23・おすすめしないったらおすすめしない(2)
やがて背後から、人の叫び声が聞こえ始めました。
はじめ遠く、けど、少しずつ確実に近づいてきます。向こうは山のプロ、こちらが勝ってるのはたぶん若さだけ。ぴっ、ピンチ。
「それでも、犬を使ってこないだけ儲けものだ! 走れミユキ、がんばれ!!」
「なっ、なんで、犬、つかあない、んですかね!?」
「殺したり、大ケガさせたりする気がないんだろ! 今のところはな!」
そのとき、何かがヒュン、わたしたちを飛びこしてゆきました。
十メートルほど先の地面に突き刺さったのは、矢。
狙い、わざと外したんだと思います。けど、はるか頭の上を飛んだはずの矢が、まるで耳をかすめたような気がしました。
「……今のところは、当てるつもりないはずだ! いいから走れ!!」
一瞬だけ止まってしまった脚をまた、ヤケクソ気味に前に放り出しながら、わたしはひと声天高く、
「おか~さ~んっ!!(日本語)」
*
やはり、鬼ごっこは鬼に分がありました。
こけつまろびつ(主にわたしが)全力疾走のこちらに対し、むこうはすべるような足取りで、着実に距離を詰めてきます。大声でなにか叫びながら、時々、威嚇の矢を撃ちこんできながら。しかも鬼、二人いました。いわゆるツーマンセル。……子供のころ、ツーは分かるとしてマンセルって誰? って思ってましたフフフ。
「すたーっぷ!!」
声、たまにたどたどしい英語交じりです。わたし向けの降伏勧告。イ♡ヤ♡。
と、カイが少し下がって横に並びました。
「……ミユキ。このままじゃジリ貧だ。森に入ってやつらを撒こう」
えっ。
「あ、危なくない、ですか? トーニ、くんも、いないのに」
「危ないさ。が、川伝いじゃ隠れる場所もない。こいつは賭けだ……三、二、一、それっ!」
「あああ待って!!」
いきなり左に折れるカイ、泡食ってついていくわたし。わずか数歩の距離を渡って、再び暗い森に飛び込みます。
「こっちだ、はぐれるなよ!! いてっクソ、木の根っこに気をつけろ!!」
声はすれど、その背中はほとんど見えません。でも、追っ手の目印になるのでスマホのライトは、
そのとき、バサバサッと羽ばたくような音、そして短い悲鳴が聞こえました。
……スマホのライトを、あわてて点けて。
見えたのは、すらり長い右足を上げた不自然なかっこで、地べたに突っ伏すカイの姿。
そして、その足首からまっすぐ伸びた、きらきら光る銀色のワイヤー。
*
「クソッ、しくじった! ミユキ、こいつ切れないか」
カイ、毒づいて上体を起こします。よかった、ケガはないみたい。
……いえ、ケガしてました。鋼鉄の紐にくくられた足首から、ふくらはぎの方へ血が垂れていってます。
「だっ、大丈夫!? ちょっと待ってて!!」
急いで駆け寄り、振り上げた鉈をピンと張ったワイヤーに叩きつけ、
ビィン
「ぐっ……!!」
「あ、ごっ、ごめんなさい!」
鉈の一撃、簡単に跳ね返されました。あまつさえ、鋼鉄のいましめがますます肌に喰いこむ始末。どっどうしよう、どうしたら。
「落……ち着け、ミユキ。さっきバサバサっていったろ? 木の枝だ、このワイヤー、バネがわりの枝につながってるんだ。そっちを切れば……」
言葉、半端に終わりました。
すぐそこ、森の入り口に、男が二人立っていたからです。
*
土人。
ごめんなさい、今回だけ使わせてください、この超ド級の放送禁止用語。
LEDライトの明かりに浮かび上がる、二人の狩人。一人は弓をかまえ、一人は松明をかかげて。褐色の肌に幾筋もの刺青を刻んで、無表情なのに目だけギラギラさせて。
里で知ってる人だったかもしれない。なんならご近所さんかもしれない。カイが潰れた家に埋まった(とわたしが勘違いした)時、ひょっとして、助けてくれた人かも。
けど、今こうしてジリジリ迫る二人は、まるで言葉も通じない土人、なんなら人食い人種にすら見えました。
体が面白いように震えます。歯がカチカチ鳴ります。
「ミユキ、もういい。ケガするから抵抗するな」
カイの静かな声。
それでもわたしは、そのそばに寄り、右手の鉈を掲げてみせ……
そのとき、山の上のほうから、鏑矢の音が響きました。鳥の長鳴きみたいに、ひとつ、ふたつ、……みっつ。
狩人たちが、顔を見合わせ、島の言葉でなにか言い合って。
そして弓をおろしました。……え、なんで?
