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24・そして、決着(1)

 川の水で傷を洗い、もらった薬をたっぷり塗ると、カイの足、ウソみたいに血が止まりました。

 ふたり、体の泥も落とし、澄んだ水を一口すすって山下り再開です。目指すは一路、希望の(カヌー)が待つというプアアの入り江。

 けどなぜか、カイの歩みはのろのろしてました。

「……だいじょうぶ? ケガ、痛みますか? それともどこか傷めた?」

「いや、問題ない。すまない、急ごう」

 いったんは駆け出しても、またすぐ脚が止まってしまうのです。道に迷って、向かっている先が正しいほうなのか判断つかない、そんな感じで。

 大きく息を吸って、声をはげますわたし。

「カイ、とにかく入り江まで行ってみましょう。どのみち、もう里には戻れないですし」

「……ああ」

「なんの心配してるのか分かります。でも、案外ぜんぶうまく行くかもしれない。

 もし、うまく行かなくてもですよ。実はひとつだけ、()()()があるんです」

 わたしだって、ほんとは不安だったけど。胸と虚勢を同時に張ってみせました。

 黒い大きな目がやっとこっち向いて、

「奥の手? ……聞かせてもらっても?」

「な・い・しょ♡」

「いや、な・い・しょ♡じゃないだろ。教えておけよ、念のため」

「内緒です。そのほうがうまく回る手なんです。そこはおねーさんを信じなさい」

 カイ、そりゃまあ不服そうだったけど。やがて、フンって鼻鳴らして、片頬だけで笑いました。

「まあいいさ。そうだな、モタモタしてていいことはひとつもない。行こう」

「はい!」


 そして。

「……見えた」

 言われても、わたしの目では何やらわからなかったけど。やがて、山を駆け上がってくる風が、かすかに波の音と潮のにおいを運んできました。

 海。プアアの入り江。

 ここさえ無事抜ければ、もう漕ぎだすだけです。あれこれの用意はカイがあらかじめ済ませてくれてて、あとは川の水を汲めばオーケーとのこと。そして、わたしの手には、ナビアプリの入った頼もしいスマホ。

「もう少しでマングローブの密生した岸辺に出る。カヌーはそこだ」

 もしかして。もしかして、全部うまく、都合よくいったんでは。目の前に光が差した思いがして、


「ミユキ、待て!」


 ……やっぱりそう簡単じゃなかった。

 カイの声に脚を止めると同時、山のふもとのほうに、次々松明の赤い炎が灯ってゆきます。

 そして、もう聞きなれた鏑矢の音ひとつ。

 恐れていた待ち伏せでした。


   *


 炎に照らされて揺れる人影、十にすこし欠けるくらいでしょうか。

 中でも特に小さいのは、たぶん長老。目元がときどきチカリ光るのは、レンズなしメガネの縁に炎が反射してるから。たぶん。

 そして、ひときわ巨大な影は、考えるまでもなく山長(やまおさ)

