の中だけど__ありがとう」
遠い日の光景が、遠ざかっていく。
それと同時に、意識がボヤけていく。
夢の中で鮮明に意識を保っているのに、目覚めに向かう事で意識が薄れると言うのも皮肉なものだが。
そんな思考を夢の中に置いて、杏果の意識は覚醒する。
「……ん」
「お。起きたか柊?」
「……そうね」
「…………何? 俺の顔になんかついてるか?」
体を起こして寝ぼけ眼を擦る杏果は、将真に姓で呼ばれて彼をじっと見つめる。
将真は少し居心地が悪そうな表情を浮かべるが、暫くして杏果はフイッと目を逸らす。
「別に、なんでもないわ」
「なんでもないって……、いや、別にいいけど……」
釈然としない表情で将真は後頭部を掻く。そんな彼に、杏果は簡素な布団を放り投げる。
慌てて受け取る様子を確認したところで、杏果はのそのそと寝袋を片付け始めていた。
「どうせなんも用意してないんでしょ。貸してやるからさっさと一眠りしなさい」
「いや、俺はいいよ」
実は杏果が寝ている間に、横になってみたのだ。
杏果の予想通り、寝具の持ち合わせなどなく、ゴツゴツとした岩肌はとてもじゃないが寝付けたものでは無い。
どうせ寝られないなら、少し体を休めながらでも進んだ方がまだマシだった。
疲れも多少あるが、魔術師として鍛え始めてからは、多少寝足りなくても体は動くようになっていたから、問題は無いだろう。
「……ん」
「……なんだ?」
そう思って頭を振った将真だが、杏果は将真の傍の地面を指さす。
つられてそちらに視線を向けると、そこだけゴツゴツとした岩肌ではなく、細かく柔らかい砂へと変化していた。
「それならまだ寝れるでしょ。寝不足で頭働かなくて足手纏いなんてオチはゴメンよ」
「いや、俺の実力考えると、頭回ってても足手纏いになる事もある気がするんだけど……。まあ、そういう事なら有難く、寝させて貰うな」
「ええ、いいからさっさと寝なさい」
将真の感謝は受け取りつつも、ぞんざいに返す杏果に苦笑を浮かべながら、将真も横になる。
思ったより疲れていたようで、すぐに眠気はやってくる。
その眠気に身を委ねながら__
(……寝言の事は、黙ってた方がいいよなぁ)
恐らく、そんな話をしたら理不尽な報復を受けそうな気がして、黙っておくことを密かに心に決めて、将真は眠りについた。