「〇●×〇。て、てっしゅう、めいれい」
笑ってました。ホッとしたみたいに、白い歯を見せて。
去り際、彼らが放ってよこした、小さな二枚貝。
受け取ったカイが、ワイヤーを外したあと、中身を確かめてポツリ、
「……軟膏だ。傷薬だ」
わたしは泣きそうになりました。
*(幕間17)
見つけたとき、トーニは、川岸の岩に座ってぼんやり宙を眺めていた。
『おい、どうした。何してる』
『……イワラニさん、あんたか。
カイとよそ者を追ってたんだが、足をくじいた。不覚だ』
俺より十五ほど下の少年。十五ほど下だが、俺と同じくらい腕の立つ狩人。いつもの無表情。
『で、二人はどっちへ行った』
『川を渡って東に向かった。どこかの岸に降りて、あとはカヌーで逃げる気だろう』
『……そうか』
俺は今、若いのばかり七人連れている。しばらく前に二人切り離し、犬とともに探索に向かわせた。
さらにここから、
『川向うへは二人でいい。あとは俺とともに川沿いに下る。行くぞ』
獲物につっかかる犬の吠え声、それから鏑矢の音ふたつ、もちろん俺たちが気付かなかったわけがない。ついさっき、下流の方から。
おう、と応えた若い衆が……ピタッと動きを止めた。
トーニが当たり前に立ち上がったからだ。
『川を渡ったと言ったぞ。おれを信じないのか』
『なにが信じるだ。足をくじいたんじゃなかったか』
『すまない。それは嘘だ』
変に律儀に詫び、それから、妙なことを言う少年。
『イワラニさん、もう少しだけ時をくれないか。森に迷ったとかなんとか言って、カイたちを追うのを遅らせてほしい』
『……できるか、馬鹿が』
トーニの意図、考えるまでもなく分かる。
こいつの、ひとつ上の従姉への想いは、若い仲間なら知らない者はない。
『カイをかばう気だな。それも私情でだ。それでも長の息子か、次の山衆のかしらか』
『すまん。おれは今夜、恋に生きる』
連れてきた七人、ツボに入ったらしく爆笑した。この少年が、無表情で冗談を言うことを知っていたから。
冗談だと思ったから、俺の指示どおり五人と二人に分かれた。山を下る組と、念のため川向うに向かう組に。
『止まれ』
目を離した一瞬が命取り。
トーニ、いつのまに弓をかまえてやがった。いっぺんに三本の矢をつがえて。
『……なんの真似だ』
『動くなら全員射倒す。三本撃ちを三度、あんたらは八人、一本は外していいわけだ。……この近さなら楽勝だ』
『何を言ってる。仲間殺しは即縛り首だ、分かってるのか』
あいかわらず無表情のまま、トーニはハッキリ答えた。
『すまん。おれは今夜、恋に死ぬ』
今度は誰も笑わなかった。
『あんたがたも、おれを撃つなら撃てばいい。三かける三、九本の矢を撃つあいだ、命がもてばいい。あんたがたを止められれば、もう、そこから先は要らない』
それからトーニは、よく分からないことを言った。ほろ苦い笑顔で。
『……よそ者が聞いたら怒るかもしれないが』
一対八のにらみ合い、どのくらい続いたろうか。たいして長い間ではなかったはずだ。
やがて自然と決着がついた。
『よし。弓と矢、ほかに武器になるものは全部置いて、三十歩さがってくれ』
命じたのは、まだ成人すらしていない少年のほう。
全員の弓を回収して、トーニは少し迷ったような顔を見せたが、
『おい、せっかく手になじんでんだ、そいつを傷つけないでくれよ。こっちは降参した、もうお前の邪魔はしない』
俺の言葉に素直にうなずいた。
『イワラニさん、今日の撤収は?』
『三、だ』
これも素直に、バカみたいに素直に信じて、トーニが天に向けて三度鏑矢を放つ。こういう狩りでは必ず出す分隊に、撤収と再集合を告げる合図。
それから、一言だけ残して、川下へ走っていった。
『すまない。ありがとう』
……少年が去ったあと、誰かがつぶやいた。
『アイツ大丈夫すかね。ここを下ればプアアの入り江だ。あそこには……』
『心配しても仕方ないさ』
俺たち追っ手がいれば、追われた獲物を待ち伏せる狩り手もいる。山衆なら分かり切った話だ。
島を出るなら海辺から出るほかない。そして、文明世界から来たというあの細っこい、たよりない娘を連れて、カイも長い道を行ったりはすまい。
ゆえにプアアの入り江は、狩り手が一番手厚く守っている。トーニも覚悟はしているはずだ。
『ところでイワラニさん、俺たちどーしましょ。十一人もいて娘っ子二人逃がしましたって、なんて言い訳すれば』
また別の奴がぼやく。むう。
考えて、決めて、俺は走った。まっすぐ川に向かって。
で、そのまま飛び込んだ。水はクソ冷たかった。
『おーい聞けェ若造ども! 俺はカイたちを追ってたが、うっかり川に落ちた! お前らに助けてもらったが、おかげで追跡どころじゃなくなった! いいな!!』
俺の奇行に目をまるくしていた連中、互いに顔を見合わせて。
それから、歓声を上げていっせいに走ってきた。な、なんだオイ。
ためらいなく全員川にダイブして、大笑いしていわく、
『それならオレらも濡れてないとっすね! ヒャア冷てぇ!!』
俺も仕方なく笑った。