 山に持ち込む弓は、とりまわしを考えて短めになっている。たしか以前、カイが言ってたような。

 けど、山長がこちらに向ける弓は、他の人影が持つものの倍も長くまた太いものでした。

「……あの二人がいるってことは、本命でここを読まれてたか。だよな、クソッ」

 毒づいて、スッと前に出るカイ。わたしを(かば)うように。いつもそうしてくれたように。

「観念せえ、カイよ。わしはともかく、こやつは容赦せんぞ」

 山長をあごで指すような仕草とともに、長老の声が届きました。

 その長は、弓を引き絞ったまま微動だにしません。ホントに岩で出来てるんじゃないでしょうか。本当に山の化身なんじゃないでしょうか、あの人は。

 けど、観念したからってどうなるものか。よそ者のわたしは知らず、掟破りのカイは。

 そうしてる間にも、長老と山長以外の影が、ジリジリ近づいてきます。抵抗しなきゃ捕まる、抵抗すれば……。

「◎××、□△■■●。ミユキ×〇」

 カイがなにか返事しました。島の言葉で、不思議に落ち着いた声で。

 そういえば、カイやベルに頼りっぱなしだったわたし、ここの言葉は最後まで覚えませんでした。

 けど、なんとなく分かります。カイはきっとロクでもないこと言ってる。

『私は大人しく捕まる。ミユキは見逃してやってくれ』

 たぶんそんなことを。

 わたしは……わたしは、その背中にピッタリ寄り添いました。男たちから身を隠すみたく、どこまでも庇われるみたく。


 そして、完全に前だけ見てたカイの首っ玉を腕で捕まえ、その頬に鉈を近づけて叫びました。


「お前ら、どけぇ!! 邪魔するとこの娘を殺すぞ!!」


   *


 自分でも信じられない大声。われながらドスもきいてました。

 驚いて動きを止める男たち。もともと静止してた山長は別として。

 彼ら、英語が分かるか知らないけど、かまわず続けます。なーに、長老がいれば通訳もしてくれるでしょう。

「殺すぞ、喉笛かっ切るぞ!! 邪魔すれば殺す、これ以上近づいても殺す、島言葉で相談しても殺す!!」

「おっおいミユキ、なに考えてんだ!!」

 腕の中で暴れるカイ。やだこの子、本気で抵抗してる。

「静かに。おねーさんに任せてください」

 その耳元に唇を寄せ、ささやきついでに息を吹きかけます。フッ。

「おうわわわわわ」

 カイ、ゾワワワワって震え上がって大人しくなりました。よし。

「きさま、恩知らずめ! さんざ世話になっておきながら、その子を人質にする気か!」

 長老の怒声は、むしろ心地よかった。ご理解いただけてホッとしたというか。

「人質にする!? 違うね、最初から人質だ!! 刃物で脅して連れてきた!! 分かったらどけーっ!!」

 これがわたしの、ショボかろうと最後の切り札。山の上で別れる前、トーニくんにだけ打ち明けた手。

 さあ悟れ、掟だの女人禁制だの小うるさい未開人どもめ。あんたらの娘は、よそ者に脅されて仕方なく山に入ったんだぞ。

 暗すぎてハッキリしないけど、男たちに動揺の影が走ったような。互いに顔を見合わせて。

 ここぞとばかり畳みかけるわたし。必殺、分からない言葉で威圧戦法!

「おルァーッ、どかねばとこの娘っ子ば手籠めにすっど!! どけえーっ!!!!(日本語)」

「ミ、ミユキ、なんかムチャクチャ言ってるだろあんた!」

 カイのツッコミを無視して怒鳴ります。日本語のまま。

「長老! そんなに裁きたいんですか、吊るしたいんですか、この子を!? 人質なのに!! こんなにいい子なのに!! 島を、あなたを、愛してたのに!!

 あなたが……この子のお父さんにひどいことしたって聞いたあと、どれだけ泣いたか知ってますか!!?」


 ドスンッ


 突然響く、重い音。

 反射的にすくめた頭の上に、葉っぱくずがパラパラ降ってきました。

 山長が、わたしたちの左手数メートル、森の入り口に立つバナナの樹を撃ったのです。

 長い矢があっさり幹を貫き、矢じりが顔を出してました。

 矢を放った以外は微動だにしないまま、なにか告げる大男。低いのにここまで届く太い声で。それこそ、山が口をきいたような。

 カイが、変に平静に訳してくれました。

「……掟破りは人質にならない。次は二人まとめて撃ち抜く、とさ」

 あ。そういう感じですか……?


