24・そして、決着(2)
「遅くなった。よく持ちこたえた」
腰の矢筒からすばやく矢を抜き、新たにつがえ直して。
トーニくん、抑えた声をこちらに投げました。
「あと五、いや十歩下がれ。そこでしゃがんで小さくなってろ」
その彼自身は一歩も退かず、キリリ引き絞った弓を、油断なく眼下の敵に(ごめんなさい敵は失言ですね)向けています。走ってきたはずなのに息ひとつ乱れてない。すごい。
「こりゃトーニ!! お前までなにを血迷うか!!」
枯れ枝のような腕を振り回して怒鳴る長老。けど少年はカエルのつらになんとかで、
「ごらんの通りです。カイを人質に取られてる、手出しできません。
本当にろくでもないよそ者だ。こんな奴、見つけたその日にさっさと海に返すべきでした」
うう、ひどい言われよう。やっぱ嫌われてる。
けどチャンスはチャンス。わたしはカイを引きずって、二歩、三歩……
「……カイ?」
抵抗するわけではないけれど、足取りは不思議に重く。
腕の中の少女は、じっと少年の背中を見つめていました。
「ちょっとちょっと、しっかりしてくださいって、下がるの! どーしたんですかまさか今さらトーニくんに惚れ」
――最悪の展開だが、これを待ってた。汚いな、私は――
突然理解しました。冷静じゃなかったのはわたしのほう。
カイ。
話を引き延ばしてたんだ。ワンチャン、トーニくんが来る可能性に賭けて。
弓を引く少年。恋しい少女のために、男たちの前に立ちふさがる背中。
敵はひどい失言でした。さっきの自分をボコボコにしたい。
彼が矢を向けているのは仲間、そして偉大な父親なのです。
まっすぐな、優しいカイ。本当なら、どれほど望まないことだったでしょうか、幼なじみとその父親が――自分のせいで――争うなんて。
「カイ!!」
それでもわたしは、腕の中の少女をゆさぶって急かしました。
我に返ったカイが、あわててついてきながら、
「……トーニ!!」
聞こえたのでしょう、少年が一瞬だけ目線をよこし、小さく微笑みました。
「よし、そこでいい。おれの陰から出るなよ」
*
場が凍ったように動かなくなりました。
夜空はまだ白む気配もなく、星明かりと松明の炎以外に光はありません。その炎の中、十近い男たちの影だけが踊っています。赤々と、ゆらゆらと。
半円の包囲網で迫る男たちの一人が、じわり前に出ようとしました。
とたん、矢の先端でそちらを指すトーニくん。
「やめてくれ。こっちは打ち下ろし、そっちは打ち上げ、この距離なら一方的におれの矢だけ届く」
英語が分かったかはともかく、警告は伝わったみたい。男はたちまち、だるまさんが転んだみたいに動きを止めました。
一方的にトーニ少年の攻撃だけが届く距離。
ただし、あそこからバナナの樹を射貫く山長の矢を除いては。
つまり……父子の対決に、すべてがかかったのです。
「トーニ、お前では、俺に勝てん。大人しく、手を、上げろ」
山長、わが子に対しても英語でした。たぶん、わたしたちにも降伏勧告するためでしょうか。
「できません」
「カイが……人質、だからか? そんな、嘘で、俺をだませるか」
「父さんをだますこともできません。おれも掟破りだ。撃ち殺してください」
そのあと、怖ろしい沈黙。
ふと、耳元でキリキリ鳴る音に気づいて。
目を向けたら、カイが折れそうなほど歯をくいしばってるのでした。
「……トーニ。私たちに出来ることは……?」
「本当は森に隠れてほしいが、むずかしい。一瞬でもおれの陰から出たら、父さんが撃つかもしれない。今はそこでしゃがんでてくれ」
気がついたらわたしも、鉈を握った右手に、指が折れそうなほど力が入ってました。
けど、歯を鳴らそうが、拳に力を込めようが、それがなんでしょう。
無力。
女が十七で大人だという島の決まりは、やっぱり間違ってた。お母さんに女手ひとつで育ててもらって、学校に行かせてもらって、海に漬かっても壊れないスマホ買ってもらって。島では衣食住ぜんぶ面倒見てもらって、カイたちに助けられて、今はふたつ下の少年の後ろに隠れて。十七年生きてきて思い知ったのは、わたしがまるで無力な、取るに足らない子供だ、それだけでした。
それでも、なくしたくないものひとつ、ギュっと抱きしめて。
腕の中の少女も、かばうようにわたしの背に腕を回して。
「……あ」
ふと、呆けたみたいなつぶやき。トーニくんがわずかに弓を揺らし――
バシンッ!!
世界が弾けるような音、そして血しぶきが舞い散りました。
*
「トーニ!!!」
絶叫とともに、もう後先もなく飛び出すカイ。わたしの手をすり抜けて。
わたしは無様にしりもちついて、目の前の光景を眺めてました。なんの加減か、この闇の中で、なにもかもがやけにくっきり見えて。
トーニくんは――
トーニくんはあおむけに倒れ、細面の顔を苦痛にゆがめています。右の唇あたりから頬まで一直線に傷が走り、耳たぶには浅い切れ込み。生きては、いる。血を流してる、ケガしてる。
左手に、てっぺんが完全に砕けた弓。
撃たれた。
さっき、トーニくんが動揺したほんの一瞬。
山長の矢が、恐ろしい正確さで少年の弓を打ち砕いたのです。樹に刺さった矢をまっぷたつに割る、あの精密射撃で。
顔の傷はたぶん、切れて暴れた弦のせいでしょう。
遠くで、次の矢をつがえようとする山長を、長老が手で制しました。もう必要ないというように。
そして、トーニくんを必死で引きずってこようとしてたカイ。
彼女も、トーニくんやわたしが見たものに気づいたようです。う、ってうめいて、腕をダランと垂らしました。力なく。
長老たちよりもっと遠く。
海の上に、いくつものかがり火が……かがり火を赤々と掲げたカヌーが浮かび、刻々その数を増やしているのでした。
なんて言ったっけ。そう、海上封鎖。
*
あがくとすれば、せいぜい森に逃げ込むのが精いっぱいだったでしょう。
けどわたしら三人、黒土の斜面を一歩一歩踏みしめて登ってくる男たちを、ただ茫然と待っていました。
さすが年の功、長老は抜け目なかった。
山衆をくり出してわたしたちを追いまわす一方で、きちんと海の上にも網を張っていたのです。万一、いえ百万にひとつ待ち伏せを突破された時のために、二重の網を。
いくらカイの腕でも、あの船を全部かわすのなんて無理に決まってる。
お母さん。心の中で、ぼんやり呼びかけました。
お母さん、ゴメン。じっちゃ、ばっちゃ、ゴメン。わたし……帰れねかも。
コン、カン、カン。海のほうから、澄んだ硬い音が届きます。たぶん木造のカヌーの、ふなべりでも叩いてる音。調子をとるように。
聴きながら、自然と目が閉じました。……ああ違う、なにあきらめてんだ。カイを助けなきゃだろ。けど、もう、頭も手足も動かなくて……
やがて響いた、大きな叫び。ややブロークンな英語で、声を合わせて。
「「「「せーの、
カ イ、 ミ ユー キ、 手、 出 す ナーッ!!!!!!!!!!」」」」
……………………………………。えっ?