   *


 背中の汗がいっぺんに冷たくなります。ゴメンナサイちょっと調子こいてました。土下座とかで許してくれないですかね。無理か。

 それでも、新たな矢をこちらに向ける大男に言ってみました。声の震えをなんとか抑えて。

「あのう。かいつまんで申しますと、この子好きで山に入ったわけでは……」

「無理だよミユキ。山長は英語が通じない。

 通じたとして、私は、ひとに泥かぶせて自分は知らん顔なんざまっぴらだ」

「黙らっしゃい。ナマイキぬかすと耳に息くらいじゃ済みませんよ」

「うっ……」

 カイ、さすがに口をつぐみました。よしよし。

 とはいえ、その間にも長老と山長以外の男たちは進軍再開。十人近い数が、網を広げるように半円を描いて迫ってきます、ジリジリと。

 もう、情に訴える以外なにも思いつきませんでした。八割がたヤケクソで、

「あなたたちの島の子でしょう!? そんっなに死なせたいんですかサディストですか!? ああもう、長老も黙ってないで通訳くらいしてくださいよ!!」

「死なせたいわけでも、ない。が、掟は……守られねばならない」

 カイもわたしもギョッとしました。

 山長が、時々つっかえながらも、できないはずの英語で話し始めたからです。


   *


「カイよ、お前の父とは、幾晩も……語り明かした。お前が生まれる、ずっと前だ。

 彼も、島の言葉は覚えたが、その考えをしかと分かるには、やはり英語……血とともに彼の中に流れる言葉を、知らねばならなかった。若い俺には、それができた」

「……初耳だな。あんたが英語を使ってるのなんて見たこともないし、父さんと語り明かしたなんて想像もつかない。一体どんな話を?」

 悠長に話し込んでる場合じゃないって、カイにも分かってるだろうけど。

 斜めに構えたふうを見せながら、それでも訊かずにいられないようでした。好奇心が強く、なにより、お父さんのことならなんでも知りたいのです。

 半円の包囲網をなす男たちが、やっぱり驚いたのか、脚を止めてポカンと山長をながめているのが幸いでした。

「彼が、この島をどう見、考えていたかだ。この島を愛しはしたが……すべてを大人しく受け入れる男ではなかった。彼の助言や、不平によって、島の習いや法が改まったこともある」

 記憶にありました。

 南十字星を見に海へと出たあの夜、カイはお父さんのことをいくつか教えてくれたのです。子供に刺青を入れない、女にもパンツはかす(これはホンットありがたい個人的に)。それに、十七まで女を結婚させないのも、その人の提案だったと。

「……だが、肝心の古臭い掟だけは改まらなかったわけだな」

「そうだ。昔からの掟や禁忌のことは、我らは譲らなかった。幾夜も語り明かし、議論もしたが……やがて彼とはだんだん、話すことも、少なくなって、いった」

「へ。島抜けはともかく、女が山に入ったらそんな大ごとかよ。理屈にもならない()とやらを後生大事に守ってご苦労なことだ」

 わたしはあわててヒソヒソ声で、

「あああカイやめて挑発しないで。議論よりも逃げる手を探しましょうよぅ」

「逃げる手? そんなものがどこにある。探したら何か見つかるか」

「れーいーせーいーに!! たまにカッとなるの悪いとこだって、あなた自覚してるじゃないですか!!」


 バシンッ


 内輪もめ、幸いにも止まりました。二度めの音がまたすぐそばで響き、バナナの葉くずが降ってきたから。

 二の矢は、樹の幹ではなく、なんと最初の矢をまっぷたつに割って食いこんでいました。

 そして、今度こそ脅しでなくわたしたちを狙う、第三の矢。

 山長の眼光は、その矢よりもなお鋭かった。

「理屈にならずとも、掟は掟。

 このまま見過ごせば、人々は……不幸や死が訪れるたび、()()()()()()()()()()()()()と考えてしまうだろう。

 掟が迷信というなら、人には迷信も必要なのだ。弓にかけてでも守る。我らは、ずっと、そうしてきた」

 気力が()えるのが、自分で分かります。

 あきらめ、恐怖……だけじゃない。この分からず屋の巨人を、尊敬してしまったと言ったら変でしょうか。

 かないっこない。

 幼いころから弓技を磨き、狩人として野を駆け山に伏せて何十年。彼らがこの島に里を築いて二百年、もっともっと遠い、昔話の故郷(ふるさと)からこの南の海に渡ってきて、綿々と紡いだ二千年。この巨人は、その重みすべてを両肩に喰いこむほど背負い、太い足で支え続け、やがてヒルさえも食わない岩に変わってしまった半神なのです。

 カイもついに折れたのでしょうか。ちらり、こちらを振り向いて、ぎゅっと唇を噛み――

「……最悪の展開だが、これを待ってた。汚いな、私は」

 え?


 次の瞬間、いままで小ゆるぎもしなかった山長の影が、一歩だけ後ろに退いて。

 その足元に深々と矢が突き立ちました。

 風の速さで斜面を滑り降り、わたしたちの前に回って二の矢をつがえる、細いけどたくましい背中。


 ()()()()()!!

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